独歩の独り世界・旅世界

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山レポート 6) 鳳凰三山

 本年(2009年)最初の書き込みとなる、他(about meやお喋りパーティ)が忙しくて・面白くて、ついつい遠のいてしまった、しかし昨年30日から2日までの山の記録を早々載せておかないとたぶん書きそびれる恐れありで、とりあえず記録だけでも書いておこうと思う、そのあとで哲学パーティのほうで洩らした‘何故年末年始わざわざ寒い山なんかに出かけるのか?’という問題と、まだここでは一度も触れたことのないわたしの事情(身内・身辺)のことを書かなければならないかと思っている

さて、鳳凰三山であるが、山好きの人なら知らない人はいないといっても良いくらい有名な山で薬師岳2780m・観音岳2840m・地蔵岳2764mの三座の総称として馴染み深い、甲府盆地の西側に南北に連なる南アルプスの最も北側に位置し白峰三山(北岳3192m富士山に次ぐ第2位の山・間ノ岳3189m・農鳥岳3025m)の前衛をなしている、中央線・中央道からダイレクトに見られ特に地蔵岳オベリスクは有名、三座あわせて鳳凰山として100名山に登録されている、アプローチが比較的短く1泊2日コースで高山への入門の山としても人気がある

山行記録 ; 2008年12月30日 車にて13:30夜叉人峠登山口着 15:00 夜叉人峠小屋着 夜叉神峠小屋テント場にテント2張り張る(他二張りあり) 12月31日 テント撤収8:20 発 杖立峠 10:15 アイゼンをつける 10:35 数回の休憩 12:45 苺平 13:00 南御室小屋着 13:30 テントを張る 14:30 砂払岳偵察に 15:15 砂払岳 写真を撮って降る 15:30 テント場着16:10 2009年1月1日 5:40 テント場発 6:30 砂払岳着 ご来光を待つ 6:47 日の出 6:55 下山開始 7:40 テント場着 朝食下山準備 9:05 テント場発 10:35 杖立峠 11:40 夜叉神峠小屋 12:00 小屋発 夜叉神峠登山口着 12:40

鳳凰三山は25年位前に初心者を連れて登ったことがあったが、そのときは夏場で青木鉱泉からドンドコ沢のルートを辿った、もうはるか昔のことだが苦しい登りだった記憶がある、その後今回の起点となった夜叉神峠は何回も通っていたが、ここ数年元旦初日の出を富士山の入るポイントを探して撮っており、この夜叉神峠から薬師岳に向かう稜線にそのポイントがありそうな気がして狙いをつけていた、が単独での正月2500m以上の経験がなかったので躊躇っていたところ、いいタイミングで助っ人が現われた、昔の仲間で冬山経験豊富な仲間二人と若き後輩二人の4人パーティがちょうどこのコースを行くという、しかも彼らは前にもこの時期に同じルートを歩いてるとのこと、願ってもないチャンス同行を申し出る、が問題はなくはなかった、彼らは決して山小屋に泊まることを潔しとしない、というか好まない純粋な山男たちだったからテント泊を予定、ということはテント・炊事用具・食料持参となる、もちろん異存はないのだが果たして応分の荷が背負えるか、わたしの持ってる防寒具で寒さに耐えられるか、この2点がわたしに課せられた問題だった、しかしそこは心優しき&力強き後輩たちで、荷は少々の食料と私物だけで良いという、残る寒さ対策はカイロとか耳当てつき帽子を100円ショップで購入し、彼らの好意に甘えることにした、あとは全コース同行ではなく写真を撮ったら先に下山するかもしれないことを含んでもらって、12月30日午前5名は車で東京を発った

 事前に夜叉神峠登山口1380mのトンネルの手前まで車で入れることを確認しておいたし、雪もなかったからトンネル手前まで順調、道の両側の駐車スペースにはすでに30台ほどの車が停まっており(北岳に向かっている人たちもここから歩くしかない)このエリアの人気の高さが窺えた、車を置いて峠に向かう、順調に1時間で峠小屋着、小屋に料金を払ってテントを張る、この時点ではわれわれのテント二張りだけだったが、そのあと二張りつまり二組がその夜そこで過ごすことになる、1770m白峰三山の眺めが素晴らしい&有名な夜叉神峠の夜は、しかし予想通り相当冷え込んだ、もってきた服をほとんど着込んで(たぶん5枚重ね?)羽毛のシュラフに包まるもほとんど寝られなかった

