独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』トルコ編 4,スイノプ Sinop

何十年かぶりでトルコを訪れて驚いたことの一つは国中に張り巡らされているらしい高速道路の充実ぶりだった。今やどこの国でも道路のインフラ整備は最重点・最優先課題らしく(経済の発展には必須)、いわゆる先進国だけでなく世界中で建設ラッシュのようであるが、まさしくその国の経済発展の象徴のように、訪れた国でバスを利用してみるとその程度がわかるというものであった。経済発展の著しい中国・インド・メキシコ・ブラジル、そしてトルコあたりが今やバス王国を形成しつつあるようだ。だからサフランボルからシノプへ行くバスがあるのだろうかといった現地(サフランボル)に来るまでの気がかりは、全くの杞憂でしかなかったのである。しかもバスが走っていたとしても乗り換え等で半日はかかるであろうという憶測も、確かに高速道路が走っているなら、3時間くらいでいけるという情報に驚くとともに納得がいったのであった。

 

実はその朝、これは言い訳できないことであったが、例によって深夜の目覚めで普通はそのまま眠れず起きるしかなくなるのだが、どういうわけかこの日は朝方から再び眠りについたようだった。その結果、次に目が覚めたのはなんと10時という大寝坊をしてしまったのである。いや、これまでにそれほどの寝坊をした経験がなかったので、大慌てで起きだし荷物の整理、身支度を整えるのに30分を要し、すでに朝食時間もオーバーしてしまっているかと恐る恐る階下に降り、着いた時と同じように平謝りに謝り、まだ朝食をとることができると聞いて有難くいただいたのであった。ま、自分としてもこれほどの失策はめったにないことであったから、面目丸つぶれというか、ひどいゲストと思われても仕方ないところ、ほんとに寛大さ溢れるホスピタリティに感謝しかなく、チェックアウト時間(11時)を少々オーバーしてEgehan邸を後にしたのであった。

その日のシノプへのefe tur社のバス ↑とサフランボルのオトガル ↓

 

この時ばかりは、シノプへのバスが午後の便しかなく、14時半だったことに却って助けられたと思いながら歩いてオトガルへ、それでも数時間をそこで潰さなければならなくなったが、記録の整理やらwifiが繋がっていたので日本への連絡、その他諸々にこの時間は貴重であった。その朝の寝坊もそれまでの旅の疲れがたまっていたが故のことだったか、このバスの待ち時間も十分な休養時間となったのである。14時半発のefe tur社のバスはどこが始発だったのか少々遅れて到着し14:45の出発となった。シノプは黒海沿岸の港町であったから、そこへの道は山越えであった。もちろん高速道路網をいったから急峻な山道ではなかったが、ほとんどは雪景色であった。山の上に造られていたシノプのオトガル着は18時半で、すでに日は暮れていた。そしてここからが結構大変だったのである(あとから思えばその苦労が良き思い出になるというか、旅の面白さなのであるが‥)。

山間部は雪だった ↑↓

 

吹きっ晒しの山の上に造られたようなスイノプのオトガルの周りには、ホテルもお店らしきものも何もなかった。また、インフォメーションのような案内所も小さなオトガルにはないようで、この時ほどトルコが案外英語が通じないことを思い知らされたことはなかった。サフランボルはまだしも世界遺産の街であったから、ほとんど苦労はなかったのだけれど、そもそも何の情報も持たずに旅をしている者にとって、こういう状況で必要なものは①宿情報②街までの距離とその移動手段➂その他諸々の情報提供者となるが、頼りになる人も情報も何もなかったのである。こういう時に心強い助っ人になるのはタクシーの呼び込みだったり宿の呼び込みだったりするのだけれど、この時それらしき輩は二人いたけれど二人ともまるっきり通訳の役目は果たしてくれなかったのである(やはり年寄りの旅人には助け船は現れないのである)。仕方なく少し英語の分かったそのうちの一人に最も近い安ホテルに連れてってくれるよう、ただそれだけタクシードライバーにいってくれとお願いした。それさえ見つかればなんとかなるだろうと思って賭けてみたのだ。何とかタクシードライバーには伝わったようで、そのタクシー代を一応の確認する(場所もどんなホテルかもわからなかったが)50TLはこの際仕方ないかと交渉はしなかった、というかそもそも交渉は無理だったのだが、結果的にこの賭けは失敗したのであった。といってもこれはドライバーの責任でも呼び込みの責任でもなく、言葉が通じなかったがための負け(運が悪かった)であった。確かにそのドライバーは近場のホテルらしいところに連れて行ってはくれた、が、そこは街中ではなかったし、いわゆるホテルではなくリゾートホテル?アパートかマンションの一室?つまりこのシノプというところは黒海に突き出た半島の付け根にあって、その半島自体が海で囲まれていたのでバケーションホテルのような季節貸しホテルのようなものがたくさんあったのである。そんなホテル?の一室に連れていかれ、管理人がいるだけのようなところで交渉となったが、この若い管理人がまた英語が通じなかったのであった。いやはや、である。この管理人相手にスマホの翻訳機能を使っての会話、そしてその会話からの情報収集で、まず①このホテルは一泊いくらか?②近くにほかにホテルはないか?③街の中心はどこにあってどうやって行くのか?といったことを翻訳機片手に延々と聞き取るしかなかったのである。①の答えは、とりあえず一泊は500TL、値引きはしないとのことだった。この時点でここはNGだったし②も、普通のホテルはこの辺にはないとのこと、ではどうするか?で③となるのだが、街までは約2km、交通手段は何もなく歩いていくしかないとのことだった。ここで悩むのだ、その付近は海辺のリゾートだったらしく商店は皆無だったし、街灯もほとんどなくて真っ暗、人通りも車の通行も全くないようなところ、危険性もさることながら迷わずに街までいけるのかが心配だった。するとこの海沿いの道は一本道だから、迷うようなところはないとのこと、30分歩けば大通りに出るとのことだった。少々の逡巡ののち意を決してわたしは歩きだしたのだった。

