独歩の独り世界・旅世界

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ファティマ Fatima ~ リスボン Lisboa

 ポルトーのそのホテルはWiFiが繋がったので、前日の宿探しの苦労と、その結果のひどいホテルに懲りてネット検索でファティマのホテルとリスボンのホテルを探していた、、その日が1月17日で予定としては18日にコインブラ、19日にファティマ、20日リスボン着で、ポルトーからはそれぞれ2時間くらいの距離だったから一日ずつ移動してちょうどぴったりになるのではないかと思っていた、、それでコインブラは次の日だったから無理だったのだけれど、ファティマとリスボンはまだ間にあうと思って適当なのを探して予約を入れてみた、、恐らくこの時期はやはりオフシーズンのようでファティマの場合はけっこういいホテルを安く予約することができた、、しかし、その時点ではファティマがどんなところかはまったく知らなかったのであった、、

 その前にコインブラCoinbraに寄ってみようと思っていた、、ここも詳しくは知らなかったが名前だけは知っていて何でも古い大学があるとか、また昔の王都だからいいところだと誰かに薦められた記憶があった、、が、やはり情報がなくどうするか迷ったのだけれど、行き当たりばったりで何とかなるのではないかと思っていた、、ところが、その朝昨日からの雨はやむどころかますます雨脚を強めていた、、何とかなるだろうというのは天気がよければの話で、それならば寄る価値ありだろうということであった、、雨の中ホテル探しから始める気にはなれなかった、、で、8時半ころチェックアウトして早めにバスターミナルへ行って、ダメもとで聞いてみた、、昨日コインブラまでのticketを買ってしまったが、このticketをファティマに代えられないかと‥、、それはなんら問題なくポルトー~コインブラ12.5ユーロに4.5ユーロの差額分を払うだけでOKだった、、バスは同じ時間に出るとのことだった、、10分遅れて発車したバスはポルトガルも幹線はほとんど高速道路が走っていて2時間少々でファティマに着いてしまった、、つまりポルトー~コインブラ~ファティマはそれぞれ100kmくらいの間隔だったからポルトー~ファティマは200kmくらい?高速を走れば2時間少々ということだった、、200kmくらい離れればもしかしたら天気がよくなるのではないかという甘い憶測は見事にはずれてしまったが‥、、それどころかますます雨は激しくなるばかり、、どうも偶々そのとき台風まがいの低気圧がポルトガル一帯を襲っていたようであった、、

 さて、ファティマに着いたはいいがここに何があるか、どんなところなのかはさっぱりわかっておらず、逆にだからこその期待があったといっていい、、何か面白いところかもしれない?という‥、ではどうしてここに寄ってみようと思ったのかといえば、ファティマなんてところは名前さえ聞いたこともないところだったが、ポルトガルに来てツアーのパンフレットをみたら、リスボンからのいくつかのツアーなかに必ずそのコースがあったこと、もうひとつはリスボンのバスターミナルでバス情報をあさっていたとき、ファティマ~リスボン間のバスが一番多く、そしてさらに北から来るバスはほとんどすべてファティマを経由していたこと、だからもしかしたらそこがけっこう大きな街かと思ってしまったのだった(ちゃんとツアーのパンフレットを理解できていればどんなところかわかったのかもしれない、、しかしツアーに参加して失敗したと思うよりはましだったかもしれない‥??)、、で、何かあるのではないかと‥、、しかし来てみてわかったことだが、最初からこの街がどんなところか知っていたら寄ることはなかったであろう、ということだった、、ちょっとわれながら呆然としてしまったのだが、そこはなんと日本でいえば身延とか天理といった宗教都市だったのである、、

