独歩の独り世界・旅世界

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カトマンドゥ ~昆明 Kunming

027_640x427 たぶんエベレスト?

 カトゥマンドゥに戻ったわたしは、最終日だからといって特別することもなく、唯一スディールさんのところにだけ、お礼の挨拶に行ったが不在だった、、仕方なく同じ建物の1階にあった、前に来たときに片言話したことのあった床屋とサンドイッチ屋に顔をだす、、床屋のほうは前のときに150Rsで散髪してくれるといっていたので、再度確かめてお願いした、、30分くらいで丸坊主になって髭も全部そり落としてもらってさっぱりする、、サンドイッチ屋ではコッペパン型の大きいサイズが80Rsとのことだったのでハムサンドイッチを作ってもらう、、サンドイッチは何種類かあって注文に応じてその場で作ってくれるのだが、同じようなサンドイッチ屋が近くにもう一軒あって、そこはガイドブックに載っていて、いつも混んでいたので一度試したことがあった、、しかしそのとき作ってもらったもののほうが、わたしには安くて大きくてうまかったように思えた、、それひとつと缶ビールで昼食には十分であった、、

 その日の最後の夕食にはChhapteを呼んであった、、といってもそれは彼から昼飯の招待を受けたときに、別れ際にわたしのほうから、そのつもりでいると伝えてあっただけだったが、たぶん覚えてくれてるだろうとその後の確認はしていなかった、、しかし約束の時間になっても彼は現れなかった、、もし彼がきたらタメルに何軒かあった日本食レストランで最後は日本食を、と考えていたが、わたし一人だったのでいつもの安食堂に出かけた‥、、

わたしはチャプテとただ飯を食うつもりだけで約束していたわけではなかった、、実は彼に、そのときまでKathmandu Valleyの地図を借りていたので、それを返さなければならなかった、、それをどうしようかと思案した挙句ここのフロントにおいていくという手段を思いつた、、で、次の日清算ついでにフロントの少し日本語がわかるかわいい女の子にその旨を話し、できれば彼にそう伝えたいから連絡とってもらえないだろうかとTEL番の書かれた名刺をみせて相談すると、すぐに電話をかけてくれた、、チャプテはすぐに出て、地図を預かっててもらうからというと、30分で行くからまっててください、とのことだった、、時間通りにきた彼は、昨日は仲間が雪崩の事故に会い、その件でゴタゴタしてて来ることができなかったと謝った、、時間はまだたっぷりあったから、少し昼飯には早かったがどこかで飯を食おうと提案、、そのついでに少しあまりそうなルピーをドルに替えられたら替えたいというと、了承してくれいったん外に出る、、

 彼の知っている両替屋(トレッキング前に連れて行ってもらったところ)で今度はルピー→ドルだったが、わたしがそれまでに街ブラしながら聞いていた率よりいいレートでルピーを替えられた、、もちろん食事代と飛行場までのタクシー代は残しておいた、、しかし日本食レストランは早すぎてあいてなかったので、もう一案をいってみる、、それはチャプテに紹介してもらった今のホテルが、結構いろいろよくしてくれたのと一階のフロント脇でいつもmailチェックをしていたとき、その場はレストランでもあったから他人の食べているそこのインド料理(前にもいったがそこはインド系のオーナーのホテルだった)がとてもうまそうに見えていたので、最後はそこで食事してもいいかな、と思いついたのであった、、インド料理はネパール料理と似ているが少し違う、、そのときはネパール料理に少し飽きていてインド料理を懐かしく思うところがあった、、その案に彼も異存はなく再びホテルに戻る、、そのときはすでに会計は済んでんでおり、荷物はフロント脇においてあって、いつでも旅立てる準備は整っていた、、食事ができるかとボーイに聞くとまだ早すぎるとの答え、、それで困ってしまった、、そのときはまだ11時頃だったと思う、、どこか開いてそうなところ知らない?と逆にわたしがチャプテに聞く始末‥、、そのやり取りを偶々その場にいて見ていた顔なじみのオーナー夫人(いや、もしかしたらこの人がオーナーだったのかもしれない)が、何が食べたいのか聞くので、ターリーのセットだというとミニのセットなら作らせるといって調理場に注文を出してくれた、、それで最後の会食はそのホテルのインド料理で締めることができたのだけれど、正直言うとそれは想ったより、見た目より、美味しくなかったのであった、、

 フライトは16時だったから、14時に空港についていれば間にあう、、ということは時間の余裕はあったから、わたしの流儀に従えばバスで空港に行くことも考えないではなかった、、その方法もいくらくらいの違いかもわかっていた、、バスだとシティバスパークから空港行きはなかったが、リングロードを通るバスでその近くまで行けた、、たぶん20Rsくらい、、一方タクシーだとタメルから350~400Rsと聞いていた、、タメルからシティバスパークまで大荷物を担いでだと、ま、30分?、それまでは荷物なしか軽い荷だったのでいつも歩いたが、その30分荷物を担いで歩くか350Rsの支払い、つまり350円をケチるかの選択だったが、今回に限ってその選択に躊躇はなかった、、なのであらかじめタクシー代は確保しておいたのだった、、13時に出れば間にあったが12時前に食事を終えてしまったので別れを告げる、、チャプテはチベット別れの儀式を怠らなかった、、昔ダージリンチベット人の友人を訪ねたときも別れ際にそうしてくれたように、白い絹の布(タカ)をわたしの首に巻いてくれたのであった、、だから、余計わたしは涙ぐんでしまった、、こいつは素晴らしいやつだ、、ほんとによくやってくれた、、すべてに気持ちが入っていて、わたしのネパール滞在はこの男あってのことだった‥と、、一緒にホテルをあとにし、タクシーを探して値段交渉をしてくれた、、350Rsのつもりでいたところ300RsでOKになったといって、わたしの荷物をタクシーまで運んでくれたのだ、、これでいつか戻ることは確実になったようなものだった、、わたしがネパールに戻ってくるのが先かチャプテが日本に来るのが先になるかわからないが、いずれまた会おう、といって別れた、、

