独歩の独り世界・旅世界

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2巡目の四国 4日目(最終回)大滝山・別格20番大滝寺と塩江温泉、、

 今回の旅の発想のそもそもはこの別格20番大滝寺だった。改めて別格を回ってみようと思ったとき、それが20ヵ所あることを知り、香川県に比較的まとまっているのを知った。で、最初は2巡目の88ヶ所は逆打ちしながら回って、その都度別格も打っていこうかと思って、まず88番を打ってから別格20番へのルートを探ってみた。が、これが案外難しそうだったのだ(実は最後の日にそのルートを歩いた人に出会ったのだけれど、完全歩きの人かマイカー以外の方法では難しそうだった)。ところがいろいろルートを探っていて88番からにこだわらなければ、高松からバスで塩江というところにでて、そこからの山登りでいけそうなことがわかった。その山が大滝寺のある大滝山(946m、大滝寺のあるところは徳島県側だと後で知る)だった。もとより前回述べたように登山志向でもあったから、むしろこのルートに飛びついた。しかも1000mに満たない山登りなら何とかなると思った。で、より詳しく調べてそのコース組をしてみたのが、以下に述べる最終日の模様となったのだった。

 最初は大滝山登山を初日に持ってきてみたのだが、これはわたしが往復に使った飛行機の時間の関係で、むしろ最終日の方がぴったりいきそうだとわかって、すでに述べている初日から3日目までのスケジュールのあと最後に大滝寺をもってきた。で、その最終日は、その付近には札所もなかったこともあって、この山登りと大滝寺だけの予定となった。それというのも、その大滝山の登り下りにはおよそ6時間くらいかかることがわかったからで、ま、一日かけるつもりでバスの時間等を調べ、あわせて宿の予約も入れておいた。その宿は、その塩江というところが温泉地だったから、最後の晩は温泉に浸かってと少し贅沢をすることにした(いつもの遍路宿よりは高かったということ)。そんなんでその朝、高松駅そばのホテルをチェックアウトしたときは、遍路装束ではなくむしろ山歩き用の格好だったのである。高松駅から塩江<シオノエと読むそうだ>までのバスは1時間に一本くらいあって、塩江まで一時間くらいとのことであった。そして塩江からはコミュニティバスというのが出ていて、もう少し奥まで運んでくれることが調べててわかったが、そのバスは2時間に一本くらいで、一日7便くらいしかなかった。で、それに合わせるためには高松駅6時半発か8時半発に乗らなければならなかったが、一計を案じてわたしは7時半発のバスに乗ったのだった(6時半のバスには、ホテルの朝食時間との兼ね合いで乗れなかったのであるが、もしそれに乗れたらもっと楽できたことを後で知る)。

