独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 7, パクセー Pakse

 ビエンチャンからの予定は、いくつか候補はあったが決めてはいなかった。大まかに二つの候補があって、1,はビエンチャン→タイ入国、ノンカイ→鉄道またはバスでシーサケート、その場合はその日はビエンチャン泊、2,はビエンチャン→パクセー→タイ入国、ウボンラチャターニ→シーサケート、これはビエンチャンからの夜行バスがあって、それにその日のうちに乗れたらという案であった。そのためには事前にパクセー行きの夜行バスの情報(何時にどこから出るか)を知ってなければならなかった。が、これに関してのガイドブック情報は誠に心もとないものであった(夜行バスはありそうだったが、ビエンチャンにはバスターミナルがたくさんあってどこから何時にでるといった情報は載ってなかった)。もし2が可能なら、次の目的地、及びタイへの入国ルート等を鑑みて、2にするつもりであった。というのは、タイ/チェンライ→ラオス/フアイサイの国境越えがそうであったように、ビエンチャン→ノンカイルートはけっこう面倒くさくなっているような話が、これはガイドブックに載っていたから判断できた。とすると問題はビエンチャン→パクセーのバスがどうなっているかだが、残念ながらその情報はルアンプラバンでは取得できなかったので、でたとこ勝負、来てみないとわからないことだったのである。で、最悪は1のビエンチャンに一泊して、次の日面倒でもタイに入国して、そこからはまた出たとこ勝負でバスまたは鉄道利用というルートでも、日数的にはまだ間にあうと思っていた。ところが、意外なところからそのバス情報は入ってきたのだった。しかも、もし本当ならそれはかなりレアかつ貴重な情報だった。それはルアンプラバンをでて最初の休憩場所で、わたしの外にたった一人乗っていた外国人ツーリストの女の子と挨拶して、月並みな話、どこからきて何処へ行くのかという話になって、彼女はリトアニア人でバンビエンまで、わたしは日本人で、バスがあればその日のうちにパクセーまで行くつもりだといった話をしていたのを、たまたま近くにいたドライパー氏が聞きつけて、パクセー行きのバスは我々のバスが到着する北バスターミナルからも出ているというようなことを教えてくれたのだった。はっきりと聞き取れたわけではなかったから、本当かなあ?と半信半疑だったが、ビエンチャンに着いたとき、そのドライバー氏がもう一度、ここから出ているからオフィスでticketを買って乗れるといってくれたのだった。早速わたしはticket売り場に出向く、が、バス会社がいくつかあって、ラオス語と中国語の表記しかなく、どのバス会社かわからず、パクセー?パクセー?聞きながらその会社を探した。とある窓口で、ちょっと待ってろといってどこかに電話をかけてくれた。そして片言の英語で、というかわたしが理解したのは次のことだった。毎日そこから出ているのかは確かめなかったが、その日そこからでるパクセー行きはない、南バスターミナルまでいけばパクセー行きが出ていてまだ間にあう、というような話だった。確か8時半発といったように聞いた。この話は信頼できそうだった。ということはまだ2時間ほどあったから、大急ぎで南バスターミナルまで行けば何とかなりそうだった。で、ターミナルで客待ちをしていた、いろんな車種があったのだけれどトゥクトゥク、ミニバス、ソンテウのドライバー一人一人にバスターミナルサウス?と聞いて回った。と一人の青年が自分のソンテウを指して、これに乗って少し待っていろといってくれたのだった。もう少し人数が集まるのを待っていたのか、18時半が定刻だったのか、いずれにしろ少し待っていると、既述のようにミニバスのあと1時間半後にでたはずのルアンプラバンからのVIPバスが到着して、それを待っていたかのように乗客が計4人ほどになったとき、それが18時半だったのだが、ソンテウは北バスターミナルを出発したのだった。ガイドブックにでていたビエンチャンの交通情報、特に長距離バスや市内移動については大変わかりづらいものであった。だからそれは最初から頼りにしていなかった。そしてこの時のソンテウのドライバーは極めて良心的だったと思う。彼はたぶん最短距離をいって、それでも30分以上かかったのだけれど、30(30000kp)でいってくれたのだ。わたしはこのソンテウに助けられたと思っている、19:05に南方面バスターミナルに着いていたのだった。

