独歩の独り世界・旅世界

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4回目の四国<変則区切りうち> その2,88番大窪寺→10番切幡寺

  二日目は88番大窪寺から10番の切幡寺まで約18kmを歩く予定であった。例のガイドブックには5時間半となっていたから、むしろ一日の行程としては楽勝かと思われた。八十窪の婆さんは昔健脚を誇ったようで、わたしに3時間半で行けるといって、途中のポイントポイントを教えてくれた。一旦荷を置いたまま7時前に大窪寺の参拝に上がった。わたしが訪れたときはまだほかに参詣者の姿は見えず、きれいに掃き清められた境内で最初のろうそくを灯し線香を立てるのは誠に気持ちの良いものであった。が、それも束の間、7時を過ぎるとどこから現れたのかたちまち境内は最後の納経に勇んでやってきた巡拝者であふれてきた。それを尻目に、多分その日一番の御朱印をいただいて写真を撮って宿に戻る。寺の背後には昨日下ってきた女体山の鋭鋒がそびえていて、その屹立とした姿にあらためて、その厳しさが甦ってきた。いや、決して高い山ではなかったが、その角度からするとまさに修験の山のようだった。ま、それで前日間にあわなくなったのであるが、最初から八十窪泊の予定だったから、納経は昨日でもその朝でも、わたしにとってはどちらでもよかったのであった。

夜明け前の東の空、部屋からImg_2661_640x480

7時前の門前には人影なしImg_2664_640x480

仁王門から入るImg_2665_640x480

お大師様像Img_2666_640x480

大師堂のロウソクたてにこの日最初の灯明をともすImg_2668_640x480

お役目を終えて奉納された金剛杖Img_2669_480x640

本堂;2枚、背後に女体山(胎蔵峰)の鋭鋒が聳えているImg_2670_640x480Img_2671_480x640

帰りは二天門から退場;2枚Img_2674_640x480Img_2663_640x480

 婆さんと娘さんに挨拶して7:20に民宿八十窪をあとにした。車の通りが少ない立派な車道を教えられた方向に下っていく。前日の87→88間でわたしの歩いていた時間帯に他の歩きお遍路さんには出会うことも見かけることもなかったのだけれど、この日も全く独り歩きの様相だった。豊かな自然、鶯の鳴き声、快晴の天気、心地よい風、さわやかな季節の、舗道とはいえ車のほとんど通らない下り勾配の歩きは、当然順調・快調であった。が、30分くらい歩いた頃か異様な光景を目にすることになった。相当遠方に何やらうごめいている人の集団のようなものがみえた。こちらに向かって歩いてきているようでもあった。まもなく至近距離になると、それがお遍路さんの集団であることがわかる。リーダーに伴われて20人近くいたか?大窪寺に向かっているのは明らかだった。いくつか疑問がわいたが、相手が大勢だったこともあってすれ違ったときは挨拶を交わしただけとなったので、当然その疑問は残ることになった。それはわたしは歩き遍路の集団というのに初めて出会ったのだが、どこから歩いているのか?つまり彼らがそのままバスで移動しているのなら何ら不思議はなかったのだけれど、いったいどこから歩き続けているグループなのかということと、その日どこから歩いてきたか、つまり前日の宿泊先はどこだったのか?という疑問だった。なぜならわたしの知る限りその先に宿泊施設なるものがあるようには思えなかったからだ。ところが、さらに歩き続けていると今度はちょっと年齢不詳だったが、まだ若そうな男性のお遍路さんに出会う。いつもなら挨拶交わすだけなのだが、この時は先の疑問があったから声をかけて立ち話になった。もちろん大窪寺に向かっているのは明らかだったから、まず聞いたのは前日にどこに宿泊されたか?つまりこの先にそういう施設があるのか、だった。その答えはこれまたわたしの予想を覆すもので、先の疑問の答えにはならなかったのだが、彼はなんと野宿しながら歩いているとのことで、前日は所どころに設置されている遍路小屋に泊まったという返事。その話も興味があったので、いろいろ聞いてみると、そのときすでに数時間歩いてきているという話で、その厳しい遍路修行に感心させられてしまって、それがどこからだったか聞き漏らしてしまった。確か2度目の結願といっていたような記憶があるが、すごい人がいるもので、一人も出会わないかと思っていたこの道で、まさかの二組のお遍路さんとの遭遇であった。もっともこんな田舎道を歩いているのはお遍路さんくらいなもの?、そのあとは地元の人にもお遍路さんにも会うことはなかったのであるが‥、、