 高松の奥座敷といわれている塩江温泉郷は途中高松空港の近くを通って、高松市の南30km付近を東西に走る阿讃山系の麓にあって、わたしが調べたときにそこに7~8軒の温泉宿を見つけていた。それはいわゆる検索サイトで探したのだけれど、その中からもっともreasonableに思えたところに予約を入れておいた。が、結果的にはかなりいい宿であったけれど、少し厳しくいえば総合評価でわたしは失敗だったと思った。それは宿が悪かったのではなく、このインターネットによる検索システムそのものが問題だと思ったのだった。ま、その話はあとでするとして、ともかく7時半のバスで一時間、けっこう乗りでのあるバスで、ちょっと寂れた感じの山裾のターミナルに降りる。そして、そこから近くのはずのその宿を探し、それほどの荷重があったわけではないが、軽いに越したことはないと半分くらいの荷を置かせてもらって再びバスターミナルに戻った。それでもコミュニティバスの発車まで30分近くあったが、バスターミナルの真ん前が道の駅になっていただけで、他に見るところもなく、その辺をうろうろしてバスを待つ。そのコミュニティバスを利用することによって、一ツ内というところまでの約1時間の舗道歩きが短縮できたのであった。ところがそのコミュニティバスのもうかなり高齢の運転手さんがいうには、一本前の7:40発のバスなら、わたしが歩くことになる一ツ内からさらに奥の大屋敷というところまで、そこまでも歩くと1時間くらいかかるのだが、そこまで行くバスだったというではないか!?それは知らなかったのだが、知ってたとしたら、高松発6時半のバスに乗るか、あるいは塩江に前日から泊まってる必要があった。つまりまったく予定を変える、プランニングが変わったということでもあった。なので、次回はないと思うが次回の参考ということにした。しかし、次回があったとして、そもそもこのコミュニティバスが走っているかどうかの方がむしろ心配になった。というのも、たぶん町営と思われるそのコミュニティバスの利用者は、わたしは往復利用させてもらったが、そのときの客はわたし以外にいなかったからであった、、9:35発のワゴン車はわたし一人を乗せて、内場ダム湖の停留所他を回っていったが、一人の客も乗せず、わたしを一ツ内で降ろしてさらに山間の奥の湯温泉郷に登っていった。9:50に車を降りたわたしは、その分岐から小出川に沿って舗装された車道をいく。45分くらいの舗道歩きで大滝大川自然公園センターという、たぶん公営のキャンプ場に着いたが、その間2~3台の車が追い越していったかすれ違っただけで、一人も出会うことなくそこに着く、が、そこは登山口ではなく、さらに上流の登山口まで歩いた。そこまでがちょうど1時間くらいだった(たぶんその場所が大屋敷といわれたコミュニティバスが入るところだったと思われる)。

塩江のバスターミナルImg_6137向こうがことでんバス、手前がコミュニティバスのバス停

Img_6138バスターミナル前に道の駅あり

一ツ内分岐で下車、右直進が奥の湯、相栗峠越えて徳島県に通じる県動7号線、左が大滝大川県立自然公園(経由で大滝山)方面Img_6139

大屋敷橋、右の道が大滝寺にまで至る県道153号線、ここまで一ツ谷から1時間くらい?Img_6141

 正確にいうと登山口は3ヶ所あった。最初がその大屋敷橋を渡ったところの苫尾口、その次がウドン谷口、そして大生口で、ま、どれもそれほど変わらないと思われたが、尾根まで最も距離がなさそうだった一番奥の大生口から山道に取り付いた。大屋敷橋から大生口までさらに15分くらいかかって、そこで小休憩し登りだしたのは11:15ころだった。ま、普通の山道というか、比較的歩きやすく危険個所もなく30分ワンピッチで、尾根伝いの道が走る大生峠に着く。やはりこの道が一番近道だったように思われた。そこからは尾根伝いに多少のアップダウンがあって、城ヶ丸というピーク(943m)がちょうど12時ころだった。そこには四阿があったが、たいして疲れてなかったのでそのまま稜線を歩いて12:20にブナ峠に到着。そこからは5分で何もない、視界もきかない大滝山山頂、写真を一枚撮って、そのすぐ下に位置していた西照神社に、そこはかなり歴史のある由緒ある神社のようで、立派な境内があって車で来た参詣客もいた。この神社と大滝寺はよくある例にもれず江戸期までは神仏習合の寺社だったと思われるが、ここの場合は神社の方が立派だった。西照神社のあと隣の大滝寺を参拝、その門前からの徳島側の眺望が素晴らしかったが、大滝寺そのものは苦労してやってきたにしては、こんなもん?とちょっと物足りなさがあった。そこの住職に道を尋ねたのだが、そのぶっきらぼうな応答がちょっと印象的でもあった。その話は次の日盛り上がることになる。その分大黒さんは優しくて、納経帖に墨書・御朱印してくれ、歩いてここまで来たことを知ってペットボトルの水をお接待してくれたが、それは荷物になるからとお断りした。割とあっけない山登りだったが、一応そこで今回の札所巡りは決着をみたのだった。

大生口付近;2枚Img_6142Img_6143たぶん大滝寺に至るにはこのルートが一番楽?

