独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 13,アンティグア~ガスタトヤGuastatoya~ビオトポBiotopo~タクティクTactic

 年寄りボケと連休ボケで最後まで書き終えられるか心配になってきた‥、、アンティグアを発ったのは3月27日の金曜だったと、前回書いた、、その続きである(アンティグアで撮った写真を少し載せておく)。

アンティグアを有名にしているセマナサンタ2週間前のQuinto Domingo de Cuaresma;3枚

1,パルケセントラル、カテドラル前のアルフォンブラス(花のじゅうたん)Img_0747_640x480

2,キリスト像の山車(El Anda)は男性が担ぐImg_0775_640x480

3,マリア様の像のAndaは女性が担ぐImg_0782_640x480


 さて、その日わたしは朝食を食べてから、そのときそこに滞在していた3人のヨーロッパ人男性と、もちろんオーナーのLluviaおばさんに別れを告げて8時にLluvia<リュビアは日本語で雨という意味>宅を後にした。Guate行きバス乗り場まで荷物が重く10分ほどかかる。バスはすでに出る態勢になっていて、すぐに発車(Guate行きバスは15分おきくらいにある)。ちょうど朝の通勤時間帯だから、すぐに満席。アンティグアの街を出て山登りにかかるころには相当数の人が立っていた。が、1時間後、多くの人が乗り換えるhotel Tikal Futuraあたりを過ぎると乗客はぐっと減った。メトロバスの乗り換え地点は、予想通り9時半ころで、そこで降りて、来るときに通った道を逆に辿ってメトロバスの駅Santa Ceciliaへ。ところが順調だったのはそこまでで、まさかの事態が待ち受けていた。

 このメトロバスは、恐らく地下鉄を建設する資金に乏しいグアテマラにあっては、それに代わる交通手段として画期的な試み(それでも中南米各国で先例が見られるものだったが)だったと思われるが、現在3路線の専用バス道路が敷設されていて、なおかつ駅舎が完備されたものだった。1Qコインを挿入して回転バーを押して入場するのだが、たいていその近辺に案内係のような係員が一人はいた。そのときまだ若い男性だったが、わたしを見てどこまで行くのか聞いてきた。プラザ・バリオスPlaza Barriosと答える。それで問題なく入れると思っていたら、彼は何かいっている。やはりわたしのスペイン語はその程度で彼のいっていることがわからなかったのだ。何回か聞き返してようやく理解できたことは、どうやら今日バスはそこまで行かないといっているようだった。そんな馬鹿なことがあるものか?わたしは彼が冗談をいってるか、あるいは、わたしが聞き違えていると思って無視して入ろうとしたが、コインは入らないしバーは回転しなかった。ようやくただ事でないと気づく。どういうこと?どうしたというのか?どうすればいいんだ?といった質問をしてみると、それらは伝わったようだったが、彼の返答はやっぱりわからなかったのだ。だから、どうしてそうなってるのかは結局わからずじまいとなったが、ともかく二つ先の駅(Don Bosco)まではいけるということはわかり、了解して中に入れてもらった(料金はタダ)。で、やってきた超満員のメトロバスで二つ先まで行くと全員が降ろされた。さて、そこがGuate市のどの辺だかわからない。そこからどうやってプラザバリオスまでいったらいいかわからないまま、皆と一緒に降ろされると、そこにも駅員?がいて、やはりよくわかってないグアテ人に説明をしていた。わたしはその駅員にプラザバリオスにいきたいがどうやったらいけるのか聞いてみた。半分も理解できなかったが、彼のいってることは要は歩いていくか、タクシーで行くしかない、ということのようだった。どのくらいの距離かわからなかったが、できればタクシーは使いたくなかった。どっちへ向かって歩いていけばいいのか?と更にしつこく聞いてみると、皆歩いているからそれについていけばいいというような返事、おい!おい!おい!みんなが皆なプラザバリオスに行くわけではないだろ(もっともそういったかどうかは不明だったが)‥??、そのとき助っ人が現れる。年のころはわたしと同い年くらいのジイさんだった。我々の話を耳に挟んだのか、自分もそっちのほうに行くからプラザバリオスまで連れて行ってやる、オレについて来い、といってくれたのだった。ありがたくそのジイさんに従って歩きだす。歩いて10分くらいで見覚えのあるところに出た。あとは一人でいけそうだったが、そのジイさんもそこまで行くものと解釈してそのまま従って歩いて30分くらいで目的地に着いた。その間ほとんど話はしなかったが、その親切心は心に沁みた。十分なお礼も述べられなかった(月並みな言葉しかでなかった)ことが少し恥ずかしかった。こんなことはめったにないことだ、気にしなくていいといってくれて、少し気が楽になった。ま、わたしにとっては予期せぬアクシデントで荷物を背負って30分も歩かなければならなかったことへの腹立たしさもあったのだが、それより、グアテに限ったことではないがどこでも数としては圧倒的に親切な人・善良な人のほうが多いということを、このときも感じたのだった。

