独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』グアテマラ その6 パナハチェル Panajachel

Guatemalaに来た時は、AntiguaとこのSan Pedroは必ず寄っていたところであったが、もう一ヶ所San Pedroの対岸の街(というか、普通はサンペドロを指すときにパナハチェルの対岸の街と称されることが多いのだが)Atitlan湖岸最大の街パナハチェルがあって最も多くの観光客を集めていた。その街のはずれにここにも海外にその名を知られている(booking com)ホテルEl Solはあって、ここもほぼ常宿になっていた。その理由はあとで述べるとして、次の日はそこへ伺う予定でいた。その1月20日も早寝早起きで、また夜半に目覚めてしまい、またラインのやり取りをしたりノートの整理をしているうちに少しうつらうつら、気づいた時はもう空は明るみ始めていた。大急ぎで3Fに登って夜明けのAtitlanを(この写真も何度もここで載せてきたが)改めてライン用に何枚か写す。そのうちAlbertoオジサンも起きだしてきて珍しく四方山話、その時にここでも、もう来ることはないだろうと今までの礼を述べ、そろそろcheck outするからと別れを告げた。8時ころにPeneleuを後にし、パナドックに向かう。15~20分かかるその道は以前はツーリストの行き交う狭い路地で、レストラン、カフェ、スペイン語学校、各種tienda(小さな雑貨店)の集まる界隈、どこか朝食をとれる店はないかと探しながら歩いていたが、いやーまったく開いている店がなかったのだ。そーいうこと?と、ここでも変に納得しながら歩いていくうちにパナドック近くになってようやく開いている店が2~3軒出てきた。メニュウを見せてもらってそのうちの一軒のカフェに入る。ま、言ってみればパナドック近辺というのはサンペドロツーリストゾーンの中心だったので(パナドックというのはパナハチェル行きのサンペドロのボート乗り場、桟橋のこと)この辺まで来てもお店があいてなかったらサンペドロも終わりか?と慨嘆するところ、何とか救われたようだった。朝食としてはなかなかのボリュームで25Qとreasonableであった(いうまでもなくそこのオーナーは欧米系の若者だった)。その店からドック(桟橋)までは2,3分で、時間はわからなかったが9時発のボートに乗れたようだった。

日の出前のAtitlan湖 向こうに見える山はVolcan Toliman 
日の出の写真は動画になっていて載せられなかった

久しぶりにパナドック近くのカフェでボリュームのある朝食を食う

パナドック

パナハチェル行きのボート

桟橋からサンペドロの街 後ろの山がVolcan San Pedro

ボートから 背景の山がVolcan San Pedro 右下にサンペドロの街 ↑2枚

パナハチェルまでのボート代も25Q(quetzal;グアテマラの通貨 1Q=17円くらい?以降全てQで示す)でこれは前回と変わってないようだった。最近の時刻表とか快速ボートのことは確認しなかったが、記憶が正しければの話、以前のブログには詳しく書いたつもりだがそれが通用しているかどうかは定かでなかった。いずれにしろそのボートは各停でサンマルコス、ツヌナ、サンタクルスに寄ってパナには9:35着、20人は乗れるボートはほぼ満席だった(いつもは外国人の方が多めだがこの時はちらほら)。パナの桟橋からEl Solまでは歩きで30分以上かかった(歩いたこともあった)がパナのどこからでもEl SolへはTuktukで5Qで来てくれると聞いてからは歩かなくなった。なのでこの時もそのつもりでいたのだが、あいにく下船が最後の方になってしまったので、わたしが陸に上がった時待機しているTuktukは一台もなかった。つまり途中で出くわすまで歩くしかなかったのだ。10分も歩くと大通りに出て、空車のTuktukをすぐに呼び止めることができた。一応El Solを知っているか、5Qでいくはずだがと念を押すと了解してくれて10時にはEl Solに着いていた。いつものことだが、飛び込みでいったのであいにくオーナーの村岡さんは留守だったがすぐに戻るとのこと、下手なスペイン語でお手伝いさんに説明するより待った方が早かろうと居間で待たせてもらった。まもなく戻られて挨拶を済ませ、いつものドミ60Q払ってチェックインは終わり、直々に2Fにある空きベッドに案内してくれた。実はこのドミdormitoryは知る人ぞ知る世界一のドミなのであった(勿体つけるようだが詳しくは後述)。その時に、今回の来訪目的を告げ今回は一泊だけの予定ということも話し、午後にでもお時間取れたらゆっくりお話ししたいのだが、ついてはアルコールは何がお好みかを聞き出した。

