独歩の独り世界・旅世界

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2巡目の四国 2日目、75番→71番→別格18番海岸寺まで、、

 今回のお遍路は、別格を中心にルート組をすると同時に、もう一つ狙いがあった。初日の金毘羅さんもいってみれば山登りだったのだけれど、四国の山を歩く、というのがもう一つの意図としてあった。といっても、四国の名山といえば、剣、石鎚、でいずれも2000m近い標高を誇っている。若いころにこれらの山に挑まなかったことが悔やまれるが、今では恥ずかしながら、数年前から1000m以上の山には登れなくなってしまっていた。歩ける限界が5時間くらいだから3時間くらいの登りが精いっぱい、そうすると自ずから標高では1000mが限度になってしまった、というのが最近のわたしの山歩き事情であった。それでも山歩きには(たぶん1000m以下の山は山登りとはいわず、単に山歩きとした方がよさそうに思えたのだが?)時に無性にいきたくなるのである。そして四国を歩いてて知ったことだが、四国というところはなんと山の多いところだったか !、低山ながらそこに札所があったりして何ヵ所か山登りを強いられてきた。そんなことを思い出しながら、今回改めて山歩きも視点に入れて四国を歩いてみたいと思ったのであった。

 で、日程の変更以前の予定では、これも低山ながら2日目は箸蔵街道を通って別格15番箸蔵寺までの山歩きを考えていた。このルートは特に頂はないが標高800mの峠を越えて箸蔵寺に至る約4時間半のルートで、大いに山歩きが楽しめ、かつ別格も回れるのでわたしはいいコースを見つけたと楽しみにしていたのだった。が、直前の日程変更に伴い、もちろん3~6日目まで一応毎日のコースは考えてあったのだが、結局この2日目の箸蔵寺を次回ということにするのが、その後の日程にもっとも影響が少なくて済みそうだったので、それを断念し、そして2日目の朝は雨の中7時ころ宿を出、JR琴平駅に向かったのだった。

 すでに述べているように完全歩き遍路は最初からパスしていたので、この日も一駅だったがJR琴平から善通寺まで電車を使った。JR善通寺着は7:26、そこから小雨ぱらつく中善通寺まで歩いて弘法大師様誕生の地75番善通寺着は7:40だった。最初は2年前の秋だったからまだ記憶に新しかった。さすがに真言宗善通寺派総本山は朝早くから雨の中すでに何人ものお遍路さんの姿を見ることになった。参詣後、御朱印をいただくときに、そこの女性に仙遊寺の納経はどこで受けられるのか聞いてみると、まだ工事中なのでここで墨書しますとのこと、で、数年前に回った分として、そのとき持っていた別格用の納経帖に御朱印をいただくことができた。この別格用の納経帖はけっこう余白があったので、前日からずいぶん重宝していたのである。そこから74~71番までは逆打ちとなったが、おぼろげながら道を覚えていて74番甲山寺までは20分で到着、次の72番曼荼羅寺までは30分、72番~73番出釈迦寺までは10分と四国88ヶ所の中でもこの辺は特に密度が濃いというか固まっていて数を稼げるところであった。道もほとんど平たんに近かったので、雨降りといえどもそれほど苦にはならなかった。73番出釈迦寺で納経を済ませたのが10:10で、善通寺から歩きだして2時間しかたっていなかった。出釈迦寺の納経所におられた大黒さんは御年83歳といっていたが、かくしゃくとして元気なおばあさんだった。そのおばあさんに捨身ヶ嶽禅定への行き方を聞く。丁寧に道案内してくれたが、今日は雨だから決して行場いかないよう念を押される。捨身ヶ嶽禅定は73番出釈迦寺奥の院で、出釈迦寺の背後にそびえる急峻な我拝師山(481.2m)の中腹350mあたりにあって、御大師様幼少時に仏門に入って多くの人を救うことを祈願して身を投げたとされるところ(そういう逸話として)、実際そこは絶壁となってる岩峰の修行場があって、そこには雨だから行かないように注意されたのだった。で、いわれた道を行く、今ではこの急坂は歩きでは無理なひとのために車でも上げれるようにしたようで、全道が舗道になっていて歩きのほうが却って難儀な道となっていた。その勾配たるや、こんな道を車が上がれるのかと思うほどの急傾斜、そこが雨のために滑りやすくなっていて、たいへんきつい登りであった。誰もいかないだろうと思っていたら、途中でトレーニングがてら毎日登っているという地元のおじさんに出会った。それほど迷うところもなかったが、その方の後をついて、それでも30分ほどかかってようやく山門に着く。舗道で歩きにくいのと急傾斜で、まったくトレーニングにはこれ以上うってつけの場所はないだろうと思えたのだった。山門をくぐって本堂の前に立つも、晴れていればその鐘楼からの見晴らしが素晴らしかったと思うが、ま、それは仕方のないこと。お参りを済ませて行場の下まで行ってみたが、もちろんそこで引き返した。雲の中にあってまったく視界がきかなかったが、立派なお堂と鐘楼のある捨身ヶ嶽本堂の参詣を終えてまた来た道を、下りも厄介だったが恐る恐る戻った。登りが30分、読経等に10分、下り25分かかって出釈迦寺に戻り、おばあさんに戻ってきたことを報告してご朱印をいただく。ちょうどそのころ雨が上がりかけていたので、そこで雨支度を解くことにした。休憩を兼ねてなんだかんだしていたら、時間はどんどん過ぎて12時近くになってしまった。慌てて歩きだしてしばらく行って、ストック(金剛杖は飛行機だと別料金がかかってしまうので、今は短くなるストックを使用している)を忘れたのに気付く、そこでまた10分ほどロスしてしまった。