 プラザバリオスは長距離バスの北ターミナルCentra Norteに行く、乗り継ぎバスtransurbanoのでるところであった。それは知っていたし、それに乗るには専用カードでしか乗れないことも知っていた。わたしはそのカードを持っていたからである。ところがそのカードには有効期限があってとっくに期限切れになっていたのだ。乗車口にある読み取り器に反応せず乗車拒否にあう。しかしツキはあった。その停留所の前がそのtransurbanoのオフィスになっていて、そこで即時に延長手続きができた。パスポートをみせるだけで1年間の延長、もしわたしがこのあともグアテ市に滞在するならバス代はただになるのであったが、恐らくたった一回のための延長手続きであった。そんなハプニング、アクシデントに見舞われてしまったのだが、それでもなんとか11時にはCentra Norte北バスターミナルに着いていた。

 わたしはガスタトヤGuastatoyaというところへ行こうとしていた。グアテ人ならほとんど知っているこの地名も、旅行者で知っている人は少ないかもしれない。名所旧跡があるわけでなし特に観光スポットではなかったからだ。が、その地はエル・プログレソEl Progreso県の県都で、わたしにとっては、グアテマラにある22の県の最後に訪れることになった県庁所在地であった。これまでに、この街の郊外を通るCA9は何度通ったであろうか?今回寄ってわかったことだが、その道からガスタトヤ・セントロまではトゥクトゥクで5分3Qであった。が、その5分3Qは思いのほか面倒・億劫で、わざわざそこで降りてそのためだけ(その地に足跡を記すことだけ)に寄り道するのはけっこう至難だったのである。で、今回はもしかしたら最後のチャンスかと思って、わざわざガスタトヤセントロ行きのバスに乗るために北ターミナルへ来たのであった。数十台のバスが発着するターミナルの一画に待機していたガスタトヤ行きのバスは11:10に発車、途中までは通いなれた道をいった。1時間くらい山道を走ってバスは右折し国道を離れた。途中の街(たぶん)Sanarateというところに寄って再び国道に出、13:10(ちょうど2時間で)にガスタトヤのターミナルに着いた。