  いや、思いがけずそのバスターミナルは小さかったのだ、、それでも売店があって切符売り場に待合室があった、、インフォメーションはなかった、、そして街らしさがなかった、、森を開拓して新しく造られたような街、現にまだ開発中?造営中?のようなところがバスから見えていた、、そのターミナルに着く直前にホテルの一階のようなところにインフォメーションらしき看板を目にしていた、、頼りはそこしかなかったので雨の中をそこまでいってみた、、そこは確かにこの街のインフォメーションで中年のおばさんに予約してあったホテルの場所を訊ね、地図をもらった、、その地図にはなんか大きな広場や礼拝堂のような図が載っていて、それが中央にあってそれだけの地図だった、、そこにわたしが予約してあったホテルの場所を書き込んでくれた、、それでなんとなくわかってきたのだが、ともかく礼をいってとりあえずホテルに行ってみることにした、、慣れればそこから10分もかからない道のりだったが、降りしきる雨のなか、なんだかわからないがとてつもなくでかい広場があって、その先にあるらしいホテルを見つけるまで2,30分かかってしまった、、で、その間なんか不思議というか、変な街だなぁと思いながら歩いていた、、まず人通りがまったくない、人の気配がない、普通ならどこにでもある普通の商店(雑貨屋とか食料品店とか食べ物屋とか)がない、、あるのは宗教関係のグッズを扱うような店ばかり、極端にいうとそんな店しかなかったのだ、、まだ、事情がよく飲みこめてなかったから、何なんだ、ここは ! ?、と思いながらのホテル到着となった、、そのホテルは今までに泊まったことのないような近代的つくりの立派なものだった、、しかしここもまったく宿泊者の影がなかった、、ここは朝食付きだったから翌朝であった宿泊客は一組か二組だけ、6階建てくらいの大きなホテルにその日10人も泊まっていなかったのではないか?、、で、そこでまず、受付の女性に事情を話す、、実は明日の予約を入れてあるのだが、一日早めてもらうわけにはいかないか?‥と、、ビジネスライクのその若い女性は、それでも快く了解してくれて宿泊可能となった、、そしてそのホテルの部屋は値段からすると想像できないくらい立派だったのである、、なんでも通常30ユーロのところがオフシーズン価格で20ユーロになっており、バス・トイレ・エアコン・テレビ・WiFi、そして朝食までついていて、建物ばかりでなく部屋の調度も中のつくりもすべてモダーンな感じ、逆にいうとポルトガルらしさがなく面白みにかけた冷たい感じ?ともいえた、、荷を置いて早速雨の中食料調達兼街ブラにでかけたが、ま、はっきりいってこの街は今までいろんなところへいっているけれど初めて体験する異様さであった、、

 先に少し触れたが、どうやらそこはいってみれば宗教都市?、これは後で知ったことだが、なにやら100年くらい昔この地で奇跡的現象が起こり、それ以来この街が世界中に知れわたり、で、カトリックの聖地のようになって人を集めるようになったらしいこと、、だからその記念日にはそれこそ世界中から信者が集まるらしいこと、その数何十万にも達するらしいこと、そのための宿泊施設であり、そのためだけの街であったようなのだ‥、、あのツアーのパンフレットに載っていた写真はそのときのものらしかった、、そしてたぶんカトリックの信者たちは(ポルトガルは95%がカトリック)ツアーバスでここに巡礼に来ているのであろうことがわかったのだった、、それはその日が大雨だったからではなく、恐らくそれ以外の日はほとんど閑散としていて時折訪れる巡礼者のためにホテルも商店も細々と営業しているといった感じだった、、そうすると宗教グッズを扱う店しかない理由も納得できたのだけれど、ここには一般の住人は居住していないのだろうかという疑問がわいた、、というのもまず日常的なもの、わたしにとってはパン一個、コーラ一本買うのにそれこそ街中を歩き回ることになったからである、、しかしいつもならそんな街ブラも楽しいものだったが、ここでは何とそれが空疎だったことか!!、面白くもなんともない、建物一つ一つが味がない、、つまり数十年しか歴史のない新しい街とはこんなものだろうかと慨嘆せざるを得なかったのだ、、そしてとうとうこちら側(寺院広場の向こう側にバスターミナルがあった)の界隈には30分ほど歩いたが、わたしの望むものが手に入りそうな店はなかった、、向こう側なら?と広場を渡ると少しは街らしさがあったが、やはり同じような店とホテルばかりで雑貨屋や食料品店が見つからない、、やっと一軒スーパーのようなところを見つけたが、欲しかったもの(パンや惣菜)が売ってなかった、、結局わたしは先ほど降りたバスターミナルまでいって、ようやくそこの売店で昼飯になりそうなパンと揚げ物とビールを仕入れることができたのであった、、