 そこも立派なターミナルだった、中に入るとバス会社のticketブースがいくつか並んでいた。その上にこれからの出発便案内だったか行き先案内だったかボードも出ていたように記憶している。それで驚いたのだが、そのとき開いていた窓口、全部で7~8社くらいあったか?それらがすべて20:30発のパクセー行き寝台バスの窓口だったのである。料金も統一されているようだった。各社が競争で呼び込みをしていた。で、最初に思ったのは、そんなにパクセーにいく客がいるのか?ということだった。そして、どうして各社が横並びの料金で、同じ時刻に出発するのかという不思議、しかもそれが7~8社である。わたしはどこでもよかったのだが逆に選びようがなく困ってしまったのだ。端から聞いていくのも能のない話と思っていると、なかから若い女の子が手招きしているところがあったので - 選択に迷っているときはこんなことで決めることもあるのだ - そこにいってみた。片言の英語で決めてくれたら150でいいといってきた。えっ、ボードに170とあったけど、それでいいの?ちょっと不安だった。それと先ほどの北バスターミナルで調べてくれたバス会社がどこだったのかも気になっていた。が、結局それがどこだったかわからず、どこのバス会社にしてもそれほど変わりはないのではないか、なら20でれるならそのほうがいいではないか‥、こうして若い娘の力が勝利を収めたのであった。バスの出発まで1時間弱あったので、大急ぎでターミナル内にあった食堂で、手っ取り早そうなチャーハンとビールを頼んで腹ごしらえして、8時ころバスに乗り込んだ。この時はもう、このデラックス寝台バスに驚かなかった。いや、そういう意味では、前回のフアイサイ~ルアンプラバン間の寝台バスより豪華だった。まず、寝具が高級そうだったし、カーテンの仕切りや調度に趣向がみられた。また、トイレがついていたのも大きかった。わたしの相席は坊さんで、隣の桝はフランス人のカップルだった。坊さんとはほとんど話さなかったが、彼はわたしに菓子と飲み物を恵んでくれた。が、礼をいっただけで話をする前にわたしはすでに眠ってしまったと思う。いや、この時も快適に眠れたのだった。目が覚めたときはすでに空が明るくなりかけていた。

ビエンチャン南方面バスターミナルImg_6552

ルアンプラバンまで乗った寝台バスより豪華で、寝具が立派だったImg_6554

 パクセー着は5:50でこの時は寝ぼけていたわけでなくえらい失敗をしてしまった。その遠因はガイドブックにあった。というのもラオスは珍しくガイドブックを持参していたと書いたが、もちろん参考になったこともあったが、役に立たないことも多く、この時はかえって裏目にでたようにも思う。わたしは決してガイドブックに頼りすぎはしないが、一応書かれていることは信用している。が、パクセーに関しては紛らわしい部分があったのだ。ここのバスターミナルはバス会社ごとにあると書かれていたが、同時に北方面バスターミナルと南方面バスターミナルがあるとしたうえで、それぞれはそのガイドブックにあった地図の欄外、つまりそうとう遠くにあるように書かれていた。その内容自体は正しかったと思う。わたしはだから、着いたところは北方面バスターミナルだと思ってしまったのだ。もちろんそれをわざわざ確かめることはしなかったが、寄ってきたトゥクトゥクのドライバーに街までいくらと聞いたら20との答えだった。安いなと思ったが、では近くの安めのゲストハウスに連れてってくれといってそのトゥクトゥクに乗り込んだ。彼は勢いよく走りだし、ものの5分も走ったところで停めて、このゲストハウスは安くていい、と勧めてくれたのだった。朝早かったが、お兄ちゃんが出てきて、値段を聞くと50とのこと、これも安いと思ったので即決、トゥクトゥクのドライバーにも20払った。ま、めでたしめでたしの話のように思われるかもしれないが、そのVIPバスが着いたところは北方面バスターミナルではなくて街のど真ん中だったことがあとでわかったからだった。ガイドブックにはチッパンVIPバスターミナルとあったところで、あとでそこに隣接とていたインフォメーションでもらった地図には、ただVIPバスターミナルとなっていて、ビエンチャンからの各社の寝台VIPバスはすべてここに到着しているら連れていってもらったゲストハウスまで5分でいくのは当然だ知っわたしは歩いていったということだった(ということは、その途中にあったゲストハウスに決めた可能性もあったということ)。うーん、たった20000kpのことで目く通りある。ま、わたしは実地でガイドブックの弊害を検証しているようなもの、ともいえたかもしれない。あまり信用しすぎるな !ともいいたいのである。さて、それはともかく、当初はパクセーという街に寄るつもりはなかったから、情報を何も持っていなかった。こういう時、きちんとした基本情報が載っているのも日本のガイドブックである(いってることがころころ変わりすぎるといわれるかもしれないが、逆にそんなのはなくてもいいともいえるのだ)。それによるとここはラオス第二の都市で南ラオスの経済の中心地とあった。いや、それは薄々気づいていたことであった。それでなければ毎日ビエンチャンから同じ時間にVIP寝台バスが7~8台も出ているわけがないではないか、また朝パクセーに着く前の国道13号線はなんと片道3車線だったのだ。それらはすべて経済力の反映そのものでしかなかった。ここはそういう街であることをその名前とともに初めて知るのであった。

