独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 3) Antiguaでの10日間

 Antiguaの街については、すでに何回か書いてきていると思うので繰り返さないが、ま、わたしがグアテマラに来た時に拠点にしている街であることも何回か述べていたかと思う。で、今回も‥、だったのだけれど、今回は前述したように初日がグアテ市(guatemala city)夜着だったから、初めてその夜はグアテ市空港近くの安宿をとっておいた。なのでその件から、つまり空港近くの宿情報、といったものを少し書いておこうと思う、、

 初回に書いたようにグアテ市着は夜の20時ころだったが、その時間から直接Antiguaに向かうことは、もちろんシャトル利用で可能だった。が、この時田代さんところが予約を受け付けていたことを知らなかったので(後から知る、もっともHPを見ていればわかったことだけれど)、初日は空港近くに泊まって、次の日市バスとチキンバスでAntiguaに向かうことにして、日本でGuatemala国際空港近くのホテルを検索してみた。そしたら何件か安宿がヒットしたのだった。そのなかから最も安く、歩いても行けそうだったが、送迎付き、朝食付きで$20ドルのところに予約を入れていおいた。結果的にこのホテルは、ちゃんと出迎えてくれたし、朝食も悪くなかったし、わたしのトラブルにも協力的だったので、わたしはかなりいい評価を与えることになった。グアテ空港近くにわたし向きの安宿があることを知ったので、今後もし飛行機で再訪することがあれば、時間によっては躊躇なく利用することになると思う(ほかにも数件安宿-わたしの概念では高くても30ドル以下-があって、歩いてアクセス可能だったが、送迎もしてくれそうだった)、、

空港近くのホテルにあったシャトルバスの案内、これでおおよその価格がわかると思うImg_5108

ホテルからGuate市方面の眺めImg_5109


 さて、このあとはまた例によってグダグダとどうでもいいことを書いていくと思うので、もう、いい加減にしてくれと思ってる方は飛ばしてください、、今回はそれほど目新しい報告はないと思うので(それと以前書いた内容の繰り返しもあるかと思う)‥、、で、荷物未着のトラブルに遭遇したものの、次の日はこれも予定通り、そのホテル近くを通る83番のバスでグアテ市セントロ<zona 1>にでた。目的は二つあって、一つはtrans urbanoカード<日本でいう老人向けのバス無料パス>の更新と、INGUAT(グアテマラ観光局?)にいって、新しい地図、新しい情報を取得することにあった。83番のバスは、7年前に初めてグアテ国際空港に降りたった時もそうだったように、3~40分かかってplaza Barrios<ブラザバリオス>まで来てそこで降りた。その近くにはtrans urbanoのオフィスがあったからだ。同時にその近くは7年前に最初の宿泊をした安宿が多くあるところでもあった。その後、昔の鉄道駅でもあったプラザバリオスは、今はメトロバスの拠点として、その一角の中心となっていたが、今まで2路線のクロスするmain stationが、さらに一路線加わってメトロバスの発展が伺われた。また、当時から一通だった9A Avenidaは道路が拡張されて、プラザバリオス近くの、その後も何回か利用したことのあった馴染みの安宿はもうその地になかったのだった。その斜め前あたりにあったtran urbanoのオフィスで更新に来たことを告げて新しいパスポートを提出したのだけれど、その時の担当者は調べてくれて、今のカード<tarjeta>は今年の9月まで有効だといって、そのままパスポートもカードも返してよこした。にわかには信じがたかったが、よくわからないまま引き返すしかなかった。そのまま歩いてINGUATまでいった。