パナハチェルの船着場 対岸の山は左がVolcan Toliman 右がVolcan San Pedro

市場で食事 カルドデレス(牛の煮込み;スープの中にじっくりと煮込んだ
牛肉の塊が入っている)


そのあと、これもいつものことだが、ここに来た時のルーチンワークすなわちBAMで両替、市場で昼食、クロスロードでコーヒー、Despensa Familiarでの買い出しに出かけたのであった。BAMの両替は$100→767Q、市場の食堂でカルドデレス(牛煮込み定食)は23Q(400円)は超安・絶品、クロスロード(パナで一番のコーヒー屋さん)は結局パスしてしまったが、スーパー・デスペンサ・フアミリアールではgallo他地元のお酒何種類かとつまみを買って14時くらいに戻る。そして頃合いを見計らって村岡氏と、ま、他でもしてきた今回が最後になるだろうという話やこれまでお世話になったお礼を兼ねた諸々の話をしたくて時間を割いてもらったのであった。

 

村岡さんとの出会いも最初に来た年2010年だったから、13年間の知り合いとなる。前述のように、最初はパナハチェル→サンペドロが多かったが、後半は逆になってサンペドロ→パナハチェルが多くなる、が、どちらにしろ湖の北と南の距離だからほとんど必ず両地には寄っていたのだ。風光明媚で自称世界一美しい湖と謳っているLago Atitlanのそれでも趣の違う両村は、どちらも相応の魅力は確かにあって、欧米のツーリストの絶えないところ、昔のわたしの表現で言えばLago Atitlanはグアテマラの3大must visit place の一つであった(ちなみにあと二つはこれも何度もいってきているのですでに陳腐化しているかもしれないが世界遺産の街 Antigua とこれも世界遺産で有名なマヤの遺跡Tikalである)。最初はパナの中心部にあった彼の宿は、その後新築移転して今のところでもう20年くらいになるのだろうか?何せ在グアテマラ歴25年とのことだから、グアテマラ在住日本人の中でも古株と思われるし、El Solの村岡さんを知らない人はいないはずだ。古くは在グアテ日本大使館のお仕事もされていたことがあったりで、その後のホテル業も盛況を極め、このコロナ禍においてもお客をツーリストからグアテ人ビジネスマンにシフトして不況知らずだったとか、ともかく頭が切れてセンスがよく(そのホテルEl Solは一級建築士でもあるご本人の設計とのこと)以前はそこに温泉が引かれていて日本人旅行者を喜ばせてくれていたのだ。今は温泉はなくなってしまったが、ちょうどその日もフランス人の団体さんが宿泊していて、欧米人特にフランス人のお客をつかんでいるようだった。つまり商才にも長けているのだろうが、むしろ客のneedsを的確に捉えているといった方が正確かもしれなかった。彼の話ではわたしも何回も面白いお話を聞かせていただいたご尊父が昨年お亡くなりになったこと、今は奥様お母様と同じ敷地内に住まわれているとのこと、ご子息は士官学校の特待生ということでここでも一日本人の海外における成功者を目の当たりにするのであった。ご尊父同様お話も博識多才なので面白く、夜になって頼んでもらった中華食堂の料理をつまみにgalloを飲みながら話はいつまでも尽きなかった。連日その時間には床についていたので、少し早めにお開きにしてもらって、ドミの暖かい布団で快適に眠れたのであった。で、世界一のドミということだが、まずドミというと普通二段ベッドが相場なのだけれど、そんなせこさは全くなく、ここのドミはまるで個室仕様、つまり暖かくふっくらしたベッドにはグアテマラインディヘナの織物を使ったカラフルなベッドカバー、そしてカーテンで仕切られているからプライバシーは確保されてて、それはそれは美しいドミなのである。わたしは貧乏旅行者なのでいわゆる個室は使ったことがないのだけれど(たぶんもっと素敵な造りなのだろう)それで一泊60Q(約1000円、やはり値上げしてなかった)信じられない安さ、わたしに言わせればこの部屋に1000円で泊まれるなら個室はいらないのであった。これはおそらく最もコスパのいいドミということで、世界3~40ヶ国のドミに泊まったわたしがいうのだから、世界一のドミは間違いないところだと思うのである(個室の方はbooking comで5★になっているはずだ)。

ホテルEl Sol ↑2枚