独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

4回目の四国<変則区切りうち> その1, 初日87番→88番、結願に非ず、、

 4回目の四国へ飛んだのは4月22日だった。去年の11月以来5ヶ月ぶり、区切りうちをしているので、当然まだ1/3くらい残っていた。それほど急いでいるわけでもなく、かといって忙しさにかまけていたら(他で書いてるようにこの時期、ゲストハウス独歩亭の立ち上げで、珍しく少し忙しかった)いつになったら続きが打てるかもどかしくなって、ようやくその気になったのが4月に入ってからであった。ゲストハウスのほうは、形だけは2月にスタートしたが、宣伝媒体等がまだ未完成・不十分だったので、2月のゲストはゼロだった。それでも3月に入ると少しづつ泊まってくれる方がでてきて、やり方がわかってきたというか感触がつかめてきた。で、いくつか学んだことがあって、お遍路とは関係ないことだが、この場を借りて書いておくと、ま、当初はあるサイトに登録したのでお客さんは自動的にどんどん来てくれる、と思っていたのだけれど、当然そんなのはとらぬ狸の皮算用で、そんな甘いものではないことを、ま、最初の一か月で味あわされた、といことであった。それと、いくら駅から近いとはいえ、千葉という立地が観光客にとっては目ぼしい見どころもなく(外国人観光客は)皆素通りしていくことも知ることになる。そんなこともあって路線変更というか、当初の甘い見通しを大幅に下方修正して、まったくの暇つぶしなのだから、お客さんが月に4~5組でも来ていただければ御の字と、思うようになったのだ。つまり最初は商売になるかと始めたのだが、そうは問屋は卸してくれなかった、ということだった。

 ま、そう意味では、だからお遍路にいく気になった、でかける時間が取れるかもしれないと思うようになった、ということで、きっかけはそこにあったということになる。で、4月は3月に比べて移動の少ない時期で、何人かの予約は入っていたが、これ以上は見込めないだろうと予測をつけ、その時点で予約の入ってない日といつも四国に行く時に利用しているLCC jet starのお買い得ticketがでている日で探してみて、最終的に4月22日~25日という日取りを決める。すでに区切りうちでやってきているので、何回になるかわからないが、行けるときに行ってできるだけまわる方針だったから、もちろん長く日数が取れればそれに越したことはないが、ま、諸事情から今回は4日間とするしかなかった。一つには22日までと27日からのお客さんが確定していたからであった。で、でかける前に、一応22日と23日の宿の予約は入れておいた。今回の予定は、区切りうちでも、そう呼んでよければ‘変則区切りうち’といったもので、そもそもが初めから逆打ちしたり、次は順打ちだったり、途中を飛ばしたりと、いくら何でもアリとはいえ、オーソリティからは眉をしかめられかねない無茶苦茶な打ち方をしていて、わたしのまわり方は最初から変則だったのだが、今回4日間の予定は87→88→10→1というものだった。

 ということで前回までの3回の四国歩きで、回る順序はともかくとして31番~86番を打ち終えていた(恥ずかしながら何回か公共交通機関を使っている)。正式な区切りうちは前回打ち終えたところから歩きだす、というものらしかったが、そんな厳格さを持ち合わせないわたしは、なるべく楽しようという安易さが優先し、まず向かったのが87番長尾寺、それも歩いてではなかった。先にいつも利用しているjet starの安いticketをまず探した、と記したが、この朝のフライト成田発8:10、高松着9:35のticketは通常より1000円安い、最安値?3990円だった(帰り便も同額、ただし手数料その他でトータルは4800円になったが)。高松空港はすでに何度か利用していて、そこから長尾寺までは二つのルートが考えられた。いずれも空港リムジンを使ってであるが、①空港→琴電瓦町→琴電長尾寺②空港→空港通り一ノ宮→琴電長尾寺で、要は琴電にどこで乗り換えるのが早くて安くて便利か、という問題であった。で、その答えはどちらが正解だったかわからないが(結果的には①か?、①のほうが少し高いが)、わたしは②を選択していた。空港発9:55のバスは10分ほどで前回打ち止め(83番)してそこからバスに乗った、空港通り一ノ宮のバス停に着いたが、駅までは少し歩いたのと次の電車が10:24だったので、瓦町乗換えで琴電長尾寺着は11:30になった。①の場合、瓦町までのバス代が260円高かったが、20分おきの琴電長尾線の一本前の電車に乗れた可能性があって(確証はない)、それだと20分早くつけて、最終的にその20分で、88番大窪寺の納経時間に間にあったかもしれなかったのだが、その結果が後々に大きく影響するということはなかった。が、まぁこの辺はタイミングの問題で、何とも微妙なところではあった。