善通寺;4枚Img_6056赤門
Img_6057本堂Img_6058Img_6060_2御影堂

甲山寺Img_6061_2

曼荼羅寺;3枚Img_6062
Img_6063_2Img_6064

出釈迦寺;3枚Img_6065Img_6066Img_6067

捨身ヶ嶽禅定への道;2枚(いずれも上から下に向かって写すも写真ではその勾配はでない)
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捨身ヶ嶽禅定;3枚Img_6071山門Img_6072鐘楼と本堂Img_6073行場の取りつき

下って、捨身ヶ嶽禅定への参道の入り口付近、写真の山我拝師山の中腹にある
Img_6076Img_6077案内板Img_6078その付近からの眺め(この場は出釈迦寺から少し上がったところで高度はない)


  71番弥谷寺までは高速道の下をくぐる辺りまでが下りで、ちょうど30分くらい(前も寄らなかったが、この時も番外の七佛寺を見逃してしまったことに後から気づく)、そこからは登りになって、素敵な竹林の山道歩きは、前回も感じたがなかなかいい道に思えた。出釈迦寺からちょうど一時間くらいで、弥谷寺下の俳句茶屋に着いた。ここは確か前回は閉まっていたと思うが、もし開いていれば少し情報を聞いてそれによっては、荷物を預けていく手を考えていた。その日のメインの山登りはそこからだった。わたしは弥谷寺のあと、そこから山道をいって、弥谷山と天霧山の間を通って虚空蔵寺に抜けるルートをバイブル‘四国遍路ひとり歩き同行二人’の地図で見つけてあった。ただそこにはいつの情報かはわからなかったが、山道荒れ注意要す、とも書かれていたのだ。そこでこの茶屋か、そこが開いてなければ弥谷寺の納経所でその辺の状態を聞こうと思っていたのだ。その時中を覗くと男性が二人いて、一人からどうぞと声がかかった。一人はお遍路さんで、もう一人が店主のようだった。その店主に虚空蔵寺に抜ける山道はどこから出ていて、状態はどうだろうと聞いてみると、道は本堂への階段を上がったところを右にいけば山道にでること、その山道は歩けないことはないが雨が降ったので足下はよくないだろうとのことだった。それより海岸寺にいくには、下のいやだに温泉から車道を右へ右へと行けば、そんなに遠くないと教えてくれたのだった。そう、わたしは虚空蔵寺が目的であったわけではなく、そこを通って別格18番海岸寺に行こうとしていたのだ。だからどうしてもその山道をいかなければならない理由があったわけでなかったから、その情報は参考になった。つまり海岸寺には弥谷寺のある弥谷山を回りこむようにして海岸寺にでる道があることを知ったことが大きかった。それは例の本ではわからないことだったからだ。それで納得して、ならば荷物をここに置かせてもらって参拝に行けるということになって、せっかくだから昼食にうどんを一杯作ってくれるよう頼んだ。先客は店主と知りあいのようで親しげに話していたが、わたしの登場を見計らって、また来るといって出ていかれた。で、今度はわたしが店主の話し相手となったのだけれど、初対面だったし、ありきたりのこと、どこから来たとか、年のこととか、最近の遍路事情といった話しか発展はしなかった。それでもわたしより二つほど先輩の気のいいオヤジさんであった。

