独歩の独り世界・旅世界

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8ヶ月ぶりのお遍路 初日78番,68番,69番~一野屋旅館

 ブログというのは、当たり前のことだけれど更新せずにいるとどんどん読者は減ってくる。いや、そもそも最初は読者(読んでくださる人)など想定せずに書き始めたことだけれど、いつのまにか、というか自然に、ま、それも読んでくださるかたがいたことを知って以来、アクセス数というものを気にするようになってしまった。そしてすでに何年間かやってきていて、その浮沈はもちろん更新数に比例していることも知ってはいた。だから何としてでも(というのも、やはり読んでくれていることを知ることは喜びであるとともに励みになるから)書き継ぎたいという思いは尽きることはないのだけれど、悲しいかな、わたしのように生き様の乏しい人間にとってネタの枯渇はいかんともしようがなく、とうとう先月のある日、一日の読者数が一ケタになるという落ち込みを初めて経験することになった。確かに先月は一本しか書いてなかったからそれも仕方のない話であった。月間トータルでも(恥ずかしい実数を示すことになるが)だいたい一日平均30アクセスはあったのが先月は20台となり、これまでで最も少ない月となってしまった。わたしのネタは主に旅ネタだから、旅に出るしかないのだが、旅に出る気力そのものが減退しているのも事実である、あまり年齢<トシ>の所為にはしたくないのだが‥、、

 で、以上のような想いはずっと持っていたからいろいろ企画はしていた。そういう意味では今度はどこへ?とか、行くとしたらいつ?どんな旅を?といったことはいつも頭の中にあって、ヨシ、行くぞとなるきっかけを常に待っているともいえるのだが、その機の熟すきっかけというのは端的な話、休みの問題のことが多い。これは現役諸氏にとっては当たり前のことで、我々リタイア組の暇人には当てはまらないのではないかといわれそうだが、今のわたしはそうではない。これについては次回書くつもりであるが、例の民泊新法の影響がわたしにも及んでいて、その前後から結構忙しくなりだしているのである。なのでそれよりも一か月前にたまたま予約の入ってなかった6月の最終週5日間をクローズして休みにしてしまったのは、今から思えば正解だったように思う。そうしていなかったら、これから報告する8ヶ月ぶりのお遍路はありえなかったと思うからである(そのくらい6月に入ってから問い合わせが増えてきているのである)。そう、気力は衰えたとはいえ、わたしにとって最も充実した暇つぶしは旅しかないから、しかも民泊新法のおかげ(?)で、つまり年間180日しか営業できないのであるから、先の言葉とは裏腹に今後は長期休暇をとらなければならなくなるという、ありがたい条件まで加わってしまった。で、今後の話はともあれ、この6月の休みは5月に決め、旅の詳細も詰めてLCCのticketの予約と4泊の宿もすべて5月中に決めてあったのであった。

 6月25日6時半に家を出たとき、その日宿泊していた2組のお客さんはまだ就寝中だった。彼らには鍵はテーブルの上において勝手に出かけてくれと伝えてあったから何も問題はなかったと思う。客をほったらかして宿のオヤジは旅へ、という変な構図がそこにあったが(もちろん、何かあれば責任を問われることになる)、その辺はユルユル?お客さんも了解してくれていたのである。成田離陸までのエピソードとしてはちょっとしたこと、それも例によってセキュリティでの一件だけを記しておきたい。ここのセキュリティも何度も経験しているから、何も問題はないであろうと思っていたところまたハサミで引っかかってしまった。お遍路の時ハサミはテーピングの時に使うので必需品である。刃先の短いものであれば何ら問題なかったから、これまで没収されたことはなかった。それがインドネシアのどこかの空港で引っかかって没収されたので、100均で新しいものを仕入れてあった。そいつが引っかかって、どうしてと聞くと、若い係の男は6.3cmあるという、つまり3mmオーバーしているということであった。知らなかったのだ、6cmまでならOKだったということを、、だから100均で購入するときに、厳密にその長さまでは調べずに買ってしまったのである。まったく未使用のそのハサミは没収されてしまったのである。ま、100円の話だから、目くじらは立てなかった。が、二つのことが想い浮かんだ。一つは、ここで没収されたものの行方へである。つまりハサミに限らず、ありとあらゆる没収品はどうなるのかが気になった(今の世、そんなこともすぐに調べられるであろうが)。わたしも数々没収の憂き目にあっていたので‥、、もう一つは、3mmの問題である。もちろん規則は規則である、そもそも6cmの根拠もあやふやだと思うのだが(それも明確に規定されているのだろう?)、3mmオーバーの危険度?これがわたしにはよくわからなかった、ということである。はっきりいうと気分の問題なのである。わたしがいいたいのは、いや、わたしが検査官だったら、あの場で測って、こういったと思う、‘お客さん、規則では6cm以上のハサミは機内に持ち込めません、これは6.3cmあります。次回からお気を付けください‥’、といって目をつむる。もちろんそんな係官は不適格者、即刻首であろうし、職務を全うしていることにはならないことはわかっていっているのである。心に余裕がない人たちであることも確かだと思う。そうやって、日本全体がぎすぎすしてきているのだ。目溢しの効用といったものを考える余裕さえももうなくなっているのか、という嘆きでもあった。

