独歩の独り世界・旅世界

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5回目の区切りうち遍路 その4,18番恩山寺、19番立江寺、、

 正直いうと17番井戸寺~18番恩山寺間は最初から歩く気がなかった。この間も約17km,5時間の長丁場であった。それだけでなく(体力的な問題だけでなく)いくつか勝手な理由を見つけてあった。要はわたしは軟弱な歩き遍路であって、必ずしも88ヶ所をすべて歩き通すことを最初から目指していたわけではなかった。それはわたしには無理であろうと思っていたから、特に市街地などでは公共交通機関の利用できるところは、うまく時間帯があえばそれを使うことに躊躇いや後ろめたさはなかった。それとは逆に、例えば一日何本かのバスがあったとしても、山間部はできるだけ歩くつもりでいた。それはお遍路のそもそもの動機がわたしの場合、趣味の一つであった山・旅の延長であったからで、むしろそういうところは積極的に歩きたいと思っていたのだ。以上のような勝手な理由付けで、この17番~18番はJR利用がわたしにとっては賢明と思われ、そのつもりでいたので、宿泊も駅近にこだわっていたのだった。この16番近くの鱗楼さんは、JR徳島線府中(コウと読むらしい)駅から500mくらいのところにあったから、そういう意味では最も利便性のいいところにあったともいえたのだった。そして当初の予定ではいずれに宿泊したにしろ、あるいはこの辺りに泊まらなかったとしても17番井戸寺を打ち終えたらJR徳島線府中からJR牟岐線南小松島までは10駅<360円>のJRを利用するつもりでいたのだった。

 ところがその予定も少し変わってきていた。今回のお遍路の当初の予定は以下のようなものであった。期間は5/25~6/1、で初日の5/25と最終日の5/31は夜行バスをどちらも予約済みであったが、残りの宿泊地として5/26は焼山寺がすだち館に変わって、以下は予約してなかったが5/27が前回言及したように13番大日寺辺り、そして5/28が18番恩山寺辺り、5/29が20番鶴林寺の手前、5/30が21番太龍寺のあと辺りで漠然といけるかなぁ?と考えていた。いずれも後から考えれば、一日にそれほど歩けるとは思ってなかったから、かなり控えめな想定(甘い計画)であった。それが早くも2日目で修正を余儀なくされていた。その時点でやっと、もしかしたら一日余るかもしれないことに気付いたのだ。宿泊先は前にも言ったように持っていたガイドブックにくまなく網羅されてので(所在と連絡先だけで金額的な情報はなし)、今後の見通しを再検討してみると、その先は宿泊可能のところが極端に少なくなって、ほとんど選択の余地はなく、その日の宿は鶴林寺の手前で取るしかなさそうだった。もっともそこまでは、南小松島までJRを使えば楽に行けそうなのは確実だった。そうすると予定が一日繰り上げることになる、といって宿の予約をしてあったわけでないから、それは問題なかったのだけれど、その時迷っていたのが1,一日早く帰るか、あるいは2,もっと遠くまで行くかの選択であった。1,の場合はバスの予約の変更を、2,場合は、どこまでいけるかの検討が必要だった。で、今回予約してあった帰りの夜行バスは5/31の阿南→東京だったから、2,の場合でも5/31の夜までに阿南に戻らなければならないということだから、その先23番までは行けても室戸岬まではどうやってもいけないのがわかって(3,の選択としてticketそのものを解約してそのまま室戸岬へ進むという選択もあったかもしれない??)、そうなると必然的に1,の選択しかないということがわかった。