プラザバリオスPlaza Barrios;3枚Img_5111Img_5112Img_5113新しくできたメトロバスの路線駅

 そこからINGUATまでは歩いて10~15分?、それこそ1Qのメトロバスで近くまで行けたのだけれど、もう路線がだいぶ複雑になってたので却ってもたもたしてしまうと思って、昔(?数年前の話だ)を懐かしむように、プラザバリオス界隈の露店、商店街の人混みをかき分け、横断歩道のない交通量の激しい大通りを、車の切れる間隙をついて渡ったりしながらプラプラと歩いた。ここのINGUATもほとんどグアテ市に来るたびに訪れていたが、驚応対し中年の女性は2年訪れたわ見て、あ前に来たことを覚えているといってくれたのだ。いわれてみれば確かにその人に会っていた記憶がよみがえり、あなたにまた会えてうれしい、というような返事を返した。そして、前の時もそうだったように、観光局発行の新しいパンフレットの類、メトロバスの路線図等をもらうことができたが、昔もらったグアテマラ国内全土の地図は、今は作ってないとのことだった。ま、それでもここでも温かく迎えられたことが気持ちをずいぶんと和ませてくれたのだった。そのINGUATの前の通り7A Avenidaは片道10車線くらいの一通の大通りなのだけれど、これも横断歩道がなく、車の途切れるのを待って無理やり渡って、一本向こうの6A Avenidaの逆方向一通大通りまでいって、帰りの83番バスを待った。心なしか、メトロバスのおかげで赤バス路線が減っている?、あるいは本数も減っているかもしれなかったし、バスの混み具合も緩和されてるように感じた。しかし、渋滞に関してはもう後がないほどマヒ状態になっていることは、その後のAntiguaへの道、次の日のAntiguaからの往復時に経験することになる。いずれにしろその日の昼頃いったんホテルに戻って、そのあとが、順序が前後したが、一回目のレポート‘達人が聞いてあきれる’になるのである‥、、

Img_5115INGUAT近くの路地からAntiguaのシンボルVolcan Aguaが見えた


 だから、その夜はP Tashiro泊だった。相変わらず田代さんのところは盛況であった。飛込だったからだが、屋根裏しか空いてないくらいだからAntigua初心者には予約をしていくことを勧める。ま、わたしは空いてない覚悟はしてあったから、むしろ屋根裏が空いていただけでもラッキーであった。ただし、初回に書いたようにシャワーを浴びても着替えがないなんてことは初めてのことであったのだけれど‥、、で、その夜は何を食べたのだったか?、まず最初にその時の宿泊者に、今シェア飯しているか聞いてみた。どうやらやってないのがわかってので(やっていたらお願いしようと思ってた)次の行動にでる。まずは両替、幸い2年前の旅の時の残りが100Q(1500円くらい?)あったので、そこまでは両替せずに済んでいた(空港近くのホテルは日本での予約だから日本払いだった、なお、グアテ空港の両替はとんでもないレートだから決してそこでは両替しないように‥)。両替はどこの銀行でもできたし、たいていの銀行は19時ころまで開いていた。また、ATMもそこら中にあって、どちらにするか悩むも、前回の旅で余っていたドルがあったので、まずドルのレートを知る意味でいつも利用していたパルケセントラル前のBAM(銀行の一つ)の列に並んだ。とりあえずドルキャッシュ$200の両替を頼むと$120が限度とのことで、それでOKした。結果は880.8Q、つまりその時のドルキャッシュレートはUS$1=7.34Q、即ち1Q=15円くらいということをつかんだのだった。少し余裕ができたので、帰りにボデゴナ(スーパー)によって、酒と夜食になりそうなものを仕入れる、といっても今回は短期滞在のつもりだったから、カップラーメンその他であった。

パルケセントラルの向こうにいつも利用していた銀行BAMがあるImg_5464

Tashiroから2分?スーパーボデゴナImg_5461

 P.Tashiroは、どちらかというと長期滞在者向きだと思う。それはそれは毎回出たり入ったりの短期滞在者が引きも切らず訪れ、そこで一時の安らぎを得、情報を交換し、また旅友・メシ友を得、ここほど十分に日本人宿として機能しているところはないのではないかとさえ思うほど人気もその実力(オーナーの人柄及び施設をいっている)も抜群の宿である。だからわたしも短期ながら毎回利用させてもらっている。さらにここを有効利用するとなると、それは勢い長期滞在を可能とするキッチンにあると思っている。わたしも何年か前に長期滞在したときは、(ほとんどは揃っているのだが)鍋も買ったし食材や調味料も購った。そうすることによってAntigua滞在は驚くほどreasonableに、あるいは快適に(この快適にという意味は、日本食に近いものを自炊できるということで、これが重要、、)過ごせるのである。逆にいえば、だから長期滞在が可能になるということもできる。田代さんの話では、そんな長期滞在者は少なくなっている傾向にあるということであった。たぶん、7年前にわたしがきた時にいた、1年近く滞在している主<ヌシ>とか、数年前にもお目にかかったことのある半年以上滞在の猛者<モサ>が減っているというように理解したが、そう、アパート感覚で滞在可能なこの宿の、真の価値ある利用は今でもそこにあるのではないかとわたしは思っている。翻って、このわたしは今回も短期滞在であった、で、短期滞在の場合でも、もちろん自炊が可能なのだけれど(調理器具は全部そろっているから)食材や調味料は、短期の場合そこそこ無駄になってしまうので、あまりやりたくはないのである。そこで誰かが率先してシェア飯を作る、これがまた一つの理想形態であったが、そんな言いだしっぺは、これまた非常に少なくなって、今ではそれは望むべくもないようだった。それでも、ここで出会った若い人たち同士がグループ化して、みんなで食事を作っている風景はいまだ健在で、この時もそんなグループが数組見かけることができた、、ま、だからTashiroは未だ十全にその役目を果たしている、健全に機能しているといえたが、惜しむらくは前回来た時に数人いた同世代の年寄りの姿が見られなかったのが少しばかり残念だったのである‥、、

