独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

2巡目の四国 初日、別格17番神野寺、金毘羅宮ほか、、

  一周目の四国は、足掛け2年、6回の区切りうちで昨秋に一応88ヶ所を回り終えていた。しかし、実質歩いた距離は全行程の半分にも達していなかったのではないかと思う。もちろん歩いた距離がすべてではないのだが、やはり王道の歩き遍路完全走破には遠く及ばなかった。最初の四国歩きで、歩いて回ることの辛さを十分味あわされたが、それでも四国歩きはその山野の魅力と人々の素朴さに郷愁を覚えるようになっていた。だから、どうしても歩いて回ろうというこだわりはすでになかったが、自然とまた歩きたくなったので出かけてみたのが今回のレポートである。今回は5日間の旅だったが(そう、最初にお断わりしたように、わたしにとっての四国お遍路は、旅の延長としての位置づけである)、たった5日間でも、もう疲れ切って、どうにかこうにかやっと帰ってきたのが昨日であった。以下はその詳細である、、

 不思議なもので、春先になると身体を動かしたくなるというか、どこかに行きたくなるのはわたしだけのことではないだろう。ただ、一度四国を歩いたものとしては、四国が懐かしくなってくるのである。しかし、今年は2月に一か月出かけたこともあって、なかなかタイミングがつかめずにいた。気持ちはあっても体調、日程の調整は必要だった。そんなある日、例によって格安価格の航空券を見つけたことが、そもそものきっかけとなったといえた。成田~高松片道2500円(手数料等を入れると最終的には3300円くらいになったが)往復で5000円?、こういうticketを見つけると、まるでわたしのために安くしてくれているように思えて、いかないわけにはいかなくなるのである。それは一か月ほど先、つまり早割ticketだったから、日程の調整はつけられるだろうと早速予約してしまった。この手のticketは日にちの変更が効かないから、それを手にしたら無理やりでもその日程に合わせて予定を組む必要があった。しかし、それは逆にいうと、むしろ限定された期間にどこへ、どう、と計画する楽しみにもなるのである。で、その間民泊稼業は事前に予定ありで予約が受けられないように設定し、ルートを決め宿の予約をして、すでに一か月前に段取りを終えていた。その後不測の事態が起こって当初の予定を6日から5日に変更し、せっかく2500円で取得したticketも片道分のみ無駄にすることになったが(その時点で取り直したticketは2500円→6000円になってしまったが)、それでも今回の4泊5日の旅はトータル5万円ほどで済ますことができたから(往復飛行機、なかなかいい宿にも泊まって)、ま、上出来?わたしらしい旅になったのであった、、

 出発は5月12日、成田発8:30 高松着9:50、10:00ころ発のリムジンバスで最初のバス停空港通り一宮まで(450円)、そこからは15分くらい歩いて、すでに一度順拝したことのある83番札所一宮寺へ10:35着。そこの大師堂で、今回の打ち初めの報告をする(区切りうちの場合、どこかに始めなければならないという決まりはない。この83番から始めた理由はただ飛行場から最も近かったからである)。今回最初の礼拝とお大師様への報告を終え、そこで巡拝品を調達することになった。新しい納経帖を購入する必要があったからだ。幸いその種の品は今はたいていのお寺で取り揃えることができた。で、販売の女性にその旨つげ、できたら今回は別格も回りたいから、別格の欄のある納経帖はないか聞いてみた。そういった調度品には疎く、行けば何でもあるだろうと思っていたが、実際には88ヶ所用の納経帖しかなく、さて、どうしたものか迷ってしまった。そこは大師堂の本堂だったが、ちょうどそこで写経されているベテランの女性のお遍路さんがいて、わたしの要望を小耳にはさんで、それは別格にいけば、別格用の納経帖が手に入ることを教えてくれ、それがどんなものか彼女の別格用の納経帖を見せてくれたのだった。そんなことも知らず、ま、鼻から恥をかいてしまったが、その女性に礼をいって、そこでは新たに88ヶ所用の納経帖を一冊購入する(以前のものは各札所の絵入りで2000円だったが、今回は2回目ということで絵なしの1600円のものにした)。いや、2周目を完遂できるかはわからなかったが、やはり各札所を巡った証としての墨書・授印はとてもありがたいものだし、一つのけじめ・区切りに思えるから、そのためにも新しく揃えるつもりであったのだ。さっそく最初の授印を83番の納経所でいただいて、それから琴電一の宮駅に向かった。

