独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 15)ベラクルス~ポサリカ~エルタヒンEl Tajin~パパントラ


 もちろんわたしはベラクルスが、特に音楽と舞踏に秀でた街であることを知らないわけではなかった。むしろその名声はメキシコ一を誇り、その最大のお祭りがカーニバルであることも知っていた。が、まさかその日が今年は2/24~26だったとは!?それをまったく知らずに来てしまったのだった。だからは、わたしはそのお祭りを観にここに寄ったわけではなかった。その日、たまたま通り道であったベラクルスは、せっかくだから一日か半日、あるいは数時間でも立ち寄って見物してから、次の目的地だったポサリカPoza RicaまたはパパントラPapantlaへ行くつもりでいた。そう、わたしの次の目的地はエルタヒンEl Tajinという遺跡で、そこへのアプローチとしては近隣の街であるポサリカかパパントラからが便利であると聞いていたからだ。で、ビィリャエルモサからそのどちらかの街にいくには(約800km)ちょうどその2/3くらいのところに位置していたベラクルスでバスを乗り換える必要があった。で、そのときはベラクルス着が19時ころと聞いていたから、全くあてはなかったのだがターミナル近くの宿に一泊して次の日の午前中に街見物して、午後のバスでポサリカ、またはパパントラにいければちょうどいいのではないかと思っていた。ところがこの予定はまったく当て外れになってしまったのであった。当て外れ、その1は、到着が2時間ほど遅れたこと。2,そのターミナルからポサリカにいくバスもパパントラにいくバスも出てなかったこと。3,はターミナルの近くにホテルがなかったこと。そして4,としてはまさかのこと、つまり1,~3,は何とかカバーしたが、結局その日一部屋でも空きのあるホテルが一軒も見つけられなかったことであった。

 これにはまいってしまった。もしホテルさえ確保できたら、それこそベラクルスのカーニバル?ラッキー ! ! と楽しめたはずであったが、流石に街中で野宿するわけにもいかず、思いついたことといえばベラクルス不運 ! と諦めて、その夜の夜行バスでどこかへとんずらすることだけだった。ちょうどADOのターミナル周辺のホテルを探していたことは、ある意味ラッキーではあって、窮余の策としてADOの窓口でポサリカ、あるいはパパントラへ行くバスはないか聞くことができた。パパントラの方がベラクルスからだと若干近かったがバスはなかった。一方ポサリカは、パパントラより少し遠かったが、街の規模が比較にならないほど大きかったようで、3本のバスがあった。22:00と23:00と23:55とのこと、が、あいにく、そのときは10時少し前であったが、すでに23時発は満席になっていた。そして23:55は、22:00のバスより50ペソほど高かった。ポサリカまでは4時間半くらいと聞いたが、22:00のバスだと早く着きすぎる懸念があった。でも、そんなこといってられなかった、空席も残りわずかであったから22時発に決め330ペソ払った。出発まで10分しかなかった。いつもはそんなことはないと思うが、その夜のベラクルスのADOバスターミナルは大変な混雑で、ホームへの入り口も何番乗り場かもわからないままセキュリティのゲートをくぐって、ゲートの人に聞いてやっとのことで乗り場に行き着く。その時はまだそこにバスは到着しておらず、そこでほんとにいいのか不安は残ったが、他に確かめようもなくバスの到着を待つしかなかった。気づけば昼から飲まず食わずできていた。売店には腹の足しになりそうなものがなく飲み物だけ購入、バスは10分ほど遅れて到着した。ドライバーに確認して、間違いないことがわかってようやく一安心、座席についてほっとしたからか割と早く眠りに落ちた。