鶯の鳴き声が聞こえたあたりImg_2678_640x480

民宿の婆さんから聞いた最初の分岐点、ここまで約1時間Img_2680_640x480


 八十窪の婆さんに教わった目印は、ちょうど1時間ほどのところに出てきて、そこを右折して少しいくと、香川県徳島県の県境があった。山村の細い舗道はなおも少しの下り傾斜で、だから結構快調に歩みつづけてポイントの大影橋近くの休憩所が8:55(5分休憩)、岩野トンネル9:30、犬墓大師堂10:15で、そこでまた5分の休みを入れる。次が高速下でそこが11:05、そこでまた5分。その先で少し大きな道にぶつかりそこを左折。そのまま30分以上歩き続けていると左手にまだ新しい大きな建物が現れてきた。その日は土曜日だったので人の出入りは全くなかったが、どうやら阿波市役所の新庁舎のようだった。ところがこれが厄介ものとなったのだ。というのはまだ新しいその庁舎は、当然わたしが持っていたバイブルたる地図には記載がなかったから、その場所の特定できなかったのである。つまりそろそろでてきてもおかしくないと思っていた10番切幡寺への左手に登っていくはずの道が、その先なのか、すでに通り過ぎているのかの判断ができなくなったのである。たぶんその市庁舎が出現する以前はあったであろう道しるべが、どこにも見当たらなくなっていた。それで困ってしまったのである。人に聞こうにも人通りの全くないところであった。で、少しうろうろするが、先に進むか、戻るか、あるいはその市庁舎脇から山のほうに向かっていた道があったからそこを行くべきか、そのころにはもうだいぶ疲れがでていて、間違えたくなかったのである。で、しばらく佇んでいると、その市庁舎からでてきた人がいたので聞いてみた。幸い地元の人で、もう少しいったところに登り口の案内があると親切に教えてくれた。そんなんで15分くらいロスしたか?で、交差点を渡って少しいったところにその案内看板はあったが、そこからさらに山道を登り、333段あるという石段を登ってやっとの想いで本堂のある境内に到着したのであった。下からなんと20分もかかる参道だった。疲れ切ってしまってしばらくの休憩を必要とした。結局88番大窪寺→10番切幡寺までは、ガイドブック通りやはり5時間少々かかったのであった。

先の分岐から細い舗道を行くとすぐに香川・徳島の県境の案内があった(両側から撮る)

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ほとんど車の通行のない地方道を下っていくImg_2683_640x480

犬墓大師堂で小休止Img_2685_640x480

日開谷というあたりからの風景Img_2686_640x480

漸くのことでたどり着いた切幡寺、最後に333段の石段が待っていたImg_2687_640x480


 10番切幡寺に着いたとき、先に述べたように午前中に遭遇した二組のお遍路さん以外には一人も出会わなかったのだけれど、そこにきて一気に境内がにぎわっているのに驚かされることになった。その日が土曜日ということもあってか車お遍路さんが多いことがわかった。団体さんも多くて、にもかかわらずどういうわけか、ま、たまたまその時だけのことだったと思うが、普通二人でこなしている納経所に一人の女性しかおらず、しかも団体さんの納経帖が山と積まれていて、初めて見る納経待ちの長蛇の列があった。そんなこともあって参拝と御朱印をいただくのに、ま、最初に少し休みを入れたこともあって都合1時間くらいの時間がかかってしまう。納経待ちにイライラするようではまだ修行が足らないと思いながらも‥、、