  いやはや、とんでもないところにきてしまったようだった、、いったい異教徒のわたしはここでどうすればよかったのだろうか‥??、、もっともそれでなくともその日は大雨だったのでどこにいたとしてもその日は待機日にならざるを得なかったと思うが、そういう意味ではいい按配にそのホテルは暖房もきいていたしテレビもあったしPCも繋がっていた、、で、雨宿りの日と諦めるしかなかったのだけれど、すこし雨が小康状態になったとき、ま、せっかく来たのだからとその寺院にいってみた、、どうやらマリア信仰の寺院らしいことが門外漢にもおぼろげながらわかったが、どうもつくりが現代風だったのでいまひとつしっくりこないのだ、、参拝者はまばら、時折降ってくるし、ふきっさらしの広場は寒かったので、また街ブラして食べ物屋はないものか物色してみた、、と、一軒だけわたし向きの店を見つける、、Flavouur of India/Indian Food‥そう看板にあった、、へぇー、こんなところにインド料理屋??、そう思って中を覗くと愛想のいい若い女性に迎えられメニュウをみせてくれた、、ポルトガル料理もあってそれほど高くなかったので夜来るつもりだといってその店をでたが、その店だけでなく他にあった数軒のレストラン・食べ物屋に、まず客の姿はなかった、、そもそも人通りが全然なかったのである、、ま、シーズンオフは毎日こんなものかもしれなかった、、その店へ夜出かけた、、外国人だからというより食事に来る客が珍しいかのようであった、、その女性はインド人だったかどうかはっきりしなかったが、そのダンナと従業員は褐色の肌で話していたのはヒンズー語だったと思う、、彼らがインド生まれかこちらで生まれたインド人かはわからなかったが、やはりそれはインドとポルトガルが昔から関係が深く、今でもそれが続いていることの証のようであった、、メニュウのインド料理はポルトガル料理より高かったので、その日の定食のようなものを頼んだ、、でてきたものは典型的なポルトガル料理のようでたぶん豚肉だったと思う(よく覚えていない)、スープとワイン(デカンタ)とパンは別料金だったが、すべてのトータルが10ユーロもしなかったので、味・価格とも満足のいくものだった、、さらに激しくなった雨の中、それこそ人通りのまったくない暗い道をホテルに戻った、、

 次の朝はもう歩けないほどの強い風と雨、嵐が吹き荒れていた、、歩いてたった15分くらいの道のりをどうしようかと迷う、、普通だったらまず考えもしない選択をしてしまった、、タクシーを呼んでもらったのだ、、それほどの荒れ模様だった、、バスは何本もでていることがわかっていたから、ターミナルまで行けば何とかなると思っていた、、タクシーを降りて数mターミナルに入る間にもうずぶ濡れになってしまった、、バスは10分待ちくらいできた、、リスボンまで11.5ユーロ、10:10発11:40着だったから1時間半ということになる、、その間バスは嵐の中の走行、、ま、そんな天気の時は移動しているほうがいい、、ところがリスボンに着いたあたりでは雨が上がっていた、、低気圧が去ったようだった、、それはツキが戻ってきた前兆のようでもあった、、リスボンのターミナルはもう馴染みのところだったので、地下鉄の乗り場も乗り換え場所も降りるところもわかっていた、、が、いざ切符を買う段になってその買い方がわからずまごついていると若い女性が助けてくれた、、それはポルトーと同じでプリペードカードで買うようだったが、前のときは街の売店で一日券を買っていたから一回券の買い方がわからなかったのだ、、で、そのプリペードカードは前回も使ったことを思い出し、それを捨てずに持っていたので(ポルトーのでなく前回リスボンで使っていたもの)なんか0.5ユーロ得した気分になった、、

 前回リスボンにいたときに滞在していたホテルはすこし高かったけど立地もサービスも申し分なかった、、が、それが一ヶ月くらいの間に29ユーロから39ユーロに上がってしまって(たぶん新年から料金改定となったのだと思うが)、30ユーロ以上は原則NGにしていたので別のホテルを探して予約してあった、、そこは立地的にはセントロからすこし遠かったが地下鉄駅から近かったのと価格が17ユーロだったのでそこに決めていた、、が、その予約は次の日のことであった、、で、空いてなければ他を探すつもりでとりあえずそのホテルにいってみた、、そこのフロント(というか安宿だから受付か?)の中年の親父は部屋は空いてるけど20ユーロだといってきた、、‥??、、どうやら本来その部屋は20ユーロなのだけれどネット予約の場合割引になっているらしかった、、少々迷う、、17ユーロにならないかと交渉するも無理だったので、これから他を探して明日またここに来ることを考えると了承するしかなかった、、17いや20ユーロの部屋はバス・テレビ・暖房(エアコン)がついていたが、トイレはついてなかった、、もちろん朝食なしWiFiも繋がらない、、前回のリスボンの宿や前日のファティマの宿がよかっただけに少々見劣り感が否めなかったが、ま、この値段ならいいほうかもしれなかった、、ということで昼過ぎには宿を確保し、落ち着くことができたのだけれど、さてどうするか‥という問題が残った、、