 その朝、1,を決めていたから、府中→小松島の予定を府中→徳島<220円>に変えた。ticketの変更はtelでもできたかもしれないが、ややこしくならないために直接出向いて交渉したかった。そうすると、それができる最寄りの場所は徳島駅しかなかった。7:24の列車は10分ちょっとで徳島駅着、駅員さんに高速バスのticketセンターの場所を聞く。それは駅を出て左でのビルの中にあった。すでに開いていたそこで、若い女性のスタッフがわたしの相談を聞いてくれ、一日早いバスの空席状況を調べてくれ、手数料2割(1200円くらいだった)で変更できることを教えてくれた。予約の変更はものの5分で済んだので、来た甲斐はあったと満足だった。駅前はバスターミナルになっていて、それこそ全国各地への高速バスから県内・市内へのバスの発着所になっていたから、当然小松島方面にへ行くバスもあるのではないかと聞いてみると、もちろんあるとのこと、当初ここから南小松島まではふたたびJRを利用するつもりだったが、バスがあるのならと、その乗り場を探してみた。するとまだその乗り場を見つける前に、バス発着のアナウンスがあって、その中に確かに小松島恩山寺という単語を聞いたのだ。あわてて言われた乗り場にいってみると確か19番立江寺のある立江まで行くバスだったか?が停まっていて、念のため運転手さんに恩山寺を通るのか聞いてみると、間違いないという返事で、なんかラッキーという感じでそのバスに乗ってしまった。おかげで当初はJR南小松島~18番恩山寺約3km,45分は歩くつもりでいたのだけれど、恩山寺の下まで徳島駅から35分で着いてしまった。360円は楽できた分安く感じられた。ほとんど乗客がいなかったそのバスの運転手さんがことのほか親切だったのが印象的だった。

 8:30に恩山寺下から歩き始める、、意外や、境内は山の上のようで、山道の参道をを10分ほどかかって大師像の立つ境内入り口に着く。山全体が伽藍といった感じの、とっても趣のある寺だった。石段を上がった左側にベンチがあったので、そこに荷を置いて遍路装束を整える。そこまでは白衣は着てこなかったからだ。境内には歩きのお遍路さんが二人いたが、一人はわたしがくると同時くらいに参拝を終えて出発していった。ここの本堂はさらに石段を登ったところにあって、そこを詣でてから、また長い石段を下りて大師堂を参拝、そのころには一般の参詣客や車遍路さんが訪れてきていた。9:05に恩山寺を辞し、遍路道を行く。19番立江寺までは4km,1時間の距離だった。最初の15分くらいは竹林を行き、雑木林や田園の中を行くといった風で、前に打っていた71番弥谷寺からの道を思い出していた。どちらも印象に残る道だった。しかしそれはすぐに民家が現れ、市街地の道に変わってしまった。単調な舗道歩きとなって、それでも要所要所には遍路道のステッカーは貼ってあったから、間違いようのない道だった。途中で先に出発していたお遍路さんに追いついた。挨拶すると若い人だったが、年齢不詳、あまりしゃべりたがらない感じの人で、今日はどこまで?と聞いたら、確か勝浦といったように聞こえたが、それがどこだかわからないまま、話が続かずわたしが先行することになった。ちょうど1時間で立江寺着。ここは街中にあって、たいそう名の知れたお寺らしく一般の参詣客の多さに驚かされる。車のお遍路さんも多くあちこちから読経の声が聞こえていた。ここは到着が10:05だったが、参拝のあとその日の宿探しにかかった。先に今後の予定を再検討したときに、少し近すぎるがそこしかなさそうという宿は見つけてあったが、もう少し鶴林寺に近いところがないか、あるいは鶴林寺には宿坊がないのか確かめたくて予約は入れてなかった。そんなこともあって先ほどのお遍路さんに聞いてみたのだけれど、どうやら彼がいっていたのはわたしが宿泊を予定した宿の近くにあった遍路小屋勝浦のことらしく、その荷からして野宿遍路さんのようだった。すぐにやってきた彼は、わたしが宿探しをしている間に先発って行った。ここの納経所でも御朱印をいただくときに、この先の宿のことを聞いてみたのだが、その返事はわたしが予定していた辺りしかないとのことで、鶴林寺は今は宿坊をやっていないとのことだった。それで、そこしかなさそうだった民宿Kにtelを入れる。男の人が出て、少し調べてくれて、どうやら最後の部屋が開いているというような口ぶりだったので、すぐにその日の宿泊をお願いした。そこまではこの立江寺から10kmだったから2時間半?、このままいったら14時ころには着いてしまいそうだった。しかしその先となると、焼山寺から続く遍路ころがしのもう一カ所の難所といわれていた鶴林寺太龍寺を越えたあとにしか宿は見つけられなかったから、ちょうど疲れもたまっていたときだったので、いい休養になるかもしれないと考えなおした。とにもかくにもその日の宿が確保できて一安心、そのあと急ぐ必要がなくなったので立江寺で少しゆっくりしてしまった。立江寺を発ったのは11時ころだった。