毎度のことながら写真はすべて証拠写真の域を出ませんImg_8375_640x480富士山?Img_8380_640x480高松空港、丸亀・坂出方面行きリムジンImg_8389_640x480JR坂出駅


 その日のjet star 成田~高松は諸手数料入れても4000円くらいだったから、前にjet starの悪態を散々ついたが、それに代わるLCCが飛んでない現状、今でも四国への利用価値は高い(それでも空席あり。また今回帰路は別ルートを飛んだ)。成田発8:50高松着10:15で遅れなし、で、高松空港からは丸亀・坂出方面のリムジンを初めて使う(1000円)。このときわたしは坂出に出たかった。その場合は時間的にも料金的にも直通バスに利ありだったが、乗客はわたしを入れて3人、この路線がいつまで存続するか少々危ぶまれた。わたしが坂出に出たかった理由は、今回は前回の取りこぼしをカバーしながら愛媛県今治辺りまでを回る予定にしていたからで、その最初が78番郷照寺だった(その前後はすべて参詣済みであった)。ここは坂出と宇多津の間にあって、一周目の時は郷照寺から坂出へと歩いていた。10:35に出たバスは11:15に坂出駅に着き乗客全員はそこで降りた。たぶん前々日くらいまで関東は梅雨模様で雨が降っていたが、その日坂出は太陽ギラギラでかなり暑かった。11:20頃から歩きだす、前回歩いた道より近そうなルートを見つけてあって、ほとんどJR高架の下を行く感じで、実際前回より10分ほど短時間で、ちょうど12時頃に郷照寺に着いた。しかし最初の参詣というのはいつも戸惑いが多く、というのもまず服装を整えて(白衣を着て袈裟をつける)、ろうそく、線香、賽銭、納札の参拝用具一式を用意し、経本と納経帖の準備が必要になる。そして手順したがって本堂と大師堂で参拝・読経をすますまでここでは40分もかかってしまった。つまりカンを取り戻すまでいつもモタモタしてしまうのである(それ以降の参拝時間はだいたい20~30分くらいで済ませられるようになる)。この寺からは宇多津方面の眺めがよく、前回来た時もその印象が強く残っていた。もっとも、もう何年前だったか思い出せないが(それでも2~3年前の話だ)その時のことはよく覚えていて、何しろその時は75番善通寺の宿坊を朝7時に出発して、76番77番と打って、77番からの道のりが遠かったこと、この郷照寺に着いたときは、もうバテバテでこれ以上歩けないという状態だったのだ(それでもそのあと坂出経由で79番まで2時間ほど歩いたのだが、今はもうそんな踏ん張りはきかなくなっている、遠い昔の話だ)。そんなことを思い出しながら、その日はそこから15分JR宇多津駅まで歩いて、そこからは電車を使うことにしていた、、

