独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』グアテマラ その3 エスキプラスEsquiplas

到着3日目にしてようやく調子は戻りつつあった。7時間熟睡できたのが大きかった。が、目覚めたのは夜中の1時、しかも囚われの身?ただっ広い部屋にはベッドがあるだけで、椅子も机も毛布もなく、トイレは真っ暗なパティオ(ここの場合屋内にある中庭みたいなところ)を横切らなければならなかったし、隣室にホスト氏の従業員がいるのかどうかも定かでなかった。ある意味行動の自由は制限されていることを悟り、その時やれることに専念する。即ち、この旅で初めて生じた余暇(?)を、まず改めて荷物の整理に1時間くらい、そしてこれまでの記録の整理と会計のチェックに3時間くらい費やす。5時ころから出発の準備にかかる(wifiがつながっておらず情報は全く得られてなかった)。Urias氏からも昨日バスの到着した辺りからエスキプラス行きのバスが出ている、といったことくらいしか教えてもらってなかったが、ま、何とかなるだろうと6時ころ、ほとんど空身で出発した。まず最初の関門はガードマンのいるゲートであった。彼の従業員宿舎のある一画は、彼または親族は相当財産家と見えて、ガードマン常駐の高級住宅地区画にあったので、入退室のチェックが厳しかった。昨日来た時は彼の車で来たから問題なかったが、その時鍵は持っていたが(居住証明のような)カードを部屋に忘れてきていた。あとから思えばそのとき歩いて10分くらいの距離を戻るべきだったのだが、ガードマンのチェックは退出者には厳しくなかったので、鍵を見せてすんなり通れてしまったのである。ついでにセントロへの行き方を聞くと、通りにでたところで待っていればコレクティボ(乗り合いのワゴン車)が来るからそれでいける、3Q10分くらいと教えてくれた。わぉ、助かったという想いで100mくらい歩いて通りにでたところで待っていると5分もしないうちにやってきて、一応テルミナㇽ?と確かめて乗り込むと、実際10分くらいで着いて3Qで次の関門を突破できたのだった。そればかりでなく親切なドライバーが、エスキプラスはあのバスだ、と降りるときに近くに停車していた小型のミニバスを教えてくれたのだった、ついてる時はこんな調子で流れていく、幸いに座席も空いていて乗車して待つ、そのミニバスは7時に出発した。

 

チキムラから乗ってきたミニバス(100分30Qだった)

どこをどう通っているかはわからなかったが、どうやら山道を登っていくようであった。途中の街々からはどんどん乗車してきてすぐに立錐の余地のない状態になる、ま、こういった混みようは何度も経験していたし、その時は座れていたので苦にはならなかったが、やはり伝聞違わず猫も杓子もエスキプラスを目指している様が読み取れた。はじめのうちは外の景色も窺がえたが、それもままならなくなる。途中からはやはり渋滞が始まり、エスキプラス着は8:45になっていた。どんよりした曇り空で、だいぶ登ったからか結構寒かった。いや、人も車も、特に団体さんを運んできたと思われる貸し切りバスが、所狭しと片寄あうように駐車しているのが印象的だった。それも専用駐車場があるわけでなく空き地にである、よくもまあ、こんなに多くのバスが駐車できるものだと感心してしまった。ま、この日だけ特別だったのかもしれないが、それくらい多くの人が押し寄せてきているということのようであった。人の流れに乗ってバシリカに向かう。どこが入り口かわからないまま(入場料を取られるわけではなかったから)、境内へ、そして本堂にたどり着いていた。

全国から巡礼者を乗せてきた貸し切りバスが所狭しと駐車していた

写真で見てわかるとおり、この黒いキリスト像の信者はその奇跡譚が語っているように、ほとんどが先住民インディヘナで、白人や裕福そうなグアテマラテコ(グアテマラ人)は皆無であった、わたしのようなツーリストも見かけなかった。カトリック国のグアテマラでも珍しいのではないか?

