独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 10, サンホセ San Jose/Flores~グアテ市・アンティグア

 前々回に話したことだが、INGUATからreinokan travelまではほんの100mくらいだった。そのレイノカントラベルのすぐ後ろにホテル・レガリート(El Regalito 小さな贈り物?)はあった。名前はかわいいが、フローレス島でもっとも安いボロ宿であった。なにしろ部屋はなくドミの大部屋に二段ベッドが2×4×2で16床(2年前に泊まったときは、もう一部屋あったから、32床だったかも知れない)という、しかも客がわたしのほかに一人以上いたためしがないという宿だった。それは承知だったし、しかもオーナーが代わっていることも前回顔をだした時に知ったのだが、そのときはそこに泊まるつもりではなかったことは前に書いた通りであった。ワシャクトンからの帰り道、午前中にフローレスに着いて、その夜のバスでフローレスを去るつもりでいたので、半日をどうするか考えていた。そのとき閃いたのが、数日前に偶々寄ったその宿のことで、もしかしたらそこは利用価値があるかもしれないと思ったのであった。で、とりあえずINGUATをでたわたしは、そのままそこへ直行した。前回顔をだしたときの女性が出てきて、ま、二日前だったから覚えていてくれたようで、怪訝そうな顔でわたしを見た。わたしはこう切り出した。二日前に来たとき、あなたは一泊35Qといっていたけど、30Qで今夜8時までいさせてくれないか?、それもほとんど外出する予定なので荷を置かせてもらうだけだ。ただ、トイレとシャワーは使わせてもらうが‥、、これは彼女にとって悪い話ではなかったと思う。何しろそこに宿泊する客なんて、まず期待できなかったのだし、その日もお客がいそうにはなかった。で、この交渉は成立したのだった。要はわたしは荷物の置き場と仮眠の場所として9時間30Qで借りたということだった。案の定他に客はおらず、何の気兼ねもなく自由にそこを使えることになったのである。まず、シャワーを使わせてもらって着替えをし、荷物の整理をする。そして、ま、いずれもロクでもないものしか入ってないから鍵なんか必要なかったが、せっかくもってきたプラスティックの鎖で一応バッグをベッドに括り付けて、ほとんど空身になってその宿を出た。行き先は例の旧のバスターミナルであった。旧は新より少しばかり近かったし、ほとんど荷がなかったからそのときは歩いた。昼の1時頃には着いていたと思う。で、そこからどこに行こうとしていたか‥??

 夜のバスは11時発だったから、たっぷり10時間くらい、時間を潰さねばならなかった。フローレス市内及び近郊で金のかからない観光スポットはすでになかったし、いってみたいと思うような場所も数日前までは特になかった。もちろんホテルEl Regalitoのベッドで休んでいてもかまわなかったが、それほど疲れてもいなかった。で、数日前(いや、ほんの二日前のことだった)に聞いたところに行ってみることにしたのだ。わたしは二日前に旧バスターミナルでワシャクトンへ行くバス乗り場を探していたときに、そこはほとんどコレクティボの乗り場だったと前に記したと思うが、10台近く停まっていたコレクティポのうち一ヶ所だけわたしの知らない場所の呼び込みをしているのを聞いたのだった。で、それってどこだとその呼び込みに聞いてみた。その場所というのはサンアンドレス<San Andres>とサンホセ<San Jose>というところだった。そのときの説明によると、それらはペテン・イッツァ<Peten Itza>湖沿岸にあって、ちょうどフローレスの対岸に当たるあたり、San Andresは30分ほどで、San JoseはSan Andresから5分とのことだった。その場所は知らなかった(あとでそこを通ったときに思い出したのだが、San Andresは以前通ったことがあったのだが)。なんか意外と近そうなのに知らなかったので興味を覚え、機会があればいってみようとそのとき思ったのだが、この日のことを想定していたわけではなかった。ことの成り行きは、そうそう思うとおりにはならないのは、ワシャクトンの例を見るまでもなくいつものことだったからである。しかし、ある意味、そのとき面白そうと感じた直感は当たったといえたかもしれなかった。

 他のコレクティボと同じように、San Andres,San Jose行きのコレクティボも20~30分おきにでていたので、ほとんど待たずに車はでた。そのときの呼び込み兼車掌にもSan Joseまで行きたいが、それがどこなのかしらないので着いたら教えてほしいと頼んで、いわれるまま8Q払う。フローレスの街からは、ティカル方面とは逆方向(時計回り)を湖沿いに行く。しばらく走ってその道は一度通ったことがあるのを思い出していた。そう、San AndresというところはEl Miradorへの4泊5日のジャングルツアーのときに通っていたのだ。で、そこはEl Miradorの拠点となる村Carmelitaへの道とSan Joseへの道との分岐となっているところで、小さな街だったがコレクティボの乗客の大半はそこで降りた。そこからは坂を下ってほんの5分、湖沿いの公園あたりで、そこがSan Joseの中心だったのか、ここがSan Joseだとその車掌が教えてくれた。その車はいったいどこまで行くのかよくわからなかったが、わたしを降ろすと湖沿いの道をさらに先に向かって走り去った。そこからの湖の眺めはSan Andresより全然よくて、ここにレストランでもあれば最高だと思って、その周りを探す。確かに何軒かそれらしい店はあったが、昼食時をはずしていたので、やっているのかどうか?、また眺めもいまいちで納得行くところが見つからない。少しぶらついて、ちょっと高そうなレストランを見つける。しかも2Fからの眺めはよさそうだった。珍しく躊躇せずにそこに決め、絶対ペスカド(pescado;魚)を食べようと階段を登る。ほとんど客のいない店内の一番眺めのいい席に座って、店のオヤジと交渉、ペスカドは大きさによって値段が違うことは承知していたし、それなりの相場も知っていたが、久しぶりのレストランだ、覚悟していくら?と聞いてみる。今ある魚だと60~70Qとのことだった。それを一番小さいのでいいから50Qにしてくれと交渉してみると、あっさりOKしてくれ、では、それとビールをくださいとお願いした。San Joseに着いたのが2時頃だったか?すでに昼飯時をだいぶ過ぎてはいたが、わたしにしては久しぶりのリッチな昼食となった。

