独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 20 , プカルパPucallpa / Perú

 さて、プカルパPucallpaである、、プカルパはどこにあって、何があって、どうしてそこがわたしの目的地になっていたのか?それを今まで語ってこなかった、、そもそもはっきりそこを目指すことにしたのは、それまで漠然と目的地の候補のひとつではあったが、確定的になったのはワラスにきてワラスからワヌコに抜けるルートが見つかってからといっていい、、では、そこに何があったのか?実は何もありはしなかった、、ただそこにはアマゾン川の一支流のウカヤリ川 Rio Ucayaliが流れているばかりであった、、では、そのアマゾン川を見たかっただけか?、それもなくはなかったが、わたしにとってアマゾン川は今回が初対面・初体験ではなかった、、ま、それも40数年前の話しだったが、わたしはそのアマゾン川の一支流を2週間くらい(?、3週間くらいだったかもしれないが、よく覚えていない)かけて下ったことがあった、、だからそういう意味では懐かしさをもっての再訪ということはできたかもしれないが、実際はプカルパには来たことがなかったのだった、、では、どうしてこの地が‥??、、それは記憶されている方もあるかと思うが、ひと月ほど前にグアテマラでわたしは、わたしの友人とその仲間たちが著わした“奥アマゾン探検の記録”という一報告書の翻訳をしていた、、それはアマゾン川のほとんどの支流を踏破するという大記録だったのだが、そこにこのプカルパはでてきたのであった、、そしてここプカルパこそは彼らがペルーアマゾンを踏破・調査する際の基地となったところであったのだ、、そしてここから彼らはペルーアマゾンの奥地へ奥地へと出かけ、いたるところにその足跡を残しているのだが、そのなかで唯一このプカルパだけが、今回の旅でわたしが寄れそうだったところ、その地に行って検証できそうなところだった、ということであった、、逆にいうとそれだけのことだったから一般の人にとってはアマゾン川という魅力はあったかもしれないが、他には何もないところで、旅の目的地にはならないところだったと思う、、それが故にこのルートではわたしは一人の外国人旅行者とも出会ってなかった、、もっとも日本人に限って言えばグアテマラ~ペルー間の一ヶ月の旅で出会ったのは、エクアドルのクエンカで二人の女の子を見たきりで(話はしていない)実に一人の日本人とも出会ってなかった、、ま、それはわたしが望んでなかったから、出会いそうなところは避けていたからかもしれなかったが‥??、、ま、そういうわけでプカルパは、きわめて個人的な動機でそこを目指していたというわけだった、、で、せっかくだからその報告書にでてきた箇所を抜粋し以下に引用させていただく、、
『 5,15 <1975;引用者補足、以下の括弧も、、彼らはイキトスから船外機つきボートでRio Uayaliをプカルパに向かっていた、その最終日> - 中略 - プカルパに近づくにつれ耕作地が目立ってきた。減水した両岸のプラヤ<岸辺>は畑となり、コメ、ピーナッツ、ユカなどが所狭しと植えられていた。 - 中略 - 13時ちょうど、プカルパ到着。2月の偵察時とは減水のため地形が全く変わっていた。筏の家をかわしながら船を進め、給水塔が目印のプラサ前の船着場に着けた。 』 ‥

 

