独歩の独り世界・旅世界

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ホノルル~LA~メキシコシティ

 ブログの続きを書かなければという焦りはあります、、しかしなかなか気持ちが乗ってこない、というのもやはり写真の件がずっと引っかかっているからです。先日詳しい人(若い人)に教えを乞うてやってもらったらうまくいって、なーんだ簡単にできるではないかと、その時はわかったつもりになったが、2~3日経って自分でやってみたら、やはり不具合が生じてしまった。もう自身の力では何事も推移しなくなっているようだ。が、ともかくラフでも今回の旅録は書いてしまいたいと思っている。前回のハワイもほとんど内容なく切り上げてしまった。というか、ハワイはもうほとんど書くこともない(50年前の思い出が少しあるが、なんか今更なような気がしてきた)、なのでそこからメキシコまでの経緯を追っていきます、、

 問題はLAの乗り継ぎだった。ホノルル~LAはユナイテッドで飛んでLA~メキシコシティはインタージェットだったからLAで乗り継ぎ、このticketはkiwi.comだったが日本で手配、33000円くらいだった。目的地はひとまずメキシコシティだったから日本~メキシコシティまでの直行便で安い片道切符があればそれがベストだったのだが、つまり目的地がメキシコの場合は米国を経由しないのが賢い選択であることはよく知られていることであって(米国経由の場合の方が安いticketが多いのだが、トランジットの場合でも筆舌尽くしがたい入国審査<もちろんESTAも必要>とセキュリティチェックを通らなければならないので、却って高くついて時間もかかって、その上精神的疲労度を考えると一度経験したものはできるだけ避けたいと思うのだ)普通は直行便のANAかアエロメヒコ(この二社しかない、ANAの就航も近年のこと)での往復が今のところ一番reasonable ?で12万くらいからあった。が、しかし今回は帰国便をマイルで取得していたから片道でよかったのだ。ところがこの辺が面白いところというか、往復12万のticketは片道になるとなんとその倍?20万以上してしまうというこの不思議さ、これでは何のためのマイル利用かわからなくなってしまう。結局おそらく日本~メキシコの最も安い片道ルートは今回利用した日本~ハワイ14000円(Biz利用はなかったとして)+ハワイ~メキシコシティ33000円で47000円というのがわたしの調べた限りでは最安値だったように思う。ということでハワイはおまけ、LAはトランジットだけと最初から決めていたのでハワイは約30時間の滞在で(ハワイ時間)2月12日13時半発のユナイテッドでホノルルを飛び発った(ホノルル空港のゲートで搭乗待ちをしているときに、前回書いた記事の岡村氏の植村直巳賞受賞の知らせが日本から届いて、お祝いを送ってあげたらと、ほんと我が仲間の親切心に感謝するも、何度やってもわたしのiPadでの送信が叶わなかったことは前回書いたとおりである、これもわたしのPC無知・音痴のいたすところなり ‧‧‧ )。

ハワイの空港にANAJALを見かけたがこれを使ったらわたしはハワイにはこれなかったのだImg_0200

どうでもいい写真だが、LAトムブラッドリーで待ち時間に写すImg_0203

 

