独歩の独り世界・旅世界

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4回目の四国<変則区切りうち> その4,3番→1番 高速バスで高松へ、そしてLCCで帰宅

 今回は諸々の事情で4日しか時間がとれなかったから、まったく変則ながら、普通はそこから始める一番霊山寺で打ち止めにすることにしていた。いくつか理由はあったが、そのあと近くには札所がなかったことと、帰りのアクセスが良かったからである。ということはその日は3番~1番だけだったから、ここ5番から歩いても3時間くらいで終わるのではないかと予測していた。つまり思ったより順調にきていたので、その日は時間的には相当余裕がありそうであった。だから朝はゆっくりでよかったのだけれど、(前回記したかもしれないが)たいていの遍路宿は6時が朝食の時間だったから、おいしい朝食をしっかりいただき、7時前には支払いを済ませ、食事がとってもよかったと宿のおかあさんに礼をいって歩きだしていた。

 単調な街中の舗道歩きであったが、やはり朝は気持ちがよく、ところどころで通学児童を誘導しているおじさんや若いお母さんと挨拶を交わしながら道を確認しながら、幹の12号線(撫養街道)を一本入った、それとほぼ平行に走る細い舗道(旧道?)をいく、、所々わかりにくいところもあったが間違いようのない道だった。ただ、5番~3番は思ったより長く感じられた。距離は4km足らず(3km?)だったと思うが、最後はしびれを切らして誘導員(?正式名称を知らない)のおじさんに金泉寺はまだ?と聞いたら、なんとそのおじさんが立ってた角を曲がったところが3番金泉寺だった。到着が7:40で、この時もわたしが一番乗りだったようで、最初のろうそくと線香を立て気持ちよくお参りができた。御朱印をいただいてトイレを借りて出発が8:10となった。

やはりこの細い遍路道は旧道ではないかと思われた。というのもこの道沿いには写真の千手院宝国寺(導引大師)、次の写真やこの後に書いている神社が進行方向左手にあったからである。Img_2737_640x480Img_2738_640x480(後に出てくる諏訪神社は写真を撮ってない)

3番金泉寺の山門Img_2739_640x480

正面が本堂Img_2740_640x480

本堂の右手、この写真の正面が大師堂Img_2741_640x480

鐘楼と本堂と大師堂を入れてみた、この時間参詣客はまだなかった、、Img_2743_640x480

 3番金泉寺~2番極楽寺も2.6kmだが長かった。やはりもう疲れが出ていたということだろうか?途中で、たぶん諏訪神社だったと思うが、かなり急な石段があって、そこを登ったら眺めはいいだろうと思われる神社があったが、ためらってしまった。その気になれなかったのだ。時間的な余裕はあったが体力的な余裕はなくなっていたのである。この間にその朝1番を発ったと思われる歩きお遍路さんに会い挨拶を交わす。2番極楽寺着は8:50だった。そこで切れてしまったロウソクを調達、その場所は納経所にもなっていて、巡拝用品からお土産類までそろえた立派な店舗だった。参拝をすまし、少しの休憩。出発は9:20になった。

