独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 その4)

 (この旅の)30年前1970年に初めて日本を旅発ったときの行き先はハワイだった、目的地は南米、まずハワイまで船で行きそこから空路本土へ飛び、アメリカ・ロスアンゼルスでバイト、半年後南米目指して陸路メキシコに向かった、その後約1年旅は続き中南米の国々ほとんど通過したのだけれど、その中で一番気に入った国がメキシコだった(帰ってから振り返って)、もう一度行ってみたいとの想いはずっとくすぶり続け30年後に実現することになった

 ロスアンゼルスの空港からダウンタウンまでは地下鉄で行ったかバスで行ったか記録も記憶もない、が、いずれにしろ昔を懐かしんでバスでメキシコへ入国しようとしていたのだから、直接グレイハウンドのターミナルへ向かったはずだ、そしてそこからサンディエゴへ、サンディエゴからメキシコ・ティファナへ、その日の夕方16時にはメキシコに入国している(しかしこれは失敗だったかもしれない)、今から10年前だからまだ体力もあったし昔の旅ができると思っていたふしがある、ティファナについてすぐにその夜出るグァダラハラ行きの夜行バスを捜している(36時間くらい走り続ける)、が、そのときわたしは重大なミスを犯していた、両替が十分でなかったのだ、すでに夜になっておりバスターミナルでできると思っていた両替はできなかった、手持ちのキャッシュ(若干の米ドルとメキシコペソ)ではエルモスィヨ(Hermosillo)までしか行けない(バスで約15時間)、そこで迷う、これからホテルを捜して明日両替して出直すか、とりあえずエルモスィヨまで行ってしまうか、当然の選択だが後者を選んで20時15分発のバスは1時間遅れて21時15分ティファナを後にした

 そもそも失敗だったかもしれないというのは、今思えば何でロスアンゼルスからグァダラハラまで飛ばなかったんだろうか?という疑問、結局グァダラハラには12月19日の夕刻バスで着くのだが、費用的にも時間的にも体力的にもバカだったかもしれないという想いは残った、バカみたいに旅は陸路でという信条を愚直に実践(昔取った杵柄)、が、たいして実りがあったわけでもないというのも確かだった、ま、それでもティファナに入ったときの興奮は昔と変わらなかった、その昔サンアントニオからバスで国境の町ラレドへ、歩いて橋を渡ってメキシコへ入国、メキシコの第一歩ヌエボラレドの衝撃、うーんその格差、それまでアメリカをバスで一周してアメリカに慣れてきた矢先の別世界、今では当時ほどの格差はないかもしれない、実際ティファナではその衝撃はすでになかった、しかし今から40年前メキシコはまだまだ貧しかった、だからそこは当時世界中の国境の中で川の向こうとこっちでもっともかけ離れた世界だったのではないかと思う、今でもそうだがメキシコからの越境者を防ぐため陸路での国境通過は非常に厳しいものがあったように記憶している、そして国境の南、川向こうの世界とは?わたしはすぐに慣れた・馴染んだ、ひとつには極端に物価が安くなったこと、そしてなんとメキシコ人のハートが暖かく感じられたことだろう、アメリカ人とは違うハート、そうどちらかというとわれわれに近い(モンゴロイドの血が多少混じっている)心情?安らぐ空間がそこに待っていたのだ、この極端なギャップによる最初の好印象がきっとわたしを後々までメキシコ好きにしたのだと思う、それともうひとつ、今でも忘れない記憶がここで焼きつけられた、それはにおい、食べ物等の香ばしいよいにおいでなくトイレのにおい、しかし悪臭ではない、それは消毒液のにおい、その後同じ消毒液のにおいを日本でかぐと自動的にメキシコを思い出す仕掛けができてしまった、それほどにおいの記憶は強烈なものであり懐かしさを呼び覚ましてくれる、が、さすがに10年前のメキシコで同じ体験を踏むことはなかった、しかしティファナの雑踏、メキシカンの明るさ屈託のなさ暖かさは昔のまま、やはりティフアナに入ってほっとしたのは事実だった‥