 しかし、プカルパまでの道は遠かった、、夜の8時にHuanucoをでたバスはそれ以降大きな街もなく山の中をいったと思われる、、というのもしばらくして眠りについてしまっから、どこをどういったかはまったくわからずだったが、そのうちどこかで停まってバスは動かなくなった、、わたしは夢うつつ状態で、そんなに早くプカルパに着くのかと疑いながらも、もしかしたらカハマルカのときのようにしばらく寝かせておいてくれるかもしれないと思って、そのまま寝ていた、、わたしの隣は女性だったが降りていったようだった、、が、まだ寝ている人もいるようだったからわたしもしばらく寝ていたのだ、、しかし少しづつ周りのざわめきがが聞こえてきた、、夜が明けようとしていた、、どうもバスターミナルではないような感じ、そしてようやくそこがバスターミナルでなく、渋滞か何かで動いていないということを知る、、このときも崖崩れで道が不通になっていたのだった、、前にも後ろにも同じようなバスが数珠繋ぎで停まっており、バスから降りて様子を窺う人、完全にバスを放棄する人、あるいは朝の洗面をする人、更にはどこからとなく物売りまで現れてその辺一帯は所在ない人で溢れていた、、濁流が脇を流れてる山の中だった、、こういうのは、それこそ前日に、何年か前にはインドで経験していたから、当分動きそうもないことはすぐにわかった、、が、どうすることもできない、、よくわからなかったのは、そんな場所にもかかわらず、ま、当分動かないことを悟ってのことだと思うが、わたしの隣の乗客も含め何人かは降りてどこかへ行ってしまったことである、、そこがどこで、何か手段があることを知ってての行動であったと思われるが、いずれにしろ言葉も通じないわたしには待つしか手段はなかったのであった、、そして目覚めてからでも3時間はたっていたから、実際に止まってしまってからは4時間以上はかかったのではなかろうか?バスは8時半頃ようやく動きだしたのであった、、その場がどの辺だったのか?そこからプカルパまでかかった時間を逆算することで、あとからだがだいたいのところはわかった、、わたしはそのときはプカルパまで1~2時間くらいでつくだろうと思っていたのだが、なんと午前中には着かなかったのだった、、つまり不通になったところからプカルパまで4時間もかかったのだ、、実は前の日にバス会社のフロントでticketを買ったときに何時頃着くのか聞いたのだけれどはっきりは答えず、朝には着くような返事だった(もっともバスの時間さえ間違って記憶していたくらいだから、実際なんといっていたかははっきりしない、またバス会社の人はこういう遅れの可能性も知っていた節もあった?なので前の晩30分も早く出発したのはそのためか、とそのときは疑っていた)、ま、実際のところはなにもなければ10~12時間くらいだったとのではないか?、、ということは、その場所はちょうどHuanuco ~ Pucallpaの中間から少しプカルパより?、あとでもらった地図で見てみるとちょうどHuanuco県とUcayali県の県境からプカルパのあるUcayali県のほうに入ったあたりではなかったかと想像できた、、そこはまだ山の中でぺルーの地域区分でいうシェラ(山岳地帯)からセルバ(Amazonジャングル地帯)へ移行するあたりといえた、、なのでそこからバスはしばらく山の中のまだ細いが激しい流れの川沿いをいったが、1時間くらい走ると車窓はうっそうと茂るジャングルと明るい青空に変わっていき、それとともに湿気と暑さが高じてきた、、そうしてようやくのことでプカルパに着いたのが昼の12時15分で、結局16時間かかったのであった、、