 LAまでは実質飛行時間は5時間でハワイ時間の18時半着はLA時間20時半だった。着陸したはいいもののゲートまで数十分を要し、この時間相当やきもきさせられていた。というのも乗り継ぎ時間は2時間あったものの悪評高きLA乗り継ぎである。ネットをチェックすればLA乗り継ぎ注意だの、失敗だの話がやたらと出てくるのである。わたしもLA入国での苦い経験を何回かしていたから、間に合うかどうか心配でならなかった。しかもterminal間の移動で、T7→T3は歩いても30分くらいかかるとのことだったからである。しかし、それでも幸いしたのはハワイで入国審査を終えていたから恐怖の1時間~2時間待ち(今回帰りにマイアミで経験したように今はどこもオートマ化にされてて相当改善されているかもしれない?)のイミグレを回避できたのは大きかった。漸くLA時間の20:50に機外にでて、そのままダッシュでT3に向かう、7kgの荷は荷物のピックアップ待ち時間も省略できるメリットがあるのだ。インタージェットのカウンター着が21:10、20分で着いた。チェックインを終えてトムブラットリーに移動しセキュリティを終えたのが22時だったから、結果的にはかなりの余裕があったことになる。30分の搭乗待ちで、この便もほとんど定刻23時にLAを発った。LCC Inter Jetは初めて使った。当然メキシカンが多くなり機内ムードはかなり穏やかになものになった。そしてまさかの驚きに遭遇する。これまでにLCCで機内サービスなるものを経験したことはなかったのだが、まさかのアルコールと菓子類が無料でセニョリータからふるまわれたのだ。驚きというか感動に近かった。こんなささいなことでこのルート選択を正解だったことにしてしまうのだ。LA~MEXのフライト時間は3時間でLA時間午前2時はメキシコ時間13日午前4時の到着であった。メキシコに来るとイミグレは超簡単になる、もうほとんど並んだり待ったりすることなく4時半にはメキシコの空港で時間待ちするときにいつも利用する2Fのフードコート街の一角に席を占めた。到着が早すぎたからである、少なくとも地下鉄が動き出す6時まではそこで時間をつぶす必要があった。これまではたいていマックのコーヒーとホットケーキかなんかの朝食が一番手ごろであったが、今回は座った目の前にあった店でTortas Milanesa(メキシコ風カツサンド?)とコーヒーを頼んだ。それでちょうど100ペソ(この時は以前の残してあったペソを使う、1メキシカンペソ=約6円)だったから600円くらい?ま、空港にしてはそれほどボッてはいないのと、これがボリュームありすぎて、半分しか食べられず残りを持ち帰りにしてもらったのであった。ま、20時間ぶりのまともな食事、それでも全部は食べきれなかったのである。外が明るくなり始めたので6時半ころから動き出す、今日の宿は街の中心にあって以前いったことのあるところだったので、場所はわかっていたが受け付けは8時からとのことだった。なので空港近くに予約した明日の宿の下見をしておこうと両替を済ましてから歩きだす、事前にgoogleを使ったりして場所は調べてあったが、初めて行くところで結局見つけられず、諦めて地下鉄駅に向かう。行き先はヒダルゴHidalgo、以前にメキシコの地下鉄については詳しく書いたので繰り返さないが、メキシコの場合はどこまで乗っても、乗り換えても一律料金で以前は3ペソだったが、何年か前から5ペソになっていた、それでも30円である。だから以前書いた記事はメキシコの地下鉄礼賛だったのだが、近年は混みすぎているのとますます低所得者層の乗り物と化していて、もちろんそれでもわたしは利用するけど他人には勧められなくなってきていた。この日も空港駅のTerminal Aereaから次のOceaniaで乗り換えたまではよかったものの、次の乗換駅Guerreroでは、ま、通勤時間帯と重なってしまっからだが、くる電車くる電車がすべて超満員状態で、数台やり過ごしてとうとう諦めたのだった。まったく乗り込める自信がなかったからだが、わたしの目的地はそこから一駅だったからだ。乗れる電車を待つているより歩いたほうが早いのは明らかだった。こうしてGurrero駅から一駅分、20分くらい歩いてその日の宿サンフェルナンド館に8:30に着いた。

LCCで菓子とビールが飲めた!Img_0205

メキシコ空港の2FフードコートエリアでTortas Milanesaを注文するImg_0207

サンフェルナンド館Img_0215

サンフェルナンド館の名称は写真左のサンフェルナンド教会に由来するImg_0216

 まだ会ったことはなかったが、今はセニョリータが館主と聞いていたから、そのセニョリータに迎えてもらえると思っていたのだけれど、扉を開けてくれたのはスキンヘッドの、それでいて優しそうな若者だった。しかも自分もまだ着いて何日も経っていないという、要はお客さんだったのである。今館主は出かけているとのことで、待つしかなさそうだった、何人かその場にいた旅行者らしい日本人の若者たちと、ま、よくある来歴交換?人見知りのわたしは、その中の一人、先ほど扉を開けてくれたTakuro氏が一番話しやすかったので、彼からこの宿のことをいろいろ教えてもらうことになった。もう一人親切な女性がいて、彼女からもいろいろ情報を聞いていたら、なんと彼女はTakuroさんの奥さんShihoさんだったのである。まぁ、この若いカップルが(といっても30代後半か?)できた人たちで、ニュヨークでの仕事が一段落して、3年かけての世界一周の途上とのこと、仕事はカメラマン&フィルムディレクター&アートディレクターで、それにかかわる幅広いジャンル・エリアを、今はフリーとしてこなしているとのことだった。いずれにしろ多芸多才な人で、こういう人は間違いなく仕事の出来る人である。彼が撮ったいうニューヨークの映像を見せてもらったが、やはりプロのそれとわかる素晴らしいもので、いつかなんかの媒体で公開されるものと思う。旅をしているとこういう人に出会えるのである、今回の旅で名刺を交換した最初で最後の人となった。わたしはその彼から、スマホiPadの不具合の修正と扱い方、そしてmailの送り方その他諸々を教えてもらい漸く日本との交信ができるようになったのだった。わたしにはそれに対してOXXO(その場所も彼に教えてもらった)でビールを買ってきてお礼するしかその方法をもちえなかった。そうこうするうちにお昼近くになって、漸く館主のアドリアーナが戻ってきて、やっと部屋の手配をしてくれた。ちょっとひどいなと思いつつ、こういう場では大人しく待つしかなかったのである。