恩山寺バス停近くの山門、ここから山道が始まる、、Img_3108_640x480

その道は素敵な参道であった、、Img_3109_640x480

10分ほど上の道を行くと、境内の入り口にでた、、;2枚Img_3110_640x480_2
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石段を登るとこの面(大師堂が左手にある)になって本堂は更に正面の石段を登ったところImg_3114_640x480Img_3112_640x480本堂

大師堂Img_3113_640x480

恩山寺をでてすぐの、立江寺に向かう竹林の道、、Img_3115_640x480

立江寺;5枚Img_3117_640x480仁王門

Img_3118_640x480参詣客の絶えない本堂、、Img_3120_640x480本堂から多宝塔と大師堂を望む、、Img_3121_640x480黒髪伝承の残る黒髪堂、、Img_3122_640x480大師堂から見た本堂

 立江寺からは左手に田園が広がり右手は山裾に民家が建ち並んでいるといった感じの平坦な舗道を行く。細い道だったがバスも走っているようで時々バス停があった。単調な道を45分歩いて疲れがでてきたころにバス停があってベンチがあった。その裏側も遍路用の休憩所になっていてトイレもあるようだった。ありがたく休ませてもらおうとして、先発していたお遍路さんがいたのに気付く。ここでもほとんど会話のないまま彼はまた先発っていった。10分ほど休んでわたしが発とうとした頃に、今度は女性のお遍路さんが追いついてきて、この方とも挨拶を交わしただけで入れ違いになった。そこから先は幹道になって交通量も多くなった。ガイドブックにあった次の目標地点としたローソンまでは、そこから35分かかった。そこには先着していた、もう顔なじみになっていた年齢不詳の彼と、もう一人明らかに学生さんぽい、この人も野宿お遍路さんのような若者がいて二人ともローソンで仕入れたと思われる昼食をとっていた。彼らに挨拶して、わたしもここで昼食をとることにしローソンで仕入れた。あいにくベンチがなく3人地べたに腰を下ろしての昼食となった。一般のお客さんからすると見苦しかったかもしれないが、せめてベンチでもあったらと思うのであった。それでも奇特な方がいて、われわれ全員にトマトと甘夏を接待してくれたおじさんには恐縮してしまった。ありがたいことだった。最初に発ったのは、勝浦まで行くといっていた年齢不詳の彼で、そのあと若い方が発っていったが、そのとき彼とは少し話して同郷、千葉の人だったことを知る。わたしはそのあとかなり遅れて発ったが、前の休憩所で出会った女性はその時まで姿を見せなかった。また、彼ら二人とも、その後出会うことはなかった。おそらくわたしよりずっと先を行っていたであろうことは間違いなさそうだった。そのローソンからは4km,ちょうど一時間かかって、そろそろ疲れが出始めたころに民宿Kに着いた。

Img_3123_640x480ローソンの地べたで昼食をとらせてもらう、、

  到着は13:55だったと思う。ここは鉄筋コンクリート3階建ての立派な建物だったから、民宿と呼んだら失礼だったかもしれない。戸は閉まっていたが開いたので中に入ると、たぶん先に電話で応対してくれた男性だったと思うが、まだ、準備ができていないので外で待っててください、といわれてしまった。2時からとのことであった。荷物は置かせてもらって、周辺をうろついてしばらく待つ。前の商店でビールを買おうとしたが売っておらず紅茶のペットボトルを仕入れた。そのうち準備が整ったらしく部屋に通してくれた。どうやらわたしが一番乗りのようだった。お風呂は4時ころから、夕食は6時過ぎに準備ができ次第知らせてくれるとのことだった。宿帳に記帳しているときに、この男性(主人なのか従業員なのか判断できず)に次の宿泊場所としては皆さんどの辺で取るのか聞いてみると、ぎりぎりで打てるかどうかわからないが、22番平等寺まで行かれる方が多いとのこと、平等寺のそばに‘山茶花’さんという遍路宿があって、そこなら間に合わなくても次の朝に打てるというアドバイスをもらった。そこまで行くのが難しいようなら太龍寺のロープウェーを降りたところに‘道の宿そわか’さんがあるとも教えてくれた。