パクセーのターミナル着Img_6557

トゥクトゥクドライバーに連れてってもらったゲストハウス;一泊50Img_6560

 朝の6:15にチェックインさせてもらって、もちろんエアコンはない部屋でしばらく荷の整理、シャワー、坊さんにもらった豆乳と菓子で朝食、WiFiが通じたのでmailのチェック、そしてガイドブック頼りの市内の見どころチェック(これもあまり参考にならず、というか市内の見どころはそんなになかった)でたちまち時間は過ぎた。ただ、そこに気になる情報を見つける。それはラオスのもう一つの世界遺産の地、チャンパーサックとそのメイン遺跡であるワットプー遺跡がこのパクセーから近くて、そこへのアクセスはここからが最も容易、バス(または車をチャーター)で2時間とのことであった。正直これはだいぶ心を動かされた。この時間からなら行って帰ってこられそう、しかし車をチャーターしていく余裕はない、どうしよう‥、、初めからそのつもりで来ていたわけでないから、ま、簡単に諦めはついた。またの機会があれば、ということで、その一日はパクセーという街を歩いてみることにした。そのためにはガイドブックにあった地図の距離感をつかむ必要があった、つまり歩いて回れるか否かである。グタグタしていてホテルをでたときは9時を回っていた。ゲストハウスの位置も把握していたから(滅多にないことだがトゥクトゥクのドライバーが連れていってくれたところはそのガイドブックにも載っていたのだ)、最初に目指したのはわたしが勘違いしてしまったバスターミナルだった。わたしの目算ではそこまでは15分くらいではないかと思っていた。で、そこは街の中心だったから、主だったところは2~3時間あれば歩いて回れそうだったが、歩きでは難しいそうなところが2ヶ所あった。そこへはトゥクトゥクを使うしかないだろうと考えていた。その2ヶ所とは一ヶ所はこの街で唯一面白そう、いってみようと思ったところで、そこへいくのには日本の援助でつくられたというメコンにかかる橋Lao Nippon Bridgeという名称の橋を渡った先にあるワットプーサラオ Wat Phousalaoという寺院だった。たぶん歩いたら中心から2時間くらい?つまり歩けそうにないところだった。もう一ヶ所はどちらかというとその橋に近かったがキャンカイVIPバスターミナルというパクセ→タイ国境→ウボンラチェャターニーまで行く国際バスがでるターミナルだった。なので街の中心は歩きで、あとの2ヶ所はトゥクシゥクドライバーとの交渉次第というつもりでいた。歩きだして5分国道13号線を越えたあたりでウロウロしていたら早くもトゥクトゥクドライバーにつかまってしまった。どこに行くんだ?と、いってきたから、待ってましたとばかりに、先の行き先を告げいくら?と交渉になった。この場合行く順序は問わなかったが、問題になったのはワットブラサオ寺院で、上まではいかないので、往復だと下で待たなければならない、それをどうするかで料金は変わってくるということだった。わたしはそこの地形までは知らなかったが、どうやら山の上にありそうなことはガイドブックで知っていた。が、その回答は出せなかった。果たしてどのくらいで往復できるのか‥、ならば待ってもらわない、片道ではどうかという交渉になった。彼のいい値は30だったが、わたしは25ならOKといったら、それで交渉はまとまってしまった。それは今から行く、ということを意味した。別にどっちがどっちでもよかったから、ではキャンカイVIPターミナルによってワットプーサラオへ、ということでわたしは彼に任せたのだった。確かにキャンカイVIPは遠かったし歩いていける距離ではないことはわかった。明日のバスの時間8:30A.M.と料金200B or 60000kp、そこにいくには明日もトゥクトゥクで行くしかないことを確認できたことでまずは一件落着、そこからワットブサラオに向かってもらった。