 次の日半日は、グアテ市往復に費やしたことも前回に述べている。午後に戻ったわたしは、すぐにシャワーを浴びて着替えて洗濯に費やす。荷物の片づけを終えて一段落して、やっと屋上テラスのテーブルで一息ついていた。そこで同席になった愛知からきているという若い女性と少し話することができた。彼女はカナダでのワーホリを終えて、例によってボリビア・ペルーに向かう途中とのことであった。看護師の資格を持っているので日本に戻っても仕事に困らないとのこと、わたしは旅するには一番理想的な資格かも知れないと、同じようにその資格を持っていて、世界一周をして帰ってきたわたしの知人を思い出しながら、いろいろ雑談することができた。世代を超えて、若い人たちと交わえるのもTashiroならでは、である。そして、その日の夕食のことを考えて、少し遅かったが市場に出向いた。いつも利用していた市場内の肉屋さんマリブリへで主人は田代さんの友人でもある日本人のYoshiさん、カツ丼やカレー等の日本食を作ってくれる店として日本人旅行者には有名なところである。確かTashiroには14時までの受け付け、と貼り紙があったような記憶もあって、その時間をとうに過ぎていたがいくだけいってみた。ご主人はTashiroにいったとかで不在だったが、また、確かに14時までとそこの貼り紙にも日本語で書いてあったが、美人のセニョーラはわたしのことを覚えていてくれて、作ってくれるといってくれた。で、その日の夕食にカツカレー(カツ丼、カツカレーが一番高くて37Q、他にも確か30Qくらいのメニュウがある)をお願いした。夕食の確保ができて、安心して?そのあとは昼寝となったのだった。

 例えば外食にしても、よほど高級なところでない限り、そこそこの値段で食事をとることはできる。市場の食堂なら20~30Qで、わたしには満足な食事が供されている。それでも貧乏性の抜けない貧乏旅行者<わたし>にとって、毎回毎回だと不満になってくるのである。メニュウの少ないGuateの外食事情に飽きるということでもあるが、やはりコスト面での不満が募ってくる。ある意味、それはファミリア生活(ホームステイ)を知っているからでもあった。このときわたしは一週間、スペイン語のおさらいをするつもりでいて、そのため一週間はホームステイをするつもりでいた。幸いに前回と前々回に世話になったfamilia Eluviaは、もちろん彼女もちゃんとわたしのことを覚えてくれていただけでなく、名前までも覚えてくれていて、しかもたまたま彼女のところは空きがあったので、Guate 3日目? 2/3にそこに移つることができた。彼女のところは一週間80ドル(600Q)で3食付きである。ただし、これはどこのfamiliaでもそうだが、日曜の食事はなしとなる。わたしはずっと一週間単位でしか受け入れてくれないのかと思っていたら、一日でも二日でもOKとのこと、その場合3食付きの一日の宿泊代は90Q(1350円)とのこと、つりTashiroで毎回食事に悩むならfamiliaの選択は十分にありで、ここ数回はそのパターン、まずは田代さんのところにきて挨拶して、それからEluviaのところに移るパターンがGuateの導入となっていた。ま、それは田代さんにしては面白くないところかと思うが、もちろん旅行者事情を知らない人ではないから、そこは甘んじてもらっている。そしてEluviaには次の日からのスペイン語の先生の手配をお願いしたのだった。