坂出駅から郷照寺に向かう道沿いにあった史跡?Img_8391_640x480

懐かしき水門のある橋、郷照寺は近いImg_8392_640x480

橋を渡ると昔の街並み、この先が郷照寺だがこの辺は風情のあるところであるImg_8394_640x480

郷照寺山門Img_8395_640x480

本堂と大師堂Img_8397_640x480Img_8399_480x640

少し高い位置にあって宇多津の街並みが眺められる
Img_8396_640x480Img_8403_640x480宇多津駅


 次の取りこぼし先(前回予定を消化できず残していたところ)は観音寺の68番神恵院、69番観音寺だった。さすがに電車で50分の距離(30km強)は歩く気さえおきない。宇多津駅到着がちょうど13時ころで次の電車は13:35だった。構内にあった7-11でおにぎりを買って昼食とするのにちょうどいい時間で、ちょうどいい休憩となった。そのあとも何回か電車を使うことになったが、この辺を走る電車は特急は1時間に2~3本走っているのに各駅のローカルは1時間に一本くらいしかなかった。だから時刻表は割と重要で、最初の時(3年前)にもらったJR四国の時刻表は未だに役に立っていた。宇多津13:35の電車は14:27観音寺着だった。そこから3度目となる68番69番へは70分で往復できた。つまり同所に並立する形で建っている68番、69番へは駅から片道20分?2ヶ所の参拝は並んでいるから30分で終了、ここが3度目だったというのは、たぶんその時のブログには書いたと思うが、2回目の時は66番雲辺寺にいくのに民宿岡田に泊まって、その時の仲間との流れで、そのまま観音寺まで同行となって彼らにつきあったということで、その時すでにわたしはそこを訪れていたからだった。その懐かしき宿の前を今回は素通りすることになった。相変わらず人通りの少ない街並みであったが、街だけでなく78番でも感じたことだが、68,69番もお遍路さんの姿は少なかったのだ。ま、ひとつにはちょっと時季外れということもあったろうが、お遍路ブームも去りつつある?そんな印象も拭えなかった。15:40に駅に戻れ、次の電車15:50発には楽勝で間にあって、その電車で三つ先の川之江というところまでいった。

68,69のある琴弾公園の杜手前を流れる財田川にかかる三架橋Img_8408_640x480

山門Img_8409_640x480

観音寺本堂Img_8410_640x480

観音寺大師堂;2枚Img_8411_640x480Img_8412_640x480

手前左神恵院大師堂から観音寺本堂を見るImg_8416_640x480


  たぶんお遍路さんでこの川之江という駅を利用する人はまずいないと思う。というのもこの駅からアクセスがいいという札所はないからである。可能性がある65番三角寺は、この川之江より次の伊予三島の方が近いからだ。もちろんわたしがここで下車したのには理由があった。それはこれもまず利用する人はほとんどいないのではないかと思われる遍路宿?一野屋さんにいくためだった。?をつけたがそこを遍路宿としたのはたまたまお遍路ガイドに載っていたからで、たぶん遍路宿ではないかと思ったからに過ぎない、昨今遍路宿の廃業が相次ぐ中、営業されているかどうかも定かではなかった。この宿に関する情報は一切持っていなかった。ただ、先にいったようにへんろみち保存協力会編のガイドブックには載っていたから、半信半疑でTELを入れた。5月中のことで、やってるということで予約した。その時お遍路さんですか、と聞かれたので、そうです、と答え、値段を聞くと5500円とのことだった。ま、それで恐らく遍路宿であろうことは想像がついたが、二食付きで5500円というのが気に入ったから予約を入れたわけではなかった。今回この宿の位置がわたしにとっては重要だったのである。ある意味次の日が、今回のお遍路行で最も難易度が高く、かつ厳しいルートであったからだ。わたしは以下のルートを予定していた。一野屋→別格14番常福寺(椿堂)→別格13番仙龍寺→65番三角寺伊予三島→別格12番延命寺伊予西条。公共交通手段、つまりバスはないから伊予三島からは鉄道利用予定でいたが、それ以外は歩き、予測で8~9時間?、歩けるかどうかもわからなかったが、ま、別格の中でも難コースの一つではないかと思われた。で、そのために最も利用価値の高い宿がこの一野屋さんだったのである。正確にいうと、上記領域を示す地図の中に宿泊施設は一野屋さんしかなかったということだった。だからわたしは(失礼ながらほとんど予約で埋まることはないだろうと思われた一野屋さんに)一か月前に予約を入れ、その日川之江駅で下車し、歩くと1時間はかかるといわれたそこへ、上記ガイドブックを頼りに歩きだしたのだった。もちろん川之江駅にタクシーは常駐していた、が、<歩き>に来ているのにタクシーを使うなんてことは言語道断、わたしにその選択はありえなかった。が、これが間違いだったかもしれないということになったのであった。

