独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 13)メキシコ入国、フローレス~パレンケ~ビリャエルモサVillahermosa

 パレンケ行きのシャトルフローレス5時発で、各ホテルにピックアップするから15~20分前にはホテル前で待機してくれといわれていた。その日のドミはほとんど満床で、朝発ちはとても気を遣うことになる。部屋の電気もつけにくいし音も立てにくい(特に目覚ましはセットするかどうか迷うのだが、ほとんどの西欧人はそんなことに気を遣わない)、前日遅くまでYご夫妻と飲んでいたから、パッキングも十分でなく、ともかく手探りで4時半ころには部屋を出、外に出た。いや、4時半のフローレスは街灯はついていたから、物騒なことは何もなかったが、信じられないくらい寒かったのだった。そろそろTikal日の出見物とか、早出のツアー参加者がちらほら路上にでてきて、そのうち同じ宿からも若い男の子がでてきた。もしかしたら同じドミの宿泊者だったのかもしれないが、聞いてみるとわたしと同じパレンケ組だった。そのうち、アンティグア、グアテマラ方面からバスで来たツーリストがシャトルに乗り換えて各ホテルで降ろされていた。我々のホテル前で降りたツーリストの中に東洋系の若い女性がいたので、話しかけてみると台湾の女性だった。しばらく話していて、それでアンティグアから来たことがわかったのだけれど、彼女らみんなダウンを着ていた。わたしも寒くて荷の中から防寒着を取りださざるを得なかった。その寒い路地で、彼女のおかげで待ちくたびれるということはなかったのだけれど、そんなシャトルが何台か来ては去っていき、パレンケへのシャトルは結局1時間も待つことになって、フローレスを発ったのは5時半ころになっていた。15人乗りくらいのワゴン車に、わたし以外はすべて欧米系ツーリストで、その時の乗客はわたしを入れて11人だった。わたしはYご夫妻の話を聞いていたから、どの道を行くのか大変興味深かった、が、フローレスからサヤスチェ方面の道をいって、途中から右に曲がったので、前回通っている通常ルートをいっていることがわかる。その分岐が6:40だったから1時間10分かかっていたが、その少し前あたりで進行方向左側から太陽が昇ってきた。その時一瞬東西南北がわからなくなり、どうして左側から朝日が昇るのかと戸惑ってしまったが、その時その道はフローレスからコバン方面へ、即ち北から南に向かっていることがわかり、それでようやく左が東と理解できたのだった。が、その道も10分くらいで右折して、今度は西方向に向かって走っていた。しかし、その道も20分くらい走って小さな街に7時ころ着いたのだけれど、そこで舗装道路は終了したのだった。

Img_55826時半ころ日の出


 日本でも最近、長距離バスの運転手がアルバイトドライバーだったので事故を起こしたなんてニュースを耳にしていたが、このシャトルのドライバーもどうやら日雇いの素人ドライバーのようだった。ま、そういう意味ではシャトルはせいぜい15人乗りくらいのワゴン車だったから、誰でもできる仕事で、わたしでもできそうだったが、なぜそう思ったかというと、このドライバーはその街で少々休憩したときも、乗客には何も告げずに一人でトイレにいった節があった。そしてその地から2時間、フローレスからだと3時間半、一度もトイレ休憩をとらなかったからであった。これにはまずわたしがしびれてしまった。ひどい車に乗ってしまったと腹立たしくなったが、他の乗客は何も言わないからわたしも黙っていた(一つにはそれなりの場所がなかったこと、つまり男性の特権を行使したくなかったのだ)。我慢比べになって、限界ギリギリまで何とか耐えてのグアテマラ側イミグレ到着だった。そこで恥も外聞もなくイミグレのオフィスにいく前にトイレの場所を聞いて駆け込んだ。結局フローレスからだと3時半間かかって9時ころやっと到着したそこはよく覚えていたが、田園の中に一軒家がぽつんと建つといった感じのオフィスで、その脇に住まう一家がトイレを管理していた。もちろん使用料を払わねばならなかったが、ケツァルが足らないというと、そこのかわいい女の子はペソでもいいといって、2.5Q+0.5ペソを受け取ってくれた。そのあとでイミグレのオフィスで手続したが、ここでも出国税20Q払えという、以前ここを通ったときはUS4ドルで払った記憶があり、今回はケツァルがないといったら50ペソでOKとのことだった。ま、ここの場合3~4ドル相当だから、あまり問題にしたくはないが、要はグアテマラでも同じ問題、つまり場所によって入出国税という名目の手数料を取られたり取られなかったりする、という国境越えの微妙な問題があったのである。