切幡寺;3枚Img_2688_640x480Img_2689_640x480Img_2690_480x640_2

山門から退出(入門は別の道からだった)Img_2691_640x480


 ともあれ何とか予定通りの時間に切幡寺の参拝を終えたのだけれど、当初の予定でその日の宿は、この10番の近くにとってあった。というのも、わたしはこれまでの経験で一日に歩ける限度は5~6時間くらいが精いっぱいということがわかっていたので、今回の遍路計画を練っていたとき、ちょうどこの10番近くに一軒の宿を見つけ、その先までいくのは難しいだろうと判断し、その時点で予約を入れておいた(遍路宿はあるところには何軒も固まってあったりするが、ないところは全然ない)。その宿旅館八幡は切幡寺から2km30分という看板をあちこちで見かける。その案内に従うように、疲れた足を運ぶ、そのころには例によって靴ヅレ?前日にテーピングをしておいたが、足指にマメができてしまったようだった。だからその2kmは存外遠く感じられたのだった。宿着が14:00、ここは旅館とうたってるだけあって、なかなかのつくりの、そして高級料亭を思わせる一般客向けのレストランを伴った立派な宿だった。その割には、お遍路さんは特別価格だったのか、これまで宿泊してきた民宿なんかとそれほど変わらない値段で、たいへんありがたかった。到着が早く、また昼食をとってなかったので、チェックインのあとすぐに近くのコンビニに買い出しにでかける。もちろんその宿のレストランを利用する手もあったが、ま、外見からすると気軽な昼食は無理そうだったので、こういう時はコンビニ弁当とビールで十分だった。それよりもコンビニが近くにあることのほうが珍しく、そういう意味では山から降りてきた実感がこういうところにあったのである。買い出しから戻ってからも少し忙しかった。まずビールと(弁当でなく)焼きそばとおにぎりで腹ごしらえをして、それからシャツを一枚洗濯、そして今回は秘密兵器を持ってきていたのでmailのチェック。秘密兵器とはポケットWiFiのことで、guest houseの予約、あるいは問い合わせの返答が24時間以内となっていたから、そのチェックとなった。それも前日の山の中では圏外になっていてできなかったが、すでに下界の阿波市では可能だったのである。おかげで一件の問い合わせを発見、英語の返信に時間がかかったが一仕事できたのであった。そのあとは次の日の宿探しで、果たして明日はどこまでいけるか、どこに宿をとるかの検討となった。この先7番→1番間は宿坊もあったりで比較的宿泊施設を多く見いだせ、どこに泊まるかは次の日と最終日の予定とからめて検討する必要があった。で、一応残る二日間の予定は次のようなものだった。まず最終日の飛行機は高松発18:15だったから遅くとも17時に高松空港に着ければ問題はなかった。そこまでのルートとしては、今回の打ち止めを1番にしていたから、そこから高速バスで高松に戻るバス便が1時間に一本くらいあった。なので逆算していって、1番が午前中に打てれば余裕、さらに逆算すると、できれば次の日に4番5番あたりまでいければ何とかなるだろうという目算がたった。それで4番、5番あたりの宿を探す。と、そのあたりでは一軒の宿しか見つけられなかった。で、とリあえず明日の状況だけでもと思って早速問い合せてみた。なかなか感じのいいおばさんがでて、OKとのことだったので予約をお願いした。そうこうするうちに風呂が沸いて、風呂から上がると間もなく夕食となった。

 食事は一般客用のレストランに、それぞれ客ごとに一つのテーブルがあてがわれ(なので民宿のようにみんなで大テーブルを囲んでの食事とはならず、会話を交わすこともなく)、この日の宿泊客が6組くらいだったことがわかった。そのほとんどは一組を除いて一人お遍路の中高年男性ばかりで、それぞれが黙々と食事をしていた。が、そこに並ばれていた食事の内容は、これまでにもずいぶんとぜいたくな食事をいただいていたが、そのどこにも負けない豪華さであった。さすがに、もしかしたらこの宿はレストランがメインで、宿がそれに付随していると思わせる(たぶんそういうことだったのかもしれないが)、いわゆるちゃんとしたレストランのメニュウにある食事が並んでいたといった感じで、それをあの宿代でだしてくれることに、ちょっとした感動があった。なので一応それは写真に収めておいた。料理について詳しく語れる資格がないのと普段からそれほどうまいものを食べているわけではないので、この程度のことで感激してしまうのである。わたしの基準でいえば、前日もそうであったが、その食事にビール一本で足りるかどうかが重要なポイントになるのだが(食事の内容がいいと足らなくなる)、もちろん全く足らなくなって、それなら最初から特大ジョッキというのがあって、そのほうが安かったと悔やんだりしながもう一本頼むのである。こうしてたっぷり一時間かけて食事をおいしくいただいて、最後の客になってしまったが、ひとつだけ不満があった。それは食べ過ぎたので、どうしてもデザートがほしくなったのだ。ところがその食事にデザートはついてなくて、それを求めてコンビニまででかけるのも酔っ払ってて億劫になって、少々の消化不良をおこしてしまったことが、唯一の減点評価となったのであった‥、、

この食事、卓上コンロにはうどんとステーキ、そして煮物とてんぷら、別盛でおつくり、ま、ちょっとしたところではこの食事だけでわたしが払った宿泊代くらいの値段はとられてかもしれない??Img_2693_640x480