独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その2, Jinja ヴィクトリア湖Lake Victoria、スピーク記念碑公園Speke Memorial Park

ますます記憶が遠くなる・・、、いや、毎日特にすることもなくグダグダ過ごしているだけだから、その気になってパッパッと記録の整理をしてしまえばいいものだが、ま、そのへんがなんというか根っからのぐうたら人間だからか、なかなかその気になれないのが欠陥人間の謂れである。そろそろ出発から一年が目の前に迫ってきて、ここにきてまた突然グアテマラの話が出てきたりして(その話がどうなるかは未定だが)いずれにしろこの旅のけりをつけられるのかどうか心もとなくなってきた、まだ半分も書き終えてないのだ。で、ウガンダJinjaである。かすかな記憶と断片的な記録を頼りに以下続きを・・、、

 

2月14日、いつものように早寝早起きである。ここはwifiが繋がっていたので、この旅のためにlineというものを教わって、友達として登録してもらった何人かにラインで報告。その日はスピーク記念碑公園に行って時間があったら街ブラするつもりでいた。有難かったのは、持っていた中古ガイドブックにはJinjaについての記事と簡単な地図が載っていたことだった。それによると街自体はそれほど大きくなく、また投宿したホテルもその地図に載っていたから(それでほとんど街の中心にあったことがわかったのだけれど)街の概略と方向をつかめたのだった。そこには一応観光案内所も記載されていたから、溜まった衣類の洗濯を頼んで一泊の延泊をお願いして9時ころホテルを出、まずATMでウガンダシリング(20万ush=約7000円)を引き出してから、その観光案内所を目指して歩きだす。Main St.というまさにメインストリートと思われる大通りを南方向に2~30分歩いたか、街はずれに近かったがようやくそれらしい建物を見つけ入ってみたが、どうも感じが違うというか郵便局のよう(あるいはギャラリーのよう)だった。で、そこにいた人に、ここに観光案内所があると聞いたのだが、と尋ねてみると、向かいにあった大きな建物を指してそれはあの建物内にある、と教えてくれたのだった。その大きな建物に行ってみるとそこは市役所だった。そして確かにその1階のフロアーの右手にtourist informationはあったのだがそこには誰もいなかったし、市役所といっても受付もなく人の往来もほとんどなく、誰に聞いたらいいのか、どこへ行けばいいのか途方に暮れてしまった。それでも、その前でウロウロしている見慣れない外国人に気づいてくれた人がいて声をかけてくれ、事情を話すとどこかに電話してくれ、すぐに担当者がくるから待ってるようにと言ってくれた。実はあとで知ることになるのだが、ウガンダ人というのはこんな国民性なのかと思われるほど、ほとんど皆親切だったという印象がことのほか強いのだけれど、それはこの時から始まったのかも知れなかった。

JinjaのMain St.を歩きながら ↑↓

ガイドブックにツーリストセンターと書かれていたところには郵便局があった

郵便局のはす向かいにあった大きな建物は市役所だった

最初に現れたのは観光課というセクションがあるのかどうか知らないが、おそらくそんな部署の職員で、担当の男性が今外出中で少し待てるかと聞いてきた。2,30分なら待てなくもない、てな返事をしたような記憶があるというか、いずれにしろその女性に2階のオフィスに連れていかれ何か話をしながらしばらく待ったようにも覚えているが、その時何を話したのか、その記憶は全く飛んでいる。あるいは一人ぽつねんと待っていたかもしれない、で、なかなか戻ってこないのでもういいですと断って1階に降りていく途中でその担当の男性職員は戻ってきたのであった。ようこそいらっしゃいました、と立話であったが、スピーク記念碑公園はどこにあってどうやって行くのかというわたしの質問に丁寧に答えてくれだのであった。どうやらパンフレットのような資料は全くなかったようで、その類のものは一切目にすることも手にすることもなかった。その分口頭でかなり詳しく説明してくれたのだが、いかんせんわたしの英語力では半分くらいしか聞き取れなかった、で理解できたことは、まずその場から歩いて行ける範囲にはないことがわかり、ではどうやって行くのか? ①なんでもボダボダ(確かそういったように聞こえた、バイクタクシーのことをここではそう言うらしい)で、こちら側の船着場までいってボートで渡る、②ここからボダボダでいく。ま、その二通りしか方法はないらしいことはわかったのであった。こちらも丁重に礼をいって市役所を出る。ただ市役所の前には(たぶん常時)1,2台バイクタクシーは待機していたので早速聞いてみた。中年のドライバーは英語を解したのでスピークメモリアルパークはわかりますか?そこまでいくらでいってくれますか?と、その交渉となった。こちら側の船着場がどの辺かわからなかったし①の場合、どうやら渡し船はしょっちゅう行ったり来たりしているのではないらしいことだけは聞き取れていたが、向こう側にわたってからどうするのかがよくわからなかったからであった(スピークメモリアルパークは湖岸にあって、そこに船着き場もあったことを後で知るが、料金的にはどうだったかの情報は得られなかった)。で②となるのだが、その市役所からボダボダでいくにしても、場所も距離感もつかめてなかったので相場がわからず、ほとんど言い値に従うよりなかったのだが、前日の感じから(3~40分乗って8000ushくらいだったから)少々高いとは思ったが最終6000ushで手を打つ、ともかくJinjaの目的はそこだけだったから、ま、多少高くてもという想いはあった。早速バイクの後ろの座席にまたがり、どちらの方向へ行くのかもわからないままバイクに身を任せた。

