独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 最終回 帰国、まとめ、会計報告

 最終日は一日汽車に乗ってバンコクまで、というつもりでいた。どちらかというと汽車の旅は嫌いではなかった(鉄道があるところは何が何でも鉄道でというほどのマニアではなかったが)。時間が許すならば長距離はバスより汽車の方が楽ではないかと思っていたし、タイでは汽車の方が安かったと思う。もう一つ、今回の旅では行き帰りともドンムアン(空港)だったから、そこにいくにも鉄道利用が便利であった。まして離陸が深夜だったしバンコク市内に特に用事がなかったから、シーサケートから汽車に乗れば、その列車がドンムアンに寄るからちょうどいいではないかという思惑もあって、最初からその日はシーサケートからバンコクまで10時間半かけていくつもりだった、、

シーサケート駅南側で客待ちをするサムロー(人力車)Img_6706

その隣の敷地が夜賑わう屋台街、朝~昼間はクローズのエリアImg_6705

シーサケート駅で暇つぶししている間に最初に到着したのは7:12発(実際は7:35頃)のウボンラチャタニ行きImg_6707

ウボンラチャタニ行き(右)はこの列車を待って出発した、これはナコンラチャシマ行き
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駅の風景Img_6713Img_6710上のおばさんが売っていたこれは棒状にしたご飯だった(一本10B、昼食用に買う)

 そういう意味ではシーサケート発10:38でもドンムアン着が20:16で十分間に合ったのだが、朝の早いわたしにシーサケートでその時間までの暇つぶしの名案が閃かなかった。ならば早めに行ってしまうに越したことないと8:04発の列車にしたのだけれど、それでも駅で1時間ほど待つことになってしまった。いつものように5時ころには目覚めていて、7-11は開いてるかもしれないと思って6時ころ朝食と土産になりそうなものを探しに出かける。コーヒーとパンと土産になりそうなタイらしい菓子を仕入れてホテルに戻り、7時にはそこをチェックアウトしたから7:10には駅に着いていたと思う、、なすこともなしにプラットホームで、それでも人を見ていて飽きなかった。何本かの列車を見送って(上下一本づつだったか?)、Bankok行きの到着は少々遅れ出発は8:15になった。2等車は一応座席指定で二人掛けの快適なシート、エアコン車でなく窓が開いたから風が気持ちよかった。ほとんどガラガラで、物売りがしょっちゅう行き来していた。車窓はずっと田園風景、特に素晴らしい景色ということもなかったが、かといってつまらなくもなかった。それはやはり自然の中を行くからで、街や人工物の多いところよりずっと目に優しいということでもあろう、、ま、最後には飽きてはきたが、かといって疲れはほとんどなかった、むしろ旅の疲れが癒された時間だったかもしれない(何も考えずボケーとしている時間がいいのだ)。特筆すべきことが何もないので、何枚か車窓の写真を載せて汽車の旅模様に代えさせていただくが、その意味では前回アランヤプラテート~バンコク間に乗った三等の方が行商人満載で面白かったかもしれなかった。バンコク到着はちょうど19時ころだった。で、これであとは何も起こらずに無事帰国となったかというと、さにあらずで予期せぬ出来事がまだ待っていたのである。悪いこと?はできないのだ‥、、

少し遅れて到着したBangkok行きの列車Img_6715Img_67192等車はかなり快適だった

いろんなものを売りに来たが、ビール販売は来なかった、あればこれも買ったのだが、、Img_6728

車窓;9枚
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Img_6731この写真はノンカイからの支線を写した、下が分岐の駅Img_6732