83番一宮寺;3枚Img_6010Img_6013_2本堂Img_6014大師堂

納経帖、左から初回の納経帖、真ん中;今回83番で購入した納経帖、右;神野寺で購入した別格用納経帖Img_6180_2


 順打ちの場合、実はこの83番はけっこう厄介なところにあった。その前の82番根来寺からは12km(3時間半)、次の84番屋島寺までは13.6km(4時間半)、つまり82→83→84は普通一日コースとしてはよほど健脚の人以外は不可能なコースであった。基本的にわたしは一区間3時間以上を歩く気がなかった、というか歩けなかったから、軟弱遍路としてはこういう長距離区間は公共交通機関を利用していた。一周目の時は、屋島寺の最寄り駅琴電潟元駅から琴電一宮までは電車を使ったのだ。そして、今回もその一宮から琴平まで同じ琴電を使った(この間30分540円)。琴平にはちょうど12時ころ着だった。これまで数度の区切り打ちで四国を歩いていたが、札所のなかった琴平に寄ったことはなく、初めてこの地に足跡を記すことになった。一つにはかの有名な金刀比羅宮を詣でてみたかったからでもあったが、それよりも別格17番神野寺がこの地にあったからであった(一周目の時は88ヶ所だけでも精一杯で、別格を回る余裕など全くなかったのであった)。で、その神野寺までの往復と金毘羅参りだけで、午後目いっぱいかかるだろうとみていたから、その日の宿はその門前にとってあった。駅から5分くらいのところにあったその宿によって、それでなくともLCCは7kgの荷重制限があったから(もちろん追加料金を払えばこの限りでない)今回も7kg程度の荷でしかなかったが、その半分の荷を置かせてもらって、神野寺への道を確認して6.5kmを歩きだす。少しいったところにローソンがあったので、そこでパンとコーヒーで昼食休憩、ちょうど12時半ころで14時着を目指して再び歩き出す。ローソンをあとにしてすぐ、左側にうどん屋を見つける。いや、遅かった、昼食にはこちらの方がよほどよかったのだ、、ま、よくあること、帰りにお腹がすいていたら寄ることにして、ほとんど平たんな舗道を行く。まだ初日だったのと間違いようのない道だったから、快調に歩けて13:45神野寺着。そこは国営讃岐まんのう公園に隣接していて、満濃池を背景とした風光明媚なところであった。さて、そこで参拝を終え、納経所にて別格用の納経帖があるか聞いてみると、大黒さんだったか、初老のご婦人が何冊かを持ってこられて、これしかないのですがといって見せてくれた。選択は色と大きさの違いだけで、赤系の色を避け小さめのものを選ぶと、それは少し古い版で最後のものだからといって2000円のところを1700円に負けてくれたのだ。ラッキー  ! こういうのがうれしいのである。そこまで一人のお遍路さんにも出会ってなかったが、帰りがけにたぶん歩きのお遍路さんだと思うが一人だけ会う。14:10神野寺を辞し同じ道を戻る。ちょうど1時間くらいで、先のローソンそばのうどん屋のところまできた。相当疲れてきていたので休憩を兼ねて、そこに入ってみることにした。よくみると、そこはセルフの店のようでかけうどん150円~とあり、しかも営業は16:00までとあったからまさにタイミングはよかったのである。それほど空腹でもなかったから、かけうどんの小150円と天ぷら100円を頼んでみた。結論をいってしまうと、そのあとうどん県香川で数回讃岐うどんを食する機会があったが、ここのうどんが一番うまかった。なのでたいした外観ではなかったが一応写真を撮っておいた。250円でこんなうまいうどんが食えるとは流石だと感心したのであった。

