独歩の独り世界・旅世界

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5回目の区切りうち遍路 その5<遍路ころがし その2> 20番鶴林寺~21番太龍寺、22番平等寺

 遍路宿の朝食はだいたい6時が普通で、ま、6時半から、あるいは客の希望に応じてというところもなくはなかったが、一般のホテルやビジネスホテルは7時からが多かったように思う。この朝の朝食は、6時半からだったからか、前日の夕食時のフルメンバーでなく、なかには朝食をとらずに早発ちした人があったのかもしれなかった。確かに、前回記したようにここからは遍路ころがしの第2弾といわれている鶴林寺と大龍寺の二つの山越えであったし、そもそも適当な(ちょうどよい)ところに次の宿が存在しなかったから、ここの主人?がいっていたように、次の宿を23番平等寺脇の‘山茶花’に取ったとしたら、早発ちもわからないことではなかった。だから、朝食をいただいて、頼んでおいた昼食用のおにぎりをいただいて勘定を済ませ、ちょうど7時ころに出発したのだけれど、たぶんわたしが最後にそを出発した客となったようだった。

 前日に見届けていた鶴林寺への遍路道を行く、、最初は細い舗装された道が登り気味に続いていて、見晴らしのいいところもあった。何とか雨は持ちこたえていた。少し登ったところに立派な遍路小屋?があった。ここはまだ新しいのか、見た目きれいで十分泊まれそうであったから、あるいは昨日出会っていた野宿遍路さんたちがここまで来ていれば(あるいはここのことを知っていたなら)、ここはもってこいの宿泊場になったように思えた。そこから少し登ったところが水呑大師で、宿から1.5km?,30分というところだった。その辺から本格的な山道になったが、ここの登りは思ったほどきつくなく、それは一つには傾斜がそれほどきつくなかったからではないかと思われた。それと、よく地図を見れば鶴林寺のあるところは標高500mで、宿からだと3km、水呑大師からは1.5kmしかなかったのだ。なので、意外と近かったんだと思わせる時間、8:10には車道に出て、そこは駐車場になっていて、そこからしばらく行くと、なかなか趣のある山門をくぐることになった。山深いところにあって、山の気がとてもすがすがしく山門だけでなく寺全体にいい気が充満していた。歩くにはちょっと大変かもしれないが、今は車道ができているから車お遍路さんや団体さんも多く見受けられ、ここも人気?のお寺さんであることが窺われた。心なしか、そんな団体さんにも奥ゆかしさが感じられ、それは山の気、寺の持つ雰囲気がそうさせているようにも思えた。御朱印をいただいて8:40に下り始める。思っていたより少し早いなぁ、と感じながら‥、、

少し登ったところに見晴らしのいいところがあった。勝浦町の眺望?Img_3128_640x480

さらに登ったところに遍路小屋?ここは寝袋があれば泊まれそうだった、、Img_3129_640x480

30分で水呑大師Img_3130_640x480

鶴林寺の趣のある山門;2枚Img_3132_640x480Img_3133_640x480この山門まで1時間15分?

山の中の鶴林寺本堂は、さらにこの石段を登った上にあった。本堂;2枚Img_3139_640x480Img_3135_640x480

本堂の右手に建つ三重塔

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先の長い石段の手前左側が大師堂;2枚

Img_3137_640x480Img_3138_640x480僧侶に引率された団体お遍路さん(大師堂)


