独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内最後の旅 7)ナウアラNahula、ウエウエHuehuetenango

 その朝荷物を預けて出かけようとしたのだけど田代さんも奥さんも不在だった、荷物と鍵はどうしたらよいか、荷物の置き場所はわかっていたが黙っていくのも気が引けた、田代さんは子供の送り迎えだったか毎朝その時間はいないことが多かった、ちょうどその時、もう顔なじみになっていた出入りのペンキ屋のお兄さんが出勤してきた、彼に鍵を預け荷物の件の伝言を頼んで漸く田代を出られた、急いでいたわけではなかったが彼は十分信頼できたし、この国ではもし彼が来なかったとしても鍵を置いてそのまま出て行くことは、戸締りがしっかりしていたから(自動的に内鍵がかかる)普通のことであった、で、後は通い慣れた道、バスターミナルではすでに動き出していたが徐行しながらチマルチマルと車掌が叫んでいるバスにすぐに飛び乗ることができた、そして渋滞のない道を30分5Q、8時にはチマルに着いていた、チマルでの乗り換えももう3度目だったから寸分の間違えなく、いつもの角でシェラ方面行きのバスを待つ、5分待ちでシェラ行きが来たが、そのバスはそこで10分も待機して発車した、チマル~ナウアラNahuala間は1時間半15Qであった(15Qは安かったかもしれない)、、、

 ナウアラは国道CA1上にあって位置からするとチチカステナンゴへの分岐ロスエンクエントロスを越え、サンペドロへの分岐148も通過して15分くらい?ここは衣料品・織物等で木曜市(と日曜)が有名であった、今までずっと通過していたのだが機会があれば寄ってみたいと思っていたところのひとつであった、その日は木曜日であった(というか、それにあわせた)、車掌にナウアラ下車を告げてあったので近くまで来たときナウアラのどこで降りるか聞いてきた、街への入り口が2ヶ所あったのだ、わたしはガソリンスタンドのところしか知らなかったので、そう言うと了解してくれた、スタンドからピックアップがあるはずだった、普通ならバスの到着を待っているのだが、わたしが降りたときは出た後で少し待つことになった、そこからナウアラの街(村?)のパルケセントラルまでは5~10分くらい?ピックアップを降りたところから、少し上のほうに教会があったので行ってみるとそこはほとんど土葬と思われるインディヘナの墓地であった、そこから下るようにして人波みに従っていくと露店が出てきて市の賑わいを見せ始めた、なかなか素朴でいい感じだった、たまたま天気に恵まれ多少高度のあるところだったから、その市の雰囲気とともにわたしの気分がさわやかであった、そぞろ歩いていると声がかかった、振り返ると孫を連れたお婆さん風、民芸品を探しているなら自分の家で扱ってるからついて来いという、面白そうだったから言われるままついていった、市を通り過ぎ細い路地を行く、てっきりお店で商いしているのかと思っていたら、そこは普通の民家だった、大家族のようで関係不明だが大勢の老若男女がいた、早速そのだんなのような人が出てきて商品(主に衣類とかバッグとか)を次から次へと持ってきた、いずれも興味をそそるものがなくすべて断ったが、モノよりそこに住まう人々やそこで何をしているかのほうが面白そうであった、しかしわたしの会話力では詳しく聞けなかった、ひとつだけわかったことは、てっきりお婆さんかと思ったわたしに声をかけてきた女性は母親だということだった、しかしそのおばさんはスペイン語を話したけれどその後市を散策してわかったことはそこの年配の女性(たぶんそこはキチェだったと思う)はほとんどスペイン語を話せなかったことである、だからちょっと興味を引かれるものがあっても交渉が成り立たなかった、そういう意味ではちょっと今までにない貴重な・奇妙な体験を味わえた、で結局何も買わなかったが決してそこの印象は悪くなかった(むしろ好印象)、1時間くらいぶらついて(それほど大きな市ではない)次に向かうことにした、再びピックアップで国道に出ようとしたら、そこにバスが停まっていたので聞いてみるとシェラまで行くという、好都合、そのバスでクアトロカミノスまで行った、、、