シーサケートからのローカル線の終着駅ナコンラチャシマ、しかしここでノンカイ方面への乗り換えはできないImg_6736Img_6737_2

車窓左手に出現した仏像;2枚Img_6739Img_6740

 その列車のドンムアン到着は20分くらい遅れて18:00頃だった。ドンムアンというところは空港利用以外の目的で下車したことがなかったが、特には何もないところと認識していた。その時間に下車すると空港で4~5時間は無為に過ごさねばならないことになる。食事をするにも空港内では高くつくのではと考えていた。で、一案としてはそのまま終着駅バンコク/フアランボーンHua Lamphongまで行ってしまう、そこでは駅前に食べ物屋はたくさんあるし場合によっては駅中にフードコートもあった。どうするかは決めてなかったが、その可能性も含めてticketはHua Lamphongまで買ってあった(10Bほどの違いだったか?)。で、列車は大幅に遅れてはなかったので、ドンムアンでは降りなかった。フアランボーン着も20分遅れで19時に着いた。で、時刻表を確認すると、そのあとドンムアンを通る普通列車は20:10発くらいしかなかった。ま、それでも1時間あったから、駅前をぶらついて、すでに暗くなっていたが前回撮り逃したフアランボーンの写真を撮って食事場所を探す、、45年位前から知っているこのあたりも変わりようが甚だしく、また外国人旅行者が多くてわたしが入りやすそうな店を見つけることができなかった。となるとフードコートしかなく、ま、独り身の時は食に関しては何でもよかったから、とりあえずの腹ごしらえをそこで済ます。それからがいけなかった、わたしはフアランボーン~ドンムアン間はキセルできるのでは?と思ってしまったのだ。正確にいくらかわからなかったが(列車によって違う)わずか15~20Bをケチってしまった、つまりタイの場合はどこでも駅の改札というものがなかったからticketを買わずに入場したのだった。検札がくるのはわかっていたが、来たらドンムアンで乗り過ごしてしまったと言い訳するつもりで‥、、わたしはタイ国鉄を少々甘く見ていたかもしれなかった。その列車が定刻にでると、ものの5分も経たないうちに検札は来たのだ(わたしはそんなにすぐには来ないだろうと思っていたのだが)、しかも二人組だった。そのうちの一人が英語を解したので、フアランボーまでのticketを見せて先に考えていた言い訳をいうと、お咎めはなくただ20B払えといわれただけだった。20Bの支払いだけで済んで一件落着かと、ほっとしていたところに次の出来事が起こる。その列車は妙に動きが悪かったのだが、ドンムアンまであと二駅のところに来た時、とうとう動かなくなってしまった。車内アナウンスは流れていた(英語のアナウンスはなくどうしたのかさっぱりわからなかった)が乗客の動きがなかったので、少し待てば回復するものと思ってわたしも動かずにいた。しかし、その列車が動く気配はなかった。しばらくするとその駅Bang Khenの駅員が何か言いだして、乗客も動き出した、、みんな列車から線路に降りて隣のホームに移動しだしたのである。駅員の言葉はわからなかったが、こういう時は他人の行動に従うしかなく、わたしも隣のホームに移った。駅員の中に英語を話すものがいて、この列車は運休になるから次に来る列車に乗るようにいわれた。それでその駅で後発の特急列車を2本見送り、結局その駅では1時間近く立ち往生させられて、一時はどうなることかとたいそう気を揉んでいたのだ。ドンムアンには当初の列車が順調にいけば21時ころの到着だったのだが、結局それは22時になっていた。もちろんそれでもチェックインには十分間にあったのだが、こういうことが起こるのである。わたしとしては、ちょっとやましい心が事の発端だったように思われ、ま、罰が当たったのかもしれないと思い知らされたのである。もちろんそのあとは何も起こらず、翌6月30日午前8時50分、定刻に成田に着いたのだけれど、降りたつまでは(下駄をはくまで、とよく言われるように)何があるかわからない、ということなのであった‥、、

<これにて今回の報告は了とします>

フアランボーンに近づく列車Img_6742Img_6744フアランボーン構内と外から一枚Img_6747

<<旅の振り返り>>

 文才がないからその面白さは伝わらないにしても、今回も十分にタイ・ラオスの旅楽しんできました。ここでは今回の旅で思ったこと、特にタイ・ラオスの旅 その1,で述べた長期滞在比較にいてのわたしの想いを綴ります。確かに1,で述べたように主にハード面を比較すればタイは住みやすいところ、来やすいところだと思う、、また、旅自体これだけ国が発展しているので楽なところだった、、が、しかしである。だからといって、積極的に住みたいとまでは思わなかった理由を以下に記してみたいと思う。いや、たまにぶらっと来るにはかなり高得点の国であることは認める、実際わたしもすでに10回くらいのrepeaterであることは本文でも書いたとおりである。しかし長期滞在には向かないと思った第一は、ここで何するの?ということであった。そりゃあ、暇人かつrich manの日本の高齢者の趣味・志向(嗜好)はそれぞれだから、日本より安く何でもできるという面はあるだろう、、それでもあえて言いたい、飽きないのだろうか?、日本の生活より快適であろうか?、少なくともわたしはここに住んで何かをやろうという興味の対象を見出せなかった、ということであった。その理由でもあるし、またそもそも住むのは無理だろうと思った第二の理由として、タイ語の難しさとタイ文字のとっつきにくさをあげたい。つまり、長期滞在の最大のポイントは言葉(言語)なのである。タイ語は簡単、すでにしゃべれる、という人には何も言わない、ただ、わたしのように言語センスのないものにとっては、学習しようという意欲すら湧かなかったのである。たぶんそれがわたしにとっては最大の障害になることが簡単にわかったのである。わたしの覚えたタイ語はたったひとつ、コプクンクラ?(ありがとう?)だけだった。それにしてもである、第三の理由は、にもかかわらず(もちろん先に述べた、経済面や距離的な近さ等々が故と思うが)なんでそんなに日本脱出組が多いのか?、ということである。わたしの場合は日本的システムからの一時逃避という面は常に持っていたが、ここに来ても日本人とのお付き合いが待っていたのでは、脱出してくる意味がないではないか?、日本にいるのとどこがどう違うのか?、わたしには疑問に思えたということであった。繰り返すが、たまに来るには安らぎと癒しを与えてくれるいい国だとわたしも思う。だが、あえて住みたいとは思わなかった、いや、日本の冬の寒さを逃れての避寒地ということならわたしにとってもその候補地となっている、、それで十分だろう、、それなら毎年3ヶ月の滞在で充分であろう、しかしそれでも暇を持て余すことになるのではないか?、というのがわたしの結論だった、、

