独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ケニア> その3,キスムKisumからウガンダへ

当初行ってみたかったマリという国は、アフリカ諸地域の中でもダントツに見どころの多い国だったのだが、そこへの入国ができなくなって急遽変更した東アフリカは、ナイロビは面白かったし居心地も悪くなかったのだけれど、その他の見どころはにわかに手に入れた、すでに古本レベルになっていたガイドブックを見ても行ってみたいところは特に見いだせなかった。というか、やはりこの辺りはサファリ客がメインターゲットのようだったし(ましてコロナ禍も明けきれてなかったりして)、わたしのようなバックパッカーに出会うこともなく、つまり旅すがらの生情報を得ることも全くなく、さてどうしたもんか?とナイロビに着いてから頭を悩ましていた。で、一ヶ所は前回記した通りタンザニア国境へは割とすんなりいってみる気になり、一泊二日の旅を経験して国内移動の感覚・距離感はつかめ、ま、アフリカ旅の感触をつかめつつあった。で、一旦ナイロビに戻るのだが、その後の行程はケニア入国前に決めてあったわけではなかった。

 

今回のアフリカ旅は、当初の目的地を変更せざるを得なくなった時点で、行先を東アフリカに変更し一応ケニアウガンダルワンダの三国とエチオピアを回るつもりで東アフリカ3か国VISAというものは取得してあった。ただ、それぞれの国のどこへ行くか、何日滞在するかといったことは全く決めてなかった。が、世界一周券取得にあたっては発券時点でルートと日程は決める必要があったので(後で変更は可能とのことだった)とりあえずはケニア着が2月7日で、そのあと2月21日にルワンダの首都キガリKigaliからエチオピアAddis Ababaへ飛ぶことだけは決めてあった。つまり2週間かけてケニアウガンダルワンダを回ってみようという全くラフなプランだけで中身については現地に着いてから考えることにしていたのだった(2週間というのも全くあてずっぼで、それで足りるかどうかも予測がつかなかったので、とりあえず決めておこうという感じ、それがま、世界一周券の制約だったのだけれど・・)。で、現地に来てもこれはという情報にありつけなかったので、ならば当初の予定通り陸路でウガンダに行ってしまおう、ということになって、ウガンダ国境までいくマタツもあったけれどせっかくだから一か所くらい寄り道してみようと例の古本ガイドブックでそのルート上にありそうな街を探してみて見つけたのがキスムKisumuかナクルNakuruという街だった。時間距離でいうとナイロビ~ナクルが2.5時間、ナクル~キスムがさらに2.5時間、キスム~ウガンダ国境が2時間という感じだった。で、少ない情報ながら比較検討して、何やらキスムというところはビクトリアLake Victoria湖岸にあるらしいということがわかったので(一方のナクルは行ってみたかったケニア山には近かったが、それでもけっこう距離がありそうだったので)、ま、アフリカ中央にあるアフリカ最大の湖は見逃すわけにはいかないという理由だけでキスム経由でウガンダ入りすることにナマンガに行く前に決めていた(なのでナマンガ行きのマタツ乗り場を探していた時に、キスム行の乗り場も探したのだった)。

 

2月11日の朝(ナマンガから戻った次の日)は夜通しのボリュームいっぱいの音楽でほとんど眠れなかったので、せっかくいいホテルだったのにと怒りをにじませて5時には起きだす、そして荷物の仕分け。実はケニア入りしてからずっと頭の隅に引っかかっていたことがあって、それは日本出国前から考えていたことだが、要はようやくアフリカに到着してこの先防寒衣料は不要になるだろう、旅の要諦として特にバックパッカーにとっては(&年寄り旅人にとっては)荷は少しでも軽く少なくする、が基本中の基本、なのでそれらは初めからナイロビで処分するつもりだったのだが、では、どのように?という問題が残されていたのである。それらを有効に活かすにはどうすればいいか、つまり黙って置いていくか、あるいは捨てていくのではなく誰かに託せないか、その人が自分のものにしようが売り払おうか誰かにあげてくれようが、それはその人の自由にしてもらっていいのたが、誰かそれを引き受けてくれる人はいないかと、ま、探していたのだった。が、しかしそれは取り越し苦労だったことが前日に判明、何のことはないそれまでにけっこうざっくばらんに会話を交わせるようになっていた女性が三人いて、たぶんその話をすれば誰でもすぐにokしてくれたであろうとはあとからは思ったが、偶々頼んでおいた洗濯物をもってきてくれたルームサービス担当の彼女にその話をすると二つ返事だったのである(どうでもいいことだけれどあとの二人は、一人は最初のの日の受付嬢 - わたしの一番のお気に入り、もう一人は前回写真を載せた食堂の彼女)。それはそうだろう、決して豊かな生活をしているわけではない庶民にとって、好きなようにしてよいといわれれば、たとえ金目のものはなかったとて断る理由はなかったと思われるからだ。で、そのための荷物の仕分けをして、置いていく荷物を彼女に渡し出発の準備を整えてから朝食をとりに上の階へ、そのとき、あ、早まったと後悔したのだった。その悔いとは、その置いていく荷物は結構あったのだから、一部はこの食堂の彼女へ、そして受付の彼女へも何かを置いていくべきだったということに気づいたのだけれど、時すでに遅しであったのだった。結局彼女ら二人には言葉だけの礼を告げるしかできず、この辺がわたしに女性運のなさを物語っているようだった。