逆打ちだったので、遍路道を行くとまず墓地にでた。写真向こうに2番極楽寺があった。遠くの山は名称不明、、Img_2745_640x480_2

正面観音堂脇の石段を上って本堂へ
Img_2747_640x480Img_2748_640x480本堂Img_2749_640x480更にその奥に大師堂

逆打ちだったので仁王門は最後になってここから出る、、Img_2751_640x480


 最後の2番~1番は逆に思いのほか近かった。もっとも、その距離は1.4kmとなっていたからものの15分~20分、実際15分で着いてしまった。その間に今発願したばかりのピチピチお遍路さんに出会う、若い女性だった。彼女のこの後の健闘を祈って頑張ってくださいと声をかけた。ありがとうございます、とちゃんと答えてくれた。果たしてその後はどうなったであろうか、気になるるところではあるが‥??、、しかしそういう意味では、この時わたしは逆打ちをしていたので、順打ちのお遍路さんともっと会うかと思っていたのだが、この二日間で出会った歩きお遍路さんは10人たらずだったか(もちろん出会ってないお遍路さんが同じくらいの数いたかもしれないが)?想いのほか少なかったように思う。が、これから歩きだすお遍路さんも含めて、1番霊山寺はこれまた想いのほかの賑わいだった。むしろ一般の参詣客がその賑わいの主だった人たちのようでもあった。ま、1番のお寺にふさわしいとも思われたのであるが、、そこで打ち止めの報告をして、今回の区切りうちを無事終えることができた。御朱印をいただく納経所が本堂の中にあって、そこではこれから巡礼を始める新人お遍路さんのための巡拝用品が各種取り揃えて販売されていた。わたしは勝手に、そんなお客が多いから少し高めかな、なんてそれらを眺めていたら、それが逆だったことに気付く。そんなお店をいくつか見ていて(30分前の2番でも)ある程度の相場を知っていて、どこもそれほどの違いはなかったのだけれど、それより若干安めだったのである。実はわたしは最初、何も知らずに通販で一式揃えたのだけれど(そこもしっかりしたところで決して高くはなかったが)、一点だけ失敗したものがあって買い替えようかどうか迷っているものがあった。なので各店舗で時々それをチェックはしていた。それがここでは一割ほど安かったので、今回巡拝を終えた直後だったが、まだあと2回は区切りうちで来ないと結願しないのはわかっていたから、そこで買ってしまった。お遍路さんにとって最も重要な順拝用品の一つ白衣だった。一説には白衣は死装束となるものだから、安易な買い替えは憚られるという想いもなくはなかったが、判衣(宝印をいただくための白衣)ではなかったので、着心地・快適さを求めての買い替えは構わないのではないかと思ってのことだった。最初にわたしが知らずに買ってしまったものは袖ありだった。白衣には袖ありと袖なしの2種類しかなく(あとは大きさ?)、どっちも同じようなものではないかと袖ありにしたのだが、実際経験してみて袖なしのほうが、はるかに機能的かつ快適であるのではないかとずっと感じていた。で、たいてい白衣の値段は2000円~2500円くらいで、確かわたしが最初に買った時も2000円以上したはずだった(よく覚えてない)。その時そこには1800円という他では見たことない価格が表示されていたから踏ん切りがついたというわけだった。売店のおばさんに着ていきますかといわれたが、たぶんそのおばさんには耳慣れないことをわたしはいったと思う。おそらく99%の人がそこから始めるのに‘実は区切りうちで今日ここで打ち止めなのです’、といったからだ。かくして白衣は次回から着るつもりで、霊山寺のお土産として、それを手にして1番を去ることになった。そのときちょうど10時ころで、予想通りだいたい3時間で予定を消化していた。そこからガイドブックにあった地図で知った、近くの高速のバス停に向かったのであった。

一番の手前、さながら門前町といった趣があった、、Img_2752_640x480

仁王門も風格があった、、Img_2753_640x480

入ると池があって向こうに大師堂Img_2754_640x480

正面が本堂で本堂の中に納経所と売店があった、、Img_2755_640x480

大師堂から池越しに多宝塔Img_2762_480x640


 すでに最初にいってあったかもしれないが、帰りも高松~成田でLCC Jet Star のticketを予約してあった。なのであとはまた高松まで戻るだけだったが(あいにくJet Starは徳島と高知へは飛んでなかった)、その手段としては高速バス利用が最も安くて、かつ早かったのだった。しかもその高速バスのバス停は、1番霊山寺から1.2kmとそのガイドブックに地図付きで載っていたのだ。ただ発着時刻までは載っておらず(霊山寺で聞いたか、わからないとのことだった)、出発前に調べた記憶では、たしか一時間に一本くらい、最終15時ころのバスに乗れば間にあうということだけは覚えていた。なので時間はあまり気にせずに、まずそのバス停までいってみることにした。高速道路は霊山寺から100mくらい北のあたりを走っていて、そこまでは簡単にいけたが、そのあたりからは想像していたのとはずいぶん様子の違う風景を見ることになった。そのバス停は鳴門西PA<parking area?>にあったのだけれど、普通PAは高速の脇にあってアクセスは一般道接していてそれほど難しくないと思っていたのだ。ところがそのあたり高速道はかなり高いところを通っていて、そのPAも大げさにいえば山の中腹にあった。だから1.2kmなら15分と思っていたそこへ、草つきの斜面に設えた階段を登って山道をいくことになって時間も30分くらいかかってしまったのだった。そんなのは地図を見ても読み取れてなかったから、想ったよりたいへんだったのである。同時に最初はこんなところに高速のバス停があって便利にも思えたが、逆に初めてバスで来てここで降りて1番霊山寺に向かった人がいたとすれば、ずいぶん戸惑ってしまったのではないかと察せられたのであった。やっとのことでPAの金網の戸を開けて中に入りバス停を探す。次のバスは11:04だったから30分ほどの余裕、その次でも間に合いそうだったから、暇つぶしに近くにあった道の駅第九の里・鳴門ドイツ館というところにいってみる手はあったかもしれないが、今来た道を引き返すことを思うと、その気にはなれなかった。鳴門西~高松市内は約1時間で、高松駅栗林公園あたりまでいってもよかったが、一番空港に近いゆめタウン高松で下車、そこのほうがバス代が100円安かったのと、空港へも他からより100~200円安くなるので、わざわざ街中まで行ってしまう理由が見いだせなかったからであった。その代わりというか、無為に過ごす時間、つまり時間つぶしは覚悟しなければならなかったが‥、、