この通りが国道13号線で、その通りを渡ったところが市庁舎?だったImg_6561

キャンカイVIPバスターミナル(次の日写したもの)
Img_6609


 いつの竣工だったか、この橋のおかげでこの国の経済は相当に好影響を受けたであろうと思われるメコンにかかる5本の橋の一つという長い橋を渡って少しいった山の麓で降ろされた。そこには急な石段が山上に向かって築かれていた。帰りは何とかなると思っていた、なので帰りの約束はせずに25払って階段を登り始める。途中から手すりにつかまらなければ怖いほどの傾斜になった。ま、ちょっとした山登り、石段が終わって山道をいく、もちろんわたし一人、たぶん平日にこんなところを登ってくる地元民はなさそうだった。この山が下から何mだったのかの記述はなかったが、上から見た感じでは200mくらいの高さがありそうだった。少なくとも山腹に座する黄金のブッダ像まで30分はかかったと思う。そこからの眺めはそれまでの汗を忘れさせた。そこからさらに5分くらい上にいったところに本堂があって一応参拝に上がった。履き物を脱いで上堂して正座して頭を下げ、片言の経を唱えて頭を上げると目の前に住職と思われる老僧が座っていた。そして近くに来いとわたしを手招きした。逆らえずに座ったまま前にでると腕をだせといって手首に腕輪を巻いてくれ、もう一方の腕にもそれを巻いて、そのあと聖水をわたしの頭に振りかけてくれた。それで感激してしまうほど若くも愚かでもなかったが、そのまま帰るわけにはいかないだろうとは思った。どのくらいの喜捨をすればいいものやら?と頭の中でポケットの中の札を素早く計算して、ま、妥当だと思われる額5000kpを渡して解放されたのだった。どうやらそこまで車道はつながっていたようだが、それを辿るとかえって遠くなると思い、来た道を引き返した。その山中に上り下りを入れて1時間半くらいいただろうか、トゥクトゥクを降りたところに戻ったときは11時半ころになっていた。そこから掴まえようと思えばトゥクトゥクはけっこう走っていたが、むしろわたしはラオス・日本大橋を歩いて渡たのる。渡り終わった先にはパクセー最大、いやラオス最大級タラート・ダーオフアン Dao Heuang Marketがあったからでもあった。1.4kmあるというその橋を渡ってそこまで、やはり30分かかった。確かにでかい市場で、ありとあらゆるものが商いされているようだった。経済の中心地の市場は活況を呈していた。市場だから食堂街もあるはずだ、と探して食堂のお兄さんに手差しで注文する。まあまあの昼食は15で済んだ。

Lao-Nippon Bridgeを行く、前方の山がWat PhousalaoのあるところImg_6565

Wat Phousalaoの登山口、この前で降ろされたImg_6568

石段を登りきるとこの光景Img_6572

さらに山道を登ると黄金のブッダ座像;2枚Img_6571Img_6574

ブッダ座像の場所からメコンと対岸がパクセーの街;2枚Img_6575Img_6576

さらに少し登って寺院本堂、中に住職がいた
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Img_6582帰路、石段の上から、かなり傾斜のきつい石段