サンフェルナンド館の内部;2枚Img_0211 Img_0212

サンフェルナンド館の屋上からサンフェルナンド教会、下の写真は教会前、同時にサンフェルナンド館前でもある公園Img_0213 Img_0217

 サンフェルナンド館の歴史は古く、わたしが20年前に伺ったときはすでにメキシコ市の日本人宿としてよく知られた宿だった。が、その時は長期滞在者が我が物顔をしていたのが気に入らなくて、その後何度もメキシコシティを訪れたが、一度も寄ったことはなかった。今回はだから、20年ぶりに様子見に伺ったのであった。その後の変遷についてはあまり興味はなかったので特に聞くこともなかったが、多少日本語のできるアドリアーナさんが今はかなり上手に運営されているように見受けられた。だからわたしが訪れた時でも10人くらいの日本人?、いや日本からmailで問い合わせしたときも、少し高い部屋が一室空いているだけとのことだったから未だその人気は健在のようであった。部屋を整えてもらってから残ったミラネーサと先ほど仕入れたビールで腹を満たして昼寝となった。数時間後には起きだしてmailのチェックやら、これまでの記録の整理などをしているうちに夜になり、少し界隈をうろつく、そのうち雨が降ってきたので夕食用に屋台でタコスを仕入れて宿に戻る。このタコスがまた、久しぶりだったせいもある超美味で(2ヶで18ペソ、100円?)ビールが500ml13ペソだったから、ま、簡単な夕食だったがその時はそれで十分、200円の夕食だった。次の日も朝からTakuroさんShihoさんには大変世話になり、airb関係や日本とのやり取りでけっこう忙しく過ぎる。ここは朝食として食べ放題のパンとジャム&バター、果物が大テーブルに置かれ、飲み物も自由に飲めた。それで宿代がドミ10ドル~わたしはベッドが3つある大部屋しか空いてなく23ドル払ったが、バストイレ付きだったから高いとは思わなかった。これなら人気の宿になるわけだ、長期滞在者も多そうであった。が、わたしはこういっては失礼ながら偵察というか視察だったから、早くも一泊しただけで次の朝10時にチェックアウトしたのだった。Takuroさんご夫妻と、その時そこにいたもう一人の日本人Takashiくんに見送られてわたしはHidalgoの地下鉄駅に向かった。

このタコスは抜群にうまかったImg_0214

たいへん世話になったShihoさんとTakuroさんとImg_0221

上の写真を撮ってくれたTakashiくんを真ん中にして、このあと見送られる、、 Img_0222

 昨日見つけられなかった飛行場そばのairbの宿にチェックインするためだった。サンフェルナンド館がシティの真ん中でなく、飛行場のそばだったら、あるいはその次の日のフライトが早朝出なかったら、サンフェルナンドに2泊するに越したことはなかったのだが、あいにく2月15日のフライトが早朝の7:30だったから、遅くとも6時にはチェックインしておく必要があった。となると、空港そばの宿が必須だった。しかし前回の時もそうだったが、これまで2回ほど空港そばのairbnbの宿を使ったが、今回はそのどちらも空いてなかったのだ。それでも近年airbの宿はメキシコでも増えつつあるようで、前回と負けず劣らず、いやむしろより近いところの宿に予約を入れておいたのだ。だからいったんTerminal aerea空港駅まで戻って、それからまたその場所を探してみた。前日探したところより少し離れたところにそれは簡単に見つけることができBenito & Denisseさんのお宅に11時ころチェックインした。このご夫妻とはわたしが伺ったときちょうど来客があって、ほとんど話しをすることができず、鍵をもらって荷物を置いて出かけてしまった。いったんはそこから空港まで何分かかるのか知るために歩いてみて、15分あれば十分だと確かめてからそのまままた地下鉄で、とりあえずどこにも行くあてはなかったが、メキシコシティの中心ソカロまで出てみた。ひとつにはそこに観光案内所のブースがあるのを知っていたからで、そこでわたしは50年前の鉄道駅のことを確かめようと思っていた。とりあえず下手なスペイン語で、シティに昔あった鉄道駅は今のBuena Vista 駅と同じか聞いてみた。今の若いメキシカンたちはたぶん昔の鉄道駅のことは知らないと思われたが、案の定その時2カ所で聞いてみたがはっきりしたことは誰も知らなかった。それから気の向くまま歩いていると、今のBuena Vista駅行のバスがやたら通るのに気付いた。その旧鉄道駅Buena Vistaは今はバスの起点となっていたからだ。Buena Vista駅へは地下鉄でもいけたがその時そのバスでいってみたくなってバス停を探した。すぐに見つかって待っていると、同じバス待ちのセニョリータから、このバスは専用カードでないと乗れないと教えられる。それはバスのドライバーから買えるかと聞いてみたが、無理らしいことがわかる、ではどこで買うのか、Buena Vistaで買える、しかしそこまでいけないではないかとなって、そのお嬢さんが自分のカードでわたしの分も払えるといってくれたので10ペソを渡した。その代金は6ペソでお釣りはないといってきたが、もちろんそれはいらないと断った。こうしてちょうど歩き続けて疲れ切っていたので20分くらいバスで休憩ができたのがありがたかった。地下鉄も便利だがバスに乗れるようになったら地上を走るので街見物の手段としては最高である。Buena Vistaへのルートは途中、サンフェルナンド館の近くを通ったのであった。

