独歩の独り世界・旅世界

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雨の四国旅 その2,箸蔵街道~別格15番箸蔵寺

 すでに述べていることだが、今年から始めた2周目のお遍路は別格を中心に回ることにして、前回5月は別格の17番、19番、18番、20番を打ち終えていた。別格は全部で20ヶ所あって88ヶ所とあわせて108ヶ所になる。一周目の時に出会った歩きお遍路さんの何人かは、同時に別格も合わせて回っていたが、わたしには到底その余裕はなく(主に体力的に)、88ヶ所を回るのが精いっぱいであった。というのも別格はたいていとんでもなく離れているところにあって、88ヶ所を回るだけでもヒィヒィいっていたのだから、そういう人に出会うと凄い人たちだなぁ、と感心するばかりであった。その行きづらい別格の一つに15番箸蔵寺があった。ここへはたいてい66番雲辺寺から行くか、その前に民宿岡田から行くのが歩きの場合の一般的ルートのようであったが、どちらから行くにしろ片道20kmもあるのだから、往復となれば40km?健脚の人でも一日かけていって帰ってくるのが容易でない、というところだった。それがわかっていたから、ここはわたしには歩きでは難しいと思われた。では、どのように?と地図を見ながらいろいろ検討していて、これは面白いかもしれないと思われるルートを見つけたのは今年の5月のことだった。だが、そのプランを実行しようとした矢先、不測の事態が生じて日程を短縮せざるを得なくなり次回以降に持ち越しとなった。なので今回はなんとしてでもそのルートを歩いてみようと多少ルートをアレンジして、この別格15番を今回の四国歩きの最重要ポイントと位置付けていた。それがタイトルとした箸蔵街道経由箸蔵寺へ、というルートで、前回のプランではそこを打ってから善通寺までJRで戻るつもりだったが、今回はそのあと66番へ行くことにし、流石にどうやってもその日のうちに民宿岡田まではたどり着けそうもなかったから、箸蔵寺から10km?徳島県阿波池田白地の民宿に予約を入れておいた。

 そのルートはこんな感じだった。同じ道を20kmも往復する(遍路用語でいう打戻り?)なんてわたしにはできなかったからone way、つまりJR 善通寺から鉄道で4駅、讃岐財田という駅まで行って、そこから山越えして箸蔵寺に至るルートを歩く、というものだった。実はこの道(山道)は今でこそ通る人もいない廃道に近かったが、国道32号線及びJR土讃線の開通以前(明治?大正?)は、この道が金毘羅さんと阿波池田を結ぶ重要な交易路であったと思われる(国道32号線は阿波街道と呼ばれ昔からあったようだ)。というのも、この箸蔵寺は千年来金毘羅さんの奥の院として多くの参詣者を集める大寺院で、そこに祀られているご本尊は金毘羅大権現だったのだから、その金毘羅さんと箸蔵寺を結ぶ参道として、この道の往来は絶えなかったであろうと想像されるからである。いや、実際にその途中にあった宿場?二軒茶屋には10数年前までは村人が居住していて、道中の休憩場所として機能していたことをその夜泊まった民宿のご主人から聞かされた。つまり、数十年前までこの道は交易路としての役割は終えていたかもしれないが、ハイカーあるいはお遍路さんの通る山道として地元の人には知られていたようだ。が、今はその二軒茶屋もすでに廃屋になっており、一年に数組のハイカーが訪れるくらいではないかと、これも民宿のご主人の話であった。だから、この道を通って箸蔵寺に至るお遍路さんは、おそらく数年ぶりのことではなかったかと思われた。そんな話は追々していくとして、では、お遍路のバイブルにも、どの88ヶ所巡りガイドブックにも載っていない、だから今ではお遍路さんが通ることはまずないと思われるこの道をどうやって見つけたかを簡単に記しておこうと思う。先にいったように一日40kmも歩けないわたしはまず交通手段を探した。と、JR土讃線が近くを通っていることを知り、箸蔵という駅があること、そして駅から少しいったところからロープウエーで箸蔵寺までいけることがわかった。つまり箸蔵寺は山の中腹にあるということを知ったのだが、もちろん最初からロープウェーは使うつもりがなかったから山登りを覚悟した。が、同じ山道の往復もわたしの好むところではなかった。その時はまだ箸蔵寺が金毘羅さんの奥の院であることを知らなかったから、そんな山道があることも頭になかった。ただ、わたしはそもそもお遍路を旅としてとらえていたし、いくつかの山登りを強いられた88ヶ所巡りも、わたしには山歩きの延長だったから、だいぶ前から遍路ルート作成に山のガイドブックを参考にしていた。このルートも前回大滝山(別格20番大滝寺)を調べてたときに分県登山ガイド‘香川県の山’で見つけていたのだ。そこには‘箸蔵街道’として、お遍路向きのガイドではなかったが、そのルートの概要、コースタイム等は見開き2ページで紹介されていた。それによると讃岐財田駅から箸蔵寺まではおおよそ3時間半とあり、何とかなるだろうと思ったのだった、、

