独歩の独り世界・旅世界

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最後のグアテマラGuatemala?最後のサンペドロSan Pedro?

   わたしの数少ない楽しみのひとつが、このプログのアクセス解析を見ることにある。悲しいかな、それでも毎日多少の閲覧があったことを確認して毎日を送っている(だいぶ前に書いたことがあるかもしれないが、わたしはれっきとした‘大人のひきこもり’である。‘’をつけたのは、最近池上正樹氏の同名の著書(講談社現代新書)をたいへん興味深く読んだが故である)。さて、そのアクセス解析に、わたしのどの記事が多く読まれているかを教えてくれる‘人気ページ’というのがあって、そこを見るのもその楽しみの延長上にあった。

 その人気ページに最近異変がおきているのに気がついた。今までは、これはよくわからないのだが、特定のページでなく、わたしのブログ全体?(不特定ということか?)が常にランキングのトップにあって、次にだいたいインド関連の記事が続いていた。ところが今月に入って、今までなかったことだが、その不特定のトップ記事が、初めてグアテマラ関連の5年前に書いたGuatemala/San Pedroの記事に抜かれ、今月はそれがずっと人気ページのトップにあった。ま、だから、どうしたの?といわれればそれまでの話しで、どうでもいいことである。ところが不思議なことに、ここでその告知はしていなかったのだが、そのとき(というか今)わたしもそんなこと知らずにそのGuatemala/San Pedro la Lagunaにきていたのであった。というか、過去形ではなく今現在、わたしはそのSan Pedroにいて、それでもってこの記事を書いているのである。で、その過去の記事のことはすっかり忘れていて、また、あらためて読み返してもいないが(この記事を書くにあたってあえて読み返さないほうがいいかと思って)、今回はそのSan Pedroの最新事情というものを報告しようしているのである(そんな人間が、どうしてひきこもり?と陰の声が聞こえてきそうだが、それでもわたしは紛れもなくひきこもり人間と自覚している - 別にひきこもりでもいいではないかと思いながら‥。思うに、ひきこもりという語感にちょっと否定的ニュアンスが感じられるのが気になる。他人からどうのこうのいわれる筋合いはないのでは‥??)。

 さて、グアテマラ通いも5年目になった。今回の旅事情・旅模様については、いつものように帰ってからの数少ない暇つぶしにあてるとして、その意味ではこれはスポットということになるのかもしれない。で、いろいろあって、実は今回はもう最後かもしれないと思ってやってきていて(たぶんその辺の事情もまた、グタグタと書き連ねることになろう)、今日でサンペドロにきてちょうど一週間がたった。出国が2月の末で3月2日にグアテマラに入り、今日は現地時間3月16日、4月の頭に帰国を予定しているから、ちょうど折り返し点にある。今回はカンクンベリーズ経由でグアテマラに入ったのだけれど、やはりグアテマラに入ったとき、自分の居場所に戻ったような安堵感?、ま、ほっとした気分になった。もう何回目になるのか、サンペドロへも通いなれた道であった。まったく世界に稀な、と形容したくなる、住みやすい国グァテマラの中にあって、そのなかでも、もし住むとしたら?と、わたしがアンティグアとともに薦めてきたサンペドロは、そこの魅力を半減させてはいなかった。しかし、である。これまで、5年続けてグアテマラにきていて、毎年何回とここには必ず足を延ばしていて、訪れなかった年はなかった。そして、その都度、多少の変化を確認していたが、しかし、今回ほど一年前と変った顔を見たことはなかった。それはよくなったということではなく、少々失望した、という変化であったのだ。