高松空港Img_2628_640x480

琴電空港通り駅Img_2630_640x480

琴電長尾寺Img_2632_640x480


 さて、琴電の終着駅長尾寺で降りて、時間的にどこかあれば昼食をと思っていたが、あいにくそんなところを見つけられず、そのまま5分ほどで長尾寺についてしまった。境内にお休みどころがあったので、そこで平服から遍路装束に着替えさせてもらった。やはり何ヶ月ぶりかで最初は手順に戸惑う、30分くらいの参詣で、ちょうど12時ころに88番大窪寺に向かって歩きだした。大窪寺は山の中と聞いていて、その日は4~5時間の山登りを覚悟していた。ま、それでもガイドブックには15km,4時間半とでていたので、その時間の出発なら16時半頃には着けるだろう、当然納経時間に間にあうだろうとは思っていた。が、その日は最初っから少し迷い気味であった。最初は街中の大通りを南に行くのだが、すでにその道が一本間違ってしまったようで、いくらいっても遍路マークが出てこなかったのだ。それでも平行に走っている大通りだったので大きなロスにはならず、30分後に正しい道にでた。そこは鴨部川という小さな川を渡って車道を外れ、その川沿いをいく旧遍路道だった。途中に何ヶ所か御大師様ゆかりの地があった。ちょうど歩き始めて1時間くらいたったあたりが、また紛らわしいところだった。いつものように頼りにしていたのはへんろみち保存協力会篇の、歩きお遍路のバイブルといわれている‘四国遍路ひとり歩き同行二人’の地図編であったが、時々わかりずらいところがでてくるのだ。しかしあとから思えばそれはそのガイドブックのせいともいいかねることだった、、というのもそこは長尾寺から4kmほどいった前山ダムの手前あたりのところで、ルートは直進と左に行く道と二つあって、どっちにいったほうがいいのかわからなかった、ということだったのだから‥。ところがよく見るとその先も、つまり87番長尾寺→88番大窪寺に向かう道はなんと3本もあったことをその時になって初めて気づくのだ。いや、それはそのあと知ることになるのだが、実際は5本の道があったのである。で、最初に迷ったところで地元の人に聞いてとりあえず直進してみた。しばらく行くと前山ダムというのがあって、そのダム湖湖畔に道の駅や、お遍路交流サロンという資料館がある、と教えてくれたからである。が、そこへ着く前に前山ダム湖畔にでた時、そこに歩き遍路用の手書きの案内板があって、たしかに五つくらいいのルート表示がしてあって、それぞれのコースタイムが書かれてあった。正直のところ、それをみてもどのコースを行けば一番楽かは判断できなかった。というのも、あとから気づくのだけれどわたしはガイドブックの地図を最後まで見誤っていたのである。いわゆる地図は平面図である、2次元しかあらわしていない。図から、凹凸、つまり高さは色で区別はしているものの、(恥ずかしい話地理学科出身なのに)その読み取りが容易ではなく、ついつい平面上の距離が短いほうが近いと思ってしまったのだ。ところがその案内板では距離が短いほうが時間がかかっていた。それによるとそれは女体山経由で、大回りしていく道より30分以上時間がかかるとのことだった。さらなる誤解は、88番大窪寺は、60番お66番のように山の上にあるものと思い込んでいたことで、いずれの道をいったとしても最後は山登りとなるので、それなら距離が短いほうが時間的に早いのでは、という思い込みが女体山の頂上に立つまで抜けずにいたのだ。で、結局距離の短い女体山経由を選択してしまったのだった。ま、それでもダムの堰堤を行く北側の山道をいかなかったのは、知らなかったとはいえ最悪の選択は免れたようだった。その道はその五つのルートの中で最も厳しく時間のかかるものだったことを後から知るのであった。