 だから空港には早く着きすぎてしまったが、ま、それはよくあることでお陰でチェックインも一番か二番目に手続きを済ませることができた、、しかしそれはまた重要な意味を含んでいた、、別に一番二番になる必要はなかったが定刻では無理だったかもしれないことだった、、わたしはそのとき迷っていた、、それはレーの二の舞になるかもしれないということ、つまり16時のフライトならまだ日は沈んでないだろうから最後のチャンスがある、、しかもクンミンに飛ぶのでエベレストの近くを飛行する可能性があった、、では、それはどっち側だ??、、飛行ルートがわかっていれば自明のことだったが、それがわからない、素人考えで次のように考えた、、もしネパール領空を飛行するなら答えは左側、しかし中国東方航空は中国の会社だからいきなりチベット側にはいって中国領空を飛ぶのかもしれない、、その場合は右側になる‥??、、案ずるよりは産むが易し、で聞いたほうが早かった、、チェックイン時にそのリクエストを出すとちゃんと左側の席をとってくれたのであった、、観光立国ネパールにしてはちょっとみすぼらしさのある空港でチェックイン前1時間、チェックイン後2.5時間の待機を余儀なくされたが、ほとんど定刻に曇り空のカトマンズを飛びたった、、が、すぐに雲の上に出るのはわかっていた、、果たして見えるのか‥??、、結論からいうと、そのあと1時間くらいは明るかったが雲の上にその雄姿を突き出していた山塊は二つしかなかった、、もちろん一つはエベレスト山群Mt.Everest8850m、そしてもうひとつはカンチェンジュンガKanchenjunga8600mだったと思われる‥、、

<今回写真は少ない>

011_640x427向こうに見えている平屋がターミナルビル

 離陸直後:2枚 014_640x427 016_640x427

 エベレストと思われる写真;3枚018_640x427 022_640x427 028_640x427

カンチェンジュンガと思われる写真024_640x427

  カトマンズの空港がみすぼらしかったのと対照的にクンミンの空港は、そこは行きにも立ち寄っていたが、今の中国の発展振りを示すかのように新しく立派なものだった、、国力の違いを見せ付けられるような、またインド的世界と東アジア世界の隔たりを感じさせてくれるひとつの象徴のようにも見えた、、クンミン着は中国時間21時15分?約2時間半の飛行であった、、この到着時間が問題であった‥、、

 実は当初(この旅の計画段階、あるいは航空券を申し込んだ時点で)カトマンドゥからの便は一日一便でここクンミンで乗り換えなければならないこと、それもその日のうちの乗換えができないので次の日になることはわかっていたから(前にも述べているがその不便さ面倒くささ故の低価格)、それならクンミン滞在を一週間くらいとって、ここから雲南省大理とか麗江を回ってみようかと考えていた、、一週間くらいのストップオーバーが可能だったから、カトマンドゥで変更する前はそういうticketを持っていたのだった、、そして行きのコルカタへの便も一泊する必要はなかったが、ここで乗り継ぐ必要があって数時間待たされたので、そのときにいろいろ偵察をしていた、、1,空港近辺に安宿があるか?、2,クンミン中心部に出る足はどうか?、3,クンミンの安宿情報、4,大理、麗江観光の相場はどのくらいか?、、そのときすべての回答が得られたわけではなかったが、少なくとも1,2が絶望的なことはわかった、、また3,4,にしても25年くらい前に‘中国・子連れ一ヶ月の旅’をしたことがあったが、ま、そのときとは比べようがないとしても、いまや中国ではインドやネパール並みの旅はできそうにないことが明らかだった(費用的に、、25年前は同レベルだった)、というよりその開きが大きすぎたのだ、、なのでわたしは考えを変えて、それも含めた帰路のticket変更をお願いしていた、、それはクンミンには滞在しないこと、、そして一泊にはなるが宿に泊まらず空港で寝て次の日の朝の上海便に乗るというものだった、、それというのも最初のticketではクンミン着が夜の9時頃で、クンミン発が朝の7:30だった、そうすると次の朝は遅くとも6時にはチェックインが終わってなければならない、、しかも空港近辺に宿がなかったのだから、クンミンに何日か滞在するのでないかぎり、空港泊する他なかったのであった、、そして行きにも数時間待たされていたからクンミンの出発ロビーの様子もわかっていた、、いやこの立派さで深夜便の発着もあったから、ロビーで寝ることが可能なことはわかっていたのであった、、なので到着後(イミグレはほとんど並ぶことなく簡単だった)すぐに3Fフロアーに行き、目をつけてあった辺りの座席を確保し寝る態勢を整えた、、しかし問題がなかったわけではない、、食事は機内で出たフィッシュライス(エビのあんかけご飯)がこれまでに乗った東方航空の中では絶品だった、、で、空腹はなかった(もちろんレストランはまだ開いていたが)、問題は少々寒かったことと肘掛けのついている椅子だったので身体を横たえることができなかったことである、、それもインド的世界との違い?あるいは空港が立派過ぎたから?ともいえたがインドだったら誰も平気で床に寝てしまうが、結構な人数の客が空港泊していたにもかかわらず、そんな人は一人もおらず、さすがにわたしもそれはやらなかった(やれなかった?)、、だからうつらうつらはしたがもちろん十分な睡眠は取れなかったのだった、、そして5時半にはチェックインカウンターが開きその列に並んだのであった、、

クンミン空港の出発ロビーで仮眠;この写真は行きに撮影008_640x480