 もしかしたら、その5年前に書いたサンペドロの記事は、わたしの得意な(好きな?)‘桃源郷とか理想郷’といったフレーズが出てきていたかもしれない。確かに、その当時も今も、世界の他のどの都市・街・村よりも、わたしにとっては、その言葉の意味するところ(もちろんわたしの解釈によるところの)に近い場所であることに変わりはないが、それでもわたしの最も嫌う俗化が激しかったのである。いやー、今回ほど観光客相手のレストラン、(露店を含む)食べ物屋、宿、みやげ物屋、雑貨屋等の新店、改築、移転、代替わりを見たことはなかった。それに連れてというか、だからからそうなったともいえるのだが(鶏と卵の関係?)、欧米人の多さ、特にヒッピー(たぶん死語ではないと思う)系の若者の増加には、少なからぬ驚きと失望をわたしにもたらした。もちろん、そういう意味ではもうだいぶ前からこの地は、中米では数少ない彼らの聖地のひとつであったし、わたしも最初はそんなところに惹かれたのかもしれなかった。何故ならわたしもかつては(40年ほど前は)そんな若者だったからだ。そして、その数十年間にかつての聖地はどんどん消滅していって、また、わたし自身の感性もだいぶ変っていった。十数年前まではバス道もなく、電気も通っていなかったこの地が、21世紀に入ったころから新たなヒッピー系若者の聖地として再発見されていった。彼らは、もちろん世代交代はしているが、脈々とその強靭な系譜を繋げてきている(未だに老ヒッピーやわたしのような元ヒッピー系? - 厳密にいうとわたしはヒッピーではなかった - も少なからず存在する)。そして、経済の原則どおり、また資本主義国の発展史のごとく、この国もこの地も観光という資源に恵まれたが故に、経済的に少しづつ豊かになってきて世俗化してきた、というふうな説明もできるかもしれなかった。

 そう、わたしが探していた、わたしにとっての理想郷もたった5年で崩れつつある、ということなのである(それだけ急激に変化しているということでもある)。もちろんこの地が経済的に潤い、街が発展することは住民たちにとっては歓迎であろう。実際今までグアテマラの経済は、目を覆いたくなるくらい脆弱で、この国も最貧国のひとつであった。逆にいえば、だからこそわたしのような貧乏旅行者も長期滞在ができ、高い航空運賃をかけても日本にいるより安く暮らせたのであった。インドや中国でも、いや経済原則からすればどこでも経済の発展とともに、物価の上昇は免れないものとなる。旅行者の視点と住んでいる人々の視点は自ずから相反するものである。その乖離が大きくなれば、魅力は失せていく。何より問題としたいのは、心・気持ち?メンタルな部分である。わたしは経済の豊かさと心の豊かさは反比例(相反する?)するというテーゼを大昔に本気で唱えていたのだけれど、意味するところは、それまで純朴に貧しくつつましく、それでいて(それだからこそ?)想いやりにたけ、集団で生きて来た人たちが、経済の発展とともに万能の金銭を手にすることによって、助け合って生きる必要がなくなり、思い遣る心(豊かなメンタリティ)を失っていった歴史を、日本をはじめとするどの先進国も、等しく同じ道を歩んでいったような気がする。それは後から追いかけてくる国々、人々にも当てはまる。そうやってすべての国が豊かになったとき(そんなことあり得るのか?)、この地球は、人類は、どうなっているのだろう?、ま、我々が生きている時代にそれは不可能としても、もしそうなったときの答えはもうでているような気がする。で、間を端折っていうならば、できるだけ先進国の人々はそのエゴイズムを後発国の人たちに押し付けてはならないし、どうすれば調和の保たれた関係性が維持できるのかと悩む。そしてわたしは、わたしの勝手な幻想をグアテマラに押し付けるべきでなく、期待してもならないのではないか、という想いに至る。グアテマラもそうやって変っていくし、その兆候が現われ始めているのかもしれなかった。