お気に入りの3人とは縁もゆかりもないが、ナイロビの女性のセンスの良さには
感心させられていた

そのお気に入りだった受付の彼女にチェックアウトを告げ礼をいってそのホテルを後にしたのは8時半ころだったか、そして数日前に調べてあったKisumu行きマタツ乗り場へ、20分くらいでその場所に着いたがその時選んだSacco(会社?)はこれまた失敗だったかもしれなかったのである。というのもやはり言葉の問題というか(英語は公用語なのだが、マタツ関係者だとほとんど現地語<スワヒリ語>での会話なので)同じ所へ行くマタツの会社は通常数社あって、それぞれ呼び込み合戦をやっていて競争は熾烈である。で、わたしのような旅行者はナマンガでもそうだったが、だいたい最初に声かけた(orかけられた)会社にどうしても誘導されてしまうのである。料金的にはだいたい同じ設定だから問題ないのだが、問題は集客力、つまりここのシステムは(他の国のマタツのような乗合もどこも大体同じだが)客が埋まり次第出発となるから、待ち時間が異なってくるということだった。前回のナマンガに行くときは30分待ちだったが帰りは1時間待ち、そしてこの時も1時間待ちで9時に乗り込んだ車が出発したのは10時過ぎになっていたのだ。ま、これは運次第というか、もしかしたら地元の人はそういった情報も知っていて(あるいは現地語で情報を確認して)選択しているとも思われるので、我々は多少ハンデを負っているとはいえるように思う。それは途中途中の街の情報にしても、また到着予測等にもいえて、わたしはKisumuまでは5~6時間と聞いたように思っていたが、実際に到着したときは17時になっていたので7時間かかったことになる。あとからナイロビ~キスム間は350kmくらいと知って7時間かかって当然、むしろ早いくらいだったことを知るのだがけっこう疲れたのも確かだった。それでも道中は、ま、幹道だったから全線舗装で道は悪くなく、アフリカ・サバンナらしい景観もなかなか楽しめたし(今回の旅の失敗の一つに、スマホのビデオ機能を知ったので、車窓の風景は主にビデオで撮ったため、ここに載せられる写真があまりないのだ)路上を移動する羊の群れの一頭が、われわれの車に体当たりしてきて即死するといったハプニングがあったりしてマタツによる移動はそれになりに楽しめたのだった。Kisumuのマタツターミナルは、そのあとに経験するウガンダカンパラのターミナルに比べるとまだましという感はあるのだが、ま、それなりにカオス的で異邦人にとっては好奇心で目を瞠るという要素を十分備えていた。乗ってきたマタツのドライバーに近くに安ホテルはないかと聞いて、5分のところにあったホテルに投宿、1000kshとのことだった。因みにナイロビ~キスム間のマタツ料金は1200kshだった。

道中(沿道)の風景 ↑↓ 多数

 

 