 

確かにその場(市役所)は街はずれにあったようで、その場からまず西に向かったのだけれどその道はいきなりダートロードのでこぼこ道になった。振り落とされないようにしっかりつかまってどんどん下っていくと橋があった。その辺りはまさにVictoria湖からキョーガ湖Kyoga Lakeを繋ぐ支流(つまりナイルの源流と呼べる辺り)にかかる橋で、右手には新しい大きな橋が架かっているのが見えていたが、一車線しかないその橋はたぶんその大通りにかかる橋ができるの前は唯一の橋だったと思われるような、まさに写真に収めたい橋だった。が、この国では交通の要所となるところの写真撮影は一切禁止されていると事前に釘を刺されていたから(あるいは密告されて罰せられるとのことだったから)どちらの橋も写真撮影はあきらめざるを得なかった。その橋を渡る間わたしはバイクから降りて歩いて渡った(一車線しかない木製の橋に毛の生えたようなものだったから)。バイクは対岸からは急な崖を登るような感じでダートロードを登りきると、新しい橋から続いているのであろう大通りに合流した。本当にこのドライバーはスピークメモリアルパークを知っているのだろうかと一瞬疑念が生じたが、それはそもそもわたしの目的地はどの方向にあるのか、そして今はどこを通っているのかが全くわかっていなかったからでもあった。そのうちバイクはその大通りから左に折れ、人も車の往来もない道を行く、すると鉄道がでてきた。かつてはイギリスの植民地だったから鉄道が敷かれていたとしても不思議ではない、が、それは現在も使われているのかは(たぶん聞いたような気がするが)定かでなかった。その踏切を越えたところでドライバーは、ここだといって降りるように言う、だが、待ってくれ、どこが入り口なのだ。看板も何もないし、入り口らしきところはどこにもない、周りには人家もなければ人通りもない、あとから思えばこの時のわたしはあまりにも愚か過ぎたのだった。

