独歩の独り世界・旅世界

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4回目の四国<変則区切りうち> その3,9番法輪寺→4番大日寺

 前夜と同じテーブルで朝食をいただいて、宿を出たのは7時半ころだった。いわゆる遍路宿と呼ばれる民宿なんかだとだいたい6時とか、6時半からの朝食なのだけど、この宿は特にお遍路さん相手というわけでなかったから(それでもその日の宿泊者はほとんどがお遍路さんだったが)7時からの朝食で、どうしても出発はその時間になってしまったのだ。が、わたしにとってはその日の予定に何ら支障はなかったのだけれど‥、、

 前日10番を打ち終えており、普通の順打ちだとこのあと11番に向かうのであるが、わたしはこのとき変則区切りうちで、しかも逆打ちをやろうとしていた。この時点で残されていたのが10番を除く1番~30番で、それはそれまでのいろんな経緯でそうなってしまったのだけれど、いずれはすべて回るつもりでいることに変わりはなかったが、今回は日程の関係で、まず、10番→1番を打ち終えるつもりでいた。なので向かった先は9番法輪寺だった。法輪寺へは宿の前の12号線をそのまま鳴門の方向へ2kmくらいいくと吉野川高校土成農場があって、そこを左に入ると近そうだった。かなりラフないい方になるがその12号線はこのあと1番までのお寺がほとんどがその沿線にあった、といえる道であった。ま、街中の平らな道なので歩きづらいことはなかったが、面白みのない道ということもできたかもしれない。ちょうど30分で、その土成農場のところを左折、細い舗道になって、そのあとが少しわかりずらかったが、8:15法輪寺着、この時は一番ではなかったが、まだロウソクも線香もほとんど立っていない状態だった。お参りを済ませ、御朱印をいただいて山門をでると、そこにあわじ庵?という茶店があって、いつもは素通りなのだけれど、このときお店のおかあさんに声をかけられたので立ち止まるとコーヒーお接待しますとのこと、それは断ったが、草餅がおいしそうだったので(前日から甘いものを欲していたので)買ってしまった<2ヶ150円>。お茶を入れてくれるとのことだったが、あとで食べるのでといって8番への道を聞いて歩きだす。しばらく田園の中の道を行くと、もうその時間は順打ちの何組かとすれ違うことになった。やはりこんな88ヶ所の最初方で、どうやっても間違いようもないところでも、逆打ちには少しわかりずらいところがあって、8番熊谷寺へも少々遠回りをしてしまったようだった。で、法輪寺から40分かかって9:15熊谷寺着。ここも参拝に20分を要したが、まだ比較的早い時間だったからか、法輪寺と同様参詣客が少なくていい感じの印象が残った。 

9番法輪寺;4枚Img_2694_640x480Img_2695_640x480Img_2696_640x480Img_2697_640x480

こんな人通りのない舗道を行く、途中の神社
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漸くたどり着いた山門から一人の歩き遍路さんが降ってきた、、Img_2699_640x480

上の仁王門から本堂まではまだしばらく歩かなければならなかった、熊谷寺;4枚Img_2701_640x480
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Img_2704_640x480本堂の左の階段を登ると大師堂Img_2706_640x480大師堂から

 そこからは細い舗道の遍路道を7番に向かう。この区間では順打ちのお遍路さんと出会うことはなかった。この間は4.2kmだったから約1時間の予測であったが、ちょっとしたアクシデントがあった。30分くらい歩いたあたりからお腹が痛くなりだしのである。トイレにいきたくなったのだけれど我慢しながら、どこかトイレを借りられそうなところはないかと探しながら歩いていた。当然ながらコンビニはなかったし、飲食店の類も普通の商店もなかった。小さなガソリンスタンドがあったが日曜で開いてなかった。その先に小学校があったが、ここも日曜で構内に入ることすらできなかった。我慢の限界にきていた。小さな川があって橋が架かっていたので、その河原に降りて橋の下で、なんてことも考えたが、その道すら見つけられなかった(御所大橋と地図にでていたのを後で知る)。最悪、どうにもならない‥、、と、橋を渡ったところに会社のような建物があった。トラックが数台停まっていたから運送会社のようであった。が、やはり日曜で人の気配はなかった。それでもダメもと(藁にもすがるといった想い)で事務所のある所にいってみた。やはり人の気配はなかったが、引き戸が開いたので声をかけてみた。最初姿が見えなかったが男性が一人いて、なんでしょう?と答えてくれた。事情を説明してトイレを借りられないか?と聞いてみた。建物の裏側にあるから、どうぞ、といってくれたのだ。変ないい方になるが、ぎりぎりセーフだった、間にあったのである。感謝してもしきれないほどありがたかった。もちろん、こういう時の礼儀として、納札に住所と名前を書いて小銭を添え、本当に助かりましたと礼をいってそこを辞した。多分その男性はそこの社長さんだったと思う。わたしが道にでたところで、その人が追いかけてきた。そんなことをしてもらっては困る(つまり礼には及ばない)といってお茶のペットボトルをわざわざ持ってきてくれたのであった。こちらこそ、そんなものいただくわけにはいかないと断ったが、ありがたくその気持ちを頂戴した。こんなことで四国の人たちの温かさを感じてしまうし、やはりお大師様は見ててくれていたんだ、とも思ってしまうのである。わたしは改めてその会社の名前を記して感謝の気持ちを表し今後のご発展を祈りたいと思う。たしか、清水運送さんだったと記憶している、、