お馴染みシティの中心ソカロとカテドラル;2枚Img_0224 Img_0225

Buena Vista駅(奥の建物)とその前のバスターミナルImg_0233

現在のBuena Vista駅? Img_0235

昔の名残かと思って入ってみたら、何と現在は近郊にいく電車のターミナルになっていたので驚かされるImg_0237

 

 わたしが今回Buena Vista駅にこだわった理由は、その昔、つまり50年前にここから南米に向かうとき、その出発が鉄道でだった記憶があったからであった。で、昔の鉄道駅が一つだったなら、それはこのBuena Vista駅しかないことになる、昔の記憶も全くないし、面影も全くないであろうがちょっと行ってみたくなったのであった。そこはほとんどのバスが集まるところだけあって相当混雑していたが、その後ろに大きな建物が建っていて、そこが現在のBuena Vista駅であった。そして知らなかったことだが、今はそこから近距離の電車が出ているようであった。それには興味があったし時間もあったので乗ってみたくなって、どこまで行くのか、どこまでならいくらでどうやって戻るかをticketブースで聞いてみたが、この時はまったく相手のいってることが理解できず、しつこく聞いていたらわたしの後ろが長蛇の列になってしまったので、渋々諦めることにし、次回の楽しみができたということにした。それでも時間があったのでそこからはこれも50年ぶりとなるチャプルテペックの公園に行ってみることにした。地下鉄で簡単に行けたが時間が中途半端でお目当ての人類学博物館は(これも50年ぶりでまったく記憶はなかったので)これも次回に持ち越しとして、単なる時間潰しに地下鉄に乗り公園を歩き回っただけという結果になったが、それはそれでよかったのだ。今回メキシコシティは特に何も予定はしていなかったし地下鉄3回15ペソとバス代10ペソ150円で暇つぶしができたのだから ‧‧‧ 、、

チャプルテペック公園内にある超重要観光スポットである人類学博物館;3枚Img_0239 Img_0240 Img_0241

 また地下鉄で戻ったのだがこの時もラッシュの時間帯と重なってしまって、Pantilan駅での乗り換えの際に入場規制に出会った。たぶん人口が増えすぎているのか?巨大都市メキシコシティも都市問題が山積して、機能麻痺寸前というところにきているようだった。ようやくたどり戻ったairbの宿の近くに食べ物屋がほとんどなかったのに気付く、ましてや屋台商売ができるところではなかったので空いている店を探すのに苦労する。住宅街を散策して一軒の閉まりかけの店をみつけ何か残っていると聞いてみるとpollo con arroz 鶏肉ご飯しかないということ、わたしの苦手な鶏肉だったが、それしかないなら仕方がない50ペソ払って持ち帰りにしてもらい、別の店でビールと飲み物を仕入れて部屋食、その時も家主ご夫妻とは顔を合せなかったので、結局ほとんど顔を合わせず会話も交わさないまま、そこを去ることになった。きれいな部屋で日本円で約3000円、少し高かったが空港には近かったので、まぁ、いいほうかもしれなかった。翌朝は4:15に起き5時に出発5:15空港着5:30チェックイン終了、しばらくマックでコーヒーとアップルパイの朝食をとる余裕があった、、

これはわたしの嫌いな鶏肉とご飯、他に食事になりそうなものがなかったので、仕方なく食す、味は悪くなかったが50ペソは高すぎ??Img_0243