この方向(左)がたぶんJinjaの街の方向で、こちらの鉄道沿いの道を行くべきだったのだ

右方向(Kingfisher Resortのあった方向)、この左側はVictoria湖に落ち込んでいる崖だったはず

わたしはスピーク記念公園なるものはウガンダ(人)にとってもここJinjaの人にとっても知らない人はいないくらい超有名なところとかってに思い込んでいたのだ。だから公園は立派な柵で囲われていて、当然入場料を取るゲートがあって訪問者も結構いるのではないか?そんな思い込みを払拭するのにわたしはどのくらいの犠牲を強いられたか!?赤道直下の炎天下、人通りは全くなく人家もない田舎道(ダートロード、赤土の道)をその入り口を探して何と2~3kmは歩かされることになったのだった(更にオチあり)。要はこういうことであった、その事実を知らないわたしは、その踏切のところで降ろされたとき、近くに入り口があるのだろうから誰かに聞けばすぐにわかるだろうと思って、ドライバーには確認しないまま約束の6000ush+500ushをtipとしてわたして彼を解放してしまったのであった。で、近くに建物があって、そこに人がいたので聞いてみたが(英語は通じたと思う)誰もそんなところ知らないというのだった(もしかしたら工事関係の人で現地の人ではなかったかもしれなかった)。その踏切のところはちょうど四辻になっていて後ろは今我々が来た道、正面は急に下っていてヴィクトリア湖へ下っていく道のように思われた。そして鉄道に沿って右に行く道と左に行く道があった。さてどの方向に歩いたものか、選択は右か左と思われた(看板でもあれば迷わずに済んだものを ! )。結果論としては右を選んで間違えてしまったのだった。先にも言ったように人に聞こうにも人通りはない、家もない、その道が正しいかもどうかもわからずに歩きつづける。そのうち看板が現れた。Kingfisher Resortとあったから、そこまでいけば情報は得られるであろうと、だが、そこまでの道のりもやはり暑さのせいか延々と続く過酷な赤土の道であった。疲れ切ってやっとのことでたどり着き、たどたどしくそこにいた人にわたしの来意を告げた。その時踏切から左の道を行けばよかったことを教えられる。しかし同じ道を歩いて戻る気力は失せていた。ちょうどそこにモトドライバーがいたので(いや、もしかしたら、ただバイクがあったので誰か乗せてってくれないかと頼んだのかも知れなかった)交渉して2000ushでスピーク記念碑公園まで連れてってくれたのだった。バイクだとたった5分の道のりだったが、たぶん30分以上(実感としては1時間くらい?)は歩いたと思う、結局この失敗は1時間のロスと体力の消耗、2000ushの余計な出費といい思い出だけが残ることになったのだった。

 

スピーク記念碑公園は囲いもなく入り口もなく看板もなかったのである。バイクドライバーは綺麗に整地された、まさに公園と呼べる一帯の(ま、リゾートと呼ぶ方がふさわしいかも、実際宿泊施設も完備していたようだった)中の道を母屋(事務棟?)のあるところまで運んでくれたのだが、正しくその道を見つけていたとしてもそこまでの数百メートルに何の表示も看板もなかったから、果たしてその道でよいのかどうかもわからないまま歩くことになったと思う。ま、わたしにとっては極めて不親切に思えたのだが、それほど訪れる人もないところだったのかも知れなかった。その素晴らしい公園内にわたしは3,40分滞在していたが、その間に来場された方は一組あっただけであった。その話は後にすることにして、バイクで入場すると管理人のような方が出てきて、入園料を徴収された、言われるまま10000ush払う、ticketも公園の案内も何もなし、勝手にぶらついて勝手にお帰りくださいというような感じだった(先にいったように宿泊者だったら別扱いだったと思うが)。しかし湖岸の高台に造られたその公園は、やはりイギリスの息がかかっていたからであろうが、その立地といい、その敷地の整備具合といい、ま、素晴らしいものであった。そこからの眺め、あとで知ることになるVictoria湖に浮かぶsource of the nileの浮島あたりの展望、対岸の風景、絶妙な立地に建てられたスピーク記念碑公園はイギリスのスピークらの探検に対する称賛と誇示(あるいは栄光のイギリス時代の象徴碑として?)を偲ばせるに十分な建造物足りえていた。そんな立派なまさに自然公園といってよい、人っ子一人いない自然環境に心を癒されていると、一組の親子がどこからともなく、というかどうも湖岸からの階段を伝って現れたのであった。直接話はしなかったが、先に述べたようにわたしがその場居合わせたときに確認できた唯一の訪問者で、どうやら対岸からボートで来たようであった(つまり市役所の職員のいっていた①ルートで来られたということだと思われた)。そのあとに続いて現れたのがこの親子を連れてきたらしいガイドのような人であった。が、このガイドのような人はこの親子を連れてきただけだったようで、そんなことは知らず、ともかくそのガイド氏はわたしに話しかけてきたのだ。何をしている?どこから来た?この後どこへ行くのか?の類の話をする、わたしは適当に答えつつ、あなた方は対岸からボートで来たのかと聞く、彼らはどこの人?とも聞いたかもしれない。そんなことを話しているうちに、この人がボートに乗らないかといってきたのだ。どういうこと?そのあとの話でわかったことは、確かに彼は先の親子を連れてここまで来たが、ただそれだけの話、で、もしわたしがボートで対岸に戻るなら安くしとくよ、という勧誘だったのである。そう聞いて興味がないわけではなかったから値段による、と答えると、実は船頭は下で待っていて、料金は彼次第とのことであった。ではあと2,30分待っててくれるなら写真を撮ってから下までいくと答えたのだが、しばらくして失敗に気づく、下までいってしまったら交渉決裂した後この坂をまた登らなければならない、そのあとの足も確保できているわけでなかったから状況は50:50ではなくなってアドバンテージは彼らの方に移ってしまったといってよかった。で、ことはそのように進行したのだ。先の親子もVictoria湖を周遊してからここまで来たという説明から始まって、Source of the Nileを知っているか?そこに連れて行って、そこからVictoria湖を周遊して、対岸の村まで届けるという、ま、クルージングの話になってしまったのであった。そこからどうやって街まで戻るのかという質問には、村で彼がモトドライバーを探してくれるということだった。結局大金を払う目になってしまったからか、そのあと彼は実に親切にしてくれたのであった(この時も彼の個人的資質というよりこの国の国民性のようにも、この時はもう感じていた)。もう一つは実際の概要・時間等をよく聞かずに、ま、いいか ! で決めとしまったことも、振り返ってみればいいカモになってしまった己の落ち度であった。キスム(ケニア)のインパラ保護区同様外国人価格ということもあったであろうし、その時にVictoria湖の周遊はしていなかったことも脳裏をかすめた、ドル払いで約1時間の周遊に30ドルも払ってしまったのであった。

