独歩の独り世界・旅世界

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5回目の区切りうち遍路 その1<遍路ころがし>11番藤井寺→12番焼山寺

 歩き遍路をやっている人が最初に遭遇する難所、11番藤井寺→12番焼山寺への山道を‘遍路ころがし’と呼ばれていることは知っていた(遍路ころがしと呼ばれているところはここだけではないが)。その意味するところは要は大変厳しい山歩きを強いられるところということで、最初意気揚々と歩き始めた歩きお遍路さんが、だいたい3日目あたりにこの区間を歩くことになるのだけれど、このあたりで疲れがでてきて歩けなくなることが多い、といったことも含めてのネーミングだったのではないかと思われた。そこまでの寺から次の寺までの区間距離は10番→11番で9.3km<2時間40分 へんろみち保存協力会編‘四国遍路ひとり歩き同行二人’参照>という例外もあるが、それ以外は長くて5km強、時間にしても1時間強で、それもほとんどは平地歩きだったところ、それがこの11番からは完全な山道になって、距離にして13km 時間はだいたい6時間くらいかかるとのことだったから(また、この区間、途中に宿がなかったから)、少なくともこ区間一日をかけても歩き通してしまう覚悟が必要とされたのであった。

 だからわたしも躊躇っていた、というわけではなかったが、これまでの変則区切りうちでたまたまこ区間は残ってしまっていた。それでも、逆にいうと同程度の難所を数か所すでに歩き終えていたので、それほど恐るるに足りず、という想いはあった。いずれにしろ山歩きにはある程度自信はあったといえ、近年の体力の衰えが著しかったので早目にクリアしてしまうに越したことはないと、少し焦り気味ではあった。で、たまたま(わがguest houseの)予約が全くなかった5月下旬、一週間の予定で5回目の変則区切りうちにでかけたのだった。

 かなり突然の思い付きだったので、今回はいつものjet starの格安ticketは手配しなかった。いわゆる早割でなくともjet star 成田~高松の航空券は6000円くらいで手に入ったと思うが、今回はあえて東京→徳島の夜行バスを考えていた。わたしはこれまで基本的に歩きを主体とした区切りうちで四国を回っていたが、純粋歩き遍路でなく、時々公共交通機関も利用するという、ま、軟弱歩き遍路だったから、このときも、前回打ち終わったところから歩くという本来の区切りうちのやり方を遵守していなかった。さらに、今回打ち初めの11番藤井寺の最寄り駅までは、公共交通機関を利用するつもりでいた。そういった型破り勝手流変則区切りうちが、評価・承認されることはないのは承知、生き方と同じで自己流・自己満足型でしかなかったが、それでも何とかカッコはつけようと必死ではあった(多分この辺りがわたしの本質で、要はカッコだけ、カッコつけ<うわべだけ・偽もの>、わかっていても今更である‥)。さて、そうすると藤井寺の最寄り駅はJR徳島線鴨島駅で、そこへ早朝に着くには徳島駅発7時前後の列車が望ましく、それに乗るには前日に駅近のビジネスホテルに泊まるか、あるいは夜行バスで朝着くか、前者だとjet star利用でも、交通費(飛行機代、成田までの電車賃、高松からの高速バス代)宿泊費入れて13000円~14000円というところだったと思う。一方高速夜行バスは、これもデラックスシート利用だと10000円を超えたと思うが、わたしが予約したときはまだ多少の早割がきいて、4列シートの最も安い席が6000円だったから迷うことがなかった。こうして東京駅八重洲口発21:10のドリーム徳島号を利用して四国に向かったのは5月25日のことだった。

