独歩の独り世界・旅世界

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8ヶ月ぶりのお遍路 二日目 別格14番,13番,65番,別格12番,64番

 前夜早く寝入ってしまったので目覚めも早く、3時には起きて前日ほったらかしだった荷の片付けや記録の整理をしてて、また少しうつらうつらしているうちに6時の朝食の時間になった。前夜に負けないくらいの皿がテーブルに並んでいた。わたしの普段の夕食よりもずっと豪華で、これが夕食のメニューだったとしても十分に満足のゆくものに思えた。で、別に嫌いだったからでなく、食べきれないのがわかったから、鮭だけは手をつけなかった。すでにこのとき、ここの食事のすごさがわかってたから、壁に貼ってあった料金表を見て、こんな宿もあるんだと感心していた。そして勘定を済ませて、6時半に出発を告げると、奥からご主人が出てきて、思いがけない一言を発せられた。

鮭抜きでご飯2杯いけたから、鮭は手をつけなかった。Img_8421_640x480Img_8422_640x480Img_8423_480x640さりげなく書かれていた料金表に<宿泊代;3800円 夕食代;1300円 朝食代;600円>とでていたが、こんな良心的なお宿があったことに改めて感心していた。しかし、それだけではなかったのだ、、

 ‘送りましょうか?’最初耳を疑った。さらにどちらまで行く予定ですか?と聞かれたので、別格の14番常福寺を打って13番仙龍寺、そして三角寺から伊予三島までを予定してると伝えると、なんと仙龍寺手前のトンネルの辺りまで送ってくれるといってくれたのだ。これは有り難かった、というのも前回書いているように、その日のルートは伊予三島まででも7~8時間くらいの歩きを強いられそうだったので(この予測自体甘かったのだが)、どこかでルートを変えるかタクシーを呼ばなければならなくなる可能性があったからである。いいんですか?と聞き返すと、時々来てくれるお遍路さんにはたいていそうしてますから、といって車の用意をしてくれた。歩くと一時間はかかると思われた椿堂までは10分で6:45着、参拝を済ませ、ちょうど7時からの納経受付を2番目で(若い女性が一人先着でいた)終え、その間ご主人のK氏は駐車場で待っててくれた。そこからは歩くと3時間はかかると思われた掘り切りトンネル出口まで、車だと15分7:20にお礼をいって、トンネル出口で降りた。そこまでの間に一野屋さんの略歴を問うと、なんと今の宿は大正時代から続いてるとのこと、ついでに氏の家系についても訊ねると、なんと300年も続く系図があって、諸大名に仕えた家臣だったらしいことなどの話をしてくれた。ほとんどわたしと同年齢(いや、少し上か?)と思われる氏は普通のサラリーマンだったとのことだが、いわれてみればどこかそんな風格を備えた人物であった。ともあれ、これほどのサービスをしてくれたにもかかわらず、接待だからとこともなげに言っていって去られた姿にわたしは感謝の念とある感動に似たものを覚えずにいられなかった。然るにこの接待はどれほどの意味と価値があったか、そのときはとっさには判断できなかったが、今振り返ってみれば、少なくとも3~4時間の歩行時間が短縮され(わたしは特に歩きにこだわる遍路ではなかった)、もしこの間をタクシーを使ったなら、ま、4~5千円はくだらなかったであろう価値があったのだ。つまり、わたしがこれまで受けたお接待の中では最大級のものであった、ということだった。

一野屋旅館さんの前を流れる金生川Img_8425_640x480

別格14番常福寺(椿堂)まで車なら10分、ここは歩きの場合65番から66番への道の途中にあり、だからここを訪れるのは2度目だった。で、そのときご朱印もいただいていたが、別格用の納経帳でなかったため、今回再訪する ;5枚

Img_8428_640x480全景Img_8430_640x480山門Img_8431_640x480本堂Img_8432_640x480大師堂;2枚Img_8429_640x480Img_8434_640x480参拝の間駐車場で待っていてくれた一野屋のご主人

Img_8436_640x4801.5kmほどの堀切トンネルの出口

ここで礼をいって氏を見送る、正面の間道が仙龍寺への道Img_8435_640x480Img_8439_640x480この写真はその道の入り口付近で撮ったもので、左が高知県大豊町に抜ける319号線