琴電琴平駅Img_6015_2

神野寺手前の交差点(ここまで1時間の歩き)Img_6019_3

神野寺の門前、向こうが満濃池
Img_6023_2

神野寺;3枚
Img_6022_2
Img_6028_2Img_6027_2大師像は池に向かって立っている


琴平に戻る途中、向こうの山が象頭山?
Img_6029_2

今回出会った中で一番だったうどん屋さん;2枚
Img_6031_2Img_6030_2250円のうどんは抜群にうまかった


 そこから金毘羅さんの階段下まで15分?、その途中に番外霊場松尾寺というのがあって(四国霊場には、88ヶ所の札所のほかに20の別格札所があるのだけれど、その他にも無数の番外霊場がある)そこにも寄ってみた。その入り口こそ、こんなところにと思うほどわかりずらく、仰々しさがまったくなかった。こういう隠れた古刹も味わいがあるのである。もちろん参詣客は皆無、御朱印をいただけるのかも定かでなかったが、ベルを押してしばらく待つとたぶんご住職自らでてこられて墨書してくださった。自然とどこから来られたのかといった話になって、穏やかな気持ちにさせてもらった。そこを辞して金刀比羅宮の石段にとりかかる。松尾寺の静けさが一変して、やたらに中国語を聞くことになった。おそらくこの時の参詣者は日本人より断然中国人の方が多かったように思われる。ま、それでも地元としては参詣客に差があるわけでなく、多ければ多いに越したことはないのであろう、それは今や世界の観光地の風景である。それはともかく、この石段の登り、というか金毘羅さんは要は山登りなのである。ネパールカトマンズの目玉寺を思い出しながら、上へ上へと頑張る。いったい本宮まで何段だったのだろうか? たぶん公式数字はでているはずだが(今調べたら全山で1368段、本宮まで785段とあった)、いずれにしろ標高538mの象頭山の中腹に本宮、奥社があるのだから、麓から本宮までは200m近い標高差の登山(階段上り)を強いられるのである。麓の松尾寺から本宮まで30分以上かかったと思われる。展望台のある本宮着が16:25だった。参拝もそこそこにさらに道は奥社へと続いていたので登っていく、が、途中の白峯神社辺りであきらめて引き返すことにした。というのもそこでも御朱印をいただけると聞いていたからで、はっきり承知してなかったがここの社務所も17時までかも知れないと思ったからだった。二度とここまで御朱印をもらいに登ってきたくなかったからでもあった。そこには数名の若き巫女さんがいて、その一人が墨書と朱印を授けてくれた。これにて金毘羅詣でを終了とし、あとは黙々と階段を下った。宿着17:15、一応その日の予定はすべてやり終えてのことだった。

松尾寺;3枚

Img_6034_2Img_6033_2Img_6032_2

金刀比羅宮門前;3枚
Img_6053_3


Img_6035_2
Img_6036_3

ここからが境内か?ここまで来るのが大変、、Img_6038_2

Img_6039_2

展望台は本宮の前Img_6042_3

本宮Img_6041_2

緑黛殿;2枚Img_6049_2Img_6047_2金毘羅さんは航海の安全を守る海の神様を祀っている

Img_6044_2奥社へさらに登るも途中の白峯神社であきらめて引き返した


 門前の宿だったが客は少なかった。どうも金毘羅さんに限らず四国全体にいえそうだが、中国人は別として観光客は減少傾向にあるようだった。なので相客と食事時に会話を交わすこともなく(もともとそこは遍路宿ではなかったが)一人の夕食となった。が、食事の内容は悪くなかった。ビール一本では足らなかったが、事前に街の自販機で風呂上がりの分は買ってきてあったから、寂しいながらも満足のいく食事となった。お遍路の時はだいたい食事をとると早めの就寝となるのだが、この時はもう一回自販機に買いだしに出かけた。そのとき雨がぱらついていたのである。どうも明日は雨のようだった。さて、21時には寝床に入り、すぐに眠りに落ちたと思ったのも束の間、強烈な足の痛みに起こされることになった。両足の脛が攣ってしまって、横になっていられなくなったのである。いや、どうすることもできずにのたうちまわっているうちに、いつの間にか再び眠りに落ちたようであった、が、普段から歩いているわけでもなく運動もほとんどしていないので、いきなりの16~7kmの歩きにたいして、身体は正直に反応したようだった。

そこそこの宿だったが(値段は遍路宿並みだったから)食事は悪くなかった、、Img_6054_2