 このバスは遅れなかった。いや、出発が20分遅れてたから、それから4時間半、2:50a.m.のポサリカ到着だった。大きなターミナルは真夜中だったから閑散としていた。が、ADOの窓口は開いていた。ポサリカに着いたはよかったが、この街の情報は何も持っていなかった。いったいそこは街のどの辺にあって、安ホテルはどこにあるのか、まったくわかっていなかったからADOの窓口でシティまでのバス情報を仕入れながら(メキシコシティまではADOを使うつもりはなかったから、その情報はどうでもよかったのだが)セントロからは遠いのか、どうやって行くのか聞いてみた。親切なセニョリータが、シティへのバスはだいたい一時間に一本以上あって340ペソ~ということと、その場所はセントロからだいぶ離れているから、今の時間にいくにはタクシーしかないと教えてくれた。礼をいって、それからターミナルを出た。ターミナル前も閑散としてて通りの向こうに、見た目で高そうとわかるホテルが何軒か見えた。少し寒かった。迷う、1,その高そうなホテルにいってみる。2,タクシーでセントロにでる。3,ターミナルに戻って夜明けを待つ、このターミナルはそれができそうだったのだ(このときベラクルスのターミナルの混雑が理解できた、あの人たちはみなターミナル泊の人たちだったのだ)、、そうやって、しばらくボケーとどうしたものかと思案しているところに一台のタクシーが停まってくれたのだ。そしてホテルを探しているのかと声をかけてくれたのだった。そこで、目の前に見えているホテルはいくらぐらいかと聞いてみた。はっきり知っていたわけではなかったが500~800ペソはするだろうとの話、ではもっと安いところを知っているかと聞くと、もちろん、なんなら連れていってあげる、といってくれたのだ。すかさずいくらで?と聞いてみると50ペソとのこと、この時ベラクルスでのことも甦って、メキシコのタクシーは結構安いということを知ったのだった。で、そのタクシーでセントロに向かう。セントロはやはりかなり遠くて、どこをどう走っているのか全く分からなかったが、15~20分くらい走って確かに安そうな宿に連れて行ってくれた。そこには数軒の安宿が隣り合わせに並んでいた。何のことはない、ビィリャエルモサと同じラブホ街であった。

Img_5705_640x480安ホテル街;次の日撮影Img_5704_640x480200ペソにしてはきれいな部屋だった

 彼が連れてってくれた一軒目は流石に真夜中の3時過ぎとあって、誰も出てこなかった。次を当たってくれる、そこは夜勤の男性が起きていて、宿泊可といってくれた。一泊200ペソだったから即決とした。メキシコのラブホてといっても、設備等は普通のホテルと変わりなく、むしろビィリャエルモサの普通のホテルの部屋より感じはいいくらいだったから200ペソはとても安く感じられた。ただ、3時半からであったが、旅行者として泊まっているので時間制ではなく一泊は一泊であった。それから4時間仮眠が7時半は起て行動開始、で、まずmailのチェックなのだけれどWiFiのパスワードを教えてもらったが、ほとんど繋がらなかった。近くにコーヒーショップがあるとのことだったのでそこなら何とかなるかと行ってみたが、納得ゆく朝食メニューがなかったので、何も注文せずにホテルに戻り、朝食もWiFiも諦めて出かけることにした。フロントにもう一泊する予定であることを伝え、エルタヒンへ行くバス乗り場を聞いて(非常にわかりずらかったのと、相手のいってることがすべて聞き取れたわけではなかった)、貴重品とカメラだけ持って街に出た。2~3ブロックいったところが繁華街のようで、大通りの交通も歩道を行き交う人も多かった。商店街は市場のような活気があった。いわれたとおりその大通りを左方向にいくと、これまた大きなT字路になっていて、そこを右折、しばらく行くと高速道路の下のわけわからない大きな交差点で、その左手が下町の市場のようだった。その雑踏をかき分けていった先に市バスとコレクティボのターミナルがあった。一度確認のため人に聞いたが、間違いなくそこに着けたようだった。ホテルからはそれでも25~30分くらいかかったか?で、ローカルながらそこも多くのバスが発着していたから、そこでまた人に聞くと、すぐにエルタヒン行きのバス乗り場を教えてくれた。そのバス停前に売店があったので、そこでコーヒーとパンが手に入った。わたしの朝食はこれで十分、15ペソ。そうこうするうちにローカルバスがやってきてエルタヒンまでは35分16ペソであった。バス停から遺跡まで10分くらい歩く、のどかな田園といったらいいのか?いやどちらかというと丘陵地帯?、ともかくそこへ向かう人もなく(バスを降りたのもわたしだけだった)、そののんびり感、静かさがたまらなく第一印象を良くした。それでもその日は土曜日だったからか70ペソを払って中に入ると、結構メキシカンの観光客は目についた。家族連れ、カップル‥、今まで多くの遺跡を見てきたが、メキシコは特に古代遺跡が多く、そのほとんどは、よく発掘され整備され、おまけに公園化されていたから(国力・経済力に比例するのだろうけど、、)家族連れ、カップルにとっては格好のレクリエーションの場になっているようだった。そこを出るときは子供たちのグループが引率されてきていたから、健全な学習の場でもあったようだ。ま、それでも広大な敷地であったから広々として、どこかの遺跡のように外国人ツーリストと土産物屋でごった返しているという風景はなかった。いつもながら専門家ではないので、写真を撮りながら全体の感じをつかむといった歩き方で、ざっとだが一通り全部を見るのに1時間半かかった。昼前に入り口の建物に併設されていた美術館を最後に外に出ると、その前が土産物屋と食堂街のようになっていて、早速お声がかかる。が、その時はレストランの呼び込みは無視して、もう残りの日数もわずかになっていたから土産物屋には寄ってみた。実は頼まれていたものがあったので、それを探してみるとなかなかいいものがあって、ついつい悪い癖で値切って買うことになった。だいたい言い値の1/3くらいだったが、いつものパターンでいくらなら買うかと聞かれて、わたしが答えた値段がそのくらいで、それでいいといわれると買わないわけにはいかなくなった、ということだった。

