独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 その1) 1999,12,14~2000,01,21

 ここ何年か読み続けている人に中島義道という人がいる、その人の名著のひとつ‘人生を半分降りる’を読んだのはいつのことだったか?しかし、確実なことは(発行されたのは2000年10月だった、今手元の本で調べた)、そこに書かれていることをその本を読む前にわたしがやっていたということ、そしてその本を読んだときにオレと同じこと言ってる奴がいる、と思ったことだ、ま、中島義道という人は、わたしと年もそんなに違わず育った環境(時代)が同じだったということもあって(学力その他は雲泥の差であることは承知で)同じような思考をする人だなぁと、その後彼のファンを自認している

 さて、その本を読む2,3年前つまり1999年の12月にわたしは15年くらい勤めた会社を辞めた(その間いろいろあったが)、潮時だったのだ、前からずっとやめたいと思っていた会社だったし、毎日ネクタイして通勤するサラリーマンにも嫌気がさしていた、そろそろ旅にも出たかった、それまでわたしは、ま能力に問題はあったにせよ大企業に勤めたことはなかった、つまり大学を出てこの方就職試験を受けたことがなく、いい加減に生き・いい加減な会社を選んできた、その理由の一つがいつやめても惜しくない会社というのがその選択条件のひとつだった(他には大学時代の学生運動の影響とかもあったかもしれない、ノンポリだったが)、それは旅人生を選択したわたしのフリーター志向?その後一般的となったフリーターのさきがけだったという自負でもある(わたしの年賀状に中年フリーター物語というのを2000年頃までシリーズ化して書いていた)、そんなわたしがそれでも人並みに結婚して子供ができて、ということでしばらく我慢のサラリーマンを続けざるを得なかったわけだが(その間も旅人生やめてはいない、また別の機会に紹介できると思う)、たぶん1999年子供が幸い出来が悪くて大学へは進まず、それでも何とか年子の二人目が高校を卒業した年ではなかったか(よく覚えていないが、旅にでたとき卒業していたのは確実)?それで肩の荷が半分おりたというか、そろそろ好きにしようと決め、会社をやめた折に旅に出ようと思ったわけだ、できの悪い子供達に感謝&よくここまで我慢したと、好きな言い方ではないが自分への褒美だったかもしれない、で、その旅の前半にその年卒業した?娘を連れて行くことにしたのだ、オレが金を出すからアメリカへ行くか?と聞いたら、その頃何をやっていたか知らないが、たぶん一緒には住んでいなかったと思う、で返事は何とか行けるようにするとのことだった、すでに仲が悪くなっていたわたしの奥さんには内緒で(だから行き先も告げずに)娘に連絡をとり1999年12月14日成田空港で待ち合わせ、ラスベガスへ向かった~  つづく