 それでもその兆候は微々たるものでしかなく、改めて、あるいは初めてそこを訪れた人にとっては、人々の純朴さ・衣装の素晴らしさ・風景の美しさ・気候の快適さ・風の爽やかさ・空の青さ・物価の安さ、総合的な住みやすさ・住み心地、といった魅力を十分に感じさせる余地をいまだに残していた。いまだ聖地?足りえているのだった。何よりわたしにとっては、ここでの生活の楽さ(安さ)で、例えば世界的観光地アンティグアだと、わたしのような貧乏旅行者でも - 以前いくらくらいと書いたか忘れたが - 今では寝食に最低一日100Q(Q;ケツァル、グアテマラの通貨単位、1ドルが80円くらいだった5年前は1Q=11円くらいだったが、今では1Q=15~16円といったところ、だから100Qは1500円くらい)はみておきたいところだが、それがここサンペドロに来るとだいたい60~70Qでおさまってしまう。ま、アンティグアの2/3くらい?(あくまでわたしのような最低レベルだと)一日1000円程度で生活可能なのだ。だからわたしは、いつもここで長期に滞在しているわけだが、それだけでなくここのTzutujil(トゥトゥヒルについてはたぶんどこかに書いていると思うので繰り返さない)の友人たちの魅力も大きい。また、欧米の観光客が訪れるエリアは限定されており、地元の人たちとの交流はもちろんあるが、かなりはっきりと住み分けされているので、全人口の9割5部に当たる地元民の居住区は未だにつつましく、かつ人間味に溢れる人たちの生活の場になっている。だから一部のエリアのみが外国人の小資本によって過剰に変えられつつある、というのが現状で、それが拡大傾向にあるということである(それによって雇用も増え、恐らく経済効果が拡大していることも事実だろう)。ま、それをよしとするのか、眉を顰めるのかは、それぞれのおかれている立ち位置・属性によって、その見解を異にしていくと思われるが、わたしは、ここを終の棲家にしようかといったんは選んだのだけれど、優柔不断の性格が最終決定を先延ばしにしてきて、それがもしかすると正解だった?つまり、やはりちょっと無理か?ということだった。他にも少々事情があって、先に述べたように今回のグアテマラ行が、もしかしたら最終回となるかもしれない、ということになった。しかし、そこに名残惜しさがない点が救われたとも言える。

 さて、こんな風に書いてきて、たぶんダブった点、矛盾する点がいくつかあると思われるが、今わたしのブログの人気ページトップの5年前の記事とは、果たしてどのような齟齬をきたしているだろうか?それを見直すのが怖い‥。 

<以下ちょっと長い写真説明がつきます>

今回定宿を訪ねたら代替わりしていたので、何年ぶりかで以前世話になったHotel Peneleuに戻った。昔は15~20Qで泊まれたのだけれど、今新築の新しい部屋に30Qで泊っている。ただし、その部屋からこの日の出は拝めない。たぶん湖を望める部屋は70Q以上と思われるが、Penleuの親父(次の写真、写真撮らせてくれといったら、けっこう構えてしまった)はわたしのことを覚えてくれていて、なおかつ貧乏人と判断したらしく、その部屋が空いているにもかかわらず案内もしてくれなかった。Img_0696_640x480Img_0720_640x480

ツーリストが集まるエリアを地元の人はplaya(浜辺)と呼んでいる。湖<Lago Atitlan>沿いのパナドック(パナハチェル行きポート乗り場)とサンチャゴドック(サンチャゴアティトゥラン行きポート乗り場)の間1.5kmくらいのがツーリストエリアで、次の写真は道は細いがメインストリートの一部、2枚目のレストラン&ホテルのCafe Atitlanは前回来たとき代替わりしていたのだけれど、比較的安くて人気のCafe Restaurant

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パナドッグに近いツーリストエリアは新しい店が多く見受けられた。上の写真は新しいレストラン、下の写真右は、なにやら新しくできた日本食の露店?ただしこの店がオープンしているのに出会ってないので詳細は不明、そういえば去年来たときに、日本人宿ができていることを知った。
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一方、街の中心は、高台にあるカテドラルで、その前がパルケセントラル、その前からチキンバスが発着している。停まっているバスは、以前は早朝一便しかなかったサンチャゴアティトランSantiago Atitlan行きで、昼ごろ発?一日2便になったとのことだった。また右に見える小型トラックがサンファンSan Juan la Laguna行きのピックアップ。
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パルケセントラル脇の市場街、この辺は街の中心で、地元民のエリア。
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わたしのトゥトゥヒルの友人Manuelと孫のCaydi、ちょうど去年舞さん来たとき、Caydiは生まれたばかりだったが、一年は早い、かわいく成長していた。なお、このManuelとPeneleuの親父Albertoは親戚関係にあり、この小さな街では、ほとんど住人同士は遠い血縁があるようだった。
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Manuelの家はParque Central<中央公園>近くにあって、5年前に来たときは3階建てで、4階を(自分たちで)建築中だったが、いつの間にか4階になっていた。その4階から街の中心~湖の眺め。下は前にもこの位置からの写真を載せたことがあるが、サンペドロからサンファン方面とナリツインディへナ<Nariz Indigena - インデヘナの鼻>の丘を観る。
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