独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 23 , 番外、帰国まで、、

 3月31日のリマ発アエロメヒコAM049は朝の8時だったから、タクシーは5時半にお願いしていた、、ホテルの夜間担当のオヤジはちゃんと5時には起こしにきてくれた、、その前にわたしは起きていたが、いまどき電話でなく直接に部屋のドアをたたいてくれたのに感心して、また早朝の車の手配もしてもらったので、このときは多少のチップを渡した、、空港までは25ソルとの約束をドライバーも守ってくれ、最終的にペルー通貨は15ソル残ることになった、、それらはナスカの地上絵の5ソルコインが3枚で、お土産に持って帰ってくれといわれていたから、その意味では残りゼロとなって、まことに気持ちのよい締めとなった、、そのフライトでは窓側が取れなかったので外は見えなかったが、右側窓側だったらたぶんコルディエラブランカの山影が見えたはずだった、、メキシコ着もほとんど定時、現地時間13:30に着いたが、リマ→メキシコシティは1時間の時差があったから、6時間半のフライトだった、、

 ご存知の方もいると思うが、メキシコの入国審査ではイミグレの後に荷物検査があって、ボタンを押して赤が出た人だけ荷物チェックを課せられる、、その確率は1/10か1/20くらい?今まで何十回とその場を通ってきたが、いつも緑でノーチェックだった、、それが今回は見事に赤が当たって荷物をすべてひっくり返さなければならなかった、、もっとも場所によるのかエアラインによるのか乗り継ぎ時間によるのか、トランジットの場合は、最初の国で預ければ途中でとる必要がなくて成田まで、という場合もあるのだけれど、ここでは荷物をいったん引き取らねばならなかったのであった、、それでも14時半頃にはその夜のフライト便に荷物を預けることができたので、それ以降は身軽になってフリーになった、、しかしその夜のフライトまで8時間、ま、余裕を持って戻ってくるとしても6時間をどこかで過ごさなければならなかった(もちろん空港内にいてもよかったのだけれど‥)、、しかし、それは予めわかっていたことだったから、その対策は練ってあった、、だが、その第一案は断念せざるを得なくなっていた、、何と、それはMさんとのデートだったのだ‥、、

 実はその4,5日前、プカルパにおいて何よりも優先してPC作業をしなければならない日があったと書いたのだけれど、それはMさんにmailを入れることがその優先作業ということだった、、わたしはそのときこんなmailを送っていた、、‥3月31日15時半から19時半くらいまでメキシコシテイにおいてフリーになります、、もし貴方の都合がつけばどこかで飯でも食いましょう! !‥ 、、それに対して心優しい彼女だから決してあからさまに断ってはこなかった、、その日の予定がはっきりしないこと、、まだシティの地理が不案内なこと‥、、なので、いけるかどうかわからない、、行けたとしてもどこへどうやっていけばいいのかわからない‥、、だから、もし、わたしが更にしつこく何時頃どこどこと指定すれば、あるいは来てくれたかもしれなかったが、やはり突然の勝手なmailで、しかもどう考えても一方的な要求をしているように思えたので、無理しなくていい‥、と返信したのだった、、それでメキシコシティでの40歳年下の女性とのデートは実現しなかったのだけど、ま、当然といえば当然のことだった、、それでもわたしは一人でシティ(いわゆるセントロ)に出るつもりでいた、、わたしにとってシティはかなり勝手知ったる場所だったからだ、、ただそのためには、前にも記したが、そこはBenito Juarez Internacional Airportの第二ターミナルだったから、地下鉄に乗るためには第一ターミナルまで出る必要があった、、去年あたりは第一と第二を結ぶtren<高架鉄道?>が運行されていたが、なぜかそれは動いてなかった、、連絡バスは確か航空券を持っていればタダなはずだったが、それも認められなかった(しかし、5時間後に戻ったときはタダだったから、どうなっているのか?そのシステムはよくわからない‥)、、しかも前にこのシャトルを使ったとき(1,2年前?)は確か6.0ペソくらいだったはずだが、12.5ペソもとられた、、更に第一ターミナルから地下鉄乗り場へ行ったが、そこでも前は3.0ペソだった地下鉄が5.0ペソになっていた、、いずれも1~2年の間に倍近い値上がりとなっていたことになる、、ま、それでも5ペソで市内どこでもいけたのだから、相変わらずメキシコの地下鉄は、安くて便利な交通手段であった、、わたしが向かったのはソナロサZona Rosaだった、、そこは、もしMさんと食事するとしたらその辺がいいか?とイメージしていたところで、そこには確かラーメン屋もあったはずだった、、わたしがメキシコシティで食事しようと誘ったときのイメージも実はラーメン屋だった、、そう、そのときわたしはラーメンが食べたかったのであった、、それは南米を旅している間、いわゆるChifaと呼ばれる中華屋さんはたくさんあったけれど、ついにラーメンにはお目にかかかれなかったので、何でもあるはずのシティで一番食べたかったのが、いや、旅のあいた中ずっと恋しく思っていたのが(Mさんと)ラーメンだったのである、、で、その店がZona Rosaにあったはず?前にそこで食べた記憶があったからであった、、