 

右手に海の気配は感じていたが、波の音に耳を澄ましている余裕はなかった、ただ黙々と歩く、暗い道で人通りも車の通行も全くなかったが、アップダウンはなく一目散に街の灯を目指して歩いた。20分くらいで左後方から来る大通りにでて、車の通行が増え商店も出てきてだいぶ明るい道になったのでもう心細さはなくなる、それにしてもめったにない面白い経験だなぁと心の余裕も出てくる。しかしまだ街中ではなかったしOtel(hotel)の看板も見かけない、ま、歩くしかないと大通りの歩道を歩いていく。10分くらい歩いたところで、前方に何かの像が立っているのが見えてくる、ほのかな照明がそれを照らしていた。まさかと思ったが信じられないような奇跡が起こったのである、こんなことってあるのか ! !

夜道を歩いていて突然遭遇したstatue(彫像) ; 2枚 ↑↓

 < ↑ この写真を見て分かったことだが、遠くに見える街の灯がシノプの中心街だった気がする。>

わたしが何年も前から気になっていた街という表現を使ったシノプという街は、ま、黒海岸の港町でほとんどの人にはその名前も知られず、どうでもいい街に過ぎなかったと思う。わたしがその街の名を知ったのはもしかしたらもう数十年前になるかもしれなかった。要はここが一人の歴史上の人物の生誕の地であったことを知ってからのことで、よくある偉人誕生の地であっただけなのだが、その人の名はディオゲネスといってだいたいプラトンと同時代の人といわれている知る人ぞ知る哲学者なのであった。この人は、虚飾を嫌い、貧乏も一切気にせず大甕(酒樽)に住んでたことでも有名だったかもしれない。犬儒学派の祖(としては、この人の師ソクラテスとなるのかもしれないが)としてわたしは何十年も前からこの人を敬慕してきたのであった。なので機会があったら一度その地を訪れてみたいとは、かなり前から思っていた。ただ、そこにいけばこの人の何らかの証跡に出会えるという情報は持ち合わせていなかったし、何かを期待していたわけでもなかった。だから逆にわたしは驚いたのであり、奇跡かと思ったのである。まさにその人のstatue(彫像、写真参照)が、夜道をとぼとぼ歩いてくるわたしを出迎えてくれたのだから‥(犬を連れたこんな像が立っていることなど全く知らなかったのだから、まさに彼がわたしを出迎えてくれたのだと、この時確信に近い想いを抱いたのであった)。この夜道の彷徨がその驚きと喜びを倍加させたことは言うまでもなかった。わたしはその場に佇んでしばらく感無量、このあと何が起ころうとこのことだけでこの旅は成功だったと祝い、喜びに浸っていた。こんな形で旅の目的の一つが達成されるとは ! ! 旅の神様とディオゲネス様に感謝するほかなかった。そして写真を数枚撮らせてもらったのである。

改めてフラッシュを使って撮る ; 3枚 

 