 やはり当初の予測どおりこのときリスボンは一日でよかったのだ、、もう主だったところはだいたい訪れていたし、残してあるところも新たな情報もなかったから、なんらプランがあったわけではない、、しかし中心部はけっこう歩いていたがそのホテル界隈は知らないエリアだった、、雨が上がったのを幸いにもっとも金のかからない観光(or暇つぶし?)、即ちまた街ブラにでかけた、、まず坂を登って高台に出、路面電車の道をしばらくいくと見晴らしのよいところがあった、、Igreja da Gracaグラサ教会前の広場だった、、市街が一望の下、向こうに同じ高さでCastelo de Sao Jorgeサンジォルジェ城が見えていたから、そこに入れず(前にリスボンのところでその経緯を述べている)そこからの眺望をものにしてなかった分を取り返したような気分になった、、それにしても驚かされたのは、そこは公園になっていたのだが、そこの立ち木がほとんど全部、昨日の嵐でなぎ倒され、あるいは折れてしまっていたことだった、、それほど昨日の暴風雨がすさまじかったことを物語っていた、、その辺りからセントロ方面へ下っていく小道は、前にも同じようなところをうろついたことがあったが、建物の間から時折赤い屋根がちらちら見え隠れし、昔からの迷路のような石タダミの道で実に趣のあるところであった、、そうやってセントロ・ロスィオRossioあたりまで出、その辺をぶらついて地下鉄二駅分を歩いて戻る、、途中、その日の夕食の食材、ビール・パン・揚げ物などを仕入れてホテルへ向かう大通りを歩いていると左手になんとRestaurante Japonesa日本食堂が目に入った、、もちろん吸い寄せられるようにそこまでいって様子を探る、、外のメニュウはそれほど高そうでもなかったので次の日に来ることにして、その日の夜は買い込んだもので例によってホテルの部屋での食事となった、、

 次の日はまた天気がいまいちだった、、当初その一日暇つぶしにまた乗り物一日券を買って、それでぐるぐる回ってみることも考えたが、なんかポルトーの二の舞になりそうだったのでそれはやめにし午前中はマックとスタバ(WiFiの繋がるのがそこだけだった)をはしごしてPC関連で暇をつぶしていた、、ちょうどそのとき送ったのが‘バルセロナの回転寿司’という現地レポートだったのだが、そのバルセロナで感激した回転寿司ではなかったが日本食を食べにそのあと昨日見つけた日本食堂にいってみた、、いや、実はそこも結構よかったのだった、、そこは回転寿司ではなかったのだが、何と食べ放題6.9ユーロというのがあったのだ(バルセロナより安い ! ! )、、もちろん寿司を含めたすべてが ‥、、といってもバルセロナもそうだったが、そこのオーナーも中国系であった、、そして寿司を握っていたのはたぶんベトナム人インドネシア人のようであった、、だから見た目は日本人の握ったものと比べれば一目瞭然だったが、それでも、ま、味としてはこの地でこの値段を考えれば文句のつけようはなかった、、しかも食べ放題である(回転寿司でないのでその都度の注文となった)、、わたしは初めてだったのでよくわからなかったがポルトガルの常連さんはみんな船盛りの寿司を頼んでいた、、いわゆる刺身の船盛りの船に寿司が二人前くらい入っていて、それもその値段で食べられるのであった、、それに気づくのが遅かったので普通に注文していったが、それでも何皿くらい食べただろうか?、、ま、それまでのホテルでの部屋食を晴らすような食いっぷりだったと思う、、こうして、ともかくポルトガルも最後はめでたく締められたような気がしたのだった、、

 しかし、見るところその店にこられるポルトガル人はやはりかなりハイクラスな人たちだったように思う、、その店からホテルまではわずかな距離で決して貧民街といった感じではなかったが、セントロからそのエリアまで歩く間だけでもホームレスや物乞いを多く見かけた、、いや、リスボンは、ま、天気のせいばかりでなくなんとなく暗く感じた、、庶民の生活は厳しそうだった、、その日は日曜だったが人通りがほとんどない、、活気がなく晴れやかさがなかった、、特にスペインからくるとその差が歴然としていた、、前にどこかに書いたかもしれないが、35年前にきたときはそれが憂いであり影であり、そこがポルトガルのよさと見ていたのだけれど、それはあくまでこちら側からの眼、もちろんその頃とは状況が違っているかもしれないがそこに住む人々の今は決してわたしのようなノーテンキさでは生きていけないことを感じさせた、、そんな想いのうちに次の朝、リスボンの国際空港を飛び立った、、待ち焦がれたカリブの陽光に向かって‥、、

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まるでカリブ海の日の出のようだが実はリスボン空港からの日の出、なぜこんな写真を載せるのかはこの後で‥006_640x480

 これで、ポルトガル・スペイン・モロッコの旅は終わりになりますが、最後のレポートを書き終わってファティマ、リスボンの写真を載せようと思ってびっくり、、何と写真がない ! !

 よく覚えていないのだけれど確かに写真は撮ったはず、、ファティマの寺院・広場、インドレストランでの食事、リスボンに戻ってからグラサ教会からの眺め、等々‥、、考えられるのは1,雨だったのでそもそも撮らなかったor撮れなかった、、2,撮ったものの落とし込みに失敗した、、3,落とし込んだものを誤って消してしまった??、、‥いずれかしかないのだけれど現実には1/18,1/19分が一枚もなかった、、まさかファティマをあまりよく書かなかったから慈愛深いマリア様を怒らせてしまった‥??、、