独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 その3,チェンライChiang Rai、ゴールデントライアングルGolden Triangle、そしてラオスへ

 チェンマイ視察?を終えたわたしは、そのあとの予定を大まかに次のように考えていた。日数の関係で、そうのんびりはできないものの、ルートとしてはチェンマイ→チェンライ→ラオス入国、ルアンプラバン→ビエンチャン→タイ入国、ノンカイ→シーサケート→バンコクで、最後のバンコクには帰国便が6/30の0:40だったから、6/29中に戻れればよい、つまりバンコクに滞在するつもりはなかったから、6/29シーサケート朝発の列車に乗ればドンムアンに夜着いてちょうどいいだろうと、一応お尻のほうだけは確定させてあった。

 で、チェンマイからチェンライに向かったのは、その名は以前から知っていたが未訪の地であったこと、チェンマイからも近く、ラオス国境とのちょうど中間くらいに位置していたから、ま、ラオスに渡るその途上にある街ということで自然な流れだった。チェンマイからは二等バスで3時間半(時間的にも設備等もVIPも一等もそんなに変わらないと思う、ただトイレはついてなかった)、途中日本の低山を思わせる山を一ツ越えて、午後1時の到着だった。ちょうど暑い時間に着いたこともあってか、チェンマイよりむしろ暑いところという第一印象であった。実はここのホテルは数日前に日本から予約してあった。それは上記の予定からしたら、遅くともこの日にはチェンライにきていなければならないという必然性を感じて予約したのであった。そのホテルへは一度人に聞いたが、意外にチェンライのバスターミナル(注:そこはいわゆる旧バスターミナルで、近年新しいバスターミナルが、街のずっと手前にオープンしており、我々のバスもそこへ寄ってから、街のど真ん中にある旧ターミナルまでいってくれたが、中にはそこまで入ってくれないバスもあるとも聞いていた)から近かったので難なく歩いてたどり着けた。そこはまだ新しいゲストハウスで、大手サイトで扱っていたのだけれど朝食付きで500Bは非常にお得感あり、いいホテルだった。そこに荷を置き、シャワーを浴びて早速街ブラに出かける、ここの滞在はその日の午後だけだったからだ。

