独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 7, サンイグナシオSan Ignacio~国境越え、フローレスFloresへ

<カラコル遺跡の代償となったシュナントニッチ遺跡は十分に見応えありだった>Img_0530_640x480

  サンイグナシオは遺跡ファンにとっては、ベリーズにあってオレンジウォークと並んでかなり重要な街であったかもしれない。ここはオレンジウォークからでていた二つの遺跡ツアー、アルトゥンハとラマナイに負けない、いや、もしかしたらベリーズにあるマヤ遺跡のなかでは考古学上最も重要な遺跡?カロコルCaracol遺跡に行くツアーのでるところだったからである。海派ではなかったが、多少の遺跡派であったわたしはカラコル遺跡の名も、その価値も知っていたから、初めからこの街ははずせないところであったのだが、当初ベリーズ国内の距離感がつかめなかったので、まさか2日目にしてここまで来られるとは思ってもいないことだった。

 で、バスを降りたはいいが、この街の概略も、どこに何があるかもまるでわからず、しばらくその周りをうろうろする。次の日わかったことだが、実はそのバス停あたりがその街の中心で、ちょっとした公園のようになっていて、しかもそこにはベリーズで目にする初めてのツーリストインフォメーションなるものがあったのだが、そのときは夕方だったからか、あるいは日曜だったからか、そこは閉まっていて気づきもしなかった。が、それでも数メートルいった先の交差点辺りが賑わっていたので、そこまでいって左右を見回すと右方向の道が、それまでこの国ではみたことのないようなツーリストエリア?つまり、外国人が大勢いたむろしているカフェのような、レストランのような店々が建ち並び、トラベルエージェンシーやホテルなどが固まっている通りだった。早い話、そういう場所を探そうと思っていたら、そこにあった、というわけで、まったく手間は省けたのであった。しかも、わたしが大きなバックを背負ってウロウロしていたら早速向こうから声がかかった。そいつはトラベルエージェンシーの呼び込みだった。ホテルを決める前に明日のツアーの話が先になってしまった。ま、ここでツアーを申し込めばホテルも安いところを紹介してくれるだろうという算段もあって、その呼び込みのオフィスにバッグを持ったまま乗り込んだ。しかし、話はそう簡単にまとまらなかったのだった。

 ざっとみただけであったが、その辺りにはカラコルツアーを扱うエージェンシーは数軒あるようだった(どこもそうだが、実際のツアーはどこか一社が統括して履行されることが多い)。その日の午前中、わたしはオレンジウォークで、ラマナイツアーの情報を得ていた。それは時間は9~15時くらいでボートでリバークルーズをしながらラマナイ遺跡まで往復、遺跡の入場料も含まれて100BZ$とのことだった。ま、そんなものだろう、安いとは思わないが高いとも思わなかった。それを知っていたからか、そのとき明日カラコルにいくツアーがあったら参加したいというわたしの申し出に、返ってきた答えを聞いて、ちょっと驚きを隠せなかった。ラマナイの倍、なんと200BZ$、つまりUS100ドルという答えだったのだ。それは朝7時ころから夕方17時ころまでかかること、カラコル遺跡だけでなく、ボートツアー、エコツアー、洞窟<caving>や川遊び<swiming>などの体験と飲み物・昼食が含まれるのだという。‥???、即答できなかった。まず、いかにいろんな観光アトラクションを多く含んでいようとUS100ドルは高過ぎる。いや、正確にいうとわたしには高すぎた、ということである。その界隈でビールを飲みながら寛いでいる、世界中どこでも目にするリッチな欧米人旅行者向けのプランである。わたしには、エコツアーもcavingも川遊びも要らなかった。なので、一応それを聞いてみた。カラコル遺跡だけのツアーはないのか?あるいは、ツアーでなくそこにいく方法はないのか?。はっきりいってサンイグナシオというところは、まったくのツーリストエリア !、観光地 !、世界中から来るわたしのような貧乏旅人でないリッチな旅行者だけを相手にする、海のリゾートを別にすればベリーズ屈指の観光地だったようだ。わたしがカラコル遺跡を断念した瞬間だった。もちろん、そのエージェントだけでなく、そのあと何軒かのエージェントで同じ質問をしてみたが答えは同じであった。ちょっと意外な結果に落胆しながら、荷物を背負って宿探しが始まった。ま、しかし、それは宿も固まっていたので何軒目かで折り合いはついた。一泊30BZ$、前日の宿より安いところがあったからだ。早速荷を解きシャワーを浴びる。暑いところなのでシャワーが気持ちよいのだが、30BZ$だと、いわゆる共用ということで部屋付ではなかった。それでも宿泊客は少なく専用のようなものだったが‥、、そのあとは食事だが、華やかで欧米人客で賑わっている通りのレストランはやはり敬遠してしまった。ここも中華料理店が数多くあったが、それもわたしには高そうに思えて(実際はそれほどでもなかったかもしれないが)パス、やはりわたしには路上の物売りや屋台料理が似合ってると思いながら、それを探す。が、メキシカン(タコスの類)と昼間の弁当屋はあったが、他の屋台を見つけることは難しかった。結局昼間の弁当(昼は牛肉だったがこのときは鶏肉でサラダもマカロニだった、やはり6BZ$)と中国系のスーパー(食料・雑貨店)でビールを2本仕入れての夕食となった。