 16時頃にはソナロサを歩いていた、、かなり暑かった、、相変わらず賑わいがあり、この一角は近くに日本大使館もあるから日本食を食べさせるところは何軒かあった、、もちろんそれらはそれなりの値段を取るところばかりだったから、今まで入ったことはなかったし、今回もパス、、で、以前いった店を探す、、場所はすぐにわかったが、どうしたことか?そこにその店はなかったのだった、、記憶違いかとソナロサを隅から隅まで歩き回ってみたが、やはり見つけられなかった、いや、なかったのだ、、ま、そういうこともあるか?と思い直して、ではどうするか?と適当な店を物色しながらしばらく歩き回る、、他には特に予定はなく、ただの時間つぶしだったから、ま、適当なところがあれば食事をして戻るつもりでいたのだが、なかなか入り易そうなところはなかった、、そこはシティの繁華街のひとつだったから、地元メキシコ料理はもちろん、中華もイタリアンもインド料理、韓国料理の店もあって、どこにするか迷ってしまったのだ、、あるいはMさんと一緒だったら、高くても日本食レストランに入ったかもしれなかったが、一人でそんなところに入る気は毛頭なく、結局もっともリーズナブルなメキシコ料理を最後に食べて締めることにした、、名前は忘れたが(メモも写真もなし)、臓物の煮込み料理にパスタ・サラダ・スープ・パンがついて60ペソ(500円くらい?定食)は、ま、安いからそこにしたのだけれど、そこそこ高級な店が多いソナロサでは、偶々だったが当たりだった、、それでもまだ1~2時間はあったのだけれど、ちょっと中途半端だったので、結局ソナロサをぶらついただけで、また地下鉄で空港に戻った、、

 少し早かったが、することもなくなって出発ロビーで待つことにする、、で、セキュリティを通って、出発便ゲート案内をみてみると、普通は2時間前にはだいたいそれは決まっているのに、そのときはまだ何の表示もされていなかった、、しかたなく免税店めぐりで暇つぶしとなった、、わたしの場合はこの手の免税品はタバコ等を頼まれた場合以外は買ったことがなく、あくまで冷やかしだったが、どこの空港の免税店でも似たようなもので、早速女性の店員が寄ってきて話しかけてきた、、で、適当にあいづちを打って、安い酒でもあればと答えてしまった、、メキシコといえばテキーラだった、、3本セットだと2本分の価格で買えると薦められる、、それもそれほど高そうでなかったので少々興味を示し、それでいくら?と聞くと確か24ドルといったと思う、、高いとは思わなかった、、しかし3本は重いし、どうもなぁ‥と買うそぶりは見せなかった、、すると、もちろん一本でもいい、ただ一本なら12ドル、ペソなら150ペソといってくる、、こういうところは決して負けないのを知っていたから、負けないの?負ければ考えるといってみた、、そしたら、ドル?それともペソ?と聞いてきたからペソというと、いったんレジのほうにいって、また戻ってきて145ペソでOKといわれてしまった、、ま、そのときは一年前に両替したペソ(ちなみにメキシカンペソはそのときも一年前も1ドルが12.5ペソ前後であった、、わたしは1ドル80円くらいのときに両替したペソを持っていたので、1ペソは6.4円、150ペソは960円、ま、それを30円ほど負けてもらったということだった)があまっていたので、一本くらいはいいかと思って買うことになってしまったのだった、、そんなやり取りでぶらぶらしていたが、22:10発の予定が1時間前になってもゲートのアナウンス(出発便案内の表示)はなかったのだった、、

 ちょっとおかしいな、と思いつつ、個々のゲートではないエリアの椅子で待つことになったが、9時半(21:30)頃だったか?突然日本語のアナウンスがあった、、メキシコの空港で日本語のアナウンスは珍しいことで、それはわれわれが乗るAM058便の遅延を知らせるものだった、、それも6時間遅れで早朝4時になったこと、ついてはホテルと食事が用意されていること、そのバウチャーをお渡しするので??番ゲート(何番だったかは忘れた)に来るようにというお知らせだった、、おそらく半数くらいは日本人乗客だったと思われるから、この日本語のアナウンスはありがたかった、、これがスペイン語と英語だけだったら正確に聞き取れていたかどうか?早速指定されたゲートに行ってみた、、かなり混乱していたが職員がバウチャーを渡しながら、いったん外に出て1F4番入り口に行きなさい、そこにホテルカミノレアル(Camino Real)に行くシャトルが待っているから、それに乗ると説明していた、、日本語を話す職員は一人しかおらずスペイン語のわからない日本人は(団体さんは添乗員がいたからまだしも、わたしも含めて)どうしていいのかよくわからず必死だった、、それでもわたしはメキシコ人の職員からスペイン語で説明され(そのほうが並んでる人が少なかったから)、おおよそ理解できたので一人で一階まで降りた、、たた、いったんセキュリティを通っていたのでどうやってそこから出るのかがわからず、何回も聞いてやっと指示された場所にたどり着けた、といった按配だった、、カミノレアルがたぶん五つ星?超高級ホテルだということは知っていた、、もちろん泊まったことも中に入ったことすらなかったが、以前にネットで空港近くのホテルを探したときにそこを知り、それが第一ターミナルの脇にあったので、ま、メキシコの空港を利用するたびに見てはいたのだった、、だから、ある意味そこに泊まれるチャンスとも思って、このときとばかり、そこに待っていたシャトルに乗り込んだのだけれど、だから田舎ものだ、といわれても仕方がないのだが、後から思えばそれが失敗だったのである‥、、 