弥谷寺;7枚Img_6079山門Img_6081本堂の手前の分岐、天霧城跡方面が虚空蔵寺への道Img_6082上と同じところを逆方向からImg_6084弥谷寺本堂Img_6083本堂前からの眺め、ここからの眺めでこの本堂がけっこう高いところにあることがわかる

Img_6085ここはお大師様が彫られたという摩崖仏でも有名

Img_6087一段降りたところにある大師堂、ここが納経所にもなっている

 おいしいうどんをいただき、荷物を置かせてもらって、というのもこの弥谷寺も、そういう意味ではちょっとした山登りであったから、それは疲れている身にとっては、そして年寄りにとっては大変ありがたいことであったのだ。上り下りと参拝に45分かかって、荷物をとって茶屋の主人に礼をいってそこを辞したのがもう14時に近かったと思う。車道に出ると明るい陽射しが、午前中の雨が嘘のように照っているのであった。そこから海岸通りまで30分、そこを右折して国道21号線に沿って左に予算本線、その向こうに瀬戸内海を眺めながらのシーサイドコース(歩道)はなんと気持ちの良いルートであったことか ! ? 、、海岸寺近くでその歩道が途切れ、交通が激しくて少々危険な箇所もあったが、1時間くらいで海岸寺奥の院に通じる脇道に入る。しかし、そこはすでに海岸寺の敷地内であったようだが、どこに何があるか全くわからず、案内表示もなく人もおらずで、迷いながらようやく奥の院本堂着、15:25ころだった。そこを参拝して納経はそこから5分くらいのところにあった海岸寺本堂へとあった。別格18番海岸寺には、それでも車お遍路さんを何組か見かけた。そこの参拝を終え、御朱印をいただいて一息ついたら16時近くになっていた。さて、そこからどうするか、少し休みながら思案する、、

俳句茶屋から下ると駐車場があって、そこに天霧城跡の説明板があったImg_6088_2

いやだに温泉から舗道を下っていくと美しい景色に遭遇、最初向こうに見えるのが海だと気付かなかった、、Img_6089

国道21号線にでたところ、海の中に浮かぶ津島神社?Img_6091

21号線沿いから;3枚Img_6093いわれなくても電柱を外すべきだったことはわかっているが、とっさのことで一歩前にでる余裕なし、、

上と同じあたりから2枚Img_6094Img_6095

迷って海岸寺奥の院を探していたときの一枚Img_6096

海岸寺奥の院;2枚Img_6098

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別格18番海岸寺;2枚Img_6100Img_6102_2右の建物が旧ユースホステル?