 次の太龍寺までは、登りの途中から見えた下の那賀川までいったん下らなければならなかった。当然登ってきた分だけ下るということだったが、その傾斜は登りよりずっときつかった。下りながら、逆打ち、つまりここを登るとなるともっと大変だったろうと思わす急な山道を休まず40分で村落にでると、車道を渡ったところに休憩所があった。少し休みを入れようかと迷ったが、その先の橋を渡った辺りにも休憩所のマークがあったので、そちらで休むことにして歩き続けた。9時半に那賀川にかかる水井橋を渡る。そこからは登り返しとなるので、地図上には橋を渡ってすぐのところに記されていた休憩所で休むを入れるつもりだったが、それがなかなか現れてこなかった。幸いまだ傾斜の緩い細い山道(舗道)だったのでなおも歩き続けた。途中で、相当歩き疲れているのがうかがわれる中高年の歩きお遍路さんに追いつき、もう少しで休憩所があるはずと声をかけて先に行く。しかし、地図上ではどう見ても5分以内にありそうに記された休憩所に着いたのは、なんと9:55で橋から25分、ということは2km近くも歩いてのことだった。ほとんど休みなしで1時間15分歩いたので、ここで10分の休憩を入れる。ちょうど出発するときに先に追い越したお遍路さんが到着したので入れ違いとなり話す機会がなかったが、その後もう一度会うことになる、というかこの人は前日に同じ宿に泊まっていた方のようだった。そこからしばらくは細い舗道の傾斜な緩やかな遍路道だったが、10分くらい行くと登坂口という案内板があって本格的な山道が始まった。当然傾斜は急になると同時に小雨がぱらついてきた。どのくらい登ったか、雨が強くなってきたので休憩がてら雨具を取り出し、雨装束になって再び登りだす。最後はバテ気味となって太龍寺の山門に着いたのは10:55だった。やっと着いたかと、気を抜きそうになったが、実はまだそこからが長かったのである。ようやく境内らしきところまでたどり着くのに、さらに10分ほどかかったか?、おまけに雨は本降りになりつつあった。遍路ころがしの名に十分値する山登りを実感するも、それにしても時間が早すぎない?という思いが募っていた。

鶴林寺への登りの途中に開けたところがあった。そのときはわからなかったが、この写真にある川が那賀川で、かすかに見える橋が、この後渡ることになる水井橋だった、、Img_3131_640x480

鶴林寺からの下山道はかなり急勾配だった、、Img_3140_640x480

鶴林寺から水井橋まで50分休みなしで歩き続けた、、上の写真が来た道を振り返って、左手の山が鶴林寺のあったところ、、、Img_3142_640x480次の写真の奥の山が、太龍寺のある山Img_3141_640x480

橋のそばに記されていた休憩所は、橋から25分歩いたところにあった、、Img_3143_640x480

上の休憩所から50分で太龍寺山門についたが、境内はここからさらに10分も登ったところにあった、、Img_3144_640x480


 この21番太龍寺がまた、その山奥の荘厳なたたずまいに感心させられてしまった。本降りの中の参拝は、本堂・大師堂が、やっとたどり着いたと思った納経所のあったところからさらに高い位置にあって、雨に濡れた長い石段の登りにもう一苦労させられるのだった。雨に煙る本堂、少し離れたところにある大師堂を人気のない山奥を彷徨うといった感じで巡拝させてもらった。徘徊しているうちにケーブルカーでやってきた団体さんに会う、途中追い越した歩きお遍路さんも到着していた。御朱印をいただいて、納経所のわきで雨宿りしながら、さてと、と考え込んでしまった。そのとき11時半ころで、こんなはずではなかった、つまりそこに午前中に到着しているなどと思ってもなかったことだったのだ。早すぎるのでは?この時間なら確かに民宿のオヤジさんがいっていたように、22番までいけるのではないか?どうしよう?そうするには、まず、‘そわか’さんをキャンセルして、‘山茶花’さんにも泊まれるかどうか確認しなければ‥、、で、まず、‘そわか’さんにtel入れるが、何回入れても呼び出してはいるが誰もでてくれなかった。そこをキャンセルできなければ‘山茶花’さんの問い合わせもできなかった。そこで考え付いたのが以下の案だった。もし電話でキャンセルできたなら、そのまま山を下ればたぶん22番平等寺までは行けるだろう、、しかし、キャンセルを電話で伝えられないなら、直接いってそれを伝える、不在なら手紙を書いておいていけるだろう、、そのためには、そしてそこから22番に向かうには、時間的にロープウェーを使うしかない、、というのもそわかはロープウェーの麓の駅舎の隣にあったのだから、、それは雨の中の山下りをあまり望んでなかったわたしの片隅にあった気持ちとも一致してしまったので、即行動に移すことになった。ロープウェーの駅舎は5分くらいのところにあって、中に入るとお土産屋さんのようになっていて、そこの売り子の女性からキノコ茶の接待を受ける。最初断ったが時間がありそうだったのでいただくと、たぶんキノコ茶というものを初めて飲んだと思うが、こんなうまいお茶があったのかと、びっくりしてしまった。いや、実際おいしかったのである。疲れが取れそうでもあった。もちろんそれは試飲で、それはお土産として売っていたのだが、決してお土産としていかがですか、とも勧められることもなかった。わたしは逆にそんな応対が気に入って、めったに買わない土産をその時ひとつ購入することになった。それは今回の四国の唯一の土産となったが、他ではあまり見たことがなく、確かにその箱には‘太龍寺きのこ茶’と書かれていたから、もしかしたらここでしか買えないものだったのかもしれない、、