Bethelまでの風景;2枚Img_5585
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Bethelにあるグァテ側イミグレ

 11名の出国手続き及び休憩を兼ねていたので、そこを出たのは9時半ころだった。しかし7時に寄った街から、イミグレのあるBethelという村まで約2時間の間、村らしきところも住人が住んでそうな家屋もほとんど目にすることがなかった。車の往来もほとんどなかった。この道は一度通っていて、まさに僻地だということは知っていたが、それでもいまだ未舗装ながら、かつてのでこぼこの悪路はずいぶんと改善されていて、それほどの疲れはなかった。左手は小高い山並みも見えたがあと荒野か、時々放牧されている牛馬等を目にすることもあったから、ま、よくて牧草地だったが、そんなのどかな自然が残されている広大な未開拓地をバスはさらに30分走って、どん詰まりの僻地La Tecnicaに10時に着いたのだった。ここもよく覚えてる村でグアテマラ側の終着地、ここで全員シャトルバスを降り、ボートで対岸に渡ることになる。美しいウスマシンタ川を見下ろすのどかな村だった。シャトルのドライバーが全員のポートのticketを買って、船頭に渡して彼の任務は終わったのであった。そう、実はグアテマラ側に関していえば、ここまでは個人でも簡単に来られ、川も渡れる、たぶんトータルでも50Qくらいでメキシコに入国できたと思う。ただ、そういう意味での厄介さはメキシコ側にあったのだ。ボートによる渡河はものの10分ほど、対岸にはタクシーが数台待っててくれていて、人数を確認し11人だったので3台のタクシーに分乗して、われわれはまずメキシコ側イミグレに、そしてメキシコ側のシャトル乗り場までそのタクシーが運んでくれたのだった。その間おおよそ30分、La Tecnica到着が10時ころで、ボートに乗って対岸に渡りメキシコ側イミグレには10:20には着いて、全員の入国審査を終えてメキシコ側シャトル乗り場着が10:45ころだったから、この連係はシャトルならではのありがたさだった。つまり、個人で河を渡っての国境越えはできるのだけれど、このメキシコ側の国境の村コロサルFrontera Corozalというところは、タクシーなら簡単に回れても、個人の場合は(タクシーを捕まえられなければ)たぶん大変なことになると思う。なので、このルートは流石にシャトルに利ありのようだった(250Qは納得で、それを80Qも負けさせていうべきことではないかもしれないが、たぶんシャトルを使わなくてもそれくらい<150~170Q>はかかったのではないかと思う)。

グアテマラ側国境の村La Tecnica ;4枚Img_5600Img_5599Img_5602Img_5601ボートのticket売り場

ウスマシンタ河をボートで国境越え;4枚Img_5603Img_5605
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Img_5611対岸がメキシコ側ボート乗り場

Img_5612メキシコ側ボート乗り場

コロサルのイミグレ;2枚と分乗したタクシー(タクシー代は含まれていた)Img_5613
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 さて、メキシコ側のシャトル乗り場からは一般の客も乗せて11時に出発した。この弾丸道路307号線も何度か通っていたが、昔のジャングル道はすっかり道がよくなってて、確か3時間はかかっていたコロサル~フローレス間をなんと2時間半で走破、1時半にはパレンレケのシャトルターミナルについていた。そのターミナルの場所が、最初よくわからなかったのだが、パレンケの入り口の三叉路のところとわかり、そこからバスターミナルはすぐだった。が、そのバスを利用するつもりではなかったが、目印としてのADOのターミナルまで行くとそこはだいぶ前から閉鎖になっている感じ、たぶん新しいところに移った様子がうかがわれ、そのまま2等バスのターミナルまでいった。そこで次のビィリャエルモサVillahermosa行きのバスを聞く、ちょうど1時間後14:45とのことだった。ま、荷物の整理をしたり、食事したりしてちょうどいいと思い、そのticketを購入<75.5ペソ>、そして朝の寒さから真夏のところへ移動してきたので荷の整理をして、大きな荷はそのターミナルの椅子に置きっぱなしにして街ブラを始めた。パレンケも3度目か4度目だったので、最初からここは素通りのつもりでいた。ターミナル付近をぶらついただけだったが、ADOのターミナルが、さっき通った時気づかなかったのだけれど、三叉路の向こう側に新しく立派な建物になっているのを発見、あとは大きな変化は感じられなかった。いつ来ても暑いところで、歩く気も失せ飲み物だけ仕入れてすぐにエアコンなんか入っていない2等バスのターミナルに戻って、そこでしばらく待つしかなかった。しかし、14時20分頃に突然係の人に呼ばれて、何やらタクシーに乗れといってきた。わたしはよくわかってなかったのだけれど、どうやらほんとのターミナルは別のところにあったようで、他の乗客とともにタクシーに乗せられ、そのターミナルに連れていかれた。というより、わたしが待っていたところは、ただのticket売り場?(昔はそこからバスが発着していたような記憶もあったが)でしかなかったようで、親切にも乗客をわざわざタクシーで運んでくれるのにはちょっとびっくりだった。ま、そこはタクシーで5分足らずのところだったが、そこでさらに15分ほど待って、これぞローカルバスといった感じの2等バスは14:50にパレンケを発った。しかし、ま、のんびり各バス停に停まっていくローカルバスとはいえ、もう少し近いかと思っていたのだけれど、3時間くらいかかって(正確にいうと2時間45分?)17:35にビリャエルモサの2等バスターミナルに着いたのだった。いや、これはけっこう長い道のりだった。