だいぶケニアにも慣れてきて、近くにスーパーもあったりしたのでビールはそこで手に入ったしストリートフードも大体わかってきて、その日の夕食はビール200ksh+ストリートフードで300kshくらいで済んでいた。そしてあくる日は朝方、歩いて2~30分のところにあるというVictoria Lakeを見に歩いて出かけたのだが、残念ながら浜辺へは出られなかった。そのエリアは私有地か企業の社有地になっていて普通は公園か何かになっているのではないかという期待は裏切られ、Victoria湖そのものの写真も撮れなかったのである。そればかりでなくVictoria viewを売りにしていたであろうホテルもほとんどは閉じているか廃業していて、また古ガイドブックにあった魚料理のレストランも一軒も見当たらなかった。おそらくコロナの影響だったと思われるが、そもそもここでも旅行者らしい人にはひとりも出会わなかったのだから、、チェックアウト時間が迫っていたのでまた歩いて安ホテルに引き返すが、その前にこれでは何のためにこの街に来たのかわからないでないかと思って、せめてVictoria Lakeは見たい、そのためにはもう一泊する必要はあるがもう少しましなホテルはないかと探してみると(lake sideにいったのはその為でもあったのだが)何と近くにより見栄えの良いホテルが数件建っているではないか ! ?どこでもよかったので値段で決めることにして端から聞いていくと、2軒目が今のホテルと同額でよりきれい、それでwifi付きだったので即決、2,3分のところのホテルに戻り荷物を取ってチェックアウトし、新しいホテルに移った。ま、その界隈は、要はマタツターミナルに近接している安ホテル群、つまりラブホのようなところだったのである(海外で安ホテルを探すとこういうのにはしょっちゅう出くわすことになる、数多くそういうところに泊っているから、わたしは別にどうってことはないのだが‥)。

 

居を定めてから出直しである。その古ガイドブックにはKisumuから3km南にキボコベイKiboko Bayというところがあって、Victoria湖の周遊や、魚釣り船を出しているところがあると出ていた。そこへ行ってみるしかない、しかし日中の暑さを考えるとそこまで歩く気はせず、この場合はモーターサイ(バイクタクシー、現地で何て言っていたかは忘れた)を使うしかなさそうだった。モーターサイはいくらでも走っていたが相場はわからなかった。交渉するしかなく、まずKiboko bayというと200kshといってきたので、150では?と振ってみるとokになり、すぐに乗車、ところがバイクだとものの15分くらいで着いたそこは、やはり閉鎖になったのか何もないところだった。ドライバーはもう一ヶ所lake sideがあると教えてくれたところはDunga Beachというところでさらに1km先とのことだった。仕方がない、プラス50kshでそこまで連れて行ってもらった。途中これも古ガイドブックには出ていたが、インパラ保護区があると教えてくれた。Dunga Beachは確かに地元の観光客らしい人もいて、魚料理の煙が香ばしいにおいを運んでいた。ドライバーには礼をいって200ksh払った。漁民はボートに乗らないかとしきりに誘ってきたがそれは断り、なかなか見事なVictoria湖(ま、デカすぎて海という感じなのだが)の写真を撮ったり、香ばしい焼き魚の間を徘徊していた(焼き魚の誘惑には負けそうになるも、付近にビールを売っているところがなかったので耐えられた)。帰りにまた失敗を犯す、つまり外国人は22ドル(3000ksh)だったので普通はパスするインパラ保護区に入ってしまったのであった。インパラ以外は檻にいるのだが、豹やチーター他猛獣がいるとのことで、サファリに行けなかった身としてはやはりある種、後ろめたさ?物足りなさ?があったのか、ま、Victoria湖岸にあって、 湖を背景にした写真も撮れそうだ、ということでついつい支払ってしまったのだが、ま、おおよそ見当はついていたが、失敗といってよかった。そこまでのバイクタクシー50ksh、そこから街までは100kshで帰った。

どこから撮ったか不明だが、またピンボケしているがLake Victoria

Dunga Bechのシンボル ↑とDunga Beachから何枚か ↓

<インパラ保護区>

以上 インパラ保護区 何枚か ↑

昼過ぎには一旦ホテルに戻り、まずは行きつけになったNaivasマーケットでビール200kshとサモサ×2/100ksnを仕入れてのホテルに戻ってシャワーを浴びて気持ちの良く昼食をとって午後は休息とし(wifiが繋がったので結構日本とやり取りしていた)、夕方になって再び出動、この時は次の日に向かうウガンダの国境Busiaに向かうマタツをチェックし、その乗り場・マタツの会社・出発の時間・料金を確認しビールをNaivasで仕入れ、某レストランでケニアシリングの調整も含めて牛の煮込み料理とチャパティをtake outしホテルに戻ってケニアおける最後の晩餐としたのだけれど、何故か次の日、ことはなかなかうまく運ばなかったのであった。

この夕食はけっこう金かけたのだが、いまいち印象の薄い食事となった。