 なので、前日の宿泊場所としては善通寺か琴平が望ましかったのだが、そんなことで探して見つけたGuestHouse‘風のくぐる’はちょうどよい場所だった。その朝GH風のくぐるのオーナー氏家さんに挨拶して、その日のルートを告げると、ほとんど通る人はいないとのこと、十分気をつけるようにいわれた。が、むしろ気になったのはその日の天気のほうだった。天気予報はその数日前からしばらく雨模様が続いていた。前日は降られなかったが、山で降られたくないなと思いながら善通寺の駅に向かう、駅まで15分。列車の時刻も調べてあったが、次の琴平まで行く列車は何本かあったがその先が全くといっていいほどなかった。ちなみにこの土讃線琴平~阿波池田を結ぶ普通列車は一日8本しかなく、午前中は6:58,9:06,11:54発の3本だけだった。必然的に9:06しかなかったので、琴平の駅で30分以上待つことになった。一両のワンマン列車に乗客は4人だったか?そのうちの一人だったわたしが三つ目の無人讃岐財田で降りると、特急通過待ちでしばらく停車してから出ていったが、おそらくそのあと乗客は増えそうになかった。ま、四国にはよくある無人駅、駅前にも何もなく人もいない駅前で、どっちへ行けばいいかと迷いながらも案内板を見つけて、それを頼りに踏切を渡り山の方へ向かった。民家は何軒かあったが人の気配はなく、一本道を行くと猪除けの柵と扉があって、その辺りから山道になった。すぐに百丁石というところ、そこから5分くらいで林道にでて堰堤工事の作業員を見かけたが、その人が箸蔵寺までの間で出会った唯一の人だった。そこまで15分、そこから本格的な登りになった。25分きつい登りで再び林道にでる。そこまで駅から40分はコースタイムで来ていた。ものすごくガスっていたが、まだ雨は持っていた。さらに本格的な山登りとなる、ワンピッチ(30分)で展望休憩所があると、唯一の頼りであったコピーしてもってきていたガイドブックの解説にあったが、視界が2~3mでは展望も何もあったものではない。ベンチはあったかもしれないがそのまま通り過ぎてしまった。結局適当な休憩所を見つけられないままワンピッチが1時間になってしまい、まだかまだかと登り続け疲れ切ったころ、このルートの最高地点800mの峠に着いた。そこにもベンチがあったが、その少し前から雨が降り出していて座って休むわけにはいかなかった。その近くに石仏があるというのでそこまで行って写真を撮ってすぐに下り始めた。休憩を入れないコースタイムでは峠まで100分だったが、休憩分オーバーしていた。雨がぱらつきだしていたが、そこから道は平担かつ広めの楽な道となった。二軒茶屋まで30分、雨が止んだのと廃屋の軒があったのでここでしばらく休むことができた。ちょうど12時ころの到着だったが昼食はとらず写真だけ撮って15分で発つ、そこからは10数年前まではそこが生活の場であったことを裏付けるように、車の通れる道幅の林道になっていた。が、どうやらその辺りが県境になっていたからか、二軒茶屋まではかなりしっかりした道しるべが所々に設置されていたのだが、この林道歩きでは一ヶ所の道標も見ることがなかった。で、比較的平坦な、他に分岐もなかったからこの道しかなく、おそらく正しいであろうと思いながらその林道をいったが、25分くらい歩いたところでもっと大きな舗装された林道にでた。ところがその林道は持っていたコピーにははっきり示されておらず、またその舗装道はどっちへ行けばどこへ出るかの案内板(標識)はどこにも見当たらなかった。ただ、わたしが通ってきた道の方向に二軒茶屋方面と書かれた標識があるのみだった。コピーを見直すと、二軒茶屋付近にあったらしい分岐を見逃していた可能性があった。ここで迷う、道を間違えたか?戻った方がいいか?先に行くとしても右か?左か?、明らかにこの林道は少し待てば車が通りそうな道ではなかった、おそらく一週間に一台が通るか通らないか、といった感じの用途不明の道だった。迷った末、まったく根拠なく登り気味の右方向に少しいってみた。おそらく第一の奇跡はこの時だったと思う。50mくらいいったところに左に入る細い山道を見つけ、そこに‘はしくらじ’と書かれたちいさな標識を見つけたのだった。助かったと思った、同時に、もしその時左にいっていたらどこまで行ったであろうか?あるいは戻っていたら、その辺をうろうろしてその日に箸蔵寺に着けたかどうか?、もしかしたら迷子になって大ごとになっていたかもしれないと思って、ぞっとした。もう、この小さな標識を信じるほかなかった。