ここまでは歩くかタクシーしか交通手段はないと思っていてたが、どうやらコミュニティバスが一日数本走っているようだったImg_8438_640x480

 実際これはその日のわたしにとってほんとにありがたいものとなった(いや、その後の4日間全行程に余裕をもたらしてくれたのだ)。トンネル出口(そこは400mほどの標高があった)からは人も車もまったく通らない車道を足どり軽く下っていった。おそらくここまでのお接待がなかったら、たぶん4時間後くらいに疲れた体でよたよた歩いている姿が想像できた。その車道を下ると銅山川を堰きとめたダム湖があって、それを左下に見ながら道は平坦になり、しばらくいくと仙龍寺の看板が見えた。そこまで50分かかっている。本堂はそこからはるか上で数十mの登り返し、息を切らして登っていくとお年寄りが一人降りてきた。お遍路さんではなく地元の人のようだったが、トンネルから歩き出してこのあと三角寺の手前で一人のお遍路さんに会うまでに出会った唯一の人だった。この本堂は、崖の傾斜を利用して、というか、あるいは絶壁に沿ってコンクリで基礎を築いてその上に建てたというような、他では見られない佇まいで、驚嘆に値した。本堂の前は広場になっていて御仏を祀っている部屋は屋内のようだった。靴を脱いで歴史を感じさせる堂内に上がる。参拝を済ますと御仏の安置している仏間の隣が納経所になっており、比較的若いご住職と少し雑談することができた。そして三角寺への道を地図まで書いてくれて丁寧に教えてくれた。人里離れたこの地にどのくらいの参拝者があるのかは聞かなかったが、ま、珍しかったからかもしれない。

樹林に遮られて展望はあまりきかなかったが、唯一ダム湖が見下ろせた地点から、、Img_8440_640x480

仙龍寺への道Img_8442_640x480

トンネル出口から50分かかってようやく到着Img_8444_640x480

が、いきなり急峻な登りとなったImg_8445_640x480

10分くらい登ると堅牢なコンクリートの基礎の上に建てられた仏閣が現れた(沢を跨いで建っていた)Img_8455_480x640Img_8454_480x640

仏閣前は広場になっていて、Img_8448_640x480入り口の前からはこんな風景が眺められたImg_8452_640x480

堂内に上がるImg_8451_640x480

階上に仏間があったImg_8450_640x480

 ガイドブックにあったのとは別の道をいくことを勧められ(やはりこういうときは、特に歩きの場合は納経所で確認するべきだと思う)、来た道を少し戻り、途中から別の車道をいって峠越えする道は、一ヶ所間違えたが(このときは10分くらいいったときに地元の人から道が違うと教えられ事なきを得る)後は仙龍寺の住職に教えられたとおりで、人には出会わなかったが、しっかりした確実な道だった。三角寺までちょうど2時間かかったが、それも住職のいったとおりだった。三角寺着は11:05(途中道を間違えてロスタイム15分、なおそのロスタイムを除けば詳細としては仙龍寺~掘切峠75分、掘切峠~三角寺45分)だったが、その手前で66番に向かう若いお遍路さんに会う。手に大きな甘夏?を5~6個持っていて、接待でもらったので一つどうぞと分けてくれた。こういうのは断りづらいからいただいたが、何よりこんな重いものを5~6個も持ち歩くのはさぞたいへんだろうとの想いからでもあった。月並みの挨拶だけで別れたが、時期はずれだからか歩きお遍路さんに会うこと自体が珍しいことだった。65番の急な石段を、前回のときは下から歩いてきて疲れきってて、手すりにつかまりながらようやくのことで登ったのを鮮明に覚えていたが、今回は少し楽に登りきることができた。それにしてもこの石段はいくつかある門前の石段の中でもかなり厳しい石段の一つではないかと思う(すぐに思い出せないが、12番焼山寺とか20番鶴林寺など山の中の寺院の石段は厳しい、手摺りがなかったら登れない)。休憩も含めて40分ほど滞在した。伊予三島までの道を一応納経所で確認して11:45発、先のガイドブックの地図からすると5kmくらい?1時間半ほどで下れるのではないかと予想していたが、とんでもない話で、途中から歩き遍路用の山道は見つけることができたが、ちょうど中間点辺りの松山自動車をくぐる辺りまでで1時間を要し、そこから街中を歩いて駅まではさらに1時間かかった(なお、前回来たときは別の道を通っている)。途中何人かに道を聞いたり、コンビニで休憩したりしてだが、すでに相当疲れきっていた。恐らく朝の送迎がなかったら、その日はそこまでとなったであろうが、当初の予定としては、そこから鉄道を使って伊予土居というところまでいって別格12番延命寺を打つ予定だった。次の電車は14:05で20分ほど余裕があり、コンビニで買ったおにぎり食べる時間がとれた。伊予土居着は14:16で次の電車は15:16、延命寺までは約1kmだったので、1時間あれば往復できそうだった。たた、空模様が怪しくなっていたので自然と足は急ぐことになる。延命寺の大師堂も屋内にあって、隣の納経所にて若いお嬢さんに墨筆を賜り、また急ぎ足で駅に戻ったが途中から降られることになった。