ポサリカのmain streetImg_5822_640x480

El Tajin行きのバスと、ポサリカの市バスターミナルImg_5707_640x480

El Tajin入り口?;2枚Img_5708_640x480Img_5709_640x480左の道がバス通り、右の道が遺跡への道

正面がエントランスの建物、ticket売り場とmuseo(博物館)が併設されていたImg_5711_640x480

<El Tajin遺跡は紀元6世紀から13世紀に栄えたトトナカ人の古代都市ていわれているが、実際はまだよく解明されていないようだ。もちろん解説はできないが、10ペソ出して購入したパンフのスペイン語をわかる範囲で参考にして主要なところだけ記述、、>

入り口はいって最初の広場 Complejo de Arroyo<流れのそばの複合施設?広場を囲んで4面にピラミッドアリ>付近;4枚Img_5713_640x480Img_5715_640x480Img_5720_640x480Img_5725_640x480

たぶんこの遺跡の最も重要なピラミッドLa Piramide de 365 Nichos<365の壁龕のあるピラミッド>Tajin Central;5枚Img_5724_640x480Img_5727_640x480Img_5729_480x640Img_5762_640x480
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この遺跡でもう一つ重要な球戯場とその一角に描かれている人身供養のレリーフImg_5758_640x480Img_5760_640x480Juego de Pelota Sur 一説では20もあったとされる球戯場、古代球技の発祥の地といわれている??

Tajin Chicoと呼ばれている少し高い丘の上にある住居地区?ここからはEL Tajin全体が見渡せる;2枚Img_5733_640x480Img_5734_640x480

さらに高いところにいところにあるPlaza de Las Columnas(高官の住んでいたエリア?columnasは円柱、列柱という意味で、そこは修復中だったから見ることができなかったが、そんな建物があったのかもしれない。この遺跡は中米の祭祀センターとして役割を担っていたとのこと);2枚Img_5744Img_5745_480x640

La Gran Xicalcoliuhghi地区;4枚Img_5746_640x480Img_5749_640x480Img_5753_640x480Img_5754_640x480