この祭壇までは入場できたが、黒いキリスト像はこの奥にあって、数時間並んで別の入り口から入ってご対面できるとのことだった。


その日は大祭の前日だというのに、そしてまだ朝の9時ころだというのにこの人波、そしてよく見ると正面に向かって左側にある入り口(?そこまで行けなかったので確認していない)より続く一筋の長蛇の列、延々とどこまで続いていたのであろうか?たぶんその黒いキリスト像にたどり着くまでは何時間並ぶことになるのだろう? 元より信者でもなく単なる物見遊山のわたしは、その様を見るだけのために来ていたのだから、もちろんその最後尾を探して並ぶことはなかった。で、その模様を教わったばかりのスマホのビデオに収めようとしたのだが、どうもそれもうまくいかなかったようだ。むしろ別に持参した普通のカメラにその一部は残っていたが、果たしてその模様は伝わるかどうか?いずれにしろそんな写真を撮ったりしながら約1時間の滞在で(15日の大祭には黒いキリストのプロセッション<巡行?練り歩き?>があるらしいが)あとは何があるかわからず、ま、いいか、としたのであった。寒くもあってトイレが近くなったこともあり、マクドナルドでトイレを借りてから帰りのバスを探す。帰りのバスは10時に発車した。

この奥の方に別の入り口があるようだった。

結局わたしは並ばずに、寒くなってきたので帰ることにしたのだ。

エスキプラスの街並み、バシリカに向かう車(右側)の渋滞

片道30Q行きに1時間45分かかった道を、帰りは下りだったからか渋滞もなく1時間15分でチキムラ着。前日と違って地理に明るくなっていたので不安の種はなく、まず昨日乗ってきたバスのオフィスで明朝のバスの時間を確認する。6:00と次が6:45とのことだった。気持ちだけでなく天気も晴れてきて、もう間違いようのない道をUriasの店に向かう、途中(前日も通っていたのだが)最初に来た時に写真を撮った覚えのあるパルケセントラル(中央公園)とカテドラルを目にする。懐かしくて寄り道して写真を数枚、しかしこの一帯は街の中心で隣がメルカド(中央市場)だったが心なしか昔ほど活気は感じられなかった。そこからUriasの店は3ブロックしか離れておらず12時ころにはそこに着いた。もちろんそこで昼食をとるつもりであったのだ。忙しい身の彼はその時不在であったが、別に彼がいなくても問題はなく、その時は前日と別のものhamburguesa(ハンバーガー)があったのでそれとGallo(最も人気のあるビール、他のものより少々高い)を頼んで彼の帰りを待つ。食事を済ませたころ彼は戻ってきて、まずはその日の報告をし、しばらく休ませてくれとお願いする。そして14時ころ、そのまま宿舎に戻るが明日の朝は早く出るつもりなのでもうお会いできないであろう、とてもよくしてくれてありがとう、と礼を言って別れを告げる。別れ際従業員に頼んで一枚写真を撮ってもらった。まるで爺さんと孫であった。そこからは歩いていけるだろうと安易に考えて、うろ覚えの道を一人で戻ったが案の定迷ってしまう。うろつきまわって15分で行けるところ30分は歩き回ったであろうか?ようやく見つけたゲートで、今度は朝の心配が現実化してしまった。居住証明になるカードがなく入れてもらえなかったのだ。一生懸命説明するも認められずUriasの名前を告げても無理だった。そこへもう一人警備員が戻ってきたので、できたら一人一緒に来てくれないか、部屋にカードがあるからと言って部屋まで来てもらい、ようやく了解をもらうことができたのだった(こんな失敗が多いのだ)。その日は途中で食料、ビール等を少し仕入れられたから、部屋に入ってシャワーを浴びてビールを飲んだら前日同様18時にはバタンキューで、その夜は0時半の眼覚め、昼夜逆転ではないがズレは解消できなかった。またまた夜間作業をして2時ころ、突然の異邦人に戸惑いつつも価値観の違いを乗り越えてよく面倒を見てくれてたことに感謝の意をメッセージで送って(会話は難しかったが、メッセージは伝わる)また眠りについた。が、その朝はことのほか寒く、掛布団も防寒着もなく熟睡に至らず4時半には起きて5時過ぎに宿舎を後にした。この時も退出者だったのでゲートでは問題にならず、幸いコレクティポもすぐに来て5時半にはターミナル(といっても建物はない)に着いていた。