スピーク記念碑公園(対岸の船着場が見えている)  ↑ ↓ 何枚か

これはキャンプ施設の一部だったと思う

この方向に浮島が見えていた

上の写真を望遠で撮ったもの、これが浮島つまり(source of the nile付近)だったと思う

スピーク記念碑 ↑と脇に屋根付きで説明板が設置されていた ↓ 2枚

 

 

ま、負け惜しみでいうと、バカをやってしまったのだが、この周遊(クルージング)はすこぶる快適なものだった。ナイルの風に吹かれて気持ちの良いものであった。いろいろガイド氏が説明してくる、対岸の船着場にはボートがたくさんもやってあり、陸には人だかりがあった。ガイド氏の説明ではマハトマガンジー像が建っているということだった。ガンジーは知ってるだろ?と聞いてきたから、わたしは家ではガンジーというニックネームで呼ばれていると答えて(これは事実でその経緯はあるのだがここでは省略)笑いを誘う。が、なぜそこにガンジー像があるのかまでは聞き取れなかった、それでもなんとなくあってもおかしくはないような気はした(ガンジーさんは一時南アで弁護士として活躍していた時があったから?)。そのあとがsource of the nileである。この浮島はスピークパークからずっと見えていて、何だろうと思っていたのだが、彼の説明によるとそこがナイルの原点(源流?)ということらしかった。たぶんに眉唾というか、ま、観光地によくあるでっち上げの類にしか思えなかったのだが、その地点だけ常に波立っていて、おそらく湖底の地形による影響(あるいは湖水流の影響)だと思われるが、観光地伝説としてはその辺りの湖底から湧水が噴出しているというもので、それで波立っている、そこを商業目的的にsource of the nile<ナイルの原点>と呼称しているところが何とも商魂たくましいというか、涙ぐましくも思えたのであった。そしてその商標を背景に写真を撮れと、その浮島?に上陸させられたのである。

スピーク記念碑公園のLake Victoria湖畔の船着場 ↑ ↓

対岸の船着場(ガンジー像付近)

ガンジー像 2枚 ↑ ↓ <ボートから撮ったもの>

source of the Nile付近 ↑ ↓

浮島に上陸しての記念撮影となった

そのあと湖岸周遊をして、とある漁村に上陸する。わたしがこのクルーズで何とも感激したのは、すでに上陸した後だったからクルージング中ではなかったけれど、そのとある寒村のたたずまいがなんとも言えない風情があったのと、何より漂う焼き魚の煙とその香ばしい匂いにわたしはいてもたってもいられなくなったからであった。わたしはガイド氏に頼んでどこかにその焼き魚を食わせてくれるところはないかと聞く、どうやらその辺の長屋はどこでも簡単に地元民が食事をとれるところのようだった(restaurantと書いてあるところもあった;写真参照)。そんな一軒に入ると暗い土間にテーブルが置いてあるだけだったが、なんと冷えたKingfisherが置いてあるではないか(照明は木壁の隙間から入る木漏れ日?だけ、しかし冷えたビールを飲めたのだから冷蔵庫は備わっていたということ) ! !、もう感激で大げさにいうと今回の75日間の旅の食事でまさに最高の満足を得られたものとなったのである。そう、これで大金を浪費してしまった、という後悔はチャラとなったのであった(因みに焼き魚;2000ush、瓶ビール;4000ush計200円の昼食だった、しかしその時撮ったはずの焼き魚とkingfisher<ビール>の写真が見当たらず、その悔いは残っている)。

