独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオス12泊7万円(航空券込)の旅 、序章

 今朝戻りました。どこからかというと、昨晩?正確にいうと本日の真夜中0:45発、タイのドンムアンからで6時間だったので楽でした。やはりアジアは近いですね ? それに安い ! 、、すでにアジアの常連さんにはおなじみのLCCスクート(Scoot)で往復27000円(諸税別)ですよ ! ! それに物価が安いから12泊のトータル金額が、この航空運賃も入れて7万円で収まってしまうのだから、一度このルート、エリアを知ってしまうと自然とリピーターになってしまうということがよくわかります。わたしが一週間四国を歩く予算で、約2週間の東南アジアの旅ができてしまうのだから信じられない、といった感じでした。だから前回、もう貧乏旅はできないかも、なんていっていたのがどこへやら、それも今回はそれほど無理してないのだから、身体的にもけっこう楽な貧乏旅だったのでした。以下、何回かにわたって、その報告をしていきたいと思います。

 きっかけは、それこそもう貧乏旅がきつくなってきたなどといっていた、中米から戻って一か月も経たない頃に、わたしの学生時代からの友、神戸在住のM氏(すでに50年にならんとする学生時代の仲間で、未だに交流のあるのは彼くらいになってしまったが)から、6月にタイにいくから、その時おまえのゲストハウスとやらを一度見させてもらって、成田から発つことにした、という連絡をもらったことだった。このM氏も学生時代に長旅の経験があり、その後わたしと同じく気ままな人生を送っており(くわしくは聞いてないが)、今や彼こそ10年越えのタイリピーターとして、毎年半年以上タイ暮らしを続けている御仁だったのです。リタイア前は遠方だったこともあってそれほど行き来がなく消息は聞いてなかったが、その後タイ暮らしを始めたことは、もちろん自然と耳に入ることとなった。なので、そのうちにいくからという話はかなり前からしてて、何年か前に具体化したのだけれど、たまたまそのときバンコクに大洪水が起こって機能マヒに陥った時で、それ以来がなかなかそのチャンスに恵まれずにきていた。だから、今年の3月に彼から電話があったとき、オレも連れていけと即答していたのだった。その時すでに6/18でスクートのticketをとってあるとのことだったので、それに合わせてわたしもネットでスクートを検索したら前記の料金だったというわけである。まだ、3ヶ月も間があったから、そのticketは問題なく手に入り、同時に、ま、せっかく行くのなら一週間では短すぎると思って、ゲストハウスは予約も入ってなかったから2週間休業することにしたのだった。もっとも、もうすでにその時大まかのプランはわたしの中にはあって、彼の生活の場であるチェンマイは3日で充分であろう、そもそもいくら長年の友といえど3日も一緒にいたら、お互い息苦しくなるのはわかっていたから、それから約10日間がメインとなるラオス~タイ巡る旅の大まかな構想はできたていたのだった。いや、そりゃいくらでも延ばそうと思えば、あそこもここも、とそれこそ安旅のできる地だから、何日間もほっつき歩けるけれど、ま、実はタイもラオスもそれほど面白いところではない、ということはわたしは知っていたのだ。というか、定住こそしてないが(それというのもあまり面白くないところだということがわかっていたからでもあったが、その辺のところは追って詳しく述べる)タイには、すでにこれまで10回ほどは寄っていたからだ(いずれも短期、というかついでに寄るといった感じで)。で、すでにバンコクだけでなく、チェンマイもスコータイも、ピーマイも訪れていた(海派でないから南の方は列車で通っただけ)、最初は1973年だから、すでに45年前からである。しかし、どういうわけかタイには溺れなかったのである。そしてラオスも25年ほど前に、まだメコンに橋が架かる前に小さな渡し船で渡っていた。しかし、そのときはいろいろな事情で、その後有名になるルアンプラバンまでいけなかったのが心残りになっていて、逆にそれが今回の旅の引き金ともなったのであった。だから、今回は往復ともバンコクには寄らずで(ドンムアンの利用だけ)、着いた日にそのままチェンマイまで3000円のNok Airで飛んでいた。そしてチェンマイ3泊して、そこから今回のわたしの旅は始まったといっていい。一応ここだけはというところは2ヶ所あって、少なくともラオスは先にいったルアンプラバンだけ、そしてタイはカオ・プラ・ウイハン(Khao Phra Wiharn)遺跡というところだけはいってみようと思っていた。それでも最初は移動費も入れたら一日5000円くらいかかるかと思っていたが、ま、日本からの交通費を入れて、約2週間を7万円で上がるとは思っていなかったのであった。以下、またグダグタのつまらない旅録になると思うが、ご辛抱のほどを‥、、

最初は寄るつもりもなかったラオス第2の都市パクセー(Pakse 対岸の街)と雄大メコン川、そこにかかる日本の援助のもとにかけられた友好橋は今回の旅のなかでも印象に残る風景であった、、Img_6578