この写真の右手奥が霊山寺あたり、写真に見える高速脇の道を来てこの階段を登った、、Img_2765_640x480

上の写真を登りつめると高速をまたぐ横断橋があって、下り方面にわたりに今度は少し下ると写真にある金網の扉があって、そこかPAの入り口だった、、Img_2767_640x480


 初めて降りたゆめタウンだったが、その近辺にはショッピングセンターやレストラン等も結構あって、ちょうどゆめタウンのバス停(そこにはカウンターもあって待合室もあった)の裏にまだ新しそうなレストランがあって、ランチが安そうだったので、そこへいってみた。ちょうど昼時でもあって入ると相当の混みようで、順番待ちの人で待ちあい用のソファーも空きがない状態だった。いつもならそういう店は即退散するのだけれど、このときはむしろ好都合、何しろ時間はたっぷりあって待つことは苦にならなかった。そんな人気店なら逆に待ってやろうという気になってしまった。もちろん関東ではお目にかかったことのない店だったから興味はあった。しばらく待って順番が来て初めてメニュウを目にしたとき、その安さとすべてがおいしそうに見えて目移りしてしまった。こういう時は得てしてつまらないものを頼んでしまうのだけれど、結果的にそのドジを踏むことになった。いずれにしろそこは洋食屋さんだったが、ハンバークでも(これも何種類かあった)とんてきや、カツやカレー、ステーキ(これは少し高かったが1000円は超えてなかったはず)でも、ともかくすべてにごはん、みそ汁、煮物のようなものの食べ放題がついていて、それで500円前後だったと思う。結局わたしは失敗して生姜焼きと、めったに昼食時はアルコールを飲まないが、ま、安さと、一応今回も無事終了したということでグラスビールを頼んだ。一人打ち上げだったが、もう満腹で、かつ暇つぶしにもなって、それで843円だったから、ま、終わり良し、となったことに満足していた。その店の名をたしかはらだ牧場、といったように記憶している。

この写真ではそこの店のすごさが伝わらない、、Img_2768_640x480

 それでも空港に15時には着いてしまって、そこで3時間待ちをしなければならなかった。それも3990円のticketが故の辛抱であった。ただ、そこでもう一苦労が加わった。実は行きも帰りも荷物の重さは変わらないはずだった。これも繰り返しになるが、LCCの格安ticketには安いが故の制限がいくつかあった。そのひとつはほとんどのLCCは同一の基準を設けているが、持ち込み荷物の嵩と重量の制限でどこも7kgであった。ただ、航空会社によってはそれを厳密にチェックするかどうかの違いはあった。Jet Starは前回まで成田はほとんどノーチェックだったが今回は登場前にチェックがあった。それにぎりぎりパスしていたのだけれど、念のため空港に着いたとき、チェックインの前に重量を計ったら、なんと200gオーバーとなっていたのだ。それが唯一のお土産、白衣の可能性があった。ということはそれを着込めば‥、、もう一つ思いつく、その前に買ったロウソクだった。これは結構な重量があった。それでまずロウソクをバッグからだして着ていた上着のポケットに移し、他にもポケットに入れられるもの探してポケットに移して、白衣を着ることはしなかった。それで計量はOKとなり膨らんだポケットでセキュリティを通過、ところが肝心の搭乗前の重量チェックは、ここでは行われなかったのであった。それでも最終的にやっと帰れると安堵したのは飛行機が離陸してからであった。というのも半年前この高松空港で、まさかの濃霧による欠航という予期せぬ事態に遭遇してたからであった。そのときは結果的にお大師様に助けられたと感じる幸運があって無事帰還できたのだけれど、どうやら今回はお大師様のご加護にすがらずに帰れそうになったからであった、、  <了>