<相変わらずピンポケ写真で恐縮だが、それでもないよりは多少でも状況説明になるかと思い、比較的見られるものを載せておく、、>

前後ろは長距離バスが数珠繋ぎだった;2枚109_640x427108_640x427道路わきの湧水で洗面する人たちも

現場付近;2枚113_640x427114_640x427

1時間もすると風景が変わってきた、セルバの写真3枚121_640x427122_640x427127_640x427

Rio Ucayaliの支流Rio AguaytíaとAguaytíaの街を9時半頃通過124_640x427


 着いたところはそのバス会社ともう一社の共同ターミナルで、そのあたりにはバス会社が何社も並んでいたが、セントロからはだいぶ遠そうだった、、市バスやコレクティボもあったかもしれないが、ここの主役はトゥクトゥク(オート三輪)のようで、その往来が通りを占めていた、、それならそれほど高くはないだろうと思って、到着客目当てで待機していた一人に声をかける、、しかし相場がわからないし、こちらから声をかけてしまったので、値切るのが難しく、いい値の5ソルで承諾するしかなかった(後でわかった相場は3ソルだった)、、ま、多少足元を見られているのは承知で、その代わり条件をだした、、セントロ近くの安宿まで連れていってほしい、わたしが気に入るところにあたるまでその値段で探してくれと‥、、それで交渉はまとまりトゥクトゥクはセントロに向かって走りだした、、信号などで停まった折、そのトゥクトゥクが広い通りいっぱいに一団となって走りだすさまは、インドの街を彷彿させた、、大通りを一ヶ所右折するとそこは一通の通りとなり、数ブロックいったあたりの右側に停めて、そこにホテルがあることを教えてくれた、、ちょっと見た目にはわからない普通の商店の一角を入った奥にあって、聞いてみると値段的には問題なかったが(バス・トイレ付き30ソル)WiFiがついてなくてNGをだす、、トゥクトゥクのオヤジはいやな顔もせずに、その界隈を一周してくれて、ここがセントロ、ここがマーケットと街案内してくれ、両替屋を尋ねるとそこも寄ってくれ、そのあとで次の宿に連れてってくれた、、そこは通りに面してうるさそうだったが、入ってみると奥に伸びていて騒音の心配はなさそうだった、、エアコンはなく扇風機だったが、バス・トイレ・WiFi付で25ソルだったので迷うことはなかった、、トゥクトゥクのオヤジにチップははずまなかった、、暑いところであったが、エアコンは必要なく扇風機も使わなかった、、温水はでなかったがここまでくると水のシャワーが気持ちのよかった、、シャワーを浴びて荷の整理をしアマゾン用の服装(?、ただ単に一番薄手のズボンとTシャツ一枚、サンダルという格好)に着替えて早速街にでた、、まずどこより先に目指したのはアマゾンの一支流のRio Ucayali ウカヤリ川とその船着場だった、、その場所もトゥクトゥクのオヤジから聞いていて、そこまではホテルから4~5ブロックあったが10分もかからなかった、、やはり気候帯も変わったのか空が明るく青かった、、ま、思っていたほどの川幅だった、、その場は初めてだったがどこか懐かしさはあった、、その川幅、そして上流から下流へのカーブの感じがどこかバラナシのガンジス川に似ていた、、しばらく、その土手にあたるところが公園になっていたので日射しを避けてそこでのんびりしていた、、川を眺めてポケーッとしているのは悪くなかった、、アマゾン流域のセルバでは周知のように川(船)が移動・交易の担い手だったから、報告書にあった当時も、更にずっと昔からこのウカヤリはそこに住む人々にとっての重要な交通路・水路であった、、それは今でも変わりなく大小の船舶の船着場として、その賑わいは想像以上で、小さなカヌーやボート、はしけ、小型貨物船から哨戒艇のような船まで停泊していた、、たぶんその時はまだ雨期であったと思われるから水位はあって川幅も広く大型船の航行も可能と思われた、、更にその界隈をうろつく、、その一角には庶民的な食堂がいくつも並んでいて、そこで昼食にする、、たぶん捕れたばかりの魚のはずだったが、いまひとつうまくなかったのと、なんでそんな魚でもフライで食べなければならないのかと少々腹立たしくなる、ま、それでも5ソルで食べられたのだから文句はいうまい、、また先ほどの公園のところに戻って岸辺に降りてみた、、何艘かのボートが停泊していて案内板がでていた、、最初は気にも留めなかったが、それがどうやら定期船の案内とわかる、、で、注意してみてみるとにわかに血が騒ぎ出した、、そこに書かれていた地名に覚えがあったからであった、、そこにはアタラヤAtalaya‥、コンタマナContamana‥と書かれていた、、どちらも例の報告書にでている地名だった、、興味を覚えて、そこでテーブルを構えていた関係者風の人(?ticketを売っていた)に聞いてみた、、それによるとアタラヤは次の日(火曜)の朝発って船中一泊で水曜の昼頃アタラヤ着、料金は150ソル?(ちょっとはっきりしない、もっと安かったかもしれない)で、寝るのはハマカ(hamaca ハンモック)食事はでないとのことだつた、、ただその船はdailyではなかった、、会社は別だったようだがもう一社?コンタマナへの船は毎日便があって朝7:30発、コンタマナ着15:00で料金は60ソルとのことだった(その船はその先のオレヤナOrellanaまでいくらしかった)、、わたしはこういった公共交通機関としてボートが運航されていることは知らなかったので、それまでアマゾンをもう一度航行することは考えていなかった、、しかし、いこうと思えばいけるということを知ってどうしようかと考えだした、、日程とルート??特に興味を惹かれたのがアタラヤだった、、そこはずっと上流だったがやはりウカヤリの支流にあって、当時から、その地域の中心的な役割を担う大きな街で、プカルパ同様彼らが基地とした街だったから、その報告書に何度もでてきていた、、また、コンタマナも先に引用したプカルパの箇所の手前で、彼らはその地に寄っていて、その報告も読んでいた、、もちろん両方はいけないが、まず考えたのがプカルパ→アタラヤ→リマだった、、アタラヤは大きな街だったからそこからリマへはバスがあるだろうことは想像できたが、問題はそのためには次の日(25日)の朝3:00に出るボートに乗らなければならないということだった、、いかにもそれは無理だろうということで今回は断念することにした、、しかしもうひとつのコンタマナのほうはdailyで朝の7:30発で15:00着、帰りも同じくコンタマナ7:30発プカルパ15:00着の便が毎日出ているとのことだったから不可能ではなかったが、ただ行って帰るだけ、つまり同じルートの往復という点が、いまひとつ乗り気にさせなかった、、で、行くかどうかの結論はださぬまま、その場を去り街ブラを続けることにした、、

