独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』トルコ編 3,サフランボル Safranbolu

 

 

前回トルコ編 1,を書いた時、思ってもみなかったことが起こった。久しくお目にかかったことがない☆<はてなスター?>というものが送られてきたのだ。この仕組みとか、その意味合いとかはよくわかっていなかったのだが、ともかくどなたかが読んでくれて送ってくれたようなのだ。いや、これでも昔全盛期のころ(10年前頃まで)はけっこう読んでくれていた人がいて反応も結構あったのだけれど、70越えてからは、書く気力も衰えたし読み手を全く意識しなくなっていい加減なものが多くなって、特にはてなさんに移ってからは、いってみれば独善的に回りを気にせず、わが道を進んでいたのだけれど、突然こういうものをいただくと、たった三つの☆でいたく感激してしまうのであった。送ったくれた方のお名前もわからずじまいだったが、本日初めてkatupitiさんと知り、ここに御礼申し上げる次第です、ありがとうございました。

 

さて、トルコである。この国は見所が多すぎるように思う。なにしろ数千年の歴史が重層的に眠っている小アジアの地である。かなり長い間世界の覇者でもあったのだから、インドや中国と同じで一度に全部回るのは無理だし、ある程度絞る必要はあるだろうと前々から思っていた。45年前まだ30前後だったときは、ギリシャ/アテネから船でエーゲ海を渡って、サモス島経由、トルコ/イズミール経由でインタブールへ、そこからバスでイラン/テヘランにでるという半年の世界半周新婚旅の数週間がこのトルコだった。そして行き着いた先のイランでホメイニ革命に遭遇するという稀有な体験をしていた。なのでその時イスタンブールの主だったところは見ていたが、逆に他の地はほとんど素通りしたに過ぎなかった。しかし今回図書館で借りてきたガイドブックを見ていると、どこも面白そうだったが、なぜかどこもどうでもよくなってきたのだ。やはり歳のせいだと思う、今更感が漂って、なぜ今そこに行ってみたいのか?と自問自答してみると、ほんとどうでもよくなってくるというか必然性は全くのようになくなってしまうのであった。いや、実をいうとこれはトルコに限らずで、やはり旅は若いうちに出ないと・・つまり鉄は熱いうちに打て、なのであった。ま、それは昨年準備を重ねていた時の話で、最終的にはイスタンブールの他は二ヵ所だけ行ってみようと決めていたのだった。

 

イスタンブール観光の中心地スルタンアフメト地区(歴史的建造物の立ち並ぶ特区)の安ホテルに一泊した次の日(なので初めてなら目の前にあったトㇷ゚カビ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクあたりから観光するのだろうが)二ヵ所に絞った一ヶ所つまり、サフランボルという世界遺産の街へ出かけたのであった。安ホテルだったがさすがにヨーロッパ?朝食がついていたのでしっかりそれをいただいて、荷物を預かってもらってホテルを出たのは少々寝坊してしまったので9時半ころになっていた。まず驚いたのは、予想していたこととはいえその寒さだった。もちろんその対策はとってきていたので真冬のいでたちで街に出て、この寒さの中それでもアヤソフィアへの入場を待つ長蛇の列を左手に見ながら、トラムのスルタンアフメト駅に(近道を行けばホテルから5~6分)、ところがそこでイスタンブールカード(トラムのticket)購入に手間取る、要は自動券売機があるだけの無人駅だから(老人には)これが困るのである。この時はようやく見つけた駅員らしき(巡回の)人にどうやるのか聞いてみると、何のことないゲートを開けてくれてタダで入れてくれたのであった。それで教えられた通りトラムで終点までいって(これがどこの駅だったか、記憶も記録もない、あとで地図を見るとZeytenburmuというところの可能性が高い)地下鉄に乗り換えるのだが、今度こそカードが必要になった。そこでも散々苦労して、つまり駅員がいなかったり英語が通じなかったりして、ようやくイスタンブルカード(50TLトルコリラ、当時のレートで1TL=7.7円くらいだった)を手にするのだが、それで地下鉄のプラットホームに立ったはいいが今度はどっち方向の電車に乗ればよいかわからない、といった塩梅なのである。恥ずかしながらその時唯一覚えた単語は'オトガル'という言葉でバスターミナルを意味していた。それがそのまま駅名になっていたので、ゼスチャーで方向を指してオトガル?って感じで聞いて、そうだといわれた電車に乗り込む、四つか五つ目の駅で降りるとようやくイスタンブール最大といわれるバスターミナルに着いたのであった。すでに11時ころになっていて、今度はバス会社探し、これも目的地のサフランボルという固有名詞が頼りでメトロという会社を教えてもらうのだった。さすがにバス会社のカウンターでは英語が通じたので次のサフランボル行きを聞くと13時とのこと、だいぶ遅くなってしまったという焦りがあったので、他のバス会社はないのかと聞いてみるが、席がどんどんなくなるから早く決めた方がいいといわれそこに決めてしまった。それは正解だったようだ。というのもメトロという会社はけっこう大手だったようで、またほかを探す手間と言葉が通じるかどうかの補償がないということがだんだんわかってきて、実際は他を探している余裕などはなかったのである。ただ大手の割に不備に思えたのはそのオフィスでWiFiが通じてなかったことで、その日予約してあったサフランボルairbnbの宿に遅れる旨の連絡ができなかったことであった。それ故そのあと9時間ほど気を揉むことになる。だんだん現代のトルコ事情が分かってきて、言葉の問題、通信の問題等もっと発展しているのではという勝手な思い込みは、少しづつ剝がされていった。この時のバス代は(バスは日本より立派だったかもしれない、乗車時間7時間と聞いていた)370TL約2800円くらい?だった。