Lao-Nippon Bridge;3枚とそこからのメコン川、パクセー方面;2枚Img_6583Img_6584Img_6588Img_6589Img_6590

橋を渡ったところにDao Hueang Market外観と内部;2枚Img_6591Img_6593Img_6595

その日の15の昼食、手差しの注文だったので名称不明Img_6594

  そのあと突然トイレにいきたくになる。市場ならどこかにあるはずと探したが見つからない、が、一刻を争う事態になっていた。人に聞くも言葉が‥toiletさえ通じなかったのだ。こんな緊急事態は初めてで、そんなラオス語は知らなかった、大急ぎでガイドブックに載ってないか探す、、そのものの単語は載ってなくて近いフレーズを見つけ、市場の警備員のような人にその文章を見せるとわかってくれて場所を教えてくれた。ぎりぎりセーフ、これもガイドブックに助けられたといえるか、そんな単語はきちんと載せておけと文句をつけられるか、ま、無事だったのだから前者だったのかもしれない‥??、、元気を取り戻したが、ちょうど暑い時間で疲れてもいたから宿に戻ることにする。トゥクトゥクを使えばいいものを1時間近く歩いて宿に戻った。いつものことながらシャワーを浴びて昼寝‥、、2時間ほどうつらうつらして16時ころ再び出動した。先に行こうと思った街の中心の街ブラである。確認したかったバスターミナルはメコンに流れ込むせードン川Sedone Riverの河口にあって、そこからの眺めも悪くなかった。そのターミナルの手前にあったインフォメーションで、もうほとんど用はなくなっていたが一応地図をもらって、それを見ながらセードン川沿いに歩いていくと、すぐにメコンとの合流地点となって、道はメコン川にそって左にカーブして続いていく。その川岸にはボートレストランとでもいうのか、岸とつながってはいるが川面に浮かぶ豪華なレストランがいくつか見られた、が、ちょっと高そうで入りにくさがあった。しかし、その道もなかなか眺めのいいところで、遠くにLao-Nippon Bridgeと背後の山には黄金のブッダ像とWat Phousalaoが望まれた。散歩にいい道だったが途中から左に折れて街中をいく、ラオスは全般的にいえることだが、非常に中国の影響のもとにある国で、ここでも中華系の商店をよく見かけたが、それでものんびりした街であることに変わりはなかった。途中でルアンプラバンで食べたフランスパンのサンドイッチを見つけた。おいしそうだったのでついつい手を出してしまう、それは7000kpと安く、それで十分に夕食になりそうだった。宿近くの商店でBeerlaoを仕入れて宿に戻ろうとした時、偶然朝のトゥクトゥクドライバーが通りすがった。わたしを見つけて明日の朝はどうするのか、と聞いてきた。彼はなかなか人が良く、多少英語ができて気心も通じていたので、8時でも間にあう思うが、わたしは朝が早いから7時半にきてくれるならお願いしたい、2でいいか?、と聞いてみると了解してくれた。それはキープをいくら残しておけばいいかという意味で大事な確認だった。戻ってから何回目かのシャワーを浴びて早めの夕食とした。もちろん夕食してはそれで十分だったのだが、そのあとまたガイドブックの運用を誤まることになった。この回はわたしのガイドブック利用法といった内容になってしまったが、わたしはまず、そこにでているホテル・ゲストハウス・レストラン・ショップの類はほとんど目を通したことがなく、これまで利用したことがなかった。が、どういうわけかその時ラーメンのおいしい店というのに引っかかってしまったのだ。おまけにその店がたまたま泊まっていた宿から近かったのである。それともう一つ、残金をチェックして明日の出費の見通しが立っていたから、少しキープが余りそうなのがわかったからでもあった。なら、そのラーメンを食べてみようということになって、少し時間を置いてから出かけてみたのだ。結論からいうと、そんなにおいしいかなぁ?という程度であったが、有名店らしくお客はよく入っていた。そして帰り道にはちょっとしたデザートと紅茶を買ったりして、当初予定になかった街パクセーは割といい印象をもって閉じようとしていた‥、、

市場から宿に歩いて帰る途中でview pointを見つける ;Sedone RiverImg_6596

夕方からの街ブラで、、朝到着したバスターミナルの近く、街の中心だがのんびりしている感じがしたImg_6597

街の中心にあったバスターミナル(朝降りたところ)たぶん今夜発の夜行バスが7台停車中
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上のバスターミナルはセドーン川沿いにあって、少し歩くとメコンとの合流点だった'(前方に見える船もレストランだったか?) Img_6600

上の写真の左上が道路になっていて、その道はメコン川沿いの道になる、、その道から対岸の風景、遠くに橋とブッダ像とWat Phousala寺院が見えている;2枚Img_6603Img_6602

途中から左に入って街中を行くと日本料理店があったImg_6601

有名なラーメン屋とかで夜にいってみた、、Img_6606