独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 13)サンクリストバルデラスカサス(SanCristbaldeLasCasas)

  グァテマラ国境に近いのだから、もう少し暖かいと思っていた、寒くさえなかったら最も印象のいい街といえたかもしれない、インディオも多く大きな建物はそんなにない、カテドラル・ソカロを中心とした街は歩き回るのにちょうど良い、13時間くらいかかって12月28日朝9時にバスは到着、安宿を探すのが面倒だったのでバスターミナルから歩いてガイドブックにあったホテルに行ってみる、150ペソ今迄で一番の中級ホテルで、ソカロから近いのでそこに決めてしまった、パテオのあるわたしにとっては高級ホテルだったが、夜寒くて寝られず翌日暖炉のある宿に移った

 この日はソカロ・カテドラルから始まって、市場で食事コメドデレス(牛肉の煮込み)10ペソの安さ、うまさ、これぞインディオ料理か?サントドミンゴ教会、サンクリストバル教会(ここからはサンクリストバルラスカサスの街が一望のもと)グァダルーペ教会等の建造物、ナーボ゛ロムの博物館と見所を歩き回る、観光案内所でパレンケ方面、グァテマラ方面の情報を聞く、夕食はスーパーでパンやらワイン・ロン(ラム酒)、缶詰などを買い出してホテルで食べる、豪華な部屋で酒飲んで寝るも寒くてよく寝られなかった

 翌29日、昨日偵察しておいた郊外へ行くミニバス(ワゴン車)でインディオの村サンファンチャムラ(San Juan Chamura)とシナカンタン(Zinacantan)に向かう、どちらも山間のインディオの村、独特の風習・習慣を持っており、そのカラフルな衣装が特にすばらしい(サンファンチャムラの黒、シナカンタンの赤)、素朴な人々・のんびりした風情、ここにも近代化の波はいやおうなく押し寄せているが、伝統と習慣がいつまで保ち続けられるか?旅行者から見るとほんとに素敵な村々だ、バスがないのでほとんどコレクティーボ(乗り合いワゴン車)で移動、あちこちで土産を買う

 さて記憶にある方もいらっしゃるだろうが、このチアパス州サンクリストバルデラカサスは1990年代(実際はかなり昔から)に武装闘争を展開しているサパティスタ民族解放戦線の拠点に近い、そういう意味で旅行者にとってはかなり危険度の高い要注意ヶ所のひとつであったが、わたしが行ったころは鳴りを鎮めていた、がある意味そこの人々(いやチカーノと呼ばれるメキシコ人の多く)は心情としてその解放戦線側に立つ人々が多いともいえる、実際売られている土産に解放戦線の人形だとか帽子なども多くまた人気が高い、ここでこんなことを言うとちょっと問題ありだが、実はわたしはそのかなり以前からサパティスタ解放戦線の心情シンパだったのである(もちろんわたしは左翼でもないし、そのための支援活動のようなことは何もしてないが)、ではどうして?どういうことかというとわたしはだいぶ昔からその名がとられたメキシコの英雄エミリアーノ・サパタのファンだったからである、おそらくメキシコ人の間でもその数は想像以上に多いがゆえに土産物にもなっているのではないかと思われる、わたしもその土産物のひとつ黒い目だし帽をサンクリストバルの町に戻って市場の近くで手に入れた、あとインディオのカラフルな帽子もここで買った、それは今山へ行くときの愛用品となっている

 あまりに寒かったので(考えてみれば日本の年末、高度2100m寒いわけだ)、暖炉があって別料金だが薪が買えるという宿に移った、夕食はソカロ近くにカフェテリアがあったので入ってみた、サルサヴェルデという定食みたいものがあったので頼んでみた、ビールを2本飲んでるところをみるとうまかったに違いない、がどんなものだったのか記憶なし、ホテルに戻って暖炉のありがたさにほっと一息つく、薪が燃える炎をじっと見つめているといろいろな想いがわいてくる、この旅のことから始まって、今までの人生や日本のことメキシコのことインディオのこと近代化のこと、そしてまたなんでオレは一人で旅してるのかとか、やっぱり誰かと一緒に旅したかったなぁとか、もの思いに沈むには暖炉ってなんて素敵な装置なんだろうかとか、炎の揺らめきのようにさまざまなことが揺らめいていた、しかしそれも薪が燃えている間のこと、いつしか薪は燃え尽きてまた寒くて眠れない夜となった