待っている間に付近を撮る;2枚Img_3124_640x480Img_3125_640x480宿の前が鶴林寺への遍路道の起点?だった


 時間はたっぷりあったので、その午後はゆっくり休むことにしてどこにも出かけなかった。そして今後の予定のさらなる検討となった。つまり明日の宿はどこにするかということで、、ところがこの時の判断が、またミスになるのである。このあたりの見通しは難しかった。二日目のすだち館~大日寺と同じで、ここ御宿Kからのもう一カ所の遍路ころがしであった20番鶴林寺~21番太龍寺越えは相当きつく、時間もかかると思い込んでいたのである。それでここの主人?の見解にあった、22番平等寺まで(ふた山越えての21km,8時間半)はわたしには厳しすぎるだろうと判断してしまったのだった。そうするとその手前にある宿はどこか、ということになった。例のガイドブックには2ヶ所の記載があって、いずれも太龍寺からは1~2時間で行けそうだった。最初にtelしたところは、当初の予定でもその辺りまでなら、と候補にしていた宿だったので、空きがあればそこに決めるつもりでtelをいれると、なんとこの電話は使われてません、というテープが流れているではないか!?、そうなると残るは一つ、これは先にご主人?がいっていた‘道の宿そわか’だった。しかし、そこもどういうわけか何度tel入れても繋がらなかった。いったいどうなっているんだ!?、どうしたらいいんだ!?、と少し焦ってくる、、

 この‘そわか’を後回しにしたのには理由があった。‘そわか’がある場所は太龍寺ロープウエー(遍路ころがしの難所太龍寺は、平成4年にロープウエーがかかったとのこと)の駅舎の隣にあったから、その場合ロープウェーを使わないと、22番平等寺にいくには片道1時間、それが往復になるから2時間余分に歩かなければならなくなることを嫌ったためだった。歩き遍路にとっては、そういう無駄(ロス)は極力避けたかった。かといって、ロープウェーを使うことも潔しとしなかったのだ。しかし、そこ以外に22番の手前に宿はなかった。何度目かの電話でやっと通じて、次の日の予約は受けてもらえた(まさか、それが早とちり?になろうとは ! ! )。その夜の夕食は悪くはなかった。ビル一本では足りなくなったが、その日はそれほど歩いてなかったし、午後の時間にお茶・紅茶を結構飲んでいたから一本で我慢する。その場で同席となったのは全部で8人、みなお遍路さんで、単独の男性がわたしを入れて五人、同じく女性一人、中高年のご夫婦一組が少し離れたテーブルにいた。単独男性の二人は知りあいだったのか親しく話をしていが、あとの四人はわたしも含めて一人黙々と食事を楽しむ、という感じだった。この場が盛り上がるかどうかの分岐点を、これまでの経験でわたしはつかんでいた。もちろんそういう場では口火を切ってくれる人がいたり、手練の女将さんがいたりしたが、わたしはそれが自然な形で生ずる民宿の特徴に気付いていた。それはいずれも座卓を囲んでの夕食であった。これは一つの法則のように思えた。然るにそこはテーブル・椅子席での食事であった(数からするとそのほうが多かった)から、ま、そう簡単に盛り上がらないのはわかっていたのだった。食事を終えていつものように早めに床に就く。20時ころであったか?、ところが前日同様寝付けなかったのである。どうしたことか?その日は何とか雨は持っていた、が、次の日は雨模様であった。気温が高く湿気の多いときは蚊が発生しやすいのかもしれない。雨戸は閉めてあったが、蚊に襲われ続ける、何度起きたことか!?そして蚊取りがないかを探す、前日も、またほとんどのところは普通に置いてあったからだ。が、それを見つけることができなかった。そうして夜半まで、今では珍しくなった蚊との攻防を繰り広げることになったのだった。他は取りたてて問題はなかったが、最初の応対とこの件で、この宿の評価は(わたしにとっては)ずいぶんと低いものになってしまった、、