チェンライの旧?バスターミナル;2枚Img_6268Img_6272

上記バスターミナルから近く閑静なエリアにあったゲストハウス(この界隈に4~5軒の同クラスのゲストハウスがあった);2枚Img_6271Img_6269


 今回のこの旅ではガイドブックの類としては、ラオスだけ(あまり大きな声でいえないが)日本の図書館で借りてもってきていた。が、タイに関しては行きあたりばったり、それでもチェンライその他数か所はガイドブックに載っていた簡単な地図だけコピーしてもってきていた。いや、ま、そんな簡単な地図でもないよりましというか、ある意味それだけで充分ともいえたのだ。で、もちろんわたしの予約したホテルはその地図には載っていなかったが、すぐに位置関係は把握できたので、それに従って歩きだす。と同時に、距離感もつかめ、この街は歩いて回れると判断できた。ただし、相当暑いということだけが気になっていた。つまりあまり無理できないということであった。まずは、いったんバスターミナルに戻り、次の日のバス便のチェック、せっかくチェンライまで来たのだから、そこから目と鼻の先の近さになった(バスで1時間半の距離)写真等では見たことのあったゴールデントライアングル(タイ・ラオスミャンマーの国境が接しているところ)まではいって、写真一枚だけでも撮ってきたいという、例のオノボリサン志向がもたげていた。そこへは普通チェンライからバスでいったんチェンセーンという街まで行って、そこでソンテオで乗り継いでいくらしかったが、やはりその手のツーリストは多いとみえて、どうやらチェーンセーン経由でゴールデントライアングルまで行くミニバンが出ているらしいことがわかった。それは1時間に一本くらいあって、8:20というのがちょうどよさそうだったので、その時間をインプットしてからの街ブラとなる。が、その前にバスターミナル付近に何軒かあった屋台の一つで、少し遅くなったが昼飯代わりにいつものラーメン(正式名はバミーナームというらしい)を、今では屋台でも写真が出ているので、手差しでそれを頼む。そのときすでに14時半ころだったか、それから3時間くらい歩きまわるのだけれど、行けたのは市場とその市場からすぐのところにあったここの一番の寺だというワットプラケオWat Phra Kaew、その近くのTAT(地図と情報をもらう)、少し歩いて山岳民族博物館といったところだけだった。一番面白かったのは市場で、特に食品、総菜の類が素人ながら興味をそそられた。たぶん日本の煮凝りと思われるものを見つけたときには、なんでこんなところに?と思って、思わずそれを買ってしまった。いったいこのルーツはどこなのか?と思いながらホテルまで持って帰って食べたが、美味であったことは間違いない、ただ中身が魚だったのか肉だったのかは料理音痴ゆえ定かではなかった、、もう一つ、山岳民族博物館という、他ではなかなかお目にかかれないところにも寄ってみた。客は一人もおらず、そこではわたし一人のために日本語で語られる30分くらいのタイ北部、ミャンマーにまたがる山岳民族を紹介するビデオを見せてくれ、ま、50Bの入場料は、他の展示等はあまり見るべきものがなかったので、ここのNPOのための支援と思ってとても興味深く拝見、ただ日本の学生のナレーションだったが、ボランティアとはいえ少し変だった。ま、それでもそれまで2時間くらい歩き続けていたから、冷房の効いたそこはいい休憩場所としての価値が十分にあった。3時間くらいで、だいたい主だったところは歩けたのではないかと思ったので、ホテルに戻ることにする。途中7-11で例によってビールやら飲み物やら、この時はそれとカップラーメンを仕入れた。ホテルに戻って、シャワーを浴びて、湯をもらってラーメン、煮凝り、もひとつ市場で仕入れた小魚のフライ等で簡単な夕食、ビールは一缶では足らなくなるのであった。

ゴールデントライアングルまで行くミニバンの案内Img_6266

この街のシンボル?大通りのパポンヨーティン通りに建つ時計塔Img_6275

市場;2枚Img_6276
Img_6284上左は、間違いなくゼラチンを使った煮凝りだった、葉に包まれたひとつが30B、大変おいしかった、、

この街一番のお寺ワットプラケオWat Phra Kaewはエメラルド仏で有名のようだった、、Img_6279Img_6282

Img_6291Img_6285Img_6289山岳民族博物館Hilltribe Museum:3枚

 一息ついて、夜はバスターミナル近辺がナイトバザールになるというので出かけてみた。観光客はまばらな時期、それでもナイトバザールにはどこにこれほどのツーリストがいたのかと思わせる人影が、特にステージが設え地元の歌謡団なのか舞踊団なのか、歌舞が演じられているステージの前の食堂施設には多くの中国人の姿があった。が、それらはわたしには縁のない世界なので、それでもせっかくだからと屋台で串焼きと、新たに見つけた宿近くの商店でビールを仕入れて、もうその日を閉じることにした。

特設ステージでは、歌舞が演じられていたが、これは毎日のことなのか?ま、オフシーズンとはいえ、中国からのツーリストは多かったが、、ナイトバザール;2枚Img_6293Img_6294ステージの前のフードコート

 次の日、ささやかな朝食は7時からだったので、それをいただいてからチェックアウトした。朝食をとっているときは本格的な雨が降っていた。雨期なのだから当然なのだろうが、それまで傘は使ったことがなかった。が、その日は雨支度で出かけるしかないかと覚悟して、全てのものをビニールの袋詰めにしてパッキングしなおして宿をでると雨はやんでいた。この日はチェンセーン→ゴールデントライアングル→チェンコーンChiang Khong経由で一気にラオス入りするつもりでいたから、軽いとはいえ荷物はすべて持参した。まさか、その時はもう一度チェンライに戻ってくるとは思ってなかったのだった。8:20発のミニバンのドライバーはチェンセーンまでは45B(後で知ったが普通のバスは37B、30分おきにでているようだった)、ゴールデントライアングルまでは50Bといった。この時まだほんとにそこまで行ってくれるのか信じられない気持ちだったが、チェンセーンまでに15人くらいいた乗客(すべて地元の人)は一人を除いてすべて降りていたが、そのミニバンは確かにゴールデントライアングルまでわたしともう一人(その人もツーリストではなく地元の人)を届けてくれた。到着10時で、帰り便の最終は確か17時といったか?ともかく帰り便を逃さないようにと注意してくれたのだった。