そのあとは事が順調に進む、もっとも雨がぱらついてきたのは災難であったが、街の中心に入ったのはわかっていたし、人通りも車の通行も増え、ホテルの看板も目にするようになっていた。しかし雨が強まってきたので、通行人にこの辺にOtel<ホテル>はないかと聞くと、英語が通じて次の角を右に曲がって少し下るとホテルが何軒かあると教えてくれたのだった。確かに何軒かあってもちろん安そうな方に入って尋ねると一泊300TLとのこと、それでもokだったのだが、習い性でもう少し負かりませんかと聞いてみると250TLまで下がったのである。次の日知ったことであったが、そこはほんとに街の中心だったようで、チェックイン後すぐに買い物に出かけてみると、すでに21時に近かったと思うが界隈のレストラン、ショップ、カフェ等々ほとんど開いていて、魚屋さんも開いていたが商品は並んでおらず、それでもめげずに聞いてみると、奥のほうで何か作ってくれるとのこと、ほんとは鯖サンドを食べたかったけど、似たようなものを作ってくれてビールを仕入れて部屋食にするとこれがまた超うまくて、ホテルも当たりで苦労が実ったような一日となったのであった。

魚屋はすでに店仕舞いしていたが、写真にあるようなものはないかと聞いたら奥から鯖サンドに近いものを作ってくれた(35TL)。これとビール(36TL)の安くてうまい夕食に感激!

そして翌日、先にいったようにそこは街の中心で歩いて5分も行かず目の前が海で港が広がっていてヨット・ボート・漁船がひしめき合っている素晴らしい景観が目に飛び込んできた。眼を内陸に向けると城壁に囲われた城址が古い歴史を感じさせ、むしろサフランボルより面白さと興味を感じさせる街であることがわかってきた。いやー、昨日の決断(わけのわからないホテルに泊まらなかったこと)が正解だったようだ。一旦ホテルに戻りこの街をじっくり歩き回るために、まず荷物をまとめ10時半にチェックアウト、その際2~3時間歩きまわって戻るからと荷物を預かってもらった(ここOtel Karahanは小さなホテルだったが、スタッフは皆親切で心優しかった、お勧めである ! )。身軽になって、海辺というか港の界隈を散策、そして城址に登ってみる、そこからの眺めは抜群で、南側は港と海、北側は街の中心部が一望に見渡せ、ある程度の街の輪郭がつかめ、どの方向に歩いていけばと面白そうかをつかむことができた。そしてそのあと街の中心部を2時間ほど歩きまわることになったが、おそらく政府機関と思われる建物、あるいは美術館、市場、そして北側の海等々見どころは尽きなかった(いずれにしろたくさん写真を撮ったので、それが何だったかまではわからないが、港の風景・街の様子を載せておきます)。

確かここが前日の魚屋さんの次の朝の店頭だったと思うが、違ったとしても
こんな魚屋さんが軒を連ねていた

その商店街の先に遺跡のような城址が見えていた

城址まで4,5分、突き当たると公園になっていて ↑ 右手が海だった ↓

港界隈を散策 ; 3枚


<港付近の通りの様子、城壁等々>

街中で見かけたトルコ風呂

 

<城址の展望台に登ってみる>

港の全景 ↑↓

陸側2枚と半島の東側

<政府機関が集まる街の中心部付近>

この時計塔は街の中心のシンボルのようだった

政府機関(たぶん、正面と左側の建物)の集まる広場、いずれにしろ街の中心と思われる場所

その中央広場の付近のこの写真の左上にMetroのオフィスが写っていた

ふらふら歩いているとMetroの看板を目にし、たぶんイスタンブールからサフランボルまで利用したバス会社のはず、と思って情報だけでも聞けたらとそのオフィスに行ってみた。女性一人のそのオフィスではやはり英語は通じなかったが、有難いことにwifiが繋がっていたのでスマホの翻訳機能を使っての会話はできた。で、スイノブ~イスタンブールの夜行バスはあるのか、あったとして本日の席は空いているかを調べてもらった。たぶんスイノプのオトガルに戻れば何社もバス会社はあったから、時間・料金を聞いて選択できたと思うが、やはりその場で確認できたのと、どうしても次の日までにイスタンブールに戻る必要があったので、425TL払って20時発のticketを購入してしまった。これがよかったかどうかは何とも言えない、というのもサフランボル~スイノプ間を利用したefe tur社は少なくともサービスはMetroよりよかった印象があったし(英語が通じた)、その時利用したMetro社の夜行バスは各駅停車のような感じでよく停車していたし、結果的にイスタンブールまで14時間もかかったからである(その時確認しなかったのがいけなかったのだが、あるいは料金の安いのを選んでしまったからかも知れなかった。もしかしたらこのバスは下道を行った可能性もあったのだ)。ただ、それでもわずかながらこの女性からいくつかの恩恵を受けていた、つまりこの辺りの見るべきところの情報(Museumや市場があることと、その方向)やオトガルに戻るドルムシュの乗り方や料金といった情報を教えてくれたのだ。地図も何も持ってなかったわたしにとってはそんな聞きかじっただけのわずかな情報を頼りに、言われた方向を目指して再び歩き始めたのである。そしてMuseumも市場も、そして市場の向こうに広がる北側の海も写真に収めることができたのだった。で、その美術館で順序が逆といいたかったが、ようやくSinopの街の簡単な地図と美術館の案内パンフレット(いずれもトルコ語だったので読むことはできなかったが)等も手に入れることができたのである。政府機関の立ち並ぶ一帯や街一番の繁華街・ショッピングゾーンを通って荷物を取りに再びホテルに戻ったが、なかなか見どころが多い、予想以上に(というか全く想像しえなかったから期待もしてなかったのだが)楽しめた街だったのである。