山の中の広大な敷地に太龍寺はあって、案内にしたがって本堂・大師堂へ、写真に見えている石段を登った奥にあった、、Img_3147_640x480

石段を登ってきたあたり、突き当たり奥が本堂で、ここを右手に行くと大師堂とのことだった、、Img_3148_640x480

雨の本堂、後でわかったのだが、ここに写っているお遍路さんが、そのあと道の駅であったO氏だった、、Img_3149_640x480

先の写真の右手方向、奥に大師堂;2枚Img_3150_640x480Img_3151_640x480


 その売り子さんがロープウエーのticket販売員でもあって、駅舎の責任者でもあったようで、先の団体さんも間に合って一緒に乗り込むと、彼女が見送りまでしてくれたのだった。このロープウェーはかなり大型で、数十人が乗れたと思うが、そのときは団体さんとわたしで10数人だったか?、男性の従業員が10分間の乗車時間の間、太龍寺のこと、ロープウェーのことをいろいろ説明してくれたが、ほとんど覚えておらず、ひとつだけここの会社(四国ケーブル)が雲辺寺と八栗山のロープウェーも運営しているということだけが、両方ともすでに訪れており、いずれもロープウェー(八栗山はケーブルカー)は利用してなかったので、あーそうだったのか、と記憶に残った。いずれにしろ、わたしはこのロープウェーには半分くらいは不本意ながらという想いで乗っていたのだった。歩きお遍路(偽物だが)としては、もちろんケーブルカーやロープウェーの利用ははなから落ちこぼれとみなしていたから、これまで利用したことはなかった。それが故にここの従業員の良く行き届いた心遣いというものも当然知る由はなかった。しかし、上の駅舎の売り子さんといい、この車掌を兼ねたお兄さんといい、よく教育されていたことをあらためて知るのは、そのロープウエーを降りてからの出来事によってだった。西日本最長、晴れてればその眺望は紀伊半島にまで届くとのことだったが、あいにくの天気で眼下すら定かでなかったとはいえ、思いがけずスケールの大きいロープウェーに感心しながら降りたとき、その車掌さん?に、聞かなくてもわかったと思うが、‘そわか’さんはどっち?と聞いてみたのだった。駅舎をでて駐車場の向かい、すぐにわかりますと教えてくれた。見当はついていたが、ここの駅舎は存外大きく、その出口に向かう途中、明らかに団体さんを迎えるための昼食のセッティングがなされていたレストランやお土産店、展示ホールなどもあったように記憶しているが、それらを見るとはなしに歩いていると突然声がかかった。え、何事?驚いて振り返ると、ロープウェーを降りたときに車掌さんと一緒に出迎えてくれた年配の四国ケーブルの社員の方だった(もしかしたら責任者の方だったかもしれない)。その人はこういったのだ、、これから‘そわか’さんにいくのですか?、実は‘そわか’さんは10時~15時ころまでは誰もいないのです。そこへお泊りの予定ですか?と、、そうだったのかとその情報に感謝し、コトの事情を話した。わたしは泊まる予定ではなく、逆にキャンセルするために来たこと、だれもいないのなら置手紙を書いて行くつもりです、と、、わたしはこの四国ケーブルさんと‘そわか’さんは直接的には何ら関係はないと思っている。ま、お互いに観光関連ということだけのお隣さんだと思うが、それでも普段から行き来はあるのかもしれないと思った。そして彼は、それなら私が伝言を承ります、といってくれたのだ。彼女が戻ったら、その旨伝えてくれるということだったから、わたしは名前を名乗って、彼に言伝をお願いした。わたしにはこれは彼の純粋な親切心のたまものではと感じられたので、もちろん感謝の意も伝えた。そして、もしかしたらこういう社風がこの会社にはあるのではないかと思ったのであった(ま、広く言えばそういう精神風土は四国全体に残っている、ともいえることだったが‥)。