仙龍寺からの峠越えの道を行く;7枚Img_8457_640x480Img_8459_640x480間違えて辿ってしまった道(右)、この分岐は住職の地図になく、また案内表示もなかった、正しい道は写真を撮っている位置、つまり手前に続いている道をいく、、

高知県との県境方面、下はダム湖Img_8460_640x480

ようやく道しるべが現れる
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堀切峠付近、この分岐は直進Img_8464_640x480

この分岐は右がわたしが峠から降りてきた道、左がかつて辿った椿堂への道、この辺りで椿堂~66番に向かう若いお遍路さんに会うImg_8466_640x480

上記地点から少し行った辺りで、65番三角寺が見え出すImg_8467_640x480

65番三角寺;6枚Img_8475_640x480厳しい石段Img_8469_640x480山門Img_8470_640x480Img_8472_640x480本堂Img_8471_640x480大師堂Img_8474_640x480全景、65番も山中にあって、風情のある美しき寺である

歩き遍路用の道を下る
Img_8476_640x480Img_8477_640x480人家が近くなるImg_8478_640x480古い遍路道の道標の建つ戸川公園付近?

別格12番延命寺;5枚
Img_8481_640x480Img_8482_640x480本堂Img_8485_640x480鐘楼の後ろに大師堂

お大師様は屋内にてお参りImg_8484_640x480
Img_8486_640x480全景、雨が降り出す、、

 最初の計画段階では、一野屋~椿堂仙龍寺三角寺伊予三島までかなり甘い見通しで考えていたから、たぶん伊予三島からは15:05発の電車に、伊予土居からは16:26発に乗れるだろうと予測していた。が、実際は一野屋さんの送迎がなかったら、たぶん伊予三島発16:13にも乗れなかったと思う。そうすると別格12番は打てなかったであろうことは明らかだった。が、そのときは有り難いことに逆に一本早い電車に乗れることになったのだ。その15:16の電車だと、その日予約を入れてあった宿のある伊予西条に15:45に着くことがわかって、ならばもっと先までいけないかと、15時に戻った伊予土居の駅で急遽検討してみた。次の日の予定は60番、64番、63番、62番、 61番辺りまでできるだけ歩くつもりでいたので、そうすると伊予西条に最も近い63番、64番ならいけるのではないかと思われた。64番の前神寺伊予西条の次の駅石鎚山から近く、しかも伊予土居石鎚山伊予土居伊予西条の料金は同じだということがわかった(550円)。時間的にさらに63番までいくのは無理だろうと判断、で、来た電車に乗って伊予西条を通り過ぎ、次の石鎚山駅で下車した。石鎚山駅着は15:56、実は64番は駅から近かったので、前回来たときも電車を使っており、だから迷うことなく駅から10分で64番着、参拝を終えたのが16:30、それから伊予西条に戻ることになった。帰りの電車は16:34があったが、それには間に合わず、駅に行く前で横切る国道11号線にバス停があったので時間を調べてみると西条方面行きは16:56だった。鉄道にしろバスにしろ:30分待ちである。お遍路をやってなかったら、待ったであろうが、できるだけ歩くことを旨としている軟弱歩き遍路としては、朝の送迎に甘んじてしまった償いの意味でも、この距離(4kmくらいだったと思う)なら歩ける、歩くべきだろうと考え歩きだした。国道11号線に沿っていき、大きな川加茂川まで40分かかって、橋を渡ったところで、石鎚山発16:56のバスに抜かれた。そこから西条駅前のホテルまで30分かかって、伊予西条着は17:40だった。