Tajin Central;壁龕ピラミッドが地区Img_5764_640x480

Img_5770_480x640museo(博物館);2枚Img_5772_640x480

帰り際に子供たちのグループに遭遇Img_5776_640x480

Img_1957El Tajinの土産物屋で、頼まれていた灰皿を二つ買う、一つ25~30ペソ


 バス停に着いたのが12時ころで、そのときはすでにポサリカ延泊を決めていたから、時間はまだ半日あった。ならばとポサリカに戻るのではなく、パパントラまで行ってみることにし、朝降りたところで(朝のバスはパパントラ行きだったのだ)バスを待っていた。その道の交通量はまばら、ま、15分くらい待てばバスは来るはずだったが、5分くらいしたとき一台のタクシーが停まった。パパントラ方面のバス待ちをしていたから、ドライバーかパパントラかと聞いてくる、そうだ、というと、乗れという合図、で、いくら?と聞き返すと20ペソとの返事、バスはもっと安いからバスで行くといったら、15ペソになったから乗ってあげることにした。先客はすでに二人いたが、そのやり取りをみて笑っていた。それは乗り合いタクシーだったのである。だから値段は交渉次第、ま、それでも乗り合いだったからというより、この時もメキシコはタクシーが安いから使いようはあるな、と思ったのだった。そのタクシーで30分、12時半ころにパパントラに着いた。パパントラのパルケセントラルで降ろしてもらったが、もう降りた瞬間から、何だこの街は、いい感じではないかと思わす雰囲気が漂っていた。ポサリカとは全く趣を異にしていた。まず、街の規模がそれほど大きくなく、そのパルケセントラルの周辺と、そこから見上げた丘の上に建つボラドーレス像(Voladores;空を飛ぶ人、ここの街の宗教行事で綱を足首に結んで逆さになって数十メートルも上からぐるぐる回りながら降りてくる儀式がある)のところまで登れば街全体が見渡せて、もう、それで十分なように思えた。で、まずパルケセントラル(Parque Tellez)周辺をうろうろする。コロニアル風の市庁舎があって、その向こうがカテドラル、市庁舎の対面(東側)とカテドラルの対面(北側)は、やはりコロニアル風のレストランやコーヒーとショップ、ま、明らかにこの周辺はツーリストエリアで屋台も多く出ていた。もっとも面白かったのは、この中心から北側は坂になってて下っているのだけれどその一角が市場(Mercado Hidalgo)で入り口スペースで民族衣装で着飾った地元の美女たちが、地元の名産を廉価で販売していたのである。興味を覚えて眺めていると盛んに勧められたのだけれど、どんな食べ物なのか見た目ではわからなかったし価格もわからずで躊躇っていると、メキシコの紳士が、食べてみなさいと勧めてくれたのだった。食べて見てわかったのは、たぶんここでもお祝い時に食すると思われるタマル(トウモロコシの粉を練って中にいろいろな具を入れた食べ物、グアテでも行事の時よく食べていた)で、なかなかおいしいものであった。それを二つも頂いて昼食代わりになったので、その紳士に代金を払おうとしたら受け取ってくれなかった。それほど高いものでなかったがご馳走になってしまった(あとでわかったのだけれど、その日は土曜日で観光客向けのアトラクションの一つだったようだ)。それから市場の中に入って土産物屋をうろつく。その時はじめて、そこがバニラの産地であったことを知る。なのでバニラ関連の土産物をかわいいセニョリータに勧められ、断り切れなくなってしまったが、後でもう一度来るからといってその場を逃れる。それから今度は登りにかかる。右の市庁舎は、土曜日でインフォメーションは開いておらず、資料や地図はもらえなかった。が、先のメルカドの催しといい、このあと目にするアトラクションは、たぶん観光振興の施策だったのではないかと思われた。その市庁舎の上にもう一つ市場があって、そこもうろついてみたが、規模は先ほどのところより小ぶりで活気も今一つ、で、次に丘の上にいってみるつもりで、市場を出たところ何やら人だかりができていた。その人たちはみんな上を向いていた。わたしもつられて見上げ瞬間、思わずオーと叫んでしまった。なんと、ボラドーレスの人たちが足に巻き付けた綱だけを頼りに、くるくる回れりながら降りてくるのが見えた。なんという幸運 ! !、まさかこの儀式を見られるとは思ってなかったから、急いで写真を撮りながら下に降りてくるまで見続けていた。せいぜい10分くらいの間であったか?、観客もそれほど多かったわけでもなく、もちろん無事降り立った時は大きな拍手が沸き上がったが、それだけのことで、仰々しさがなく、あっさりとしている割には最高のショーであった。あとからtipを徴収に回ってくるのかと思っていたが、それもなくさわやかであった。たぶんこのアトラクションは1時間に一回くらい見せてくれてるのか?素晴らしい観光行政に思われた。そんなこともあってパパントラはたいそう印象の良いものになったのであった。

パパントラParque Central付近(すぐ向こうの塔はカテドラル、その向こうの丘の上にポラドーレス像)Img_5777_640x480Img_5778_640x480カテドラルImg_5781_640x480パルケセントラル東面、コロニアル風建物の中にカフェや土産物屋