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 前回の旅で、クアトロカミノスで3度目にして3度12時に‥と書いてしまったが、わたしの早とちり、実は前回はまだ2度目だったのだ、よってここにお詫びして訂正いたします、、、正しくはこの時が3度目で3度ということだった、ちょうどそのバスがクアトロカミノスに着いたのが12時だったのである、クアトロカミノスでは、その時もまたウエウエHuehuetenango行きのバスが待機していた、そのバスは10分待って発車した、そこから先は初めての道となった、ウエウエテナンゴ県はグアテマラの西端にあってメキシコと国境を接する地で、そこはインディヘナ・マム(キチェについで話者の多い言語、つまり先住民の数が2番目に多い部族、同時に内戦時にキチェに次ぐ弾圧を受ける)が多く居住するところであった、その県都が同名のウエウエテナンゴで郊外にマム族の都であったサクレウ遺跡があった、ここが後回しになってしまった理由もあった、ひとつは当初滞在期間延長のためにメキシコに出る際に、フローレス・テノシケから出て、入国はコミタンからここウエウエに入るルートを考えていたこと、もうひとつは帰国の際一旦陸路でメキシコに入りメキシコから飛ぶ案もあったので、その場合もここウエウエを通ることになる、、、どちらにしろそうなった場合に寄るつもりでいたのだがそうはならなかった、なので、少々距離があったけど最後のチャンスと思って出かけたわけだった、それでもクアトロカミノスからは2時間(20Q)の距離であった、かなり険しい山越えをして着いたウエウエの街はかなり大きく、やはりメキシコに近いせいかその影響が少し感じられた、バスターミナルも結構大きくてトドスサントスへ行くバスもそこから出ているようだった、失敗したのはその時明日のバスの時間を聞いておかなかったことだ、一日何本もあるであろうと思っていたトドスサントス行きのバスを結局次の朝3時間も待つ羽目になったのだから、、、で、そこからセントラルまではだいぶ距離があるとのことだったので市内循環?バスで街へ出る、あてがあったわけでないからとりあえずパルケセントラルへ、下車してその周辺で安宿を探す、そのときもカンはバッチリで(幸運にも)バスなしで30Qのところをすぐ近くに見つけることができた、その時まだ3時前だったのでそこのおばさんに行きかたを聞いてサクレウに行ってみることにした、バスを待つ間ホットドッグの昼食、まもなくやって来たバスで15分、サクレウ遺跡の入場料は50Qだった、、、

  サクレウの遺跡はスペイン人による征服以前は相当な規模を誇ったと都市であったことが偲ばれる遺跡群であった、その数々は今まで見慣れてきたマヤの遺跡とは様式が少し異なり、それもそのはず、イシムチェもそうであったがスペイン人到来までその都市機能が保たれていたとするならば、3~9世紀に栄えた古典期マヤと15世紀のそれは違って当然というものであった、ただ残念だったのはそれらの修復・復元があまりにもお粗末?というか、とってつけたような仕方でなされていて興趣をそがれるものであった、もう少しやりようがなかったか?また場内は完全に公園化しており地元の人で結構賑わっていて、それはそれでよいのだが、解せなかったことは監視員がいて立ち入り禁止区域(にする必要もないところ)のチェックを厳しくしていたりして(そんなところ今までなかったので)、なんとなく全体として不統一?アンバランスに感じられたのだけれど、それは注意を受けた当人の過剰反応というものであったのだろうか??わたしには遠くに望める山並みがこの遺跡の唯一の救いだった、そこからの眺めは他では味わえない、なかなか展望のよいものであった、、

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 街に戻ってパルケセントラル、教会、その裏手一帯の市場を巡り歩く、ナウアラで目ぼしいものがなかったのでここの市場を探ってみた、土産物というより地元の人の使う日用品で土産になりそうなものがあったので値段を聞こうとしたら店番が子供だった、どうも子供だと値引き交渉の勝手が違う、はっきりいってやりにくいのだ、いっそ買うのを諦めようと思ったが子供のほうが上手だった、あっさりわたしの言い値に承諾するではないか!?いったいどうなっているんだ ! !いずれにしろここの市場もそうとうごちゃごちゃしてて面白いところではあった、結構活気のある街で狭い道を人波が車の進行を妨げていた、夕食の場所とビールを売っているところを探しながら一旦ホテルに戻った、、、

 その安宿にはどういうわけかレストラン(?食堂)があった、わたしが泊まるレベルとしては珍しいことであった、少し休んであとで、外へ出て食べ物屋を探すのが面倒になった(適当なところを見つけられなかった)のと、どんなメニュウがあるのか興味があったので覗いてみると、昼は結構品揃えがあるとのことだったが夜は一品、どこにでもあるポヨフリト、チキンのフライしかないとのことであった、チキンはどうも‥ ! ?、しかしその定食の値段がご飯とサラダとコーヒーがついて24Qとのことだったので注文していた、ビールだけ外に買いに出て、食堂の客だけでなく宿泊客もいないホテルで一人ビールを飲みながら苦手なチキンを食うのであった、、、