ホテル前の一通の通り、トゥクトゥクが多い(撮影日は次の日?)001_640x427

Rio Ucayaliと土手の上の公園(Plaza de Reloj Público時計塔のある市民公園、別名Parque Miguel Grau)130_640x427131_640x427

公園の下の岸辺が定期船?の船着場だった;2枚132_640x427133_640x427


 で、どうするか考えながら、まず向かったところはパルケセントラルでそこに面して建つ立派な市庁舎(?たぶん県庁舎)を訪ね、受付で地図がほしいのだが窓口はどこかと聞くと、インフォメーションオフィスはDircetur(Dirección Regional de Comercio Exterior y Turismo)といって、そのオフィスはここではない、、少し離れてて遠いのでトゥクトゥクを勧めるが歩いていけないことはない、といって、わざわざそこまでの地図を書いてくれた、、確かにけっこう遠そうだったが街ブラしながら歩いていった、、いわゆるセントロは碁盤目状になっていたからその場所はすぐにわかり、来意を伝えると、あまり観光客が来ることがないのか、担当者は地図をくれただけでなく、パンフレットの類をたくさんくれた上に、見所・情報をいろいろ教えてくれた、、しかし短期の、しかもスペイン語があまりよくわからない者にとっては役に立つ情報とはならなかった、、ただ、そこはたぶん県の事務所だったようで、ウカヤリ県の、つまりアマゾン川流域の情報はかなり詳しそうだったのと、わたしの友人達が40年前に調査したアマゾン川流域の原始インディオの部落は今や観光客を呼ぶ貴重な財産となっているようで、そのツアーの企画や紹介に力を入れているらしいことはわかった、、その場所は実は先にいった港(船着場)にも近かったが、そこからは給水塔らしきものも見えていた、、で、港とは逆方向だったがそこまでいってみる、、それが40年前にわたしの友人が目印にしたものと同じものだったかどうかはわからなかったが(そのときもピンとはあってないのは承知で)一応写真に収めた、、わたしの目的のひとつは達成されたのであった、、そこから更に北に向かうと先に見た川がぐっと回りこむようにしてそこにあって、その近辺は別の港になっていた、、ちょっと雰囲気が変わって一般市民はまったくおらず、少し貧しい感じの佇まいで川の民とでも呼んだらいいのか、例の報告書に出てくるボートハウス(筏の家、Casa de Balsa)の住人といった感じの人たちの住むエリアだった、、そこはすでにパルケセントラルPlaza de Armasから相当遠くまできてしまっていて、暑さと歩き疲れで、珍しくトゥクトゥクを止めてセントロまでいくら?と交渉してしまった、、ま、トゥクトゥクならたかが知れてると思ってのことだったが、2ソルで行ってくれるとのことだったのでお願いした、、パルケセントラルで降りて、その周辺とメルカド界隈を歩き回り、だいたい中心部の地理は抑えることができた、、例によって酒とビールを買ってホテルに戻ったが、その夜は外食にした、、アマゾン川をどうするかは、少なくとも明日はもう一日ここでのんびりすることにして、行くとしたらコンタマナに26日にgo、27日backと考えていたが決定はしなかった、、