 JRのバスは近年利用したことがなく、そもそも夜行バスそのものが昨年の高松→東京DL以来で(この時は琴電バス?)、そのときも最近の夜行バスの進化に驚いていたのだけれど、結論からいうと値段の割には満足度は高かった。ひとつには競争の激化にともなって比較的すいていたからか、隣に相客がおらず、二人分のシートが使え、ぐっすりとはいえないまでも少しは眠ったようであったからだ。目が覚めた時は淡路島を走行中で小雨模様、予想どおりとはいえ、こればかりはどうしようもなかった。徳島駅着が予定より10分早く6:30だったので、6:48発の特急剣山1号には余裕だった。ちょっと心配だったのはこれに乗れるかで、多少ともバスの遅延があれば、次の各駅が7:21発で、それだと鴨島到着が8:10になって、その前の特急より遅れること1時間後となり、この1時間はそのあとにかなり影響すると思われたので、この特急券330円は、いつもなら敬遠するところこの時は決して無駄には思われなかった(もちろんその辺は事前に調べてあった)。おかげで鴨島着が7:05で、駅のコンビニで両替を兼ね缶コーヒーを買って歩きだしたのが7:10だった。

東京駅八重洲口高速バス乗り場、写真がドリーム徳島号Img_3018_640x480

JR徳島線鴨島駅(単なる証拠写真として)Img_3021_640x480


 駅前に案内板もあったが、藤井寺までの道順を示す地図のコピーを持っていた。それによると徒歩で35分、紛らわしいところも少なく、人通りの少ない駅前商店街を抜け、山のほうを目指す。ありがたいことに空模様はしばらくもちそうだった。7:45、まさに35分かかって藤井寺着。手前の駐車場には何台かの車が停まっており、外人さんのグループの姿も目に入った。それほど広くはない境内に上がってベンチを探し、一作業をしなければならなかった。そこまでわたしは私服で来ていたので、そこで遍路装束に着替える必要があったのだ。幸いに参詣者は朝が早かったからか少なく、それほど目立たずに準備を整え、参拝を済ませることができた。御朱印をいただいから簡単な朝食をとっていると団体さんが現れ、その後方にいた人から声をかけられた。わたしはその人がてっきり団体さんの一人かと思って話し始めたら、なんとその人は車遍路さんだったが、一人で回っているとのこと、団体さんが終わってからお参りしようと思って、わたしに声をかけてくれたとのことだった。同じ関東の宇都宮の人で、年齢も近そうだったので、しばらく遍路話に花が咲いた。その彼に気を付けて、と本堂のわきの12番焼山寺と書かれた案内板のところで送られて、山道を歩きだしたのが8時半だった。いきなり本格的な山道が始まったが、傾斜がそれほどきついわけでなかったから、ま、快調な山歩きとなった。歩きだしてすぐに、先に駐車場で目にしていた外人さんのグループを追い越す。4人グループで先頭にいた同年代のおっさんに、今日はどちらまで?と、まったく違和感のない日本語で声をかけられて少々驚きつつ、焼山寺までと答えると、自分たちもそこまで行くつもりだとの返事、ではそこでまた会いましょうと、悔しいから英語でいって、先にいかせてもらった。それから先は焼山寺まで一人に追い越されたが、わたしが追い越した人はなかった。ある程度まで登ると道はほとんど平たんに近い山道となって、展望のきく休憩所なんかもあったが、休むには少し早すぎたので歩き続けた。ところが、その先に適当な休憩場所はなく、1時間歩き続けて、どこかで休もうと思っているうちに、適当な場所が見つけられず長戸庵というところまで行ってしまった。そこまで3.2km 1時間15分かかっていた。ここはお堂があってベンチがあったので小休止、参拝して休んでいると、歩き遍路さんが一人追いついてきた。挨拶は交わしたが、熱心に経を上げだしたので、話す間もなく先行させてもらった。そこから次のポイントの柳水庵までは3.4km、多少のアップダウンがあって決して楽な道ではなかったが休みなしで歩く。途中で、たぶん長戸庵であった人とは別の人と思われたが、えらく足の速い人に追いつかれ道を譲る。その人とは10分後くらいに柳水庵で少し話をすることができた。話した内容は覚えていないが言葉から関西の人のようだった。相当熱心な行者さんのような人で、参拝の仕方がわたしのような素人のものではなかった。長戸庵~柳水庵3.4kmはわたしの足でちょうど一時間かかっていた。

