独歩の独り世界・旅世界

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継続か卒業か(副題;わたしの海外デビュー)

 卒業シーズンたけなわですが、前回少しにおわせた件で迷ってます。即ちこのブログの卒業時期か、まだまた続けるべきかということです。当初はお約束通り今回の旅録を掲載して終了、たぶん平成の終焉をもってわたしのブログも終わりを迎えることになるだろうと申し上げてきました。それは、突然のようにやってきた、ここのブログサイトのrenewalがなかったら、筋書き通りになったかと思われますが、前回の植村直巳冒険賞を書いたときに写真がうまく挿入出来なかったことにより、にわかにその時期を早めるしかないかという結論に迫られたのです。その場合はブログの引っ越しという手段があることも一応知ってはいるのですが、そこまでしなくてもこれまでのブログはここに残したまま閉じてしまってもいいかなと今は思っています。そのほうが面倒はないであろうし(そもそもどうやって引っ越しするのかとか、その方法を聞いてもよくわからないであろうから)、いずれにしろ別のところで書き始めても短期間に終了することになるであろうから、ここは今月いっぱいで閉めよう、という方向に傾いています。まだ結論は出してませんが、そうなる可能性があることを含みつつ、ご挨拶かたがた最後の文章を綴ります。この文章は写真の挿入予定がないので、ちょうどいいかと思いました。タイトルは中南米5周遊の1,概要・動機を書いたときから決まっていて、‘わたしの海外デビュー、50年前の旅’というものでした。また、それは前回の植村直巳冒険賞という一文を間に挟めたので、少しばかり書きやすくもなったかと思います、、

 というのも、1970年7月28日(だったと思う)に旅立ったその旅は、法政大学探検部の同期3名による遠征隊だったからです(前回の記事を書いてなければ、法政大学探検部の名前はださない予定でしたから)。これは結果的には個人の旅に近くなったものの、一応大義名分を含んだ計画書を作り、探検部の遠征審議会で承認を得て、幾多の準備を整えた後のいわば半公的なexpeditionという性格をもったもので、その計画書にうたった遠征タイトルは‘中南米インディオ調査隊’というものでした。その当時わが探検部は我々が入学・入部したころ(1968年)からインド~ヒマラヤ方面の遠征隊が毎年1~2隊出ており、パイオニアワークを信条とする探検部精神としては同じ場所への遠征はいかがなものかと却下される恐れがあったので、当時4人いた同期はすべて南米に赴くという流れとなり3回生となった1970年わたしは同期二人とパーティを組んで南米に向かったのでした。

 1970年という年は大阪で万博があり、日本中の大学が諸制度の改革を求めて学生運動で荒れていた時代です。もちろん我々もそれらに無関心ではなかったけれど(積極的にかかわっていたものもいた)それよりも探検志向というか、むしろ今思い返せば海外志向が強かったように思います。なんとしても早く海外に出たい、探検的未知のフィールドは海外においてもすでに残り少なくなっていた時代です、我々が目指したアマゾンはそんな中でも少なくなっていたとはいえ未知の部分が多く残っていた、まさしく探検フィールドでした。約一年に及ぶ我々の遠征隊は(一年の半分は資金稼ぎのためにLAでのバイトに費やされたのだが)初めての海外で不慣れな部分が多く、所詮はアマチュア(学生)の探検ごっこをしてきたにすぎないという結果しか残せず、何ら成果をもたらすことなく終わったのですが、実はわたし以外の二人はその数年後に共同通信社向一陽氏率いる奥アマゾン踏破・探検隊が組織されたときに並みいる外国登山の経験者らとともにそのメンバーに抜擢され、そしてその隊の中心メンバーとして活躍したことを思うと、未熟ながらもこの学生時代の南米初遠征は決して無駄には終わってなかったと自負するものです。いや、わたしはその後何ら活躍することはなかったのですが、この共同通信社の行った奥アマゾン探検は(向氏の‘奥アマゾン探検記’<上下 中公新書1978>及び奥アマゾン隊正式報告書に詳細につづられていますが)日本人の行った本格的な探検活動としては、後にも先にもこれに勝る規模と成果をもたらしたものはないと、未だに語り継がれるほどのものだったのです。つまり立派な探検家がそこで誕生していたのです。時を合わせて同じく同期のMはやはりアマゾン川をのちにグレートジャーニーで有名になる探検家関野吉晴氏と下っています。我々の代はわたし以外はみな探検家として活躍したのです。前回書かせていただいた植村直巳冒険賞の岡村隆氏は我々の一年先輩で、我々の一年前にモルディブ&スリランカに渡り、その時にスリランカジャングルの情報を取得して1973年から本格的な調査探検を始めました。その後のたゆまぬ情熱のもと数十度に及ぶスリランカジャングルの探査遠征隊を組織し引率し探検活動を指導して今日にまで現役でやってます。岡村氏はある意味根っからの探検家・冒険家、そしていまだ現役なのですが、我々アマゾン組からすれば45~50年前がよき時代、我々の時代だったのです。

 さて、わたしは探検家として名をあげることは他の三人と違って、能力・資質的に劣っていたので適いませんでしたが、その精神だけは受け継いでいるつもりで今日まできました。探検部で培ったノウハウ・精神は膨大のもので、また賜った恩恵も有形・無形その量たるや計り知れないものがあり、その後の人生をほとんど決定づけています。わたしは50年前の遠征で、探検の成果はあげられなかったものの旅の魅力に取りつかれてしまったといえるかもしれません、わたしはその後旅人生を送ることになりました。その一端が今までこのブログに書いてきたものです、そして今回の旅は、50年前に辿ったルートを半分くらい踏襲してます。我々が50年前にゴムポートで下ったアマゾン川の一支流Madre de Dios川へは行けなかったのですが、奥アマゾン隊が精密に調査したアマゾン川の一部を訪れることをその目的の一つにしてました。すべてが順調だったわけではないのですが、その模様をこの後書き綴っていこうと思ってます。しかし冒頭で記したように果たしてここで続けられるか、はたまたほかのサイトに移動するかはまだ未定です、、ま、文才もないから面白くないのは承知してますが、もし興味があればどこか探してみてください、あるいは決まったらここに追記しようと思ってます、いずれにしろここは終了するつもりなので最後にご挨拶を‧‧、長い間つまらないブログにお付き合いいただき誠にありがとうございました、感謝御礼申し上げます!!

追記;わが畏友、つまり1970年のインデオ調査隊のメンバーの一人今関直人はその後日本では数少ないアマゾン通として知られ、アマゾン関係の私家本を数冊著してます。それらは書店では購入できませんが、来たる(2019)5月6日に平和島流通センターで開催される文学フリマというイベントに出展し自ら販売するとのことです(著書名‘アマゾンの岸辺より’と‘イゾラドとの遭遇’)。興味ある方は足を運んでみてください(わたしも行く予定です) !!