パルケセントラル北面もレストラン、土産物屋、銀行、ホテルImg_5780_640x480

このタイル画?は市庁舎にあったものか、よく覚えていない
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パルケセントラルから少しへこんだところにあったMercado Miguel HidalgoImg_5783_640x480

たぶんボランティアによる地産地消?名産品販売?Img_5786_640x480

メキシコ人紳士からタマルをご馳走になる、飲み物は自分で買ったが、これがまた超うまかった、その飲み物の名も聞いたが控えなかったので忘れてる、、Img_5787_640x480

もう一つの市場Mercado Benito JuarezImg_5791_480x640

ポラドーレスのショー;3枚Img_5793_640x480Img_5794_480x640Img_5798_640x480

このカテドラルの前の広場にポラドーレスの支柱が立てられていたImg_5799_480x640

カテドラルからパルケセントラルを見下ろすImg_5800_640x480

 それからそのボラドーレスの像が建っている丘まで登ってみた。近くに見えたが結構急な登りで20分くらいかかったか、そこは思った通り、パパントラの市街が一望できる最高のView Pointであった。が、そういう場所というのは世界中どこでも、たいていcouple専用といった趣があった。ま、数枚の写真が撮れたので早々に退散、パパントラはこんなところでもういいか、ということにしたのであった。丘を下りカテドラル、パルケセントラを通って先ほどの市場に寄り道する。ポサリカに戻るバスのターミナルがちょうどその下あたりにあったからであった。そして先ほど土産を勧めてくれたセニョリータに、お土産買うから写真を一枚撮らせてくれと頼んだら、いやいやか、喜んでか写真撮影の許可が下りた。それでパパントラの土産と写真を手にすることができた。そのコーヒーはコーヒーとしてはそれほどのものではなかったが、確かにバニラの香りはしたのだった。ポサリカ行きのバスは20分おきくらいにでていて、ポサリカまで21ペソ1時間であった。が、そのバスはエルタヒンを通らなかったから、別の道をいったようだった。で、そのバスはポサリカのターミナルまで行くとのことだったから、セントロでは降りずに昨日(正しくは今日)降りたターミナルはどの辺だったか知る意味で、最後まで乗ってみた。確かにセントロからターミナルまでは結構遠かった。で、降ろされたところは少し昨日とは様子が違っていた。そこは二等バスターミナルのようだった。が、厳密にいうとここでの一等、二等の区別は結果的にそれほど大きいものではなかった。というか、その時ポサリカもパバントラも、そしてエルタヒンも訪れることができ、あとはここから3時間半のシティまで明日の午前中のバスで行けばいいだけだったので、せっかく二等バスのターミナルまで来たのだから、明日のticketを買っておく手かな、と思ってしまったのだ。そこで何社かあったメヒコシティまで行くバスをチェックしてみたのだけれど、ほとんどは前日に聞いたADOの価格とそれほど違いはなかったのだ。それで、その中でも大手?のFuturaが一番本数があったので、他を調べずに、多少安いかなということで330ペソで明日のバスの予約をしてしまったのだった。実はこれがとんでもない失敗だったと次の日気づくのだけれど、それだけではなく、そのあとセントロに向かうべく市バスの乗り場を聞いてターミナルをでたら、なんとそのターミナルの隣がADOのターミナルだったのである。そして、ようやくわかったことは、どうやらターミナルは分かれていたがFuturaの入っていたターミナルのバス会社数社もすべて一等バスであったことだった。よってポサリカの二等バスターミナルがどこなのか、結局わからずじまいとなったのである。ならばこの時前売りのticketを買ってしまわなければ、まだ可能性はあったものを、どうやらこの早とちりが、単なる値段の問題ではなく、次の日の不運につながったようだった‥、、

丘の上のポラドーレス像;2枚Img_5803_480x640Img_5804_640x480Img_5805_640x480パパントラの街が一望のもと、、

Hidalgo市場に戻る、その食堂街Img_5807_640x480

セニョリータの写真を撮らせてもらう;2枚Img_5811_480x640Img_5813_640x480

パパントラのバスターミナルImg_5814_640x480

Caporというのがこのターミナルの正式名称だったのか?ポサリカの二等バスターミナルと勘違いしたが、一等バスターミナルだった;3枚Img_5823_480x640Img_5818_640x480Img_5819_640x480