PucallpaのパルケセントラルPlaza de Armas、左がMPCP<Municipalidad Provincial de Coronel Portillo 県庁舎? >右にカテドラル129_640x427

給水塔?を撮る135_640x427

更に北にいった辺りにあった別の港と居住区136_640x427


 次の朝、港近くに見つけていた洒落たカフェのようなところで朝食をとって(コーヒーを飲みたかったのだが、そこしか飲めそうなところがなかった)、いったんホテルに戻り、溜まっていたPC関係、mailの返信等の処理をしてから(それがあったのでその日を停滞日とした)、このときもトゥクトゥクを使って地図にあったParque Natural <自然公園?>というところにいってみた、、そこがどんなところかわからなかったのだけれど、その近くが、わたしがバスを降りたところ、即ちバス会社が建ち並んでいるところだったので、本当のところはそのバス会社を訪ねてリマへ行くバスの時間を調べるというのが目的であった、、しかしトゥクトゥクのドライバーにはParque Naturalのほうがわかりやすいだろうと思ってそこまでいってもらったのだった、、トゥクトゥクをつかまえたときその場所をいって3ソルでOK?と乗る前に確認したら、やはりOKだった、、で、せっかく来たのだからどんなところか覗いてみた、、そこは動物園だった、、動物園か!?ならいいや、と帰りかけたが、またも、せっかく来たのだからと思い直して入場料いくら?と聞いてみた、、3ソルとのことだったので、シニアサービスはないかと重ねて聞いたら、ないと言われて、じゃあ、いいですとまた帰りかけた、、しかしやっとそこで3ソルならたいした額でないことに気づく、、で、また戻った、、そしたら今度はどうしたことかタダでいい、と言ってくれ、そればかりでなくガイドをつけましょうか、とまで言ってくるではないか??なんかわけがわからなくなったが、とりあえずガイドの件はつけてもらったとしても半分も聞き取れないのだから断った、、で、自由にひとりで歩き始めてわかったのだが、何と来園者がわたし以外にいなかったのである、、だからきっと職員も暇だったのかも?と納得したのだけれど、順序に従って歩いているうちに、ここはただの動物園でないことが次第にわかってきた、、この動物園は、この地域、広くアマゾン川流域に住む動物がほとんど集められていたのであった、、いやー、びっくりであった、実際見たことはなかったが、例の報告書では動植物もかなり広範に取り上げられていたので、そこで知ったアマゾンの動物たちが、ほとんどそこにいたのであった、、偶然というか、思いもよらずというか、ここはたいへん貴重な場所だと悟った、、しかし返す返すも残念だったがその珍しい動物達を写真に残すことはできなかったのである、、つくづくカメラの故障を恨むことになった、、そうでなければアマゾン固有の動物の数々をここに掲載できたはずだった、、それでもピンポケながら多少輪郭がはっきりしているもの、またはその名前が掲げられていたプレートが写っているものを悔しさもこめて以下に掲載させていただく、、写りが悪く載せられなかったもののほうが多かったことはいうまでもない‥、、

入り口付近にあった公園案内図046_640x427

Taricayaは亀?これもしばしば報告書に登場していた002_427x640

ジャガー(Tigre)だったかピューマだったか??003_640x427

鳥類はたびたび報告書にでてきたし、この動物園でも数多く飼われていたが、この2枚がなんだったか不明(一枚目は鶴に似た鳥と形容されてよくでてきたツユーヨTuyuyoか?)008_640x427009_640x427

Sachavacaはバク?これも食用としてよく報告書にでてきていた;3枚(近種含む)010_640x427011_640x427012_640x427

ロンソコ?(大ねずみ?)
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もっと大きなワニもいたが、写ってなかった
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Guacamayo(コンゴウインコ)とTucán(巨嘴鳥)は常連さん025_640x427026_640x427027_640x427