 前日カラコルツアーの情報を探っていたとき、2軒目3軒目だったか、実は貴重な情報をもらっていた。カラコル遺跡についての答えは同じだったが、親切な比較的若いその男性はカラコル遺跡へはツアーでないといけないが、ここから歩いていける遺跡がひとつ、バスで行ける遺跡がひとつあるというのだった。正確にいうと、その情報をもらったときがカラコル遺跡を断念したときだったのだが、それらの遺跡への行き方も詳しく教えてくれたのだった。で、その朝、前夜21時ころには寝入ってしまったので、夜明け前の4時ころには目が覚めていた。5時には出かける用意ができていたが、まだ外は真っ暗で、いくらベリーズの治安はきわめて安全とはいえ、まだ深夜の一人歩きの時間帯だったから、もう少し明るくなるのを待っていた。前日に聞いていた歩いていける遺跡カハルペッチCahal Pechにいってみようと思っていたのだ。かすかに明るさを感じ始めた6時ころにホテルをでた。教えられた道を行く。ガソリンスタンドの脇に立派な橋がかかっていてちょっと興味を引いたが、そこまで5分くらい?、その辺りから先はもう街外れだった。急な登りになった車道をどんどん行くが、いったいどの辺にあるのか皆目見当がつかず、時々すれ違う人に確認すると間違ってはいないようだった。20分くらいでそれらしき目印を発見、更なる急な坂を登ってホテルからちょうど30分くらいで、しっかりとした標識・看板の取り付けられたカハルペッチ遺跡についた。かなり立派な博物館があって、その事務所が受付になっていた。天気がいまいちで、その入り口付近で様子見をしていると、すでにそこはオープンしていて職員が掃除なんかをしていた。若い男性の職員が二人、わたしは彼らと雑談を始めた。実はわたしにはケチな思惑があったのだ。恐らくそれほど有名でないこの遺跡は管理も不十分で、職員も朝が早ければ不在でないか?と、そしてあわよくば不正入場(誰もいなければもぐりで入れないか?実はそんな手口をどこかで使って成功したことがあったので)できないか?。ところが、よくみるとそこの開場時間は何と朝の6時になっていたのだ(6:00~18:00)。だからちゃんと職員も起きて仕事をしていたわけだった。その一人、たぶん位が上に見えた若者に入場料の割引交渉をする。例えばシニア料金はないのか?といったぐあいに、、もちろんそんな特例は一切なかったし値引き交渉には当然応じてくれることはなかった。仕方なく10BZ$払って、早朝の誰もいない遺跡を独り占めすることになった。わたしはかつていくつかの遺跡を独り占めしたことがあった。わたし以外に誰もいない遺跡にたたずむ、千数百年のときを経た時空の静謐にして厳粛な佇まいは身の引き締まる想い、、朝靄に包まれて夢幻的なシルエットを醸し出す森の中の遺跡は十分に神秘的である。そんな場が独り占めしている遺跡にはいつも漂っていた。1時間くらいそんな時空をさまよって(実際はそんなに大きな遺跡でないので、一通り見るには30分もあれば十分だったかもしれない)事務所に戻り、礼をいって街に引き返した(もちろんその間の入場者はわたし一人だった)。