11番藤井寺;5枚Img_3022_640x480山門

Img_3023_640x480この階段を上がった左側にベンチがあった


Img_3024_640x480正面が本堂

Img_3026_640x480大師堂Img_3025_640x480本堂の左に大師像があり、その奥が焼山寺の道

Img_3028_640x480ところどころ見晴らしの良いところあり、、

長戸庵;2枚Img_3030_640x480Img_3031_640x480

長戸庵~柳水庵の好展望のところ、他はほとんど展望はきかなかったImg_3032_640x480

柳水庵;2枚
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 柳水庵にはトイレがあって、少しゆっくりするというのでそこからはわたしがまた先行した。いったん車道<245号>をわたり少し登り気味の広い道を行く。30分くらいで車の通れる林道を越えたあたりから傾斜がきつくなった。そんな山道を下ってくる人があり、普通の格好だったので、不思議に思いながら逆打ちですか、と聞いてみると地元の人とのことだった。つづら折りの道が続き、息も絶え絶えになりつつも山林の頭上に切れ間が見えてきたので、峠も近いと最後の力を振り絞っていると突然石段が表れた。その石段を見上げた時、ちょっとした感動に襲われる。階段の先で大きな大師像が迎えてくれたのである。そこが浄蓮庵というところだった。ちょうどその時、先の行者風お遍路さんもそこに到着した。柳水庵~浄蓮庵は2.2km わたしの足で45分かかったが、わたしにはこの区間が最もきつく思えた。浄蓮庵到着がちょうど12時だったから藤井寺からそこまで3時間半かかっていた。そこでわたしは昼食休憩をとることにし、その旨伝え彼とはそこで別れた。昼食をとって20分後に出発したが、そのあと彼の姿を焼山寺でも見かけなかったから、一体その日はどこまで行ったのだろうか?、大荷物を持っての遍路行でもなさそうであったから、ちょっと不思議な、それにしても健脚かつ熱心・まっとうなお遍路さんだった。

柳水庵を出るとすぐに245号線Img_3036_640x480の車道を横切る、そこの道しるべImg_3035_640x480

一山越えるともっと細い林道にで、そこも横切って山道は続くImg_3037_640x480

浄蓮庵5枚;Img_3038_640x480きつい山道を登っていくと石段が出てきて見上げると、お大師様が迎えてくれる感動的な場所Img_3039_480x640Img_3042_640x480この大師像の大きさにはびっくりさせられる、その後ろに立つ杉の大木にも驚嘆 ! !Img_3041_480x640

その傍らに古びたお堂、その左にも朽ちかけそうな堂宇があってそこで昼食休憩とした
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 12時半に浄蓮庵を発ち、そこからはずっと下って30分くらいで左右内の村落に着くも、左右内谷川にかかる橋がわかりづらく、少し迷ってしまった。橋を渡ると最後の登り返しとなる。地図によると標高差300m、焼山寺まで約2.5kmだったから、1時間の登りを覚悟し、最後の気力を振り絞るも15分くらいの急登でもう息が上がってしまった。だらしなく5分休んでまた登りだす、次の15分で車道にでた。いいあんばいにそこにはベンチがあって、また小休止となった。しかし、ありがたいことにそこには焼山寺まであと1kmという案内板があって、そこからはずっと傾斜が緩やかな、その車道をいくらしいことがわかった。難所は越えたようだった。一休みして最後の区間は比較的楽な15分となった。が、やっとたどり着いたと思った焼山寺入り口には駐車場があっただけで、本当の山門はさらに10分ほど上にあったのだった。境内に着いたのが14:25頃だったから、11番藤井寺から途中休みを入れてのちょうど6時間だった。