ガスタトヤのバスターミナルImg_0813_640x480


 かなり暑いところだった。おおよそ県都と呼ばれるところはどこでもターミナルがあって、そこから各所に行くバスやコレクティボに乗り換えられたが、ターミナルが必ずしも街の中心にあるとは限らなかった。で、まず乗ってきたバスの車掌にガスタトヤの中心(たいていパルケセントラル)の方向とだいたいの距離を聞くと7~8ブロックとのこと、この暑さの中荷物を持っての移動はきつそうだった。そこでサンタクルスデルキチェで使った手を再び使うべく辺りを見まわす。そこはトイレではなかったが、暇そうにしているオヤジ(何をやっているのか不明)をみつけ、多少のtipを渡して荷物番を頼む。セントロ往復30分、パルケセントラル近辺の写真を撮って戻った。そのターミナルにはもちろん飲食店も入っていたが、適当なところ見つけられず、飲み物とパンで簡単な昼食。さて、そこからどうするかとなったが、当初の予定では、その日はTacticというところまで行ければよいと思っていた。Tacticというところがどういうところかは後ほど記すとして、そこはアルタベラパス県の県都でツーリストエリアとしても知られていたコバンCobanの近くであった。なのでそこに行くにはいったん国道に出て、コバンへ行くバス<モンハ・ブランカ>Monja Blancaをつかまえればよかったのだが、国道あるいはその近くの街El Ranchoへはどうやって行けばよいのかがわからず、停まっていたコレクティポやバスを手当たり次第聞きまくっていた。が、このときも多少の言葉の障害があってなかなか見つけられずにいると、その様子を見ていたのかバス待ちをしていた一人の若いお母さんが、国道のガスタトヤ入り口まで行ってそこでモンハブランカのバスを待てばよい、そこまではトゥクトゥクで3Qでいけると教えてくれたのだった。やはり庶民はみんな親切である、礼をいってすぐにトゥクトゥクをつかまえて国道に出た。このとき、わずか5分3Qだったことを知ったのであった。しかし、モンハブランカはなかなか来なかった。チキムラ方面へ行く<ルータス・オリエンタレス>Rutas Orientalesやプエルト・バリオスへ行く<リテグア>Liteguaのバスはよく来たが、もっと本数があると思っていたモンハブランカは30分待っても来なかった。そのうちモンハブランカとおぼしきバスがくるのが見えたが、ちょうどその前に一台のコレクティボがやってきて停まった。念のために聞くとコバンまで行くといっている。コレクティボがあるのも知っていたから、料金を聞かずに乗ってしまった。あとから思ったのは果たしてどっちが安かったであろうかということだった。というのも前々回に書いたと思うが、バスにしろコレクティボにしろ途中からの乗車の場合、その料金はきわめてあいまいなのである。で、例によってわたしはその区間(この場合ガスタトヤ~ビオトポ・デル・ケツァル)を2時間くらいとみていた。ならばせいぜい20Q、高くとも25Qくらいだろうと‥、、コレクティポはグアテマラの場合普通3人掛け座席に4~5人座らせられる。だから日本でいう8~9人乗りワゴン車には15,6人の客を乗せてしまうのだが、そんなギュウギュウの状態だったにもかかわらず最初助手は35Qといってきた。このときは、それはないだろう、せいぜい25Qくらいだろうと反発したら30Qまで下がった。それでも高く感じたが、ま、5Q下げたので払ってしまう。しかし、このときバスはいくらなんでもこんなにギュウギュウ詰めになることはない、いったいバスだったらいくらだったであろうと思ったのであった(モンハブランカもバスによってグレードが違って、高いバスもあるのだが‥??)。

ガスタトヤmain street(繁華街)Img_0815_640x480

ガスタトヤ、パルケセントラル:2枚、この大きな木が印象的、、Img_0818_640x480Img_0819_640x480

ガスタトヤ入り口、Rutas Orientalesのバスが停まっているほうが国道で、右の道がガスタトヤへの道Img_0822_640x480この分岐にはバス待ちの建物が設えてあった(上の写真の逆方向から)Img_0821_640x480