ゲストハウスで見つけたチェンライ観光の案内、一日でチェンライ近郊の山岳民族の村まで回るこのツアーは、時間のある人にはリーズナブルなものに思えた、、Img_6296

発車前のミニバンImg_6297


 いかにも俗悪な観光地といった雰囲気はミニバンを降りたとたんにわかったが、10時をすぎたというのに土産物屋は半開き程度、つまりこんなオフシーズンはお客も期待できないといった風な空気が漂っていた。わたしは絵になる場所を求めて移動する、つまり証拠写真一枚撮れればそれでいいと思っていたのだ。と、どこから現れたか、また中国人の団体さんに遭遇する、おそらく観光バスでやってきた一団のようだった。にわかに活気づいたそこは、もう俗気丸出しになってきたので、わたしはその場から遠ざかるのが精いっぱい、、といっても川沿いを上か下にいくしかなく、ま、人気<ひとけ>のいない方へウロウロとぶらつくしかなかった。写真一枚だけなら15分で十分だったと思われるが、そんなんで30分くらいウロウロして、もうこれ以上は何もないことがわかって戻ることにした。そこにはアヘン(オピウム)博物館というのもあったが、疲れてしまったのでパスすることにした。しかし、それからが問題だった。

ゴールデントライアングル;8枚Img_6299まだ新しそうなブッダ

Img_6302見慣れた写真の風景川の向こう左がミャンマーで右側がラオス、写している場所がタイ(以下2枚もほとんど同じ位置から同じ構図)
Img_6307Img_6309