JR善通寺駅Img_6912ここから電車を使う、、

琴平から三つ目の無人讃岐財田と乗ってきたワンマンカーImg_6913

讃岐財田駅前Img_6915

この琴平寄りの黒部踏切がいってみればスタート地点Img_6916

踏切から少しいった辺りの田園風景Img_6918

すぐに猪除けの柵と扉が道を遮断していた
Img_6917

上の扉通過してすぐに百丁石というところにで、そこから本格的な山道となる、立派な案内板が設置されていた;2枚Img_6919Img_6920

いったん林道にでる、堰堤建設中?で作業員が一人いた。Img_6921Img_6922香川県側はいたるところ、このようなしっかりした標識が取り付けられていた

ようやくたどり着いた頂上(800mの峠付近);2枚Img_6924Img_6925上の案内板から30mほど西に行ったところにあった石仏、この時少し雨に降られた、、

二軒茶屋;2枚Img_6926Img_6927


 すでに持っていたコピーの地図のどの辺にいるのかも定かでなくなって、ただその道をひたすら下る、途中またも置き去られた廃屋を過ぎる。コピーにある分岐や目印はでてこなかった。一ヶ所道が二手に分かれたところで、また‘はしくらじ’と書かれた小さな道標を見つけ勇気づけられる。ほとんどなだらかな下りだったから休みも取らず歩き続けた。林道から山道に入って1時間くらい歩き続けて疲れが出始めたころ、また左に入る林道があった。が、その林道は通行禁止で鎖で閉じられていたから、そのまま道になりに下っていくのが自然だった。で、そのまま通り過ぎようとしたのだが、この時なぜかその鎖で閉ざされた道が気になって、その近くまでいってみた。それが第二の奇跡だった。下山道からは全く見えないところ、そのゲートの脇にまた小さな‘はしくら寺’の標識を見つけたのだ。少し震えがきた、これじゃ誰も気づかずに通り過ぎてしまうではないか !、この道ひどすぎない !? ま、いかに人が通らない道であるか、ある意味恐い道であることが、この時身に染みた。風のくぐるのオーナーがいっていたのはこのことだったのだ、、お大師様の2回のお導きで、その車乗り入れ禁止の道を歩くこと10分、ミニ88ヶ所のお地蔵さんの並ぶ箸蔵寺の境内の裏手にでたのだった。

これが車両進入禁止の道、実は箸蔵寺への道だったImg_6928

その脇にあった小さな標識、これを見つけられなければ、そのまま別のところへ下っていた?(もしそのまま下っても、もしかしたら仁王門の前の道にでたかもしれないが??) その前に偶然見つけた標識もこのくらいの大きさで目立たないところに刺してあった、、Img_6929

 広い境内に参詣客は一人もいなかった。境内の配置もつかめなかったが、立派なお堂が金毘羅大権現を祀る本堂らしかった。最初に境内に入ったときに目にした御影堂というお堂が大師堂だった。何とか無事着けたことを感謝してお参りを済ませ、手水舎脇の休憩所でしばし昼食休憩とした。そのとき一組の老夫婦が長い石段を上がってきた。挨拶を交わしただけだったが(あまりにも疲れていたので)、その方たちとは納経所でもう一度お会いしたが、白衣姿のお遍路さんではなかった。それでも熱心な巡拝者であることは別格専用の納経帖を持っていたことから判断できた。かなり長いこと休んで納経所があるところまで長い石段を降りていった。そこは大きな護摩殿を擁する立派な方丈でその一角に納経所があった。ほとんど訪れる人がないからか、納経所の住職?は暇そうにしていた。わたしはJR箸蔵駅の列車の時間がわかればと聞いてみたが知らないとのことだった。では、駅まで下る道はどこかと聞いてみる。彼はわたしの質問がわからなかったようで、どこから来たのかと聞くから上からと答えた。彼からしたら歩いてきたにしろロープウェーにしろ、来た道を戻ればいいものをなんでそんなことを聞くのか、と思ったようだった。そこでもまた、いかに山道を通って箸蔵寺に来る人がいないか、ということを知らされた思いだった。こうして、教えられた道を駅まで下ったが、仁王門を出たところで山道を下る近道を見逃して(この標識は見つけられなかった)30分くらいで着けるところを(疲れもあって)1時間くらいかかって、ようやくのことで16時ころJR箸蔵駅に着いた。

