独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ケニア> その2,タンザニア国境の村ナマンガ Namanga

また日にちがあいてしまった。それでなくとも物覚えが極端に悪くなっているのに、どんどん記憶が遠ざかっていく。いや、忙しさ(とか暑かったこと、no aircon主義なので)を理由にできるが、それよりも気力(やる気・書く気)の衰えだと思う。いや、なにより歳の所為だと思っている。さて、でナマンガ、タンザニアとの国境の村までいってみた話、訪ねたのは2月の9日だった。

 

その時滞在していたナイロビのホテルは、とりあえず日本から2泊の予定で予約してあったホテルで、下町のど真ん中辺りにあって、一泊2300円くらいの(ま、日本だと10000円では泊まれないような設備・調度を備えた)中級ホテルで朝食もついていた。が、ここもコロナの影響で客はおらず、わたしは一人展望のいいレストランで朝食をいただいて、一日か二日後に戻るからといって、軽めのバックパック以外はすべて預かってもらって8:40にチェックアウト、前日に探してあったナマンガ行きマタツの乗り場まで歩いていく、ホテルの裏側の大通りRiver roadをそのまま東に1kmくらいのところにそれはあって9時には着いていた。たしか2社が呼び込み合戦を繰り広げていて、たぶん料金的には変わりないだろうと思って前日に情報をもらったSuper Coachに声をかけてみた。空席はあって座って待てとのこと、乗客は9時半には埋まり出発となった(ナマンガまで700ksh)。街中はどこでもそうだがここも激しい渋滞に巻き込まれたが、2~30分で原野というか砂漠ではなくサバンナ?要は郊外にでて、車は少なくなってあらん限りのスピードで飛ばす飛ばす。ところどころに街があり沿道には建物も結構建っていたが、すぐに何もない原野を行くことになった。景観が素晴らしいというようなところは特になく、2時間半走ってちょうどお昼頃ナマンガ着、長距離トラックの国境越え待ちの長蛇の列でそれとわかる、が、マタツのたまり場のようなところに降ろされたはいいが果たしてどうしたらいいのか皆目見当はついてなかった。いや、ほんとにどうしたい、どこへ行きたいというプランは何も持っていなかったのだった。だから、こういう場の常で、マタツから放り出されれば、タクシードライバーとかが寄ってくるのはわかっていたし、いつもなら彼らから情報を聞いてそれから考えるのだが、この時は何をどう聞けばよいかすらはっきりしてなかった。なのでわたしが口にしたのは国境はどこ?ホテルはどこ?と聞いたくらいでそれらはすべて視界内にあったので、彼らにとっては商売にならないと相手にされなくなる、で、これ幸いとばかり、その時は荷も軽かったのでともかくウロウロ歩き出したのだった。

この部屋はナマンガから戻った時にあてがわれた部屋だったが、最初の2泊もこの程度の
部屋だった(2350ksh)

2350kshで朝食付き

食堂担当の女性、あと二人の女性(受付嬢と部屋担当の女性)ともに感じがよかった)