87番長尾寺:3枚Img_2635_640x480Img_2636_640x480Img_2637_640x480

30分くらい歩くと旧遍路道が出てきたImg_2639_640x480

その道沿いにあった一心庵(札所ではない)Img_2640_640x480

 そこから数百メートルいった左側、ダムサイトにお遍路交流サロンはあったが、閉まっているようだったので寄らなかった。その日の宿八十窪の婆さんから、そこによれば歩き遍路さんにはDVDかなんかのお土産をくれるとの話を次の日聞いたが、何の情報も持ってなかったから、それはしょうがなかった(もっともそこによっていれば山越えせずに済んだかもしれなかったが)。その前が道の駅で、腹ごしらえと思ったが、弁当もおにぎりも販売されてなかった。で、そのまま車道を歩き続けて、途中から多和神社、女体山経由という道に入っていった。その道も細くはあったが舗道であった。その分岐から多和神社まで、人も車の行き来も全くない、ゆるい傾斜の道を休まず歩く。多和神社14:10、少々休憩、そこまで長尾寺からほとんど休みを取らずに歩き続けていた。そこから地図にあった太郎兵衛館跡というところまで、緩やかな車道の登りで40分、さらに行くと車道から右手に登っていく山道があり、そこを行く。15分くらいでまた車道にでて、そこでまた5分休憩。だいぶ登ったようだった。少し車道を行くとまた山道があり、どうやら女体山への最後の登りのようだった。が、ここからの登りにそれほど難儀するとは思ってもいなかったのだ。わたしはかなり軽く考えていたのだけれど、上へ行けばいくほど、まるで修験の山を思わせる険しさで、危険箇所も何ヶ所かあった。そんな険しい山登りを30分、ようやく女体山の頂上についたのだが、そのときすでに16時になっていたのだ。そこに至ってようやく、この女体山経由のルートがかなりきつく時間もかかるということが、わかったのだった。それでもまだ本当の誤解は解けてなかった。つまり、ここからが大窪寺への最後の登りが始まるとばかり思っていたのだが、その頂上からさらなる高みは見渡せず、道はそこから一気に下り始めたのだった。そして車道を横切ったが、その時みた案内板でようやく事の真相をつかんだのだった。そう、大窪寺はこの道というか、この山<女体山>を下ったところにあることを知ることとなった。そういうことだったのか、遅すぎたとはいえ、その時すべてを理解したのだ。つまり距離が長くても時間がかからなかったのは、この山の周辺を回る車道をいったからで、登り下りのほとんどない道、ということだったのだ。一方女体山経由というのは、距離は短くても5~600mほどの登山、しかも相当厳しい山登りを強いられる道だったのだ。いや、それは登りだけでなく、下りも相当傾斜のきつい道だった。だから女体山頂上から大窪寺まで、距離的には1.5kmくらいだったが、疲れもあって途中休憩しながら下っていったら、なんと納経時間に間にあわなくなってしまったのだった。大窪寺着16:55、参拝と御朱印は明日朝ということにし、写真を撮ってから、大窪寺すぐ下の予約してあった民宿八十窪に赴く。婆さんから遅かったねぇといわれ、それでも参拝できなかったというと呆れられてしまった。さらに、普通はみんなこの88番が最後の寺で結願となるのだが、わたしの場合御朱印をいただけたとしても、結願ではないというとさらに呆れられてしまった。

左がお遍路交流サロン、右手奥に道の駅Img_2641_640x480

前山ダム湖Img_2643_640x480

多和神社Img_2645_640x480

太郎兵衛館跡?Img_2647_640x480

最初の山道を登りきったところ、右に車道が通っているImg_2648_640x480

女体山頂上直下からの眺め:2枚Img_2652_640x480Img_2651_640x480

頂上直下に祠があったImg_2650_640x480

実際の頂上Img_2653_640x480

頂上から200mくらい下ったところの休憩所Img_2654_640x480

大窪寺はさらに150m下ったところ、この休憩所の真下に見えた
Img_2655_640x480_2

納経時間には間にあわなかったが、仁王門だけ写す
Img_2656_640x480_2

満月?月のきれいな夜だった、、Img_2659_640x480_2


 ともあれ、88番そばには宿泊施設はここしかなく、たぶんこの名物婆さんと何やらオリンピックの選手だった娘さんが切り盛りするこの宿も、連日満員状態のようで、それでいて驕ることのない客対応は、その昔から修業を積んでるこの婆さんあってのものと思われた。その日の客はわたしを入れて5人だったが、わたし以外は皆さん結願されたようで晴れやかなお顔が並んでいた。彼らもきっとうまい酒となったであろうが、結願に至っていなくても格別にうまいビールだった。料理がよかったのでビール一本では足りなくなるのであった、、