箸蔵寺;16枚Img_693013:50箸蔵寺境内に裏から入る、ミニ88ヶ所のお地蔵さんに迎えられる

本堂;3枚Img_6931Img_6933Img_6934

御影堂(大師堂);2枚Img_6936Img_6937

昼食休憩後、この長い石段を下って方丈へImg_6935

石段途中に薬師堂;3枚
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護摩殿と方丈;2枚Img_6943Img_6945

境内からはるか下に吉野川流域の街々が眺められる、紅葉の色づきはいまいち、少し早すぎ、、Img_6944

仁王門;3枚Img_6946Img_6947Img_6948この手前にさらに山道の下山道があったようだが見つけられなかった。そのため車道をいってしまったが倍の時間がかかった。そしてこの後は疲れすぎて街の写真は一枚も撮ってなかった、、

 もちろん親切な宿であることは間違いなかったのだが、そこからまた一苦労が待っていた。まずいったん箸蔵の駅まで来たのには理由があった。すでにその時点で予定よりは一時間ほど遅れていた(下りの30分オーバーもあって)。山のガイドブックはこの駅までしか記載されてなかったが、そこからその日の宿まではまだ10kmもあったのだ(この10kmというのはあとで知ったことでわたしは5~6km、歩いてせいぜい1時間半くらいであろうとその時は思っていた)。で、最初に予約のtelを入れたとき、たぶん17時ころまでにはつくだろうという見通しを宿には伝えてあった。だからそこに15時に着いていれば予定通りだったのだが、その遅れを取り戻す意味でも、また疲れすぎてもいたから、列車があればそれで阿波池田まで出てしまおうと思ったからだった。が、先に述べたようにこの線を通る列車は極端に少なかった。14:59のあとは16:55だった。つまり1時間後だったのだ。結果からいえば、それでも1時間待ってその列車を使うのが正解だったように思う。わたしはそこから宿にtelを入れ、今いるところが箸蔵の駅で、これからそちらに向かうが、ここからそこまでどのくらいかかるのか聞くと、歩きだと1時間半くらいとのことだった。では、その頃に着くだろうといって歩きだした。その時女将さんがいってくれたのは、白地の郵便局に来たらtelするように、そこまで迎えに行くからということだった。だが、この箸蔵駅~白地の郵便局は思っていたより遠かった。吉野川に沿ったその道は途中からだんだん狭くなり、車の通行も減り、あたりは暗くなってきた。左手に池田ダムが、遠くに吉野川にかかる高速道路が見えてきて、それを目指して歩いていたが、歩いても歩いても近づいてくれなかった。そのうちに、もう少し手前くらいまで迎えにきてくれたらと恨めしく思うようになった。というのもこの宿は岡田さんがいっぱいの時、あぶれてしまったお客さんを送迎してくれる、誠に親切な宿だということを知っていたからだったが、まったく別方向の箸蔵駅までの送迎は甘えすぎと思って頼まなかったからだ。高速道路の下を通ったあたりで1時間半が過ぎ、それでもまだ2~3kmはありそうだった。暗くなって車の往来も少なくなった道を黙々と白地に向かって歩いていると、あと1kmくらいのところで一台の軽自動車が停まってくれた。それが民宿白地荘のご主人の車だった。あまり遅いので迎えに来てくれたのである。疲れすぎていたから、ありがたかった。何度も礼をいってその車に乗り込んだ。そしてその時、ご主人に讃岐財田から山越えしてきたことを話したのだった。そう、その話は初めてしたことで、telで予約を入れたときも駅からtelしたときも女将さんにはその話はしてなかった。こうして長い道のりは18時に白地荘無事到着で終わったのだった。