ホテルの前の通り、朝6時なので人通りはないが、夕方から深夜までの賑わいは、ここがベリーズとは思えないほどであった。Img_0487_640x480

街外れのガソリンスタンド脇に数少ない鉄橋が架かっていた。Img_0489_640x480

カハル・ペッチ遺跡の入り口とオフィスImg_0491_640x480

カハル・ペッチCahal Pech遺跡;4枚Img_0493_640x480Img_0496_640x480Img_0504_640x480Img_0510_640x480


 街はすでに日常の忙しさが始まっていた。コーヒースタンドのようなところがあって、朝のコーヒーがいっぱい1.5BZ$は観光地値段ということか?そのころにはツーリストインフォメーションが開いていて、そこではじめてベリーズの地図を手にすることができた。そして観光案内の冊子をもらい、前日エージェントのお兄さんに教えてもらったもう一つの遺跡、シュナントゥニッチXunantunich遺跡について、その場所・行き方をあらためて確認した。そこはグアテマラ国境へ行く途中にあるとのことだったので、もちろんここに滞在している人はツアーに参加することも、ホテルに荷物を置いてバスで日帰りすることも可能のようだったが、どうやら国境まで行くバスに乗って途中下車し、遺跡見物後再びそこから国境へ向かえば、わざわざこの街へ戻る必要のないこともわかった。ということは、うまくいけばそこに寄ったとしても、その日のうちフローレスまで行けそうな感じだった。ならば急いだほうがよいか?、が、その前にBZ$もUSドルも尽きかけていた。ホテルに戻る前に銀行によってUSドルT/Cの両替ができるかを聞く。手数料が少々かかること、BZ$でしか渡せないといわれたが、この際躊躇ってはいられなかった。いずれもう一度ベリーズに戻るので100ドルT/C→197.25BZ$に両替する(失敗編で書いているがこのBZ$の大半はその後グアテマラでどこかに消えてしまった)。ようやく余裕を取り戻し、急いでホテルに戻ってチェックアウトした。9:15くらいから昨日バスを降りたところでバス待ちし、30分くらいできたバスは15分くらいでシュナントゥニッチ遺跡入り口前につき、車掌に教えられて下車(1.5BZ$)。そこまでは順調にきたが、さて、問題は荷物をどうするかだった。インフォメーションで、その入り口から遺跡までは歩きだと30分くらいかかると聞いていた。大荷物を持ってではきついと思われたので、近くに店でもあったらそこで預かってもらおうと考えていた。が、そんな適当な店はなかったのだ。それでも、さすがに観光地?小屋掛けのみやげ物屋がずらっと並んでいた。できれば飲み物を扱ってる店がないかと探すと、もっとあってもよさそうなものの、そんな店は10軒くらい並んでいたみやげ物屋のうち一軒しかなかった。そこで水を仕入れ、荷物を預かってくれないかと頼んでみた。気のいいおばさんはすぐにOKしてくれ、やっと遺跡への一歩を踏みだせた。その一歩は渡し舟だった。

遺跡は対岸に渡ってしばらくいったところにある(この渡しの代金は入場料に含まれている)Img_0519_640x480

この川はたいそう美しかった。Img_0522_640x480

ツアーのワゴン車も数台を一度に運べた。Img_0520_640x480


 この渡しがなんとも風情があった。それとこの川がきれいだったこと!!、その辺りの風景も美しかった。車も何台か積めるその渡しは、ころあいを見計らって音もなく動き出した。よくみると係りの人(渡し守?)がワイヤーを手動で手繰っていた。数十秒の渡川のあと登り坂を歩き出す。そこから遺跡まで確かに30分はかかった。しかし行きも帰りもそこを歩いているのはわたし以外になかった。この遺跡は朝のカハルペッチと違って規模も大きく有名だったのか、遺跡内は多くの観光客でにぎわっていたが、その全てはマイカーか、あるいは(たぶんサンイグナシオからの)ツアー客で、バスで来て遺跡まで歩くような人はいなかったのである(カハルペッチも、朝が早かったので入場者がいなかっただけで、規模の問題ではなく、昼間は多くの観光客を集めているかもしれない?)。わたしはそんな道のりをどこかと似ているなぁ、と思いながら歩いていた。それはすぐに思い当たった。数年前にいったグァテマラの、それもグアテ市から比較的近いミシュコ・ビエホMixco Viejo遺跡だった。そこもバスを降りてからいきなり急な坂を登ったところにあり、グアテマラマチュピチュとわたしが喩えた山上の遺跡だった。実際、このシュナントゥニッチも、それに勝るとも劣らない素晴らしい遺跡だった。いや、その規模も、管理も、ツーリストの数もグアテマラ/ミシュコビエホを上回り、朝のカハルペッチより勝っていたのは確かだった。ここの入場料10BZ$は決して高くないと思えた。それより、わたしはいけなかったカラコルの無念は、ここで十分に補えたと思ったのである。