familia Eluviaは看板も何もない普通の民家Img_5155

食事のメニュウは曜日でだいたい決まっている、写真はわたしが最も好きだった具沢山のおそば(もっとも日本の味に近いものだった)、、Img_5456

パンケーキは朝食メニュウでわたしが最も気に入ったもの(毎日ではない)Img_5140

 今、Antiguaのスペイン語学校は飽和状態にあるようだ(スペイン語の先生Lorenaによると100以上?)。いや、スペイン語学校だけでなく、新しいホテルの乱立、カフェやレストランの新規オープン、また目に余るトラベルエイジェンシーの数々、まぁ観光都市としての発展目覚ましき状態となっていた。だからホテルも値上げができない状態で、部屋は余り気味ではないかと田代さんはいっていた。そういえば田代さんのところも値上がりしておらず、それでも日本人の旅行者が絶えないのでやっていける、ありがたいことだ、ともいっていた。で、これも日本人学生で賑わっているスペイン語学校カノが今いくらなのか聞いてないが、あるときから、そう、それはこのEluvia宅で個人レッスンを受けられることを知ってから、多少高くともEluvia宅の2階テラスでスペイン語のレッスンを受けることにしていた。スペイン語教師の資格を持ち、スペイン語学校で教えたことのある先生が、こちらの都合に合わせてきてくれるのだから、こんなありがたい話はない。そして今回もとってもいい先生にあたって、Sra.Lorenaのレッスンを2/4から2/9まで6日間、一日4時間毎日楽しく受けることができたのだけれど、その成果たるや、もう、自分の語学の才なきことを嘆きたくなるほど進歩をもたらさなかった。それは一重にわたしのセンスのなさ、逃げ口上でいえば老化による脳の硬直化?のせいにして、結局わたしはスペイン語をものにすることができなかったのである。こうして中途半端なまま一週間のレッスンを終え、そして当初の予定通り、2/10にグアテマラ国内の旅にでたのであった。すでに、その旅からも一昨日に戻って、今またEluvia宅にて、この文章を書いているのだけれど、その旅模様はこのあとゆっくり時間がとれそうな日がないので、たぶん日本に帰ってからになると思う。で、少なくとも、この最初の10日間にこの授業以外のトピックについてのみ簡単に記してこの項を終わらせたいと思う。初めに、このEluvia宅で出会った面白い日本人の話である。

 初めてEluvia宅にきた、たぶん3年前?そこにはすでに数人の日本人の先客がいて(たぶんその時の模様は書いていた気がする)、その後きた日本人も入れると、最大8人くらいのキャパがあるEluvia宅はほとんど日本人に占拠されていた時期があった。その記憶があったから、今回訪れたとき、そこには日本人の男性一人と、ドイツ人のおじさん一人しかいなかったのには少し驚かされた。ドイツ人のおじさんは、年はわたしより少し若かったが、朴訥なおじさんでスペイン語は始めたばかり、同じくEscuela Eluvia-スペイン語学校Eluviaで、わたしと一緒に個人レッスンを受けていた。が、ほとんどスペイン語では、会話は成り立たず、かといって英語で親しく話すこともなかった。さて、もう一人いた日本人の若者Ryosuke Aiba君は、彼もスペイン語を始めたばかりといっていたが、すでにわたしより話せて、夕食時間には日本語御法度で、Eluviaを交えてスペイン語での会話になったときの主役であった。その彼とは、2Fテラスでもちろん日本語でよく話したが、彼は大変面白いキャリアの持ち主であった。というか、わたしはこんなすごい若者を初めて知ったのだった。まだ30前のこの若者は、わたしがこれまで知った日本人の中でも最強の部類に入る男、つまり強者<ツワモノ>としてわたしには映った。何となれば、日本の自衛隊の中でも選ばれたものしかそこに入れないという習志野空挺部隊出身で、そこの幹部を経てからフランスの外人部隊を5年も務めあげ、2年間は南米フランス領ギアナのジャングルにいたというのである。で、一応そこを除隊して、その帰途グアテマラによってスペイン語を勉強中とのこと、フランス語は不自由なく、英語と外人部隊の仲間から覚えた数か国語を話すという、こんなスーパーマンにわたしは初めて出会ったといってよかった。その割には謙虚で、しかも陽気で明るい性格は、どこでも誰にも好かれる人柄がにじみでていたのである。この人の二の腕の太さに驚かされ、外人部隊で経験した面白い話にわたしは目を丸くして聞いていたのだけれど、日本の若者も捨てたもんではないと、うれしくさえ思ったのであった。今は、夜な夜なサルサ通いで、とうとうサルサ教室の先生になったとも聞いた、すでに日本を出てから5年になるとのことたが、いったいこの若者は日本に帰れる or 帰るのであろうか?日本に帰ってこういう人に日本を守ってもらいたい気もするのだけれど‥??、、