Img_6144大生峠までワンピッチ30分

城ヶ丸;2枚Img_6146大生峠から15分Img_6147上の写真と同じところにあった四阿、帰りにここで昼食をとる

Img_6148稜線歩きではこの看板が何ヵ所もあった、たぶん尾根道が県境で、右のロープが大滝寺境内との境界

ブナ峠(城ヶ丸から20分)Img_6160Img_6161ブナ峠から5分、大滝山山頂?

山頂から5分下ったところに西照神社;5枚Img_6151Img_6149Img_6150Img_6153山から下って境内に入ったので、順序が逆になって、鳥居から出ることになった。鳥居の向こうに徳島県吉野川流域の展望素晴らしく写真を撮るもボケてて載せられず、、Img_6154西照神社の鳥居

別格20番大滝寺;2枚Img_6155
Img_6159


 帰りは来た道を戻り、城ヶ丸の四阿のところで昼食休憩、朝バスに乗る前にコンビニで仕入れたおにぎりだけの昼食。13時半にそこを発って、大生峠までは10分くらいで着き、そこからはそのまま稜線をいって苫尾峠にでる。この間は少し距離があって、40分くらいかかり、そこから下山したがこのコースも下の県道まで40分くらいかかった。疲れていたといえ下りの方が時間がかかっているのは、やはり苫尾峠経由の方が尾根歩き、稜線までの距離とも長かったからだと思う。それともう一つ、ま、1000m以下のいってみれば初心者向きの山歩きコースだったが、苫尾峠からの下りは、山肌の道が細くしかも不安定なところもあって、若干危険なところもあったのであった。久しぶりの山歩きだったが、登り1時間15分、下山に1時間45分かかって15時に無事県道に降り立った。比較的簡単で快適な山歩き、かつ展望はきかないが充分な森林浴にはなったが、その間一人の登山客にも出会わなかったのは、その日が月曜だったからかもしれない。帰りのコミュニティバスは16:08と聞いていたので、ま、楽勝かと思われたが、バス停着は16時になって、朝と同じ年配のドライバーのワゴン車がすぐに到着した。といっても、それは奥の湯に向かう便だったが、乗っていきなさいというので、そこから5分の奥の湯まで乗せてもらった。が、そこでも客はゼロ、そもそも奥の湯の数件の宿はほとんど閉館になっていて、ますます過疎化しているとその年配のドライバーはぼやいていた。その車が折り返して塩江着は16時半ころで、例によって酒屋でピールを仕入れて宿には16:45の到着となった。

Img_6165帰り道は苫尾峠を経由してみた

Img_6162この写真は苫尾峠からの下山路ではないが、全体的にこんな感じの歩きやすい道だった。が、苫尾峠からの下山路はところによって道幅がこの半分ほどで、左はここと同じように切れ落ちていて、危険なところもあった