サフランボルの街は位置的にはイスタンブールから直線距離400kmくらい東に位置しているトルコの首都アンカラのちょうど真北200kmあたりにあって、どちらかというと黒海に近いといえば多少イメージがつかめるだろうか?黒海までは直線距離50kmくらいとのことであった。数多あるトルコの世界遺産の中でなぜここだったのか?特に理由はなかったが、ガイドブックを見ていた時に直感的にここに決めたというしかない。その説明によると、この街はその昔サフランが群生していたことによってその名があるという、ずいぶん直截的な説明があって、ま、そうなんだろうと思うしかなかった。何やら14世紀~17世紀に栄え、シルクロード上の商業都市だったとかで昔の佇まい、昔のままの木造の家屋が残されているという説明に惹かれたのかも知れなかった。その意味ではその説明を読んで気に入ってその街の宿をairbnbで探していたら、まさにその説明にあった通りの宿が載っていて、しかもそれが結構安めの料金設定となっていたので、あ、これは呼ばれてるなと直感したというのが正しい経過だった。さらに言えば、最初はどうでもよかった、というか昔から知っていて気になっていた街がその先にあったこともあって、なのでこの二つ候補地は、経過的にはセットで決まったといってよかった(実際に決定したのはサフランボルにおいてであったが)。ほとんどの日本の方には知られていない、もちろん世界遺産でもないその街の名はスイノプSinopという街でそれは次回以降の話となるのだが、驚いたことにそのガイドブックにはその街も載っていたのであった。

 

時間通り13時定刻に出発したバスは、どこをどう走っているのか全く分からないまま、いつの間にかアジア側を走っていた。わたしはボスポラスを渡るのを楽しみにしていたのだが、もしかしたら海底トンネルでも通じていたのか(大きな橋を渡れば気づかないはずはないのだが、実は帰りもそうだったのだ)、そのへんはいまだ謎に包まれたままとなっている。ま、ここまでの記述でおわかりの通り、あとから思えばこの時点で相当病いに侵されていて、ただ、ぼおっとしていたのかもしれないし、バスも高速道路も車内サービスも行き届いていて、世界屈指のバス王国だけあって、それなりにバス旅を堪能していただけなのかもしれなかった。

 

<最終的に詳しく語ることになると思うが、わたし自身がそれと自覚はしていないまま旅立ち後3週間がたって、当初は時差ボケかと思っていた不眠状態は、後々病状の悪化と判明する。よって、かなりぼーっとしていたのではないかということは、当時の模様が映像を伴って蘇らないことからもわかるのである。それまでそういう旅の経験はなかったのだ‥>

 

むろん車外の景色を楽しんではいた、時々現れるモスクの尖塔(ミナレット)が、十分トルコらしさを感じてはいた。が、それよりも車内に表示される車外の気温に戦慄を覚えていた。5℃だったり3℃だったり・・いかにも寒そう。トルコ語はアルファベット表記だったが全く読めず、何ヶ所か街に寄っていくのだが、どこの街かも全くわからなかった。コーヒーやお茶、スナックの車内サービスがあったり、一ヶ所かなり長い休憩時間(軽食時間?)があったりしたが、言葉の問題等があったのでほとんどおとなしくしていた(若い人ならともかく、老人旅の場合、言葉が通じないと往々そうせざるを得ないのだ)。日が暮れてからは時間と温度表示ばかりが気になっていた。