 翌朝は(というか目は夜中から覚めていたが)6時頃から起きだし朝食・テント撤収、出発8時20分、杖立峠までの登りはこのコースでは一番きつかったかも知れない、それでも雪面は所々だったので休み休みながらもほぼコースタイムで順調、若い二人はわたしの1.5倍の荷を担いでいるのに流石に強い、杖立峠でアイゼン装着久しぶりのアイゼンに手間どる、その後はアイゼン不要の場所はなく、いい感じでアイゼンが効いてくれたが、苺平までのダラダラの登りも結構きつかった、しかしところどころ樹林帯が切れ真っ青な晴天に映える白き峰々の神々しさはまさに白峰三山の名に相応しいく思われた、苺平から30分の下りで13時30分本日の宿営地南御室小屋(2500m?)に到着、すでになん張りかのテントがl張られており最終的にその数は30を越えていたのではなかろうか?樹林の中の雪面を整地しテント二張り張る、ここまで順調に来て時間もまだ早かったので、撮影ポイントの偵察に行かせてもらう、ここまで来る間に富士山の見えるところがなかった(実はあったのだが背後だったためわからなかった、帰りに気づく)ので稜線を登っていくしかない、がしばらく行っても樹林帯は続く、45分登ってようやく樹林帯を抜けたと思ったら、もうそこは砂払岳(2700mくらい?)薬師小屋のすぐ上で薬師岳が目の前だった、薬師・観音・地蔵だけではない、北岳の向こうの千丈、そしてその右に甲斐駒も見えていた(と思う、間違ってなければ)翻って甲府盆地から続く山並みの向こうにでっかい富士山、展望をほしいままにするとはこういうことを言うのだろう、あと1時間あれば薬師岳を往復できたところだが、すでに3時半を回っており皆に心配かけられないのでそこから下山、登り45分下り40分の道のりだった、下山途中どうしたもんかと思案していた、今テント場にいる本隊4名は明日(1月1日)テントと荷を残しほとんど空荷で薬師・観音・地蔵を往復しもう一晩ここ南御室小屋のテント場に宿し2日朝テント撤収して下山する予定だった、わたしの目的は明日朝のご来光の撮影、その後どうするか、一つは薬師小屋あたりで4名を待ち同一行動をとる、二つ目は別行動とし先に下山する、出した結論は先に一人で下るほうを選択、理由として結構わたしが足手まといになるかもしれないこと、昨日寝られず今日も寝られなかったらちょっと体力的に自信がなかったこと、で一応それは了解された、案の定その夜も夜中の1時頃眼が覚めてそのあとほとんど眠りに落ちることはなかった

 1時間おきくらいに時間を確認し何回目だったか5時10分シュラフから出、出発の準備にかかった、他の人を起こしてはまずいと思いながらもテントの外で作業はできない、手が凍ってスパッツがつけられない、アイゼンをつけるにも苦労する、たぶんみんな起きてはいたのだろうが、ちょっとすまない気分で一人ヘッドランプを点け5時40分出発、他のテントの人たちはほとんど起きていたが、先行する人はいないようだった、荷は軽いし昨日は4本爪の軽アイゼンで登った道を10本詰めのアイゼンで行くのだから昨日より楽かと思いきや、日の出時間との競争という心の焦りがあってか高度が稼げない、雪道はクラストしてはおらずアイゼンがよく効いたが苦しい登り、背後の闇がだんだん赤く染まってきて焦る、時間的には昨日より5分オーバーで6時30分着、いやぁ寒い、風が冷たい、手の指の感覚がない、岩陰に隠れて日の出を待つ、予定(予想?)通り6時45分富士山の左手の地平線が黄金色に揺らめきだす、日の出よりもこのゆらゆらしだすところがなんとも形容しがたい趣のある瞬間だ、そして真っ赤なお日様がすこしづつすこしづつ顔を覗かせてくる、夢中でシャッターを切るもうまくいかない、ピンともあわせられない、もう行き当たりばったり、結果的にほとんどいい写真が撮れてなかった、たぶん手袋がよくなかったのかもしれない(ま、冬用の手袋はそれしかなかったのだから、もっと良いものを買わなければ)3日たった今も指の先の感覚が多少麻痺している、これってもしかしたら凍傷?お日様が地平線から離れてから、振り返って朝日に染まる白峰三山を撮って、すぐに下山を開始した、この間数組のパーティが薬師に向かって登って行ったが、初日の出だけを撮りに来た人は今回はわたし一人だけのようだった、下山途中何組のパーティとすれ違ったことか、テント場に7時40分に着いたとき仲間はまだそこにいた、朝飯を残しておいてくれたのでガスをつけ手を暖めてからラーメンをすすった、それまで何も口に入れてなかったので元気が回復、仲間は出発していった、しばらく荷の整理をし、わたしも9時5分そこを発った、多少荷が減ったこともあって帰路も快調、これもずっと続く好天のおかげ、苺平からの下りはところどころ来るときに気づかなかった富士山が青空の中屹立している、遠くに海が見えた、方向と形状からし伊豆半島駿河湾に違いない、そこから南アルプスが目の前の北岳までせり上がってきている、こんな素晴らしい景色を見られる者はきっと幸せ者に違いない、そう思いながら足がはかどる、登りの半分くらいの時間で夜叉神峠の小屋に着いた、そこまで飲まず食わず、で、ずっと手付かずだったペットボトルのお茶を飲もうとしたら凍ってて結局飲めずに登山口まで降る、12時40分無事駐車場着、さてどうしたものか、タクシーを呼べるのはわかっていたが、芦安からのバスの時間がわからない、甲府までタクシーで行くんだったらその料金で芦安の民宿に泊まれる、結局呼んだタクシーの運転手に聞いてその夜は芦安の民宿に泊まることにした、またこの民宿がよかった、料理良し温泉良しで、結果的に酒代が高くついた(料理がうまいとつい酒が進む)、あくる日一番のバスで甲府に出、昼過ぎに自宅に着いた、不思議だったのは今まで山登りから帰ったあくる日から2、3日筋肉痛に悩まされるのだが、今回は疲れも筋肉痛もまったくでなかったことだ、温泉がよかったのだろうか‥??

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