タクシーで連れてこられた2等バスターミナルとVillahermosa行きのバスImg_5620Img_5621

 どうしてこの街に来たのかということは次回に詳しく話すとして、この街は今回のわたしの旅にとってはかなり重要な街、つまりここは寄らなければならない街であった。が、初めての街でもあった。そしてここの後はベラクルスVeracruzというところまで行く予定でいた。ビリャエルモサ~ベラクルスもかなり距離があったので、できれば2等バス利用のつもりだった。なので、到着早々明日のバス情報を収集しなければならなかった。ここのターミナルはけっこう大きかったから、それはすぐにわかるだろうと思っていたが、実際はベラクルスへ行くバスの会社を見つけることができなかったのである。で、仕方なくわかりそうな人に聞いてみると、親切に、それは別のターミナルから出ているので、そこへいって聞いてみたほうがいいといって、その場所を教えてくれたのだった。割とわかりやすいところにあった別のターミナルは、それでも大荷物を背負っていたから10分ほどかかったか?そこでほとんど2時間に一本ほどバスがあることを確認でき、それからホテル探しが始まった。安宿はパレンケからのバスが到着したターミナルの近くに何件かあったのを目にしていた。で、また、そのあたりまで戻ってうろついてみると何件かあって最初のところで交渉してみた。ここはまともなホテルだったようで、フロントマンは380ペソといってきた。わたしの目論見より倍の値段、どうしようか迷って、安くならないと交渉してみたが、見るからに固そうなおじさんは一銭も負けてくれなかった。あとから失敗したと思ったが、めんど臭くなってそこで決めてしまった。それでもようやく荷を解き、シャワーも浴びることができた。何よりの情報は、わたしの問いに近くにラバンデリア<lavanderia;洗濯屋>があると教えてくれたことだった。早速、次の角を曲がって少しいったところという説明を頼りにいってみると、そこには気のいいオヤジがいて、今から出せば明日の昼にはあがるといってくれたので、お願いすることにした。持っていった洗濯物は1.5kgくらいだった。そのオヤジがいうには、そこの価格は1kg;16ペソで最低3kgから、つまり1.5kgでも3kg分の金額になるといわれたのだ。それでも安いと思ったけど、それならと、わざわざ不急なものを除いてきていたので、すぐにそれを取りに戻って、最終的には2.5kgを48ペソでお願いすることになった。帰りにその界隈をぶらついたら、わたしのホテルより先に何件も安宿を目にし、中には料金をうたっているところもあった。なんと3h50ペソとか100ペソ~、ようやくわたしは理解したのである。その辺りは2等バスターミナルの近くだったから、ま、庶民の繁華街、そしてどこの街でもそうだったが、安宿はだいたい固まっていた。要は、日本的にいうとラブホ街といったところであったのだ。なら、もっと安いホテルがあったであろうと、早々に高いところに決めてしまったことを後悔したのだった。ま、それでも安そうなレストランや食べ物屋もあったけれど、ここでも、名前は聞き漏らしたが他では見たことのなかったチョリソ入りのパステル?どういえばいいのかパン屋さんの店頭販売で具の入ったパイのようなものを二つ(20ペソ)とOXXOでビール(15ペソ)を買えばわたしの夕食としては十分だったのである‥、、

Villahermosaの2等バスターミナル;2枚Img_5696Img_5697