サフランボル行バスの車中

 

バスは、やはり多少遅れて(もっと遅れるかとやきもきしていたが30分ほどの延着)20時半サフランボルのオトガルに到着。明るいうちだったら歩くつもりで下調べはしてあったが、一刻も早くという気持ちからタクシーの選択に迷いはなかった。ドライバーに住所の書かれたコピーを示すと5分くらいで正確にその場所に運んでくれた。50TLは、ま、高いなとは思ったが、仕方ない、非常手段であったのだから、、到着早々ホスト氏に遅れたこと、連絡できなかったことを平謝りにお詫びする(わたしもホストだからその立場を理解しているので)。しかしこのホスト氏は、まぁなんと寛大な紳士だったことか ! わたしとさほど変わらない年齢に見えたホストのEgehan氏は、快くそして温かく出迎えてくれたのであった。さすがスーパーホストだけあったのだ。そしてこの家はまさに中世の伝統をそのまま受け継いでいるといった感じの(日本で言ったらさしずめ無形文化財的な)素晴らしい調度、装飾、伝統工芸品の数々に目を見張らされる、夢を見ているような空間が広がっていたのだった。

たぶん彼の方が若かったと思うが・・

Egehan氏宅の装飾品の数々 以下数枚

 

もちろんairbnbのホストだったから英語での会話は成り立ち(もっともわたしの方は恥ずかしいほどのbroken englishだったが)簡単な自己紹介と旅の予定等を話し、ちょっとしたお土産を渡し、その時間に開いているお店の場所を聞いて自室に引き上げ、片づけをしてから買い物に出かける。有難いことに1ブロック先に簡単な何でも屋さんが開いていて飲み物とパンを仕入れて戻って、スチームのきいた暖かい部屋で一息つき、23時ころには眠りにつく。

 

<先にいった病状とは前立腺肥大症で、結局この時も4時間睡眠で目覚め、これまでずっと夜半に目覚めてしまう状況が続いていたのだった>

 

あくる朝の朝食がまた素晴らしいものであった(家の装飾や食事、この後に訪れる世界遺産の街並み等は写真で見てもらうしかない、あまりうまく撮れてないのだが‥)。もっともairbnはわたしのところもそうだが基本的に食事の提供はなく、ホストのEgehan氏宅も別注だった(朝食代を確認せず頼んでしまった)。並んでいたものは典型的な朝食というより伝統的なそれに近いものだったかもしれない、パンとジャム(2種類、自家製?)は特に印象に残っている。この朝食の時にEgehan氏と少し話ができ、今後の日程についてアドバイスをもらい、新たなスケジュールが決定されていく。実は、この時点でSinopはまだ構想段階で、その情報が決め手になったのだ。まずここからSinopというところへ行くバスはあるか、あるとして何時間くらいかかるか聞いてみたのだ(バスがあったとしても数回乗り換えで早くても半日くらいかかるるものと予想していた)。が、思わぬ答えに、以下を決定したのだった。思ったより短時間でいけることがわかり①この時点でSinop行きを決定する②当初一泊の予約だったが、この宿を一泊延泊することにする➂明日のバスの手配をしてくれるとのことだったのでお願いする④今日中にSinop宿を探す。