 その道も何度も通っていたから、どこを通っているかはわかっていた。El Ranchoから左折して山道に入るが、進行右側は雄大な山岳風景が開けていてなかなか風光明媚なルートである。そしてずっと山道を行くが、その途中にビオトポデルケツァルBiotopo del Quetzalがあった。Biotopoというのは自然保護区といった意味合いで、そこはケツァルQuetzal;即ちグアテマラの国鳥となっている赤と緑のカラフルな美しい鳥を見ることができるたいへん希少な場所であった。ただし、いつでも誰でも必ず見ることができるわけではない。それでもその地以外ではまず見ることができないので、宿が一軒あるだけで何もないところであったが、ツーリストの間では知られているところであった。わたしは確か5年ほど前に、ドイツ人二世の営むその宿に世話になって運よくケツァルの写真をとることができたが(その記事も書いているはず)、今回あわよくばもう一度、というか、どうせその道を通るならそこで降りてみようと画策したのだった。そこまでコレクティポで、やはり予想通り(というか一度通ったところは距離感・時間ともだいたい覚えているので)2時間で着いた。30Qは高かったことになる。で、そのあたりの事情も把握していたので、今回はその一軒宿には泊まらず、ケツァルを見ることができてもできなくても、写真が撮れてもとれなくても、いずれにしろその場の滞在は30分くらい?、次ぎに来たコレクティボでTacticまで行くつもりでいた。前回の経験で学んだことがいくつかあった。1,ケツァルが飛んでくるのは好物の実がなっている木(名前は忘れた、前のブログに書いてるかも?)で、それはその宿か、近くのビオトポケツァール公園の前の駐車場にあった(Biotopo del Quetzalは訳すとケツァール自然保護区となるが、そこは公園になっていて入場料がかかった。ただし駐車場のところは無料だった。)。2,とくに朝・夕に来ることが多かった。3,その一軒宿のドイツ人親子はとてもフレンドリーで素晴らしい家族であったが、わたしには宿代が(&まわりにはレストランもなく食事代も)少々高すぎた。4,その公園、および宿の前を通る国道はモンハブランカのバスはもちろん、Baja Verapazの県都SalamaとAlta Verapazの県都コバンCobanを結ぶコレクティポがしきりに行き来していた。5,食事だけなら、そのコレクティボで10分のプルルハ Purulhaまで出る、or宿探しなら30分でタクティクTacticまで行ったほうがずっと安上がりであるということも知っていた。だから、今回はあわよくば写真一枚でもと思ってそこで降りたが、ダメならそのままTacticまで行くつもりでいたのだった。ところが誤算がひとつあって、ビオトポ着が16:30でその公園の閉鎖時間が16:00だったこと。故にそこで降りたはいいが、ケツァルがよく来る公園の駐車場には入れなかったのであった。しかし、そこは外からも見えて、そのときケツァルが飛来している様子はまったくなかったので、逆にすんなり諦めはついたのであった。が、そのあとがまた予期に反するものとなった。SalamaからCoban間のコレクティボは思ってたように何台も来た。そのとき、そのドイツ人経営の宿の宿泊客とおぼしきヨーロッパ系の若い女性二人とともに手をあげて合図するも一台も停まってくれる車なく皆素通りされてしまった。そんなはずはないと思いつつも何台も見送る結果となった。で、やっと停まってくれた一台に乗り込んでそのわけがわかった。その車に乗れたのはわたし一人で、はっきりいってそれ以上客を乗せる余地は残されてなかったのであった。素通りしていった車は猛スピードで通過していったからよく見えてなかったが、すべて満員御礼状態だったのだ。そう、たぶんその時間は帰宅ラッシュの時間だったのである。どういうことかというと、ちょうど時間帯が夕方5時前後であったこと、我々が待っていた車はSalama→Coban方向の車であった。ビオトポ、プルルハはBajo Verapaz県にあって、その県都Salamaであった。つまりそのコレクティボはその時間帯県都サラマに通勤していたプルルハの男たちの通勤バスだったのである。それでは途中からの乗車は無理ということになる(恐らく先に書いた8~9人乗りワゴン車に20人くらい乗せていたのではないか?)。その証拠はそこから10分下ったプルルハの村(街?)で男たちはほとんどが降り立ったことでわかったのだった。そこからタクティクはそれまでがウソのようにガラガラになって20分でタクティクに着、5時半になっていた。そこは何度か通ったことのある街だったが降りたのは初めてであった。

Biotopo del Quetzal入り口はすでに閉まっていた。ゲートの向こうが駐車場になっている。<3年前にこの場所で撮ったQuetzal>Img_0824_640x480056_480x640

Tacticのカテドラル前もプロセションの飾り付けで若い人たちが活動していた、、
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