左がRyosuke Aiba君、中がEluvia、右はわたしのあとにきたKoreanのSueさんImg_5141

 もう一つ書いておかなければならないことがあって、実は今回の旅の目的の一つに、かってあるところに書いた情報の更新と最新状況の確認というノルマがあった。その記事はここにも転載したかもしれないので(よく覚えてないしチェックもしてない、スミマセン)、その確認した結果をここに記しておかなければならないと思っている。それはまさにAntiguaの記事で、‘San Felipeのペピアンがおいしい店’というタイトルで、たぶんそれは3年間くらい前に書いていたかと思う。これは責任を問われても応じようのない怠慢であったが、3年ぶりにそこを訪れてみた。ちょうど食事の提供のない日曜の午後、普通の学校は日曜は休みだが、プライベイトレッスンはお客の都合優先で、日にちの余裕のなかったわたしは、日曜の午前中も授業を受けたから、それが終わってからでかけてみた。San Felipeは歩いても30分くらいのところだが、バスなら15分?この時は2Q払ってHospital行きのバスでいった(帰りは歩いた)。3年前に記事にしたレストランは、終点のHospitalから少し戻ったところにあったからだ。間違いようのないその店は、が、しかし、なかったのである。いつからのことなのか、もちろん定かでなかったが、こういう記事の危うさを感じながら途方に暮れてしまった。つまり目的の一つはそこで昼食をとろうと思っていたのだから、食事何処を新たに探さなければならなくなった。San Felipeはおいしいレストランが、あの小さくてかわいらしい教会の周辺にいくつかあることでAntiguaの人には知られているところだったが、それらはいずれも有名になりすぎて高価なところとなっていた。ところが教会前の通りをHospitalの方へ曲がって少しいったところにあった、わたしが3年前に見つけたその店は、おいしいうえに低価格の店だったので、わたしが取り上げたのだった。だから、教会周辺の店に行くつもりはなく、他に安そうな店はないかと探してみた。ところが、捨てる神あれば拾う神ありとはこういうことをいうのか、ということが起こったのである。前のお店があったHospital通りを少し教会の方にいって、その角を曲がる手前に新しそうな店を見つけたのだった。こじんまりとした、こぎれいな店だったので躊躇わず入ってみた。すでに大勢の先客(グループのようだった)がいたがテーブルが一つ空いていたのでそこに席を占めた。応対に出たセニョリータ(実際は子供がいたからセニョーラ)の接客が感じよく、わからないメニュウadobadoとは何かスペイン語で聞いてみたら英語で答えが返ってきたのだ。それは豚肉とのことだったので、それを注文、でてきた料理は上品な、どこでも同じ味の、その辺のレストランとは一味違うものだったので、前の店と優るとも劣らないと折り紙をつけたくなったのであった。それでいわゆるalmuerzo(昼食、ま、ランチと解釈も可かと思う)22Qなら、紹介もしたくなるというものであった。ところが、それだけで話は終わらなかったのである。先客が帰って、わたし一人になったときに、あなたの英語ならスペイン語の先生になれるではないかといってみたのだ。それは何かと英語で気を遣っていてくれたからなのだが、その答えを聞いて、そういうことだったのかと納得させられたのであった。すでに彼女は、スペイン語学校の先生であったのだ。しかも、その学校はAntiguaのスペイン語学校の大手校の一つ、La Unionの先生であった。La Union? そう、それはわたしが7年前に初めてAntiguaにきて、スペイン語学校の評判も何も知らずに行きあたりバッタリに入学した学校だった。で、今のわたしのスペイン語はその時行き着いたレベルを超えるものにならなかったのだが、ということはその時学んだ2ヶ月間だったかが、いかに素晴らしい教育をしてくれたのかを今もって感じているのである。そしてその時の先生の名前を聞かれたから、よく覚えてないがCiuda Viejaの人だったといったら、Grendyとその先生の名前をだした、まさにGrendyだったことを思い出したが、すでにGrendyは在職弾み店は開店し3ヶ月見つた経緯、前の店がすで代り店を紹介してもと聞ん、とそ許可を得ることができたの。それでその店の写真を撮らせてもらったので、最後にその店を紹介してこの回を閉じることにする、、3年前も同じフレーズで閉じたような記憶があるが、この記事をAntiguaで見てくれた人がいたら、ぜひ一度行ってみてください ! ! 場所は先述したようにHospital行きのバスで終点下車、少し戻ってIglesiaへ曲がる角の手前、お店の名の前は‘Cafeteria El Buen Samaritano’とありました。果たして3年後にきた時、この店は健在であろうか?たぶん問題なさそうだけど、祈らずにはいられない‥、、

Cafeteria El Buen SamaritanoのAdobadoのAlmuerzoImg_5126

店舗外観;2枚Img_5129Img_5130

ついでにIgresia San Felipe ; 2枚Img_5137Img_5132

<この回、了>