シュナントゥニッチ遺跡のゲート付近Img_0523_640x480

シュナントゥニッチ遺跡;4枚Img_0533_640x480Img_0535_640x480
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 約1時間の見学後、また来た道を戻った。下りだった分時間は多少短縮したが、入り口のバス停でかなりの時間バスを待つことになった。荷物を預かってもらったので、また何か買ってあげようと思っていたが、適当なものがなく多少のtipで勘弁してもらった。30分待ちくらいできたバスはものの5分でバスの終着ベンケ・ビエホ・デル・カルメンBenque Viejo del Carmenに着いた。その距離なら、せいぜい0.5BZ$くらいだと思ったが1.5BZ$も取られたのが不可解&不服だった。そしてバスの到着したところは国境でなく、そこから国境まではかなり距離があるようで、国境へ行く乗客は皆そうしていたのでタクシーを使わざるを得なかった。この間は約10分で一律5BZ$(シェアすれば安くなるのかと思ったが、その場合でも一人5BZ$とのことだった)とも少し高すぎるように思えた。ま、それでも何とか12時半頃に国境に着いていた。イミグレは37.5BZ$の出国税を払うだけで簡単。ほとんど並ぶことも待つこともなくグアテマラに入国した。それがあまりにも簡単だったからか、危うくグァテマラ側の入国手続きを損ねるところだった。ベリーズのイミグレを抜けると前方に橋かかかっていた。それが国境になっているのだろうから、その先にグアテ側のイミグレがあるものと思わせられた。しかし実際はグアテのイミグレは橋の手前にあって、ちょっと隠れたようなところにあったのである。知らずに通り過ぎようとしたところ、教えてくれる人がいてわたしは事なきを得たが、後にアンティグアであった日本人の若者が知らずに通り過ぎてしまったといっていたので、ありうることと同情した(たぶん彼はその後グアテ市のイミグレに出向いたはずである)。そのあたり、この国境越えは注意が必要である。そんなこともあわせて悔やまれるのは、この国境越えに関する写真が撮れていないことである。その辺の事情は前に失敗特集で述べているが、このときカメラのバッテリーが切れてて、そうでなければ記録に残そうと思っていたベリーズ側の国境風景、グアテ側の様子、国境となっている両国間にかかる橋、そしてその下を流れる美しい川等々、すべて撮れなかった。しかしそのときはそれほど失敗とも思っていなかったのだ。というのも、まだそのときは帰りも同じルートを戻るつもりでいたからで、もう一度その機会はあるだろう、そのとき撮ればいいか?と思っていたのだが、ついにその機会は訪れなかったのである‥。

 ということで、そのときは悔いよりも思ったより早くグアテマラに入国できたことに満足していた。それに、なんといっても、どういえばいいか?もちろんその地は始めてであったが、なんか馴染みのあるところ、馴染みのある言葉、馴染みのある感じ?といった感慨に覆われていた。グアテマラの通貨も持っていたので早速飲み物をゲット。そしてツーリストポリスにスペイン語フローレスに行くコレクティボ(乗り合いワゴン車)のターミナルはどこかと聞いてみると、すぐそこだと返ってきた答えの半分くらいは理解できた。そこまで行って客待ちのワゴン車のドライバーに何時に出るのかと聞くと、すぐに出るとのこと、それでも次が15分か20分後にでると教えてくれた(確かcada 15minutosかcada 20minutosつまり15分おきか20分おきといわれたのだが、どっちだったか覚えていない)。そうして1時に出たそのワゴン車は、途中から見覚えのある道をかなりのスピードで飛ばし、15:15にフローレスFloresサンタ・エレナSanta Elenaのバスターミナルに着いたのであった。