湖岸周遊 ↑↓ 何枚か

上陸した漁村で・・ ↑ ↓ 2枚

 この写真を見てハッとした、もしかしたらずっと焼き魚だと思い込んでいたのだが、フライだったかもしれないということである。確かアマゾンでもよく川魚を食べたが、たぶんどこでも何もつけずに油で揚げただけの素揚げだったような気がする、だとすると焼き魚の煙も記憶の妄想だったのか‥?? ↑

 

ガイド氏が手配してくれたモト(バイクタクシー)でホテルまで戻った(2000ush)、ことほど左様に先にいったように、気前よく浪費したからというより、彼はほんとに他意なく親切でよく気のつく男だったのである、そしてわたしは感性的にこんな旅(意図しない偶然性)を愛でているのであった。さて、ホテルにはたぶん14時ころに帰着したと思う。一泊の延泊料金30000ush(1000円くらい)を払って少し仮眠をとる。夕方に起きだしてまだ陽が明るいのをみて、残り少ない時間Jinjaでどう過ごすか?結局心残りはスピークの探検史にでてくるリポンの滝と(そこからケニアに電力を供給しているという)オーウェンフォールダムOwen Falls Damを写真に撮ることはできないが見ておきたい、ということだけだった。そのためにはモトを使うしかない、さっそくホテルを出てモトドライバーを探す、わたしの下手な英語をちゃんと理解してくれる人が必要だった。何人目かのドライバーは、わたしのオーウェンホールダムとJinjaの街を見下ろせる丘があると聞いているが、そこを往復してくれないかという希望を理解してくれた(リポンの滝は今は現存してないといわれたか、そこには行けないといわれたか、よく覚えてない)。料金は6000ushで交渉成立、早速バイクは大通りを西に向かい、交差する大通りを左折してしばらく行くとオーウェンフォールダムが現れてそのダム上の道を行く、そこからは次の幹道を右折してしばらく走って右折して細い道を、ま、丘と呼べるようなところまで登ってくれたのだ。つまりわたしが希望したところは例えば公園のような名称のついたところはなくて、このドライバーはわたしの希望にかないそうな場所を自分の頭の中で探して、まさに手探りでといった感じで連れてってくれたのであった。片道30分以上はかかったと思う、ほんとにちょっとした道端にバイクを停めた。そこからは確かにオーウェンフォールダムの遠景とJinjaの街の遠望が眺められたのであった。そしてそこからの写真は撮ったのである。それだけで十分であった、ここの人たちというかウガンダ人の素晴らしい心性の一端を垣間見ただけでもその日は有意義であったと思う。帰りは次の日カンパラKampalaに向かうバス(乗り合いタクシー)の出るタクシーパークで降ろしてもらいバスの時間乗り場を確認、ストリートフード(牛の串焼きとポテトフライで3000ush)とビール他(ビール4000ush、他の飲み物3000ush 水2000ush)を仕入れてホテルに戻る。それでもまだ18時ころで明るかった。屋上から街の写真を撮ったりしてビールを飲みながら寛いでいた。うん、ここはなかなかいい街だな、と思いながら・・

名もないドライバーが名もない場所へ連れてってくれた

Owen Falls Damの遠望とその向こうにJnjaの街、さらに奥にVictoria湖
これも処罰の対象になってしまうのだろうか??

Owen Falls Damカンパラ街道を走るJinja Nile Bridge<市役所からスピークパーク
へ行くときに通ったOld Bridgeから右手に見えたNew Bridge>も写っている ↑

New Bridge 2枚 ↑ ↓

上4枚の橋の写真の後方にJinjaの街があり、さらにその後方にVictoria湖が控えている
もっともこの橋の下を流れるR.Victoria NileもそのままVictoria湖に通じている

日没前に撮影したJinjaの街 2枚 ↑ ↓<屋上から>奥にVictoria湖が見えている

ビールを飲みながら寛ぐ