発車前のロープウエー、ほとんど下界は見えてない、、Img_3153_640x480


 そんなことでも、やはり親切にしてもらう、あるいは気遣いを感じられることには心を和ませるものがあって、少し肩の荷が軽くなったような気分で、その人に教えられた道に向かって雨の中を歩きだした。しばらく行くとローソンがあって、その前がバス停でベンチがあったので、そこで休みがてら‘山茶花’さんにtelを入れてみた。が、ここも繋がらなかった。そのときすでに12時をだいぶ過ぎていたが、この時はローソンには寄らず、おにぎりも持っていたが昼食は取らずに先を急いだ。195号の幹道はそれほど交通量は多くなかったが、結構長い道のりだった。次の目標地点としては6kmくらい先に‘道の駅わじき’というのが地図に載っていたので、そこを目指す。途中疲れて何度も休みたくなったが、どういうわけかローソンから先はベンチのあるバス停がすべて右側にあって、道を横断したくなくて歩き続けてしまった。結局1時間15分休まず歩いて、ようやくたどり着く、といった感じだったから、その間はもしかしたら5kmくらいだったのかもしれなかった。相当疲れていたので、昼食を兼ねて長い休みをとるつもりで中に入ると、ほとんどお客さんはいなかった。それほど大きくない館内にはどこもそうであるように、お土産類の販売に多くスペースが割かれており、軽食もとれるようになっていた。その奥が休憩所のようになっていて、そこには先着のお遍路さんが濡れたものの置き場に困るといった風にして、コーヒーを飲んでいた。実際わたしも濡れたポンチョの処置には戸惑ってしまう。挨拶を交わすと見覚えがあった。確か太龍寺の納経所のわきでお昼をとっていた人で、前日の宿も同宿だった年配の方だった。年はわたしより少し上そうだった。挨拶を交わして、太龍寺からどうやってここまで来られたのか聞いてみると(なんでそんなことを聞くのかと)不思議そうな顔で歩いてきた、というのであった。ちょっとわたしは混乱して、太龍寺をでたのは何時ころですかと聞きなおすと12時前とのこと、わたしには信じられなかったのである。わたしより年配と思われたその人は太龍寺からここまで、雨の山道を下って約8kmを2時間足らずで歩いてきていたのであった。明らかにわたしはこの人より前にそこを発ち、しかもロープウエーで下って、それから6kmくらい歩いたとはいえ、この人より遅く着いているのであった。ま、恥ずかしいというか、完全に負けていたのだった。後にこの人も、すでに四国は何回も回っている先達(あえて達人といいたい)と知ることになるが、いや凄いというか早いというか、脱帽せざるを得なかった。なのでわたしは正直に雨だったのでロープウェーを使ってしまったと打ち明け、それまでの経過、そしてその日の予定などの話になった。そのとき宿のことを思い出し、慌てて電話をかけに表に出る。が、この時も‘山茶花’さんは繋がらなかったのだが、どういうわけか留守電対応になっていたので、名前とtel番を入れ、空いていたら今夜宿泊したい旨を残した。戻ってそのことも伝え、その人はすでに山茶花に予約済みとのことだったから、もしかしたらまたお会いするかもといって、2杯目のコーヒーを飲み終えて先発する彼を見送った。わたしはここでお昼のおにぎりをいただき彼に遅れること20分くらいで後を追うことになった。そこから22番平等寺までは約5km、彼は1時間半くらいだろうといっていたが、そのとき14:20だったから、なんとか16時までには着けるのではないかと思っていた。