朝食の食卓

それらをお願いしてから10時ころ、世界遺産に登録されている旧市街チャルシュ地区の散策に出かけたのだった。といっても日本でガイドブックの地図のコピーは持ってきていたが、地図も何もなく、大まかな方向と概略だけを聞いて歩きだしたのだった。サフランボルの街はクランキョイといわれるあたりが街の中心で、近代的な建物が並び、歴史的な民家などはこの辺りではそれほど見られず、むしろ銀行や官庁、商業施設が多く地方都市の賑わいを見せていた。その中心までEgehan邸からはものの5分で、レストランやカフェ、ショッピングゾーン、ホテルなどで賑わっている辺りをまずうろついて、そこから旧市街チャルシュ地区へ向かう長い下り坂を(乗り合いのワゴン車ドルムシュがあったことを後で知る)プラプラ歩いて下っていった。なかなか眺めの良い道であった。が、30分くらい歩いたが、どこが旧市街なのかさっぱりわからないまま、ともかく上り下りの多い道を行ったりきたり、そのうちモスクが見え出し、いかにも昔のトルコ?といった感じの街並みが出現し、あーこの辺だなと写真を撮り始めたのだった。モスクがあって石畳の細い路地、土産物屋やレストランなどもオープンしだしたが、いかんせんこの時観光客の姿はほとんどなかったのである(一月末は他の街でも完全にコロナ禍は収束していなかったのである)。ここの観光案内所を見つけたのはしばらく歩き回った後で、そこで手にした地図はすでに後の祭り、もう疲れてそろそろ帰ろうと思ったころで、そこからドルムシュが出ていることを知って、結局どこにどんな建物があって、どう行けばいいか知ったところでその気力は失せてしまっていた。1時間半~2時間歩きまわって雰囲気はつかんだのでドルムシュに乗ってクランキョイに戻ったのであった。本当は昨日バスを降りたサフランボルのオトガルまでいきたかったのだが、そこに行くにはクランキョイで乗り換えるよう言われ、ドルムシュのドライバーがクランキョイであのドルムシュに乗れと親切に教えてくれた。それは誠にありがたかったのだけれど、何のことはないドルムシュで5分の距離は歩いても15分、失敗に気づいたので帰りは歩いた(前日のタクシーは倍くらい取られたかもしれなかったが、初めての地で夜だったからそれも仕方なし、イスタンブールといいサフランボルといい、やはり慣れないところはこの手の失敗は多い、ま、ガイドブックなしの旅、年寄り旅、それに体調不良も重なって、今回はこの手の失敗談が続くのである)。

クランキョイの中心部 ↑ ↓

クランキョイから長い下り坂をチャルシュ広場(旧市街)に向かう、旧市街方面の展望

上の写真の底から降りてきたクランキョイの街を見上げる  ↑ ↓ 

この写真を撮った時はわかってなかったが、もしかしたらこの辺がチャルシュ広場(旧市街の中心)だったのかもしれな ↑ ↓下の写真にはジンジ ハマムCinci Hamami (トルコ風呂)という独特の丸屋根が写っていたので

その他、その時は地図もないし、わけわからずその界隈を写す、5枚ほど

上の写真もそうだが、普段は観光客でにぎわうであろうこの通りも土産物屋はオープンしていない、コロナの所為か寒さ(冬場)のせいかは定かでなかった

1~2時間散策してここからドルムシュでクランキョイに戻った

クランキョイのドルムシュターミナル、ドライバーに教わってオトガルを通るドルムシュに乗り換えたが、歩いていける距離だった

オトガルではEgehan氏のいっていたSinop行バスの確認、サフランボルのオトガルには10社近いバス会社のオフィスがあったが、その時情報が聞けた中でSinop行きは2社しかなく、一社は早朝と深夜バスがあるとのこと、もう一社がEgehan氏のいっていた14時半発のバスがあり料金等を確認する。帰り道は緩い登り坂だったが散歩気分で中心部に戻る、途中のATMでTLを引き出す、TL1000につき70TLの手数料、ちょっと高過ぎでは!?街に戻ってウロウロ、魚屋があったので写真を撮らせてもらって、この魚を食べさせてくれる食堂はないかと聞いてみたら、近くの食堂まで連れてってくれた。そこで煮込み料理のようなものを食べる、名前はわからなかったが、パンがついて40TLは安くてうまかった。紅茶をサービスしてくれたのがうれしく、こんなところにトルコ人の親しみやすさを感じるのである。一旦宿に戻って昼寝、夜半に起きる習慣になってしまっていたので昼寝も必須になりつつあった。夕方Egehan氏が戻って、Sinopへのバスticketは取れてるとのこと(230TL)、ついでのすべての清算をお願いした。そのあとSinopのホテル探しをしてみたが、2,3当ってみたが結局取れなかったので出たとこ勝負となる。夕方にはまた街に出て夕食ネタ探し、トルコはやはりパンがおいしいので、まずパンを購入し次にケバブ屋にいって、通常の半分で十分そうだったので、1/2のドネルケバブを先に購入したパンにはさんでもらう、そしてビールを買って部屋食、これで60TL(約400円)わたしには十分な夕食なのであった。

グランキョイの繁華街をウロウロする 5枚

ここの魚屋さんが次の写真の食堂に連れてってくれた

魚が入っていたどうか?しかしここの煮込み料理は安くてうまかった

クランキョイの街中散策 何枚か

この建物が何であったのかは不明(確認しなかった)

宿の近くにあったモスク

前日は夜だったため写せなかった宿の全貌をこの日帰宅時に写す

相変わらず早寝して深夜目が覚めてしまうパターンが続いていた。