 心身ともに甦って気分よく歩いていると、細い舗道から軽自動車がでてきてわたしのところで止まった。わたしには関係ないとそのまま歩いていると、同年代か?高年のおじさんが降りてきて、これを持って行け、と生姜糖というものをいただくことになった。不思議にお接待は続くのである。これも疲れていたのでありがたかった。そんなこんなで、7番到着は11:10で1時間のところ1時間半かかっていたが、単調な遍路歩きではこういった予期せぬ出来事がいい思い出として残るのである。‥ところがその7番十楽寺では逆なことが起こった。わたしが訪れたとき参詣者はほかに一組くらいしかいなかった。で、ここの大師堂の奥にお大師様の御影が、他では見られないような感じで飾られており、特に写真撮影禁止と書かれていなかったから、なんとかそれを撮りたくてうろうろしていたら、どうやら怪しまれてしまったようだった(多分防犯カメラに映ったのだろう)。納経所の女性が飛びだしてきたが、その前にわたしが納経所のほうへ歩きだしたので、その女性は何もいわずに引き返していった。いや、そんなこともあるのかと少々反省はしたが、疑われるというのも気持ちのいいものではなかった。なので、そこは早々に引き上げ、次の6番安楽寺へ向かう。安楽寺までは15~20分の距離で、途中で6番から7番へ歩いて向かう団体さんとすれ違う。6番に着いた時も別の団体さん一行がきており、たぶん6番→7番は距離が短いので団体さんも歩きで移動しているのかもしれなかった。ちょっと偏見かもしれないが、これまでの経験から参拝時に団体さんと遭遇してしまうと、気持ちを落ち着けてお参りができなくなるのは、やはり修行の足りなさ、ということであろうか?、で、この6番も早々に退散してしまった。

7番十楽寺;4枚Img_2707_640x480Img_2711_640x480手前右が本堂で、少し石段を登った奥が大師堂Img_2709_640x480大師堂Img_2708_640x480_2この写真を撮ろうと思って苦労していた、、

6番安楽寺;3枚
Img_2714_640x480この山門は7番と似ていた、、Img_2717_640x480正面奥が本堂Img_2715_640x480_2本堂右に大師堂


 この時点でちょうどお昼ころになっていた。5番の地蔵寺までは5.3km、疲れてきていたから1時間半?、それでも順調にきてはいた。その日は5番そばの民宿森本屋さんにお世話になる予定だったから、ま、楽勝といえた。それでも昼時だったから適当な飯屋でもあれば寄るつもりだった。ガイドブックを頼りに歩いていたが、そのコース上にはないはずだった、そのガイドブックにも載っている民宿寿食堂が思いがけずでてきたので、そこで昼食をとることにした。名物のたらいうどん、というのをいただく。多分ここもお遍路宿だったと思うが、少し札所から遠くてどれくらいの利用者がいるものか、むしろ12号線沿いにあって、それでなくとも食べ物屋の数が限られていたので、一般のお客さんの食堂利用が多そうに見えた。手ごろな価格で、家族でやっている食堂なので感じはとてもよかった。しばしの休憩がとれ、腹ごしらえもでき再び歩き出す。そこから少し距離があったが、森本屋さんには13:30着。前日telいれたとき、その時間は誰もいないかもしれないが、荷物は置けるようにしておく、といっててくれたので、そこが裏口とは知らずに戸口のそばに荷物を置いて5番地蔵寺にでかけた。この日は日曜日だったこともあって、車での参詣者が多く一般の人(遍路装束でない人という意味)を多くみかけた。地蔵寺の裏には五百羅漢を祀る寺がことでそこにも寄ってみた。そこからは4番大日寺が2kmのところにあって、登り気味の坂をいく。何台かの観光バス、何台もの乗用車が追い越していく。山のすそ野といった感じのところに大日寺はあって、追い越していった観光バスのお遍路さん、乗用車のお遍路さん&観光客でにぎわっていた。時間は十分あったので参拝後しばしの休憩をとり、朝方仕入れた草餅がその場の茶菓子となった。

民宿寿食堂のたらいうどん、400円だった、、Img_2718_640x480

地蔵寺;3枚
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五百羅漢の祀られている弥勒堂と羅漢像;2枚(フラッシュをたいてないから写りは悪い)Img_2725_640x480
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4番大日寺;5枚
Img_2731_640x480Img_2736_640x480Img_2735_640x480正面の本堂と大師堂を綱く渡り廊下に安置されていた黄金の観音像;下
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Img_2734_640x480大師堂

 森本屋さんに戻ったのは15:30で、先ほど荷物を置いたところが裏口で、立派な玄関、建て直したばかり(?)のきれいな民宿だったことをそのとき知る。人の良いおばさん(結構お年を召されていた)が、部屋に案内してくれいろいろ(館内及び食事の時間等)説明を受ける。そのときはまだ時間が早かったので、他にお客さんはいそうもなかったが、夕食時には奈良から来られたというわたしと同年代のご夫妻と大阪から来られたという早期退職されて二度目のお遍路をされているという、わたしより一回り若い男性と食事を共にする。が、さすがに4人だったのと、大阪の男性は酒を飲まなかったし、わたしも話題に乏しい人間で、おまけに経験も浅かったので、この夜は他でよく経験したような宴会にはならなかった。それでもここの食事も悪くはなかった。食事に満足して、だいぶ疲れていたのか(この日もトータル20kmくらい歩いていた)例によって20時ころには床についてしまうのであった、、