 頭のいい人、状況を冷静に判断できる人は、たとえばその遅れた帰りの便で相席になって、親しくなった日本の若者は、その選択を取らなかったのであった、、それ以外の選択肢があった?あとから思えばその通りだと気づいたのだけれど、それは食事券だけもらってそのままロビーで寝るというのが、このときの正解だったようだ、、その超高級ホテルにたった4時間滞在するために- 実際眠れたのは3時間もなかったはずだ - そのために行き帰りのシャトルバスに待ち時間を含めると1時間、長蛇の列となったホテルのチェックインに1時間も並ぶということが事前にわかっていたなら、たとえホテルの豪華ベッドに3時間寝られたとしても、空港ロビーで5~6時間?もしかしたら倍の時間の仮眠がとれたのならどちらが賢かったかわからない、ということだった、、が、悲しいかなこれは結果論であって、欲に駆られたわたしのような貧乏人がその場でそれを見通すのはやはり難しいことだったのである、、ま、そのホテルのレストランで夜食があてがわれたこと、超一流ホテルの部屋とはどんなところか知りえたことが、せめての(わたしにとってはおそらく今後はない)経験になった、、わたしには全く必要なかった贅沢な調度、アメニティグッズには一切触れず、ベッドもベッドメイキングされた状態のまま、その上に身体を横たえ、バスルームにあったグラスひとつ借りただけで、あとは一切触れず動かさず(もちろん意図的にそうした、タオルは自分のものを使った)で、3時間(食事の時間を入れると4時間)の滞在だった、、

  そして3時には起きて、そのままフロントに行ってカードキーを返し、またシャトルに並んだ、、そして空港に戻り、いつものようにセキュリティを通る、、が、まさか!?そこを通過できなかったのであった ! !、、わたしはわけがわからなかった、、どうしたというのだ、昨日は何もなく通れたのに ! ?、、手荷物のバックを開けろといっている、そのときはまだ何の疑いも抱いてなかったから、どうぞ、どうぞ、だった、、が、そのとき初めて気づく、、テキーラだ った ! !、、しかしおかしいではないか!?、わたしは昨日ここを何もなく通ったが、飛行機の遅れで、航空会社の都合でわたしは(同じ便のほとんどの乗客も)望まないホテル泊となったのだ‥、、と知ってる限りのスペイン語で猛烈に抗議した、、責任者みたいなオッサンが飛んできた、、片言の日本語が話せたので日本語と英語とスペイン語でゴネまくった、、しかしそれはゴネ損というものだった、、いくら言っても無駄だったのだ、、航空会社の都合といったって、それは彼らには関係のないこと、ただ職務に忠実だっただけである、、それは145ペソの問題ではなかった、、なんか騙された?それに気づかなかった悔しさ?己の浅ましさ?ではどうすればよかったのか?とすべては自分に振り返ってくることばかりだった、、:結局テキーラは幻となった、、せめての慰めは、没収されたのはわたしだけでなく、大量のビン類がそこにあったことである、、つまり悔しい思いをしたのはわたしだけではなかったようだった、、この茶番のもととなったアエロメヒコを恨むしかなかったのである(もちろん航空会社はそこまでの面倒はみない)、、よって今回も‘終りよしなら、全てよし’にはならなかったのだ、、冷静さを欠いた、欲に駆られた人間に廻ってきたツケだったようで、今回の旅の答えだったのかもしれない‥??、、そんなんで、あまり意気揚々とでなく、かといって意気消沈でもなく、2014/4月2日の13時頃、6時間遅れで成田に着いたのであった‥(しかし、特筆しておきたいのは、そんなアエロメヒコであったが、前の晩、混乱時に見かけた日本語を話す職員は実は帰りの便のたった一人の日本人客室アテンダントであった、、彼女の活躍ぶりと、その温かさ、人間性の素晴らしさは忘れられない‥)、、

以上が、本文にも出てきたように、ガラケーをもったガラ人間であるわたしは、まさに進化にとり残された旅人として、60半ばを過ぎた今回も、昔とった杵柄(バックパック)を背負って貧乏旅をやってきました、という報告でした(しかし、これでガラパゴスにいっていたら洒落にならなかった??)‥、、前にも述べたかもしれませんが、そろそろかなぁ‥??、とも思ってますので次があるのか、あるとしたらいつか?まったくわかってません、、いずれにしろ今回もお付き合いしていただいた皆様に御礼申し上げたいと思います、、ありがとうございました‥、、

これをもって2014の旅を<了>といたします、、