降りたった苫尾峠登山口;2枚Img_6169Img_6168


 24時間入れる温泉は、やはり何ともいえず疲れを癒してくれるのだ。そしてここの料理も悪くなかった、というかすごいことになっていた。が、予期せぬ出来事が起こる。ちょっと面白いハプニングに思えた。わたしはこの旅の最後を、ま、温泉で寛いで、できたらお遍路さんでもいたら遍路談議に花を咲かせられたらとひそかに期待していた。ところがその日の相客は、一つのグループが六人、もう一つのグループンが五人で、ちょうどその頃さぬき温泉の上流で何か大規模な工事が行われていたらしく(次の日あってお遍路さんの話)、すべてが工事関係者のグループであったのだ。で、これは不運ともいえたが、そこの宿の構造から、むしろそれが売りのいろりを囲んでの夕食だった。つまり五人グループの人たちと同席となってしまったのだった。そして、たぶんその人達用の料金プランもあったとみえて、わたしの夕食と、彼らのそれとはずいぶん差がつけられていたのであった。この時思ったのは、そういうプランがあったのならわたしもそれと同じものでいっこうに構わなかったのに、というものであった。そのほうがはるかに安かったであろうから、むしろわたし向きとさえいえたのだ。また、それぞれが別の席ならば、そんなことを気にせずに食事を楽しめたはずだった。だから先にいったように、この宿の構造にも問題があったと思うが、そういうプランの表示がなかったサイト(と宿)の問題ともわたしには思え、少し怒りというか恨みさえしたのだった(クレームをつけたかったが、やり方不明でまだやってない、それよりそのサイトの使用は控えることにした)。それともう一つ不都合が重なって、その時のわたしのメインは鍋料理だったようで(それが彼らにはついてなかった)そのボリュームが信じられないくらいの量でわたしの前にあった。どうやっても一人では食べ切れそうにないことが、鍋に入れる前から明らかだった。わたしは食べきれない鍋を独り占めにする気になれす、火をつけてもらったときに、宿の人に彼らにも食べてもらいたいからと彼らの取り皿を用意してもらった。そして彼らにはどうか一緒に食べてくださいといったのである。最初は少し遠慮気味だったが、五人におすそ分けしたら、あっという間に平らげてくれたのだった。ま、それでめでたしだったのだけれど、まだ修行が足りなかったのである。要は、わたしの分もほとんど食べてくれてしまったのであった。わたしといえば、わずかになってしまった鍋の残りと、鍋以外の料理は彼らのものよりはるかに劣る料理しか、結局口に入らなかったのである。その時思ったのは軒を貸して母屋を取られるとはこういうことをいうのかもれ知れないということだった。しかし、これはわたしの方からお願いしたことだったから、結果的にわたしにとって不利益になったとしても彼らを恨んではいけないことだった。当たり前のことなのだが、それでもわたしの不服そうな心が顔には出てしまったかもしれない、その時試されていると思ったのだ。これはお大師様がたぶんわたしの器量を試されたのだと思う。できるだけ平静を装ったが、顔には出さずとも少しでもそんな気持ちが浮かんだのだから(ここに書いてしまうことも)失格なのであった。お大師様にはバレバレである。だから、これはもちろん彼らにも宿にもサイトにも問題があったわけではなかったのである。仏道の深さ、厳しさを想い知らされたのであった。

一番いい部屋をあてがわれたのだが‥、、Img_6170Img_6171鍋を除くと向こうの内容の方が立派だった、が、この鍋は一人で食べきれないとこの時点で思ったのだった、、


 次の日高松行きのバスを待ってるときに、同じバスに乗るべくどこかの温泉宿の車で送られてきた一人のお遍路さんに出会った。早速へんろ話に花が咲いたのだが、ま、年はわわたしよりもう少し若くみえたが、白髪の年配者であった。話を聞くと昨日別格20番を打ち終えて、88ヶ所と別格20ヶ所を完全歩きによる走破で結願したとのことであった。すごい人がいるもので、しかも6週間で達成したとのこと、岐阜の鉄人であった。その彼の話で88番大窪寺からは歩いてきたこと、昨日泊まったさぬき温泉の上のほうで工事をやっていたこと、20番別格の住職は愛想が悪かったといった話で盛り上がったのであった。バス待ちの間だけの話で、それ以上は聞かなかったが充分であった。同じバスで、わたしは空港近くの岩崎というところで降り、そこで彼とは別れたが、いや、上には上がいて、敬意を表せずにはいられなかった。岩崎バス停から高松空港まで3kmを45分かけて初めて歩いた。ま、この距離はたいしたことがなかったから、歩けない距離でないことはわかった。空港では格安料金が故の荷物制限があって、きっちり荷重を測られてしまった。そのとき7kgを多少オーバーしていることが発覚したが、その時の職員は目をつむってくれた。これは菩薩行のように思えた。そんなことで今回の四国歩きも疲れはしたが、いろんなことを気づかされ、いい体験となったのである。5月16日の昼過ぎの成田帰着だった、、