Img_8491_640x48064番山門Img_8490_640x480最初に現れるのは鐘楼と大師堂

奥に本堂;2枚Img_8488_640x480Img_8487_640x480Img_8489_640x480大師堂

Img_8493_640x480加茂川橋手前の大きな交差点

 実は比較的大きな街伊予西条に宿泊するのは(下車するのも)初めてのことだった。ガイドブックにもそれは示されていたが、西条駅前はビジネスホテルの激戦区の様相を呈していた。なので予約の段階で、宿の絞込みはけっこう難しいものがあった。一つには保存協力会編のガイドブックにはホテル・宿名は記されていても、中味・内容の情報はおそらく意図的に省かれていたからだ。しかたなく、こういう場合はネット活用でホテル予約サイトからの検索になった。ま、それもけっこう難しいものがあるのだけれど、何軒かの候補の中に一軒珍しい提示をしているものがありそれに惹かれた。だいたいわたしの検索条件は8000円以下で2食付であった。お遍路宿だったら6000円以下で二食付きはけっこうあるのだけれど、それらはネットでは引っかからない(一野屋さん然り)。西条駅周辺に10軒くらい軒を並べていたのはみなビジネスホテルで、その中にわたしの条件を満たすユニークなビジネスホテルを一軒見つけることができた。そこは近くの魚民とコラボした宿ということで、魚民の夕食セットがいただけるというもの、しかもアルコール2杯つきになっていたから、そこを見つけたとき、迷わずその場で予約を入れた。そこはサイトの割引があったりして7800円が7300円で予約ができた。ホテル自体は駅前にあって、一通りの設備は揃っていてなんら遜色なし、結果的にこの宿も当たりだった。伊予西条に宿を求めた理由は次回述べるとして、まずよかったのは、ま、これはビジネスホテルなら当たり前、逆に遍路宿には望めないWiFiが使えたことで、チェックインして風呂に入って早々にしたことがmailの送受信、特にairb関係で返事を迫られていた案件が数件あってギリギリセーフとなった。ようやく諸案件を片付けて三軒隣の魚民を訪れたときは20時近くになっていた。飲み物だけを選べばあとはお任せである。飲み物は2杯まで何でもOK、それ以上飲んだらそれは追加払いとのことで、わたしは生ビールと普段は高くて手のでない銘柄の日本酒を頼む。料理はかなり待たされたが、期待以上のものがでてきた。メインは刺身の三点盛り、そしてモツ鍋がついて、ホッケがでてきた。あとは酢の物、ご飯セット(ご飯、味噌汁、漬物)である。いや、びっくりするほどのボリュームがあって、この時も食べ切れなかったのである。滅多にないことだが前日同様刺身が残った(刺身は好物なのだが)。この食事(アルコールを含めた)の概算はおそよ4000円相当?、そうするとこの宿代がいかにreasonableなものであったかがわかろうというものである。残念ながらこのときカメラを持参しておらずその証拠写真は撮れなかった。しかしながら、喜んでばかりいられることでもなかったのだ。実は今回の旅には密かに意図するもう一つの目的があった。最近運動不足のせいか10年前までは考えられなかったお腹のふくらみが気になりだしていた。で、少し歩いて減量を(だいたい旅にでると体重は減るのだが‥ま、長期の場合だが)と目論んでいたのが、どうも結果は逆になりそうだった。21時にはホテルに戻り、午前中にいただいていた甘夏をデザートとしたが、これも大きすぎで全部食べきれず、それも残してその日は閉じることになった、、

Img_8495_640x480伊予西条駅前、上到着時撮影、下次の日撮影Img_8497_640x480

同じく次の朝撮影した魚民、宿泊したホテルは右の信号の角Img_8496_640x480