独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 9,カオプラウィハーン遺跡 Khao Phra Wiharn

 前にいってると思うが、わたしがこのシー・サケートを最終目的地にしていたのは、その街が今回の旅のmain targetのひとつであったカオプラウィハーン遺跡への最もアクセスがいい街だったからである。といってもそこまで行くのにこの街からでも最低2時間、まずバスでカンターララックという街まで1時間、そしてそこからはモーターサイをチャーターしてさらに1時間かかるのである。では、そのカオプラウィハーン遺跡というのはどういうところだったのか?

 タイはわたしの得意とするエリアでなかったから、もちろんこの遺跡のことは知らなかった。で、今回の旅が決まってから、どこか目玉になるようなところを探してて見つけたのがこの遺跡で、ガイドブックに載っていたのである。ただし、それは10年くらい前の本でその当時この遺跡はオープンされてないとあった。それでwebサイトで調べ、チェンマイのTATで確認したが、それでも現在オープンしているかは定かではなかったのである。ならばダメもとでいってみようということでシーサケートまできて、前日ホテルのオーナー(いろいろアドバイスをくれたた同世代のおっさん)に聞いたところやはりオープンしていないとのことだった。ただし、崖のところまではいけてカンボジアを見渡すことができるといわれたのだ。そう、わたしがこの遺跡に興味を覚えたのはそのロケーションにあった。ちょうどシーサケートから南に90km?くらいいったところがカンボジアとの国境になっていた。そしてこのカオプラウィハーン遺跡はその国境線上にあって、カンボジアアンコールワットよりも古いとされるクメールの遺跡だったのである。それで長年カンボジアとタイの間でその領有をめぐって争われてきて国際司法裁判所の裁定でカンボジアの領有権が認められるようになったという経緯があって、現在この地(遺跡)はカンボジアの領土になっているとのことだった。ところが面白いことにこの遺跡にはタイ側からしかアブローチできず、というのもその国境線というのが標高差300m?以上もあろうかという断崖絶壁をその境界として崖上はタイ領、崖下はカンボジア領となっており、遺跡自体は崖上の絶好の見晴らしポイントに建っていたのである。おそらく下から(カンボジアから)の道もあるはずだが、それは険しすぎて登るのに容易でなく、ほとんど軍関係者以外には利用されてはいないように思われた。それでも両国の関係が良好だったころは、タイ側からカンボジアに一時入国の形で、この遺跡の見学はできたのだが、今はカンボジア側でこの遺跡を閉鎖していたようだった。だからやはりこの遺跡は現在閉鎖中だったというのが、現地にきてわかったことだった、、

その朝バスターミナルまでの間で托鉢僧を見かける、年配者かつ少人数で、わたしにはラオスよりずっと純粋な姿に映った、、; 3枚Img_6627Img_6631
Img_6632シーサケートのバスターミナル

 もちろん、なので諦めたというわけではなかった。わたしはそれでも‘崖の上からカンボジアの大平原(密林?)は見渡せる’というおっさんの一言で十分だったのである。それだけでもいく価値はある、むしろそのロケーションを確認したいという気持ちの方が強かったくらいだから、十分に来た甲斐はあるだろうと思って、朝7時のカンターララック行きのバス(その時はワゴン車だったが)に乗ったのだった。ほんとにタイはインフラ整備をとうに終えていてどこでも道がよかった。通勤通学の足であるそのワゴン車は街道筋で老若男女を乗り降りさせてちょうど一時間でシーサケートよりは少し小ぶりながら、ちゃんとターミナルのある街、カンターララックに着いた。そこからの手段はモーターサイしかなさそうだった(もちろんタクシーはある)。ここでも感心させられたのは発展途上国によくある光景、バスやワゴン車がつくとモーターサイにしろトゥクトゥクにしろ、ドライバーが一斉に客の取り合いで寄ってくるということが全くなかったことである。それはタイのどの地でも見られなかったからタイのレベルが上がった証左に他ならないとわたしには思えた(たぶん30年位前から??)。ということはこちらから出向かなければならないということで、いくらでいってくれる?と立場的にも主客は転倒しているということでもあった。カンターララックでは、多少英語の出来る年配のモーターサイのドライバーがどこへ行くのか聞いてきたから、カオプラウィハンへ行きたいのだがというと、やはり遺跡はオープンしてないがいいかと、念を押された。この辺も正直というかたいへん良心的だなと思った。それは承知しているがいくらで往復してくれるかの交渉になった。500Bといってきたのでダメもとで400Bにしろといっうと、あっさりOKしてくれた。で、てっきりそのおっさんのバイクかと思っていると、どうもそのおっさんはモーターサイドライバーの長老のような存在だったようで、何人か待機していた若いドライバーの一人に、お前いって来い指示して、わたしにそのバイクに乗るようにいってくれた。そこからも完璧に舗装された片側2車線の、ほとんど通行量のない道を行き、国立公園の手前から一車線になったが、そのゲートまで1時間弱、しかしそこで入域料を払わねばならなかった。