<<旅の会計報告>>

約10回の報告の最初、序章で‘12泊7万円の旅’とうたったからには、その内訳を詳らかにしないと約束違反になると思う。大雑把だがその内訳を記しておきたい。そこでもいってあったと思うが、今回はLCC利用で飛行機代は往復とチェンマイまでを入れて3万(税別)だったから、それを除くと旅の諸経費は4万円で上がったことになる、その内訳である。なお、わたしの仕分けは通常以下の項目で分類してある、1,宿泊費(日本でのネット予約も計上してある)、2,交通費(上記航空運賃を除いた現地移動費)、3,飲食費(外食だけでなく、コンビニ等で購入したすべての飲みもの食ベ物の合計)、4,その他(例えば入場料からトイレ・tipの類まで)、またタイは1B=3.3円、ラオスは1000kp=14円換算として日本円にて表記した。

タイ;2017/6/18~22,6/27~29 6泊8日?

1,宿泊費;6泊 2300B=7600円 一泊当たり1300円くらい?、すべてバス・トイレ、エアコン、ホットシャワー付き、わたしからすると上等すぎるホテルがこの値段なので、タイのホテルは安いと思う、、

2,交通費;1980B=6500円 もっとも高くついているのがモーターサイのチャーター代400Bで、あとは移動のバスにしてもバンコクまでの汽車(311B=1000円くらい)にしてもたかが知れている。

3,飲食費;1855B=6100円 最初の2日間くらいは友人が出してくれていたが、それにしてもこの額で上がってしまうとは驚異的な安さ、それでビールも飲んでいるし、おいしいものを食べているし、である。一日の食費として1000円も見ておけば充分のようであった。

4,その他;527B=1740円 入域料、入場料、洗濯、トイレ等、、で1,~4,をトータルすると21940円、約22000円となって、8日で割ると一日2750円(実質7日とすれば3150円)?、これはグアテマラより安そうである(内容もグアテマラより上なので、、)

ラオス;6/22~6/27 5泊6日?

1,宿泊費;210,000kp=2940円 2回夜行寝台バスを使っているので実質3泊、一泊1000円くらいだが、タイと同等クラスのホテルは、むしろタイより高いように思われた。

2,交通費;550,000kp=7700円 ラオスの場合は2回ほど夜行バス、そしてビエンチャンまでの長距離バスに乗っているので、ここの率は高くなっている。ちなみにその3回のバス代は計、405,000kp=5670円だったから、デラックスな寝台バスとはいえ、ラオスの交通費はけっこう高くつくということでもある。

3,飲食費;342,000kp=4800円 ラオスもほぼタイと同じくらいの感覚でいいかもしれない、ビール飲んでも一日1000円くらいで上がりそうである、、

4,その他;74,000kp=1000円 何に使っているかというと、ここでも入場料、洗濯、トイレ、tip等である。

 合計するとラオスは1176,000kp=16500円で、実質5日だったので5で割ると一日3300円になる。実際タイより物価は少し高いかな?と思った感覚は正しかったかもしれない、が、日数が短いほど割高になるから、結論からいうとタイもラオスも一日あたり3000円ほどでいけたということである。これは特に厳しい旅を目指していたわけでなく、いつもと変わりなく(ま、いつもがそういう旅になってて変えようもないのだが)、むしろわたしの旅としては楽な旅だったように思うから、いかにこのエリアの旅は少予算でできるかの証左であったように思う、よって実費として合計38500円の旅だったことがおわかりいただけただろうか?、‥以上をもって今回の報告を了とする、、