チキムラのパルケセントラルとカテドラル;2枚

まるで孫と爺さんといった年齢差の一期一会


6:00のRutas Orientalesのバスには多少時間があったので、Uriasお勧めのLiteguaのオフィスに行ってみようかと、そちらへ行きかけたとき、その方向からやってきたバスの呼び込みがGuate ! Guate ! と叫びだした。渡りに船かとその呼び込みにいくらでいくの?と聞いてみると80Qとのこと、Rutas Orientalesは60Qだったから、70Qにならない?と聞いてみると即OKだったのですぐにそのバス(Transportes Perla de Oriente)に乗り込んだ。これまたgood timing、そして車掌の裁量で負けてくれたりするところがグアテマラを気に入ってしまった所以だとつくづく思う。まだ夜は明けきっておらず、Zacapaで朝食休憩?コーヒーだけ飲んでバスは6時半発、ようやく世界が白んできた。Rio Hondoで長時間停車した理由はわからなかったが、Centra Norteには9時半に着いていたのだった。ここでバス会社の人だったかに、セントロへのいき方を聞いてみた。たまたま面白い人だったのだが、余裕があればタクシーで、余裕がなければバスがあるというような言い方で答えてくれ、最後にホベン(joven)と強調するのであった。わたしはうれしくなる、なぜならわたしを見て<joven 若者よ !>と言ってくれてるのである。もちろん冗談であることはわかっているが、わたしも調子に乗って、いや、わたしはしがない貧乏旅行者でしかない、と答えると、ならバスで行きなさい、バス乗り場は階段登って向こう側のホームだ、joven !と応じてくれるのだった。相手も相当年寄りだつたと思うが、グアテには珍しい粋なオジサンであった。こうして気をよくして、しかもバスでセントロまで行けることがわかって気分は上々、ようやくカンが戻ってきたというか、わたしらしい旅が始まるような気がしてきた。そのバスはやはりTrans Urbano青バスでPlaza de Barriosまでいったが、降車地点はわかったが、前述のように乗車場所は結局わからずじまいになってしまった。

 

しかしそこまでくればあとは勝手知ったるzona 1、他人に聞かずに何とでもなるだろうと高をくくっていたが、やはりグアテシティの変わりようは、たった数年前の記憶を粉々にしていた。まずmetro busの路線がまるっきり変わってしまったようだった。が、そんな新しい路線図はどこにも見当たらなかった。やはりこれは誰かに聞くしかなかったのだ。昔なら前述したように空港までは83番のバス一本でしかも1Qでいけたところ、そのバスは3年前にはすでに走ってなかった、その時は確かmetro busでTrebol(Ca1とCa9が交差している交通の要所)までいって、そこから3日前にGuatefriendsのオーナー姉御が使用人に聞いて今現在空港から出ているバス路線として教えてくれた84番のバスで空港までいった記憶が蘇ってきた、が、そのmetro busの乗り場が全く変わってしまっているようだった。metro busの駅はけっこう増えていたので、駅員に聞いてようやく数ブロック離れたところにある乗り場に行きつく、そこからは20分くらいでTrebol着(なぜかタダで乗れた、シニアはフリーだったのか?)。そこで84番のバス停を探していると、あいにくその日は日曜だったようで(すでに曜日の感覚は全くなかった)、日曜はバスの運行はない、空港へは乗り合いタクシーでいけると教えてくれる人がいた。その人に礼をいうと同時にまだツキはあることに感謝していた。定員の5人はすぐに集まって、空港まではシェア料金10Q、ものの10分くらいで空港着、そこで降りたのはわたしだけでその車はまだ先までいっているようだった。そこから荷物を預けてあったHostal Guatefriendsまでは歩いても10分足らずだったから、まず空港出口にいってみて田代さんが言っていたようにAntigua行のシャトル(乗り合いワゴン車)はないのかどうか確かめる。以前は呼び込みとともにそんな車が何台か停まっていたのだが、確かに見当たらず、ならばGuatefriendsの姉御にウーバーを呼んでもらうしかないことを悟る。その日Guate市は快晴でHotalまでの道すがらVolcan Agua(P.Tashiroから毎日眺めてた富士山に似た火山、Antiguaのシンボル)が見えるところがあって、その美しさに思わず写真を撮るも、どうも今回写真はほとんどすべて残念な結果に終わっていて情けなくなるのだった‥。

 

しかしツキは確かにまだあったのだ。正午頃Hostal戻ってオーナー姉御に報告、預けた荷物を受け取ると同時にウーバーの手配をお願いした。と、少し待てると聞いてきたから、いくらでも時間はあるというと、もう少しすると若い男の子たちが3人が戻ってきて、彼らはこの後Antihuaに向かうとか、すでにウーバーを手配してあって彼らがokしてくれればシェアでAntiguaまで同乗できるかも?とのことであった。旅の神に感謝である、苦あれば楽あり、ようやくこれまでの労苦が報われてはきたような気がしていた。そして、その若者たちにも感謝であった、結果的に一人50Q(一人だったら200Qのところ)1/4のシェアを了解してくれたのであった。フランス人二人とカナダ人の若者たち、他に感謝の気持ちを表せるものが何もなかったから、別れ際にぜひ日本に来てくれ、必ず厚遇するからとわたしのairbnbの名刺を渡したのだった。こうして思いのほか早く(夕方までにつければと思っていたのだから)14時には3年ぶりのペンション田代にチェックインできたのだった。