カンターララックのバスターミナル;2枚Img_6637
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タイの幹道はどこも片側2車線、交通量は少ない、、Img_6685


国立公園入口のゲート;2枚
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ゲートを過ぎたあたり、ゲート手前から道は片側一車線になっていたImg_6643


  どうやら、その遺跡のある一帯は国立公園になっているらしく、そのゲートで入域料として外国人料金400Bを取られ、その辺から道は少しずつ登っていった。ゲートからは10分くらいだったか、シーズン中なら車・バスで埋まるのかもしれない大きな駐車場に着いた。そのときは駐車している車はなく、ほとんど観光客の姿はないようだった。ドライバーはそこで待ってるからといって観光客が行くべきルートを教えてくれた。完全に公園化されていたが、まったく人気<ヒトケ>がなく、土産物屋や食べ物屋の類も皆無だった。いわれた方向に歩きだすとすぐに崖のへりに着いた。天気いまいちで、それほどクリアな日ではなかったが、そこからの展望は絶景といえた。今いるところはタイ領で、ここから見下ろす光景はすべてカンボジア領ということだった。何枚か写真に収めて、さらに道が続いていたので、左にカンボジアの大平原を見ながら林の中の道をたどっていくと、あずま屋や休憩所があって、新しそうな仏堂、仏像が建っていた。しかし、そこはカオプラウィハンではなかったのだ。もっとも奇異に思えたのは、その辺は国境警備隊と思われる兵隊がウロウロしていたことだった。その兵隊たちの駐屯場所と思えるあずまや風の建物が見えた。ちょっと近づき難かったが、手招きされたのでそこまで行ってみる。土塁が築かれまさに前線を思わせた。カンボジアの平原と、つい目と鼻の先にあるカンボジア領のカオプラウィハンを常に監視している監視塔のようであった。あそこがカオプラウィハンだから双眼鏡で覗いてみろといってくれた。が、あいにくの空模様で双眼鏡で覗いてもわたしには目視できなかった。どうやら旗が建っている辺りからが遺跡のようで、すでにカンボジア領ということらしかった。が、しかしその場にいた兵隊たちに緊張感はなく、役目がらそこにいるだけといった感じで、スマホをいじったりしてダラダラしていた。その場を離れ行けるところまで行ってみる。カップルステューパcouple stupaという建造物のところあたりが限界だった。たぶんその向こうがカオプラウィハンに続く参道のように思えたが、そこは有刺鉄線でその先進入禁止となっていて、つまり境界のようだった。元の場所に戻り、兵隊たちの礼をいって帰ることにする。帰りがけに崖の下に続く通路を見つける。しっかり作られた崖下の桟道を少し下るとすぐに行き止まりになって、いったい何のために造られたのかと思ってよく見ると、その行き止まりの金網の先に3体の摩崖仏を発見、それを見るため桟道だったのだ。だいたい1時間弱、その辺りをうろうろしていたが、カオプラウィハンは見られなかったものの、そこはそれなりに見ごたえがあって、来た甲斐があったと思えた。帰るころには地元の観光客がぼちぼち現れ、兵隊さんと記念撮影なんかしていた。あとで知ったことだが、その辺り一帯をパー・モー・イー・デン Pha Maw I Daeng といって、そこはそれで立派な観光地になっていたのだった。

行き止まりにあった大駐車場、わたしが着いたときは一台の車も見なかった、、Img_6645

上の写真の左上奥がこの道で、先のゲートがカオプラウィハーンの入り口(閉鎖中)Img_6683_2

駐車場から数メートルいくと崖っぷちにでた;4枚Img_6647Img_6646
Img_6675上3枚は左側がカンボジア平原Img_6673この写真だけ反対方向を撮っているので右側がカンボジア平原となる

順路を行くとあずま屋、仏像、仏堂が現れる;3枚Img_6649Img_6668
Img_6653向こうに見えてきたあずま屋がタイ軍の監視塔?