山の深さが伝わってくる山門下、しかしその参道は手入れが行き届き、奉納された仏像等で埋め尽くされていた、、Img_3048_640x480

さらにこの石段を登って境内へImg_3047_640x480

やっとたどり着いた山門Img_3049_640x480

 疲れ切っていただけでなく、小雨がぱらつきだしてきた。どこか荷を置くところを探し、茶店があるのを見つけ、荷を置かせてもらえないかとそこの女の子に頼んだ。と、そこに先着してお茶を飲んでいた外人グループ4人のうちの男性二人がいて、お疲れさまと挨拶してくれた。あれっ?という顔のわたしを見て、達者な日本語で柳水庵からはタクシーを使いました、と説明してくれた。わたしはそれはよかった、そのほうが賢明だったと思う、と英語で答えた。二人の女性は歩いて向かっている、とのことだった。わたしが参拝している間に、その茶屋は閉店になって、その後彼らと顔を合わせることはなかったが(彼らは焼山寺に宿をとっていたので、たぶん宿坊に引き上げたようだった)、わたしが参拝を終えて石段を下っているときに雨装束でずぶ濡れになって参道の石段を登ってくる片割れの二人の外人女性と会うことになった。何とも女性の強さが印象に残る外人さんグループであった。

焼山寺境内;4枚Img_3050_640x480Img_3051_640x480Img_3054_640x480Img_3053_640x480


 さて、一通り参拝を終え、閉まりかけの茶店の女の子に詫びて荷物をとって納経所にいく。そこの住職さんか、事務僧?さんかはわかりかねたが中年の男性から優しく声をかけられ、歩きですかと聞かれたついで、余計なことをいってしまった。ほんとは焼山寺に泊まりたかったのだけれどいっぱいで断られたと、、そしたら、宿坊のことはわからないが、それはすみませんでしたと丁寧に謝られてしまった。その納経所の一角が休憩所にもなっていたから、そこで雨支度をしていると、今日はどこに泊まるのかと、こんどは一見してベテラン遍路さんとわかるおじさん(たぶん同年代)に声をかけられる。そこでもまた、焼山寺がいっぱいだったので下のすだち館を予約してあるというと、車で一緒にいくかと聞かれる。いってることがよくわからず、わたしはこう解釈してしまった。つまり、その人は車で回っていて、やはりすだち館に宿泊するので自分の車に乗せていってあげる、ということかな、と、、しかし実際はそうではなかったことが後でわかるのだが、そのときはよく理解できなかったのと、まだ元気だったこと、あとは下りで1時間もあればそこまで着けそうだったこともあって、その申し出を断り、その代わりすだち館までの行き方を教えてもらって、ひとり雨の中を下り始めた。そのときに先にいった外国人女性二人にあったのだけれど、そのときは3時を回ったころだったと思う。すだち館までは3.5km、そのほとんどは山道の遍路道で、だれとも会うことはなかった。途中衛門三郎伝説で有名な杖杉庵というところがあったが、そこも雨でゆっくり参拝できず、写真だけ撮って、なおも滑りやすい遍路道を下っていく。一度だけ滑ってしりもちをついたが、ちょうど1時間ですだち館到着、雨具を身につけていたとはいえ、そのときはすでに全身びしょ濡れで、できればすぐにでも風呂に入りたいと思っていた。実はわたしは、このすだち館という宿がどういうところかよくわかってなかったのだが、そこに着くなり、まだ若いおカアさん(実際はわたしとそれほど違わないようなことを後で聞く)に風呂に連れていくからと着替えだけ持っていくようにといわれ、よくわからないまま荷物をその場に置きっぱなしにして、やってきた軽自動車に乗り込んだ。その軽自動車には浴衣姿の先客が一人乗っていた。なんと、その人が焼山寺で声をかけてくれ、ここまでの道を教えてくれたおじさんだった。

雨の杖杉庵;3枚Img_3058_640x480Img_3057_640x480Img_3056_640x480

<つづく>