Img_6304突然中国人のグループがやってきて、大騒ぎになったので逃げだす、、少し先にいったところにあったリゾートホテル?Img_6308

少し戻ると観光船の船着き場
Img_6311_2

オピウム博物館
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 チェーセン~ゴールデントライアングル間はソンテオがけっこう行き来しているものと思っていた。帰りはそれを捉まえればいいだろうと、、しかし大通りに出てそれを待つも20分間一台も通らなかった。1時間に一本あったはずのチェンライからのミニバンもゴールデントライアングルまでのお客がいない限りここのまでは来ないのか、1時間後のミニバンも来なかったのだ。地元の人のバイクに乗せてもらえないかと、通り過ぎるバイクを止めて何台か交渉しても、かなりの額を吹っかけられた。また、親切にタクシーを呼んであげようかいってくれる人もいた。その時になって初めて朝バスターミナルにでていた時刻表の脇に何件かの電話番号が出ていた理由がわかったのだった。つまり帰りの便が捉まらない時は、そこに連絡すればモータイサイかソンテオかわからないが、来てくれるということだったのではないか?が、所詮それもタイ人用、つまり言葉が話せなければ無用の長物でしかなかった、そうやって状況がだんだん厳しそうだということがわかってくる。もちろんいつかはミニバンにしろ、ソンテオは来るだろうが、ラオス入国を考えると早いに越したことはない、で、いつもの手を使うことにした。ヒッチである。タイでヒッチをやったことはなかったが、ヒッチは場所を問わない、いつでもどこでも世界共通、要は運しだいである。この時も運はよかったと思う、15分でタイ人の車に乗せてもらい、10分でチェンセーン着けたのだから、、まだ若いチェンマイのコンピュータ技師といっていたか?仕事でチェンマイに帰る途中の3人組だった。幸い英語が通じたので、チェンセーンまで行きたいこと、そこからはチェンコーンにソンテオで行くつもりだということを理解してくれ、チェンセーンではチェンコーンにいくソンテオの乗り場を地元の人に聞いてくれてそこまで送ってくれた。何もお礼するものがなかったが、せめて日本に来た時は償いをするからといって独歩亭の名刺を渡すとたいそう喜んでくれた。そこに11時半に着いて、その辺の人に聞いてくれて11:45にチェンコーン行きのソンテオはでるようだとわたしに教えてくれた。わたしは十分に礼をいって彼らを見送った。そのメコンの眺めが素晴らしい河岸で出発を待っていると、その人がドライバーだったのか?わたし声をかけてきたおじさんがいた。ほんの片言の英語だったからいっていることはほとんどわからなかったが、どうやらチェンコーンにいくお客がほとんどいないらしいこと、なので、その日は途中の街(街の名前をいっていたが聞き取れなかった)までしかいかない、そこからソンテオはなく、もしチェンコーンまで行きたいならタクシーで行くしかないが500Bくらいはかかるいうようなことをいってきた(これはしどろもどろの会話を10分くらいやってわたしがなんとか理解した内容)。そんな!?、しかしそれをわたしはどこにもぶつけようはなく、決断を迫られる。ほんとにわたしの理解が正しいかったか、いずれにしろ当てにならない話だったが、それでもそのソンテオで行けるところまで行ってみるか、あるいはこのルートをあきらめて速やかにチェンライに戻って、そこからバスでチェンコーンに向かうか(チェンセーン~チェンコーンはまともにいけば1時間くらいであること、またチェンライ~チェンコーン間もバスがあることは知っていた)。しかしこの時は流石にこのオヤジのいってることを信じて速やかに行動した。チェンライ行きのバス乗り場に移動したのだ。バスは幸い12時発に間にあって1時間50分かかってチェンライに戻った。そのバスは37Bでミニバンより安かったが、その分時間は多少かかった。すぐにチェンコーン行きのバスを調べると14:30だったので昼食をとる時間があった。近くの食堂で、やはり麺だったが前日と違うものを食べた。チェンライ~チェンコーンは結構遠かった、2時間かかって65B、しかしこのルートはチェンライ~チェンセーンより楽しめた。ほとんど全線田舎道をいって、田園風景、山岳風景は絵になるところが多かった。

河岸の遊歩道、左がメコン、先に停まっているのがソンテオ河岸からの眺めが素晴らしい、のんびりした街チェーニセン;9枚 河岸の遊歩道、左がメコン、先に停まっているのがソンテオImg_6317
Img_6318このソンテオがチェンコーンまで行ってくれるはずだったが‥Img_6315その真ん前にあった寺院(名称不明)Img_6314後ろはメコンで中国からの貨物船が停泊中;2枚Img_6316

上のソンテオをあきらめてバス乗り場に移動、チェンセーンのmain street
Img_6324

時間を確かめてもう一度メコンを撮りに、、;3枚Img_6320Img_6322チェンセーンから上流
Img_6321チェンセーンから下流

チェンライに戻ってチェンコーン行バスを探す、このバスは橋を越えてラオス/ファーサイまでいくかのように書かれていたが、実際はチェーンコーンまでしか行かず、これが国際バスではなかった、、Img_6325

ターミナル近くの食堂で、汁なしそば35B
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ローカルバスの車窓から;5枚Img_6334

突然現れたこの奇岩が気に入って3枚も撮ってしまった
Img_6327
Img_6328_2
Img_6329_2Img_6335このルートは田畑と遠くに山が見えてなかなか良かった、、