 予定変更前から、この日の行動は虚空蔵寺を辿ったとしても海岸寺までのつもりでいた。なので、当初は例のバイブルにでていた海岸寺ユースホステル(たぶん以前は海岸寺の宿坊の役割を担っていたのではないかと思われる、本堂の隣に建物は残っていた)を宿にするつもりで電話をしたのだが、すでに宿泊は受けてないとのことだった。で、そのあとその日の宿をどこにするかたいへん迷った挙句に、あるサイトで丸亀にわたしのところと同じようなゲストハウスを見つけたので、そこに予約を入れておいた(18時チェックイン予定ということで)。ただ、その日の予定では75→74→72→73→71→別格18まで歩くつもりでいたが、海岸寺に何時に着けるかの予測はまったく立っていなかった。最悪は17時までに海岸寺に入いれれば、あとはその近くにJRの駅があったから、そこから丸亀のまでは電車を使えばいい、と思っていた。それが一時間余り早く終わって、このまま電車に乗ったら2時間ほど時間を余すことになってしまう、で、どうしようかと考えたのだった(結論からいえば電車に乗ってしまえばよかったのだが)。そのとき例のバイブルを見ていて、77番道隆寺まで2.9kmと書かれているのを見つけてしまう。77番もすでに一度訪れていたが、そこまで行ってしまえば丸亀までも歩けるかもしれないと、以前に歩いた経験で思った。で、3kmなら普通45分、ぎりぎり納経に間に合うかもしれないと思って歩きだした。その途中に番外霊場佛母院というのがあって、そこも寄り道してみた。そのあとしばらく歩くともう道は例のバイブルからはみ出して、地図なし状態で歩くことになった。が、この時わたしは77番道隆寺までは、てっきり一本道(国道の大通りを)をいけばいいと思い込んでいたのだ。途中一ヶ所分かれ道があったが、どういうわけか道案内の標識が出てなかったから当然太いほうの道を行く。しばらく疑いもなく歩いて、けっこう歩いたなあ、と思って時計を見ると16:40、そろそろ77番についてもおかしくない時間になっていた。しかし、周りの感じが一昨年その辺りを歩いた時とはまるで違っていて、何せ左は岸壁で海に浮かぶ造船所(あるいは港?)の船の写真を撮ったりしていたのだ。さすがに間違えたかもしれないと思ったが、地図がないからどこでどう間違えて、どう修正すればよいかがわからなかった。下手に曲がってしまうより、しっかりした標識がでてくるところまで歩こうと、その大通りをそのまま歩き続けた。しばらく行くと右道隆寺の道路看板を目にする。が、その時すでに17時に近くになっていた。その時点で77番への寄り道を諦める。そして現在地は道隆寺辺りの海辺の道だろう判断し、このままこの道を行けば丸亀に着くだろうと、その大通り(さぬき浜街道とかいったか?)をそのまま歩き続けた。ま、しかし、そこからも遠かったこと、疲れてもいたし、間違えて余計に歩くことになってしまったという想いもあって、なかなか距離は縮まらなかったのであった。結局、電車なら海岸寺~丸亀約8km(だから歩いた距離は9kmくらいか?)12~3分220円のところを2時間かけて歩いてしまったのだった。18時ころようやく到着したそのゲストハウスの若いオーナーから、風呂の場所とか、飲み屋さんの場所を教えてもらったが、疲れすぎてさらにどこかへ出かける気力・体力とも余しておらず、洗面所で身体を拭ていて、駅のスーパーでビールと弁当を買うのがやっとであった。カーテンの仕切りだけの1.5畳ほどのスペースに布団を敷いて、普通ならなかなか寝付けそうもないところであったが、案外早く眠ってしまったようだった。同業であるから、ここの宿の論評は避けたいと思う、、

海岸寺を出てすぐに渡った橋からの眺めもなかなか良かったImg_6104

佛母院Img_6105

ここは多度津港?ここで道を間違えたらしいことに気付く、、Img_6106_2

ようやくたどり着いた丸亀ゲストハウス(この写真は翌日写したもの、ザックと金剛杖、菅笠はそこで出会ったもう一人の若いお遍路さんのもの)Img_6108