川之江駅、向こうに地図が見えるが詳しい図ではなかったImg_8419_640x480


 ここはタクシー利用が正解だったかもしれなかったのだ。が、わたしはここで今回の旅で最大のドジ、過ちを犯すこととなった。振り返れば小さなミスは犯していた。関係ないようなことだが、ひとつは未だにスマホを持ってなかったこと、次に事前に調べていたときに、図書館で県別地図を借りてきていたにもかかわらず、他の場所のコピーはとっていたのにこの川之江のコピーを取り忘れていたこと。それらが重なって、わたしは迷子?というか道を間違えてしまったのである。駅にはあるかと思った市内地図も見つけられず、うろ覚えの頭の中の地図を頼りに歩きだした。わたしのうろ覚えの記憶では、線路に沿って三島方面にいって、左に折れて真っ直ぐ、だったのだが、どうやら左に折れるのが早すぎたようだった。挙句それは90度ほどの開きのある方角に歩を進めてしまったのである。もちろん一回は聞いてみたが、聞き方が悪かったのかもしれないが、その道であっているかどうかの確認はできなかった。さらに30分ほど歩いて、ガソリンスタンドがあったのでもう一回聞く、この時も聞き方が悪かったのかもしれない、さっきと同様地元の人ならわかると思われた椿堂にいけるかと聞いてみた。GSのおじさんはもちろんそこは知っていて(この道は遠回りだとわかっていたかもしれないが、かといって戻っても同じだと思ったからか)この道をいってT字路ら突き当ったら、右にいけばいけることは行ける、というようないい方で、返答してくれた。いずれにしろ地図がないのだから今どこにいてどう間違えたかわからずに、そのまま進んだ。いい加減歩いてちょうど一時間くらいたったころ、疲れもあって一軒の酒屋で再び道を尋ねる、一野屋さんという宿がこのへんにあると思うが知らないか?親切なそこのおばさんが方々にtelして聞いてくれ、まだ先だと地図を書いて教えてくれた。あとでわかったことだが、その辺りは正しい道をくればまだ半分のあたりだったのだ、つまり30分で到達するところをわたしは倍の距離を歩いていたことになる。だからそこからもう30分歩いて、そしてまた聞いて、とうとう最後は一野屋さんにtel入れて、正しい道をくれば一時間で着いたところ、2時間近くかかって漸く到達することができたのであった。もちろん温かく迎えてくれ、客はわたしだけだからといって、すぐに風呂を勧めてくれたが、やはり急に歩いたからか、着いたとたんにわたしは足が痙攣して動けなくなってしまったのであった。そしていざるようにして何とか風呂をいただき、風呂から上がるとすぐに食事になった。正直言って、わたしはちょっとルートから外れているこの宿は料金も安かったし、あまりお客さんもいないのではないかと何ら期待はしていなかった。ただ、わたしにとって今回は地の利があったので利用させてもらっただけ、それで料金が安かったからラッキーぐらいにしか思ってなかった。しかし世の中には、こういう逆転満塁ホームランというのがあることを知る。大化けはあるのである。埋もれた宝は眠っているのである。こういう遭遇、発見の喜びは大きい、ここの料理は半端でなかった ! ! その量、味付け、すべてパーフェクト、すべておいしくて食べ尽くしたかったのだが、最後はギブアップして残してしまった。滅多にないことだが刺身が残った、そう、あとはすべて手が入ったもので、正直残すとしたら刺身しかなかったのである。ビールも進んで、1時間半の格闘後そのまま布団に倒れ込んで寝入ってしまうことになった。まだ8時ころだったと思う、、何なんだこの宿である ! !、それこそわたしのところと変わらない民泊である、それがこの底力、、しかし、その底力はその日で終わりではなかったのである、続きは次回、おそらく誰にも紹介されたことはないのではないかと思われる一野屋旅館との出会いであった、、

この夕食である、夕食だけで3000円の価値あり、少々解説すると、左手奥の肉じゃががまず絶品、その隣のイカの酢の物(ぬた)は他では滅多に食べられない、その手前カレイの煮つけ、味付けは玄人、絶品。左手前エビフライ盛り合わせ、これでもう満腹、どうやったら刺身までいけるのか不思議なくらい、右端の吸い物はアサリの味噌汁だった、今回は4日間とも食事が素晴らしかったのだが、ダントツの一位、しかも最も安い宿泊代をして、わたしは四国遍路宿No.1or2と推したい ! !

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翌朝撮らせてもらった一野屋旅館はいってみれば民泊風佇まいだったImg_8424_640x480