 あらかじめラオスへ行くことをいってあったので、ドライバーはそれまでの細い道からチェンコーンの街が近いことを思わせる広い道にでて少しいった辺りで、急に停めてここで降りるようにいった。そこでは長い列をなしてトゥクトゥクが客を待っていた。しかし流石に、その場では我先の客の争奪戦にはならず、きちんと順番を守る姿が印象に残った。なので先頭のドライバーに国境までと告げると60Bだといってきた。もっと安くならないのかと口にすると、周りにいた全員からこれは協定料金だと、それを明記した料金表みたいなものを見せられ了解せざるを得なかった。ま、それなりに秩序化されている表れで、この国境越えはそれまでのいたるところで経験している、どこか緊張感があったり混沌とした雰囲気とは無縁だった。この国境越えについてわたしはよくわかっていなかったのだが、持っていたラオスのガイドブックに多少解説があった。ここも数年前にいわゆる友好橋というものがかかって、その国境の越え方が大きく変わったようなことが書かれていた。つまりすべからく外国人(タイ・ラオス人以外)はこの橋を経由しなくてはならない、それまでの渡しによる国境越えは認められなくなったようだった。で、そのためにはチェンコーンのバスターミナル(あるいは市内)からはトゥクトゥク等の乗り物によってタイ側イミグレのあるところまで行って、出国手続きをすましてから両国間をまたぐ橋をシャトルバスで越えなければならない、そして今度はラオスのイミグレで入国手続きをし、そこからはまたトゥクトゥク等でラオス側国境の街ファーサイまで行く、ということがかなり厳しく決められているようだった。ということで、わたしがバスを降ろされたところは、その友好橋に至るジャンクションのようなところで、そこに国境まで行くトゥクトゥクが待機していたということだったのだ。だから言い値に従わざるを得ず、そこからイミグレのある国境まで10分くらい、まだ新しい道をトゥクトゥクに連れていってもらったということだった。問題は、それぞれのイミグレがあるところは、いずれも街から相当離れたところにできていて、歩きではいけないこと(ちなみに、そのジャンクションから歩いたとしたら1時間くらいではなかったか?)、何らかの交通手段、それもいわゆるバスはなく、割高な交通手段を強いられる点がわたしには気に入らなかったのだが、それはここだけでなく、すでにメコンにかかる友好橋(ここが4番目とのことだから他3ヶ所)はいずれも同じような面倒をかけなければ国境を越えられなくなっていたのだ。で、それを回避するために今はツーリストは両国間をまたぐ国際バスの利用するのが一番たやすく国境越える方法であったことをあとから知るのである。知るのが遅すぎたが、それについてはもう一度後述することになる、、

国境へ向かう客を待つトゥクトゥクの列Img_6338
Img_6337ちゃんと協定料金表ができていたImg_6339チェンコーンの街、前のボードが国境への道路案内、ちなみにトゥクトゥクの待機していた場所はあのボードの先の右側Img_6342タイ側イミグレが見えてくる


 そうして、タイ側イミグレをすんなり越えるとそこにはラオスイミグレにいくシャトルバスを待つ旅行者が、まだ新しい建物のなかで15~6名ほど待機していた。ほとんど欧米系ツーリストだったが、中国系、インド系、マレー系の顔も混じっていた。わたしがラッキーだったのは、彼らはそのバスをどのくらい待っていたか知らないが(つまりそのシャトルバスはどのくらいの間隔で運行していたのか知らないのだが、たぶん1時間の一本くらいか?)わたしが待合場所にいって、10分足らずでそのバスが来たことだった(バス代25B)。そのバスは国境になっているメコンを越えて5分くらいでラオス側イミグレに着いた。ラオスにしては立派すぎるくらいの建物は閑散としていた。わたしは先頭でイミグレのブースにいったが、入国カードを持っていなかったので、それを書くようにいわれ、書き終わって入国審査を終えたときは最後になっていた。もちろん問題なく手続きを終え、その建物を出たところでちょっとした戸惑いを覚える。普通なら寄ってくる両替屋もトゥクトゥクドライバーも誰も寄ってこないし、そんな人物もふくめて近くに人影が全くなかったからだった。さらに驚いたのは、一緒のバスに乗ってきた15~6人ほどのツーリストがすでにそこに一人もいなかったことだった。彼らはどこに行ったのか、どうやってそこから去ったのか、いやそれより、わたしはそこからどうやって街まで出ればいいのか、その手段がまったくわからず途方に暮れてしまったのだった、、

タイ側イミグレーションも閑散としていたImg_6343

バス待ちの場所もまだ新しく、物々しい建物だった;3枚Img_6344シャトルバスを待つツーリストが15~6人いた
Img_6345
Img_6347このバスは国境を越えるだけ

Img_6349国境になっているメコンを渡る

まったく人気<ヒトケ>のないラオス側イミグレを出たところ;2枚Img_6351
Img_6350