<ナイロビ~ナマンガ間の沿道の様子>

           行きのマタツ ↑ 風景など ↓ 4枚

<ナマンガ Namanga 村>

Namanga村付近 ↑↓

タンザニア国境ゲート付近 ↑↓3枚

↑ 遠くに見えている山はキリマンジャロではない(Mt.Orok?) ただキリマンジャロもこの方向

この時わたしは(前にもいったかもしれないが)古いガイドブックは持っていたが、地図を含めた情報は何も持っていなかった。ガイドブックには、わずかながらナマンガの情報は載っていたがほとんど役に立つものはなかった。ただケニアタンザニアの国境は緩そうなことが書かれていたが、実際ゲートではそれは感じられた(いや、そこはゲートではなかったのかも知れなかったが)。わたしがこの時そこまで来たのは、ただその国境付近からキリマンジャロを拝めないか、ということだけだったのだが、残念ながら事前にその距離感をつかめる地図はもっていなかったので全く当て外れだったことを知ることになった。その前に寄ってきたタクシードライバーは、わたしが旅行者だと知るとみんなアルーシャかと聞いてきたので、その時アルーシャというところがタンザニア側の街だと知ることができたが、言葉の問題でビザがなくても行けるのかといったことまでは話せず、いくら緩いとはいえ、もしもの時には大ごとになってしまうことを思えば、ビザなしでの越境はさすがにやめておいた方がいいだろうと判断した。とするとキリマンジャロは諦めるしかないのか?と国境の村を歩き回りながら考えていた。写真を撮りながら村内を歩き回ってて、まだホテルも決めずにいたが、食堂を見つけて昼飯を70kshで食べられたので少し気分がよくなる。ちょうどその付近がモトドライバー(バイクタクシー)のたまり場になっていて、マサイの若者たちがたむろしていた(マサイの勇者たちは仕事がないからかモトドライバーになってるものが多かった)。そのうちの気のよさそうな一人に声をかけてみた。どこか安いホテルはないか?すぐ近くのホテルを教えてくれた。そのあと、この辺からキリマンジャロは見えないのか?どこまでいけば見えるのか?わたしはキリマンジャロの写真を撮りたくてここまで来た、といったことを話してみた。即答はなかった、わたしはバイクならその場所まで簡単に連れてってくれるのではないかと思って聞いてみたのだが、意外と遠いことがその反応からわかった。端的にいってそこまでどのくらいの時間がかかって、いくら出せば連れてってくれるのか聞いてみた。彼の話からわかったことは、今の季節、近くまでいったとしても必ずしもはっきり見えるかどうかはわからない、比較的確率が高いのは朝方であること、その場所まではバイクでも2時間くらいかかるであろうということ、バイクよりは車で行った方がいいのだが、バイクでも往復するだけで5000ksh(聞かなかったけど車だと倍か?)だしてくれるなら行ってもいいというのが彼の最終的な答えだった。一応の目安を聞いてあとは彼の仲間も集まってきて雑談となった。なかなか気のいい連中で、時々仕事で客を乗せて出かけて行っては、ま、暇だったからかみんなすぐに戻ってきてワイワイガヤガヤやっていた。わたしは5000kshどうするか悩んでいた、というのも行くとなれば今日中に回答して明日の朝方迎えに来てもらわねばならなかったからで、一番のネックは要するに5000kshの賭けの確率は半々だということにあった。budget travellerでなければ躊躇はないところ、わたしにbudget travellerとしての矜持もあったから、最終的に断念したのであった。一つの言い訳としてケニアが気に入ったのでまた来る理由を残した、というところだった。仕事で出かけたJoel君(こいつなら、と思って話しかけた相手)が戻るのを待って、戻ってきた彼に諦めたことを話し明日会えたらまた会おうと約束して彼らと別れ、彼に教わったホテルに行ってみる。どこも外国人旅行者はゼロだったからもちろん空き部屋はあってトイレ付で600kshとのこと(ベッドがあるだけだったが600円、グアテマラ並の安さだった)もちろん即決した。この安さでwifiが繋がったのはうれしい驚きで、おかげでライン等で夜の暇つぶしも可能だった。昼食をとった食堂も近かったのでお茶とパンをtake outして夜食として何人かとラインのやり取りをして早めに寝る。

村の散策 ↑ ↓ 3枚 

      民族衣装(たぶん)が素敵だったので写真を撮らせてもらう ↑

安くてうまいこういう食事がわたしの好み、その日の昼食70ksh=70円

国境付近の長距離トラックの待機群 ↑ ↓

タンザニア側国境オフィス ↑とタンザニア側風景 ↓

 

<マサイの若者たちに出会う>

young Maasaiの戦士たちは今はモトドライバーが多いようだった

わたしの隣がJoel君

一泊650ksh トイレwifi付きだった国境の村の安ホテル

せっかくタンザニア国境まできたのに冒険せずに帰ることに少々悔いが残ったが、ま、歳も歳だから無理をしないという基本方針に従い、朝方もう一回村を一周して集まってきた昨日の若者たちに礼をいって、Joel君にはボールペンを記念にわたして写真を撮って別れる。マタツのたまり場へ行くと客の取り合いの犠牲になる、こちらはどこの会社でもよかったのだが、勝手にもめているのでわたしがどちらにするか結論を出さなければならなくなった。仕方なく来るときに乗ったSuper Coachにしたが、正解だったかどうか、というのもどうやらこちらの方が客の集まりが悪くこの時は約1時間待ちとなったからである。それとナイロビの渋滞で帰路は3時間くらいかかったか(往路は2時間半くらいだった)?ホテルHemak Suites着は14時ころだった。最初の日のお気に入りの受付嬢は同額(2350ksh=2350円)で新しい部屋をあてがってくれ、その部屋は前よりも上等だったので、ますますのお気に入りとなる(ところがその夜は近くのナイトクラブなのかディスコなのか、夜通しのボリュームいっぱいの音楽で眠れなかったのだが)。ま、それでもなぜかここの女性たちは、みな愛想がよくて親切で人懐っこくてしかもみな美人ぞろいだったのである(3人)。もし若かったなら、わたしももっと積極になったかもしれないと思わせるくらいだったから、それもケニアが気に入ってしまった理由となったのかもしれなかった・・??その夜はストリートフード(bread with vegetable)とGuinnessの黒を買い込んでの夕食にも満足していた・・、、

Namanga Guest House 翌日撮影 ↑ 

ま、これは世界中の問題かもしれないが、重要なNOTICEかもしれない?

翌朝もう一回村を回って帰路につく ↑ ↓

スーパーコーチのライバル会社NAEKANA わたしにとってはどちらでもよかったのだが

<帰路の風景(道は同じ)他>

タンザニアに向かう待機車両の列 ↑

沿道から ↑ ↓ 2枚

ナイロビ市内に入ると馴染みになったこんなバスが・・

その日の夕食はストリートフード+Guinness