コンドルの仲間カモンゴCamongo?028_640x427

この鳥の名称が出ているが解読できない029_640x427

黒豹と表示あり031_640x427

Otorongoと表示あるがやはり豹かピューマか?033_640x427

これも名称不明、トカゲ?038_640x427

この3枚はもっとも不気味、最大の脅威、現地ではBoaとかAnacondaと呼ばれる大蛇、実際にいるようだ!!
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Sachavaca(バク)とSaíno(サイーノ;猪)の区別はわたしには難しい;2枚044_640x427045_640x427

(以上、何とか見られる写真だけ掲載しました、、もっと興味深い動物はたくさんいて、特にサルは種が多かったのだけれど、どういうわけか鮮明な写真が一枚もなかった)


 たったひとりの動物園を時々雨に降られながらも1時間半くらい駆け足で巡って、礼を言ってそこをあとにする、、そして大通りに出て、その辺から続くバス会社めぐりを始めた、、大小さまざまな会社があってたいていリマへのバスはだしていた、、わたしが探していたのは夜行バスだった、、それも安ければなおよし、で、バス会社によって値段設定が違っていたから、一社一社聞いて廻るしかなかったのだった、、そのなかで時間帯がよく、しかも走っているバスをよく見かけていた会社だったから中堅か大手の会社?そこが便数が多いわりには価格が手ごろだったので、その後数社を巡って、途中で昼飯を食べてからまたその会社にいってみた、、もし予約できるならしておこうと思ったからであった、、専用カウンターがあってそこでセニョリータに相談しながら、時間とシートを選ばなければならなかった、、その日は3月25日で27日の夜行バスに乗りたかった、、28日にはリマに着きたかったからだ、、二日後のバスなんてほとんど空いていたが選択は二つに絞られた、、 1)18:30発の普通バス、つまりシートは倒れない、食事はつかない、トイレもないが、それは50ソルとのことだった、、2)19:15発、いわゆるデラックスバスで、シートによって80ソル、110ソルがあり、食事はつくしトイレもありの2階建てバスだった、、リマまで50ソルで行けるというのは魅力だった、、リマまでだいたい20時間と聞いていたから1800円くらいと思えばいかに安かったか!?、しかし少し迷ったが、その20時間を思うと少々高くともデラックスバスにした方がいいだろうと思った、、しかも2Fの一番前の席が空いていて、そこのほうが80ソルと安いほうだったのでその席を予約した、、前にもいったが110ソルの方は1Fで、その代わりシートが180度フラットになるのでそのほうが高かったのだ、、で、リマへのバスの予約が取れたので、そこからまたトゥクトゥクでPlaza de Reroj Publico(時計塔のある市民広場?、別名Plaza Miguel Grauといったが、最初にいった船着場のところの公園)までいってもらった、、そしてそこで、次の日の朝にでるContamana行きボートを予約した、、それはバスの予約ができたので決めたことだったが、かなり迷った末に、ともかく次の日の高速艇でアマゾン川を下ってコンタマナまでいってみよう、、そこで一泊してあくる日の高速艇で戻れば15時にはプカルパに着く、、それならば19時15分のバスには間にあうだろうということだった、、ちょっと危険な賭けのようにも思えたし、そこまでしていく価値があるのかという賭けでもあった、、ま、こういった予定外の行動が(ワラスのトレッキングは失敗だったが)旅の面白さ、わたしの旅だと思っているから、いける所まで行ってみようという気持ちだった、、そのticketを購入し、明日の朝7時にはこの場に来ているようにいわれ、そこからは歩行者天国になっていたJr.Tacnaタクナ通りをそぞろ歩き、途中でビール(3.0ソル)、ロン(7.5ソル)、パン(0.5ソル×4)、jugo(ジュース2.5ソル)、屋台でアンティクーチョ(2.0ソル)などを買い物しながらホテルに戻り、その日は部屋食で酔っ払ったのであった、、

バス会社の並びの食堂で食べた昼食(pescado frito魚フライ定食)は前日港の安食堂で食べたものより安くてうまかった(4.0ソル)047_640x427_2