兵隊のたまり場(監視塔?)からカオプラウィハン方面;4枚Img_6654煙が上がっている辺りがカンボジア軍の駐屯地か?ちょうどその上の山の頂辺りがカオプラウィハン遺跡のあるところと思われるImg_6656Img_6657Img_6655もう少し右寄り方向

このあたり一帯はすべて軍の管轄下;2枚
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この遺跡のところまでは来ることができたImg_6665

下から見上げた監視塔Img_6667_2

崖下に続く桟道あり;4枚
Img_6658Img_6659Img_6670突き当りまでいくとこの摩崖仏を見ることができるImg_6661降りてきた階段を登り返す

階段を登ったあたりに蓮池が、、:2枚
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帰り際に寄った資料館(ビジタへセンター?)に展示されていたカオプラウィハンのミニチュアImg_6678



 来た道を、カンターララックのまではモーターサイで戻り、そこからは運よく出発間際のシーサケート行きミニバンに間にあって、ちょうど12時ころシーサケートのバスターミナルに戻った。バスターミナルからは街ブラしながら適当な食べ物屋を探しながら歩いていた。ちょうど街の真ん中あたり、わたしが滞在していたホテルからも1ブロックのところにこの街唯一の4階建てのデパート(ショッピングコンプレックス?)があったので、そこを覗いてみた。中は冷房が効いていて、4Fにフードコートがあるようだったので、エスカレーターで上がっていった。ちょうど昼食時でけっこうな賑わい、そこも写真によるメニューが10店舗ほどの店全てに掲げられていた。いずれもおいしそうなものばかりで迷う、が、実際は写真ではよくわからないのである、で、海鮮チャーハンのようなものを指さしで頼もうとしたのだが、ここでも頼み方があったらしく、すんなりとはいかなかった。言葉も通じなくてどうすればいいのと周りを見回して、ようやくticket(クーポン、確かチェンマイでもそうだったことを思い出していた)を買ってこなければならないことを理解するのであった。ま、それでも40Bのそれは、昼食としては悪くなかったのだが、ビールがその場にはなかったのが残念、もっともその場で昼間っから飲んでいる人なんかいなかったのであるが‥、、そこから前日に通ってない道をぐるっと回って、また駅まで行ってみた。駅の近くには噴水のあるロータリーがあって、その向こうにこの街の唯一(?)の寺Wat Pratoがあった。そこを覗いてから駅で明日のticketを購入(8:04発の2等311B)、ちょうどその時列車が入ってきたので写真に撮る、ナコンラチャシマNakhon Rachasima 行き13:44発の普通列車だった。それを見送ってからホテルに戻る。暑かったのと疲れもあってか、途中のコーヒー屋さんでtake out したアイスコーヒーは大変おいしかった。それからは例によって昼寝‥、、

カンターララックのシンボルタワー(街の中心辺り)?Img_6687

シーサケートのバスターミナルImg_6690

シーサケートの街の中心にあった4階建てのショッピングコンプレックス;Suenheng PlazaImg_6697

シーサケート駅北側のロータリーとWat Prato;2枚Img_6691Img_6692

シーサケート駅;3枚Img_6693
Img_6694この写真の右手奥の建物が夕方から屋台街になる
Img_6696Nakhon Ratchasima行き列車

 少し涼しくなりかけたころから外出、向かった先は駅に近いところにあった市場。まだそこを探索してなかったからだったが、すでにほとんどの道はクローズしていた。市場は夕方行くところでなく、朝いかなければ意味がないのだ、、ところがちょうどその頃から、市場に隣接している辺り、そして道を挟んだ駅の南側あたりが、屋台街として店を開け始めていて、すでに賑わいだしていた。そういえば駅の南側あたりは逆に昼間はすべての店がクローズしていたから、そこが何なのかわかってなかったのだが、一転して何とも魅力的な場所に様変わりしていたのだった。その狭い通路をあれもおいしそう、これもおいしそうと目移りさせながら、しばらくうろつく、、答えてもらってもわからないのに、これは何?いくら?と聞きながらどれにしようと迷っていた。結局二品仕入れて持ち帰り、ホテルでビールを購入して部屋食とし、それ自体はおいしかったのだが、もっとおいしそうなモノがあったのに、最後にこれで決まり、というものが食べられなかった悔しさが残った。そういうわけでその日の夕食は失敗し、屋台で撮った写真もほとんどボケてしまっていた。どうもシーサケートの最後をいい印象で終えることはできなかったのであった、、

夕方にいった市場はほとんどクローズしていたImg_6698

駅南側の屋台街は活況を呈していたImg_6702

少々失敗したtake out 真ん中はフォート卵の炒め物30Bと焼きおにぎり?10B×2、ビール大瓶60BImg_6704