ロープウェー駅を出るとすぐに那賀川を渡る、そのとき登っていくロープウェーが見えたが、ほとんど見分けがつかない写真になっている、、Img_3155_640x480


 そこからは幹道を離れて細い舗道となったが、しばらく行くと山道になった。といっても低い峠越えだったから傾斜は緩やかで、その大根峠までそれでも30分ほどかかったか?その途中で‘山茶花’さんからのtelが入り、お待ちしてますといってくれた。朗報であった、宿が決まって一安心というところであった。これも後でわかったことだが、最後の一部屋だったようだ。疲れがでてきて歩きもきつくなってきていたし、雨は相変わらず降り続いていたが、気持ちは少し晴れやかになっていた。ちょうど1時間歩いたあたりに休憩所があって10分の休みを入れた。そこはもう村里にあったから、その辺はまた車も通れる細い舗道になっていた。そんな車も人も通らない平らな田舎道を歩いて20分、15:50の平等寺着だった。雨の中団体の遍路さんや、車遍路さんを多く見かける。先着の彼はちょうど参拝を終えたところで、わたしも隣の‘山茶花’さんに泊まれることになったことを伝え、ではのちほど、と挨拶してわたしはこれまたかなり高いところに位置した本堂への石段を登りはじめた。雨の中の参拝はそれなりに手間取って、やれロウソク・線香に火がつかなかったり、経本を濡らさないように気を遣ったり、下りの石段は滑らないように注意したりと、思いのほか時間もかかるのであった。参拝を終えて‘山茶花’さんの玄関を開けた時は16:20になっていた。

22番平等寺;6枚Img_3163_640x480仁王門Img_3161_640x480奥の石段を登ったところが本堂Img_3159_640x480本堂Img_3156_640x480本堂は珍しくご開帳されていた、、Img_3157_640x480一段高い本堂からの眺めImg_3160_640x480一円玉の敷き詰められた石段を下りて山門からみて左側にあった大師堂を詣でる、、

 ここのまだ若い女将さん(なんと呼んだら一番イメージが近いだろうか、気さくなおばさん?おばさんは失礼かもしれない、彼女に似た女優さんがいたような気かしたが、なんていう名前かでてこなかった)は、終始よく気の付く人で、キップが良くて感じがよかった。まず、ズブ濡れの雨具、衣服をどうするかの問題があったのだが、すでに雨具をかける移動式ハンガーが備えられていて、その下に3重くらいに新聞紙が敷かれてあった。それ等をハンガーにかけ、あとは風呂が空くのを待つばかり、先着の女性が出た後にO氏(後に納札を交換したのでお名前を知ることになったが、その時はまだ知ってない)と共に風呂をいただく。大き目の風呂にゆったりと浸かり、疲れもとれ新しい着替えに着替えるられたのはまことに気持ちがよかった。そして洗濯と乾燥はすべてお接待だったのには、さらなるありがたさを感じるというか、ここも精神は善根宿と変わらないと思うのだった。食事までの間に‘そわか’さんにtelを入れてキャンセルを詫びる。しかしそわかの奥さんも全く感じのいい人で、明るく応対してくれ、話は聞いていたので気にしなくていいといってくれたのだった。6時からの食事はまた格別にうまかった。カンパチの刺身とカレイの煮つけは絶品であった(これは想像だけれど顔は見せなかったが裏方にご主人がいて料理を担当されていたのではないだろうか?というのも彼女は始終お客さんの要望に従ってこまめに立ち働いていたからである)。当然ビール一本では足らなくなり、この時は冷酒を追加した。食卓は、後から着いた人も入れると全部で6人の宿泊客だったようで女性が二人、一人は大阪の方、もう一人は東京の方で、大阪の方は前日同宿の女性であった。男性は、O氏が東京、もう一人が沖縄の方、最後に着いた方は、あまり話さずわからなかったが、この人が途中追い越した人で、前日の宿が同じだった人であった。ということで6人中4人は前日同宿で、しかもここで再会するということは、やはりこの間は民宿Kから、ここ22番平等寺脇の‘山茶花’さんまで来るのが一般的で、知らぬはわたしばかりだったということのようであった。ここでは女将さんの人柄で、その場は和気あいあいになったが、今一つ盛り上がりに欠けたのはやはりテーブル席であったからだろうか‥??、いずれにしろその日も疲れていたので早く床に就いたが、案の定この日も蚊に襲われた。しかしそこはさすがに蚊取りの用意があったから、久しぶりに寝つきもよく、熟睡することができたのであった、、