<Metroのオフィスの女性に教わった方向に向かって歩き出すと、半島北面の海、市場、美術館等を見つけることができた>

北面の海左方向と↑と右方向↓

海に突き当たって左手に行くと市場があった ; 4枚 ↑↓

ここで好物の干し杏子(アプリコット)を買う ↑

美術館(Museum) ; 2枚 ↑↓ 

たぶんこの辺がショッピングゾーンの中心でなかったか?
Karahan Otelはここからすぐだった

とても親切にしてくれた、その日の担当のホテルマンはわたしとそれほど変わらない年配者で、何かお礼のものを渡したかったのだが、あいにく適当な持ち合わせなく、それが唯一心残りとなって14時頃そのホテルを後にし、昨日のstatue of Diogenesに別れを告げるべくそこまで歩きだす。その途中にはHistorical Prisonという昔の監獄(オスマントルコ時代の政治犯や著名人が収監されていたらしい)跡の建物があって最近まで見学できたらしいのだが、すでに取り壊しが始まっていて見学はできなかった。その上あたりを東西に横断しているSakarya大通りが走っていたのだが、ちょうどその辺りにディオゲネス像は立っていたのである(ホテルからは30分くらい歩いたか?)。そしてその向こうには前日は気づかなかったが、その朝見学した城址及びその城壁の延長と思われる部分が残されていて、往時の城壁の大きさがしのばれた。そしてその向こうがこの半島の北面の黒海となっていたのであった。しばし付近の写真を撮って、そこからオトガルまではかなり距離がありそうだったので、Metroの女性のアドバイスに従って、やってきたそれらしきドルムシュを止め、オトガル?と確認して、昨日このドルムシュを知っていれば苦労はなかったと思いながら7TLを払ったのであった。もっともその場合はディオゲネスとの奇跡的邂逅は実現しなかっただけでなく、このStatueの存在さえ見逃した可能性すらあったことを思うと、やはり何かに導かれていたのかと思わずにはいられなかった。

その時は簡単な地図を手にしていたので、再び海沿いの道を通って
ディオゲネス像へ向かった ↑↓

 

<ディオゲネスに別れを告げる>

再びご対面したとき、その向こうに城壁がさらにその向こうは北面の黒海が見えていた

 

右の大通りがSakarya 通り、右手奥の崖下あたりにHistorcal Prizon跡

ディオゲネス像付近からの北面の黒海 左方向 ↑

スイノプのオトガル、ディオゲネス像からはドルムシュで10分くらいだったか?

オトガルには16時ころ着で、数時間の余裕があった。まずMetroのオフィスに荷物を預かってもらい、前日は何も見えなかった周辺を歩き回ってみる。いわゆる一般の商店は存在しなかったが、10分くらい下ったところがちょっとした街になっていて、結構お店屋さんがありそうだったのでそこまで行ってみることにした。途中にはホテルもあったが安宿ではなかった(見ればわかる)。何軒かカフェというかレストランというか、食べ物屋さん風の店があって、朝から何も食べてなかったので、そのうちの一軒に入って、一番安そうな食事をとる。パンとスープとコーヒーで45TL(350円くらいか)、ともかく吹きっ晒しの山の上は寒くて急いでオトガルに戻って、外に出るのは諦め待合室のようなところで、毎度のことだけど記録の整理・会計整理、日本へライン等々で時間は潰れ、20時ほとんど定刻に出たバスは先にもいったが、延々14時間も走ってようやくイスタンブールに着いたのであった。700kmの距離だから高速使えば7~8時間、下道を行った可能性が大であった。その間のことはほとんど覚えていないということは、もしかしたら眠れたのかもしれなかった・・??

荷を預けて少し散策、オトガルからスイノプの街に戻る感じで少し歩くと街があった

一軒のカフェで食事、最も安いメニュー、スープ(パン付き)とコーヒーで45TL

寒かったがオトガル付近(山の上)からの眺めは悪くなかった

どこの街かは知らないが2/3午前9時ころ撮影のこの写真を見る限り明らかに
下道を行っているのがわかる