独歩の独り世界・旅世界

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リスボン Lisboa / ポルトガルへ

 カンクンはCasa吉田に泊まった、、Casa吉田は日本のガイドブックに紹介されていて、この辺を歩いてるバックパッカーなら知らない人はいないほど有名な宿で、ま、カンクンは日本の若いカップルも多いところで新婚旅行等での豪華ホテルに泊まっている人以外はたいていここを利用している、、わたしは亡くなられた吉田さんが健在の頃世話になっていて、吉田さんを偲ぶ意味でも場所・建物が変わった吉田未亡人セニョーラLuluの新しいCasa吉田には一度訪れなければとずっと思っていたのであった、、その日はセニョーラの弟さん?Rogeloとそんな話をしながら少し昔を偲んだ、、その日はほとんど満室だったがドミが空いていてそこに二泊させてもらった、、、新しいCasa吉田は昔よりもADOのターミナルからずっと近くにあって屋敷も立派、目の前にOXXOのコンビニがあるのでとても便利なところだった、、

 三日目(12月11日)の朝はADOの空港行き始発バス4:30に乗らなければならなかった、、普通早朝・深夜の空港アクセスはここでもタクシーを勧めていたが、30分くらいの距離で200~250ペソはいかにも高すぎた、、バスなら52ペソであった(これも一年前は48ペソだったはずだし、安くはなかったが)、、ほとんど仮眠状態で朝4時には鍵を机の上においてCasa吉田をでる、、そのバスで行かないと6:45予定のフライトのチェックインには間にあわないので、ま、仕方ない、というかだからticketも安かったのであろう‥??、が、そのバスには同じように一番のフライトに乗るためにけっこうな乗客があったにもかかわらず、国際線ターミナルT3まで行かず、T2?で降ろされ、ターミナル間を繋ぐシャトルバスを待つことになったが、なんとそのバスもいくら待っても来なかった、、痺れを切らしチェックイン時間が気になる乗客はそこからタクシーでT3に移動していった、、そして最後に残されたわたしともうひとりのたぶんアメリカ人もついに相乗りでタクシーを使うこととなった、、普通なら無料のシャトルですむところ一人5ドルの超過出費となったのである、、まったく腹立たしいことこの上ない、、その怒りの対象はシャトルバスを運営している会社もしくはエアポート?とほんのわずかの距離の運行しないADOにたいしてであった、、ま、それでも何とかAAマイアミ便のチェックインに遅れることはなかったが、もしかしたらそのシャトルバスを待っている30分くらいの間に歩こうと思えば歩けたではないかという悔いは残った、、その距離・地理を知っていなかったことが余計な出費を強いられた一因ともいえたからである、、

マイアミ上空002_640x480

 マイアミまでのフライトは1時間半、8:30着は時差1時間あって9時半、例によってかなり面倒な入国審査と改めてチェックインをする必要があった、、この国の場合トランジットであってもなかなかすんなりいかないのだ、、マイアミでの待ち時間は6時間、最初にポルトガル/ヨーロッパへのticketを見つけたとき、そのルートはマイアミ乗換えで直接リスボンであったが、もたもたしているうちに安くて便のいいticketはすぐになくなって、一週間遅れで決断したとき一万円アップ&もう一回乗継が増えてマイアミからニューアークまで飛ばなければならなくなっていた、、ま、それもしかたない‥、、で、バーガーキングで軽食を食べながら時間をつぶしていたが、何かにつけやたらに高いのと、英語がまったく聞き取れない&通じないで、すべてわたし自身の問題なのだがほとほとわたしはこの国が嫌いになりかけていた、、わたしはこの国で暮らしていける自信はまったくもてなかった、、言葉が通じないもんだから次に寄ったニューアークでも個々人はみんな親切なのだけれど、お店で何か買ったりするとき若い店員からぞんざいに扱われているように感じたのはわたしの僻目であったろうか‥??

ニューアーク上空2枚、このあとニューヨークの夜景も撮れなかったし、リスボン上空からはバッテリーオーバーでそれも撮れなかった、、009_640x480 008_640x480


 ニューアーク発現地時間夕方6時は8時に変更になっていた、、が、それはもうどうでもよかった、、ニューアークというところには降りたこともなければあまり興味もなかったが、そこがニューヨークのすぐとなり街だということは知っていて、ひとつだけ悔やんだことがあった、、その夜のフライトでは一応窓際の席だったが、それがこういう結果になろうとは‥??この場合右側の窓際か左側の窓際かで雲泥の差となったのだ、、いや、その可能性についてはある程度予測はしていた、、もしかしたらニューヨークの百万ドルの夜景が見られるかもしれないという可能性‥、、そしてそれは右側の窓際シートでのみ実現できたのであった、、そう、わたしの側からは残念ながら見えなかったのである、、もしそれが事前にわかっていたなら、少なくとも飛行機はどの方向に飛び立つかがわかっていたなら、チェックイン時にその座席の指定は可能だったのだ(かなり早い時間のチェックインだったからなおさら)、そう思うと余計悔しくてならなかった、、いや、飛行機からのニューヨークの夜景なんてそうめったに見られるものではないのだから‥、、

 初めての大西洋越えであった、、もう何十回と大陸間を移動していたが(飛行経験だけなら百回近い?)ともかく大西洋を越えたのは初めてであった、、それでもリスボンは初めてではなかった、、朝、目が覚めるとまもなくヨーロッパ大陸が現れ始め、左下にリスボンの街が見えてきた、、テージョ川、見覚えのある発見のモニュメントなんかがはっきり左下に見えた、、このときは左側座席に利ありだったが、その価値はニューヨークの夜景と比べたら比べ物にならない、、まもなく機は左に旋回してリスボン国際空港に着陸した、、現地時間7:00AM、もう時差がどのくらいかもわからなかったが、それでも少しは機内で眠ったようで時差ぼけは感じられなかった、、イミグレは簡単、が、そこから市内までどうやっていったらよいのか‥??もちろんインフォメーションがあったので、そこで地図をもらい市内への行き方を聞く、どうやら地下鉄もありそうだったが空港バスが簡単そうだった、、その時はリスボンのホテルを二泊だけ予約してあった、、バスを下車する場所も丁寧に教えてくれ、その場所からも難なくホテルにたどり着けた、、こうしてリスボンの滑り出しはきわめて順調だったのだが‥、、