ここがSan Joseといわれて降りたあたり、、Img_0626_640x480

しばらくうろついて写真左のレストランを見つける、、Img_0630_640x480

ペスカドフリトとビールで昼食Img_0627_640x480


 いや、フローレスなんかより全然いいところだった。何がいいって、こののんびり加減。同じペテンイッツァ湖を見ているとは思えないほど、時間がゆっくり流れていて、その分湖も美しく感じられた。ツーリストは皆無であった。地元の人には知れたところだったかもしれないが、観光客でこの地を知っている人はまずいなかった。ところが一人でビールとペスカドフリト(魚フライ、グアテマラのレストランでの魚の調理法はこれしかない)に舌鼓をうっていると、どうみても欧米系の30代とおぼしき男性が挨拶にきた。ま、魚うまいか?って感じで声をかけてきて、わたしもビールを飲んでていい気分だったからそれに応じた。この男はここが気に入って住みついてしまったといっていた。どうやらその店の常連さんのようだった。アメリカ人で、そこからすぐのところに部屋を借りてパソコンで商売<ビジネス>をしているといっていたが、おそらく半分くらいはここで遊んでいる風にしか見えなかった。しかし、それができるところなのである。なかなか見る目があるというか、いいところを見つけたな、と思った。要するに発想はわたしのサンペドロ定住計画と同じだったのだ。すぐに親しくなって、名前を名乗りあってしばらくおしゃべりし、食事のあと湖岸を案内してくれ、その近くの彼の賃貸しの部屋も見せてくれた。月に900Qでは安すぎるくらい、いい部屋だった。

 そういう意味では、ここはフローレスの穴場であったかもしれない。こんなところがあったのか、という新しい発見とうまい食事に満足し、少しぶらついたあとアメリカ人メモ氏と別れ、せっかくだからSan Andresも見ておこうと車で5分だったところを歩きだした。ところがそれがほとんど登り坂で、おまけにえらく暑かった。たぶん30分はかかったと思う。San Andresについたときは疲れきっていた。ま、San JoseもSan Andresも歩いてみて周るほどの街ではなかったのだが、すでに気力をなくしていて、やってきたコレクティボをつかまえて、そのままフローレスに戻った。しかしそのコレクティボはどういうわけか旧ターミナルへは行かず新ターミナル止まりだった。新ターミナルから宿までも歩く気になれず、そこからはトゥクトゥクを使ってしまった。宿に着いたときは、それでも夕方6時近かったか?ありがたいことに横になれるベッドを使えたのでそのまま仮眠となった。眠れたわけではなかったが疲れはとれ、それ以上いてもしようがないと思って19:30に礼をいってcheck out?した。ところが予定より30分早く出たことが、いわゆる‘三文の得’になろうとは、そのとき思ってもいないことだった。

San Joseの桟橋から湖岸を望む。Img_0628_640x480

San Andresのコレクティポターミナル。Img_0631_640x480


 大荷物を持ってのことだから、当然トゥクトゥクをつかまえようとしたが、そういうときはなかなか来ないものだ。大通りまで出ると一台やってきて停まってくれた。が、そこには先客がいた。ところが、その客がかまわないから乗れといっている。ありがたく便乗させてもらって礼をいうと、その男性は英国人のツーリストだといった。そのあと少し話したが、ほとんど聞き取れなかった。その彼はレジェノ橋を渡って少しいったところのホテルで降り、自分の分を払って別れ際になんか言って去っていったが、それも何をいったのかよくわからなかった。しかし、どうやらそのことかと、そのすぐあとで理解することになった。それはわたしが新ターミナルで降りるとき自分の分5Q払ったら、そのドライバーはあと5Q払えといってきた。そんなばかな!?といって拒否したが、なにやらトゥクトゥクは8時以降は営業できないようなことをいっていたのだった。それは初耳だったし、そのときはまだ8時にはなっていなかったと思う。なんかそんなんで少し上乗せしろというようなことだったと思うが、いわれてみると、そのあと確かにトゥクトゥクの姿は見かけなくなったのであった。もしそういう規制が新たに設けられたのだとすると、わたしはその英国人(彼はそれをしっていて、わたしの乗せてくれたのだとわかったが、どうも彼はそのことを言っていたのだ)にもっと感謝しなければならなかったし、早めのcheck out が知らずに効を奏したということのようだった。で、新ターミナルの待合室(そんなものはなく、ただ椅子はあった)で待つつもりでいたがticket購入時に荷物は預かってくれると聞いていたので、まず、それを預けて例のターミナル脇の屋台村に出向きそこで夕食をとる。それでもそのあと2時間ほどはその椅子で、ま、特に何をするわけでもなくボケーとしながら時を待つ。10時半にやっと乗車可能になり定刻に満員のバスはフローレスを発った。この手のバスは普通客席数以上人は乗せないが、少しは眠ったのか、気づいたときは通路も埋まっていた。思っていたよりも早く、朝の6時ころには北バスターミナル<Central Norte>を通過、どういうわけかそこへは寄らず(バスによって違うようだ)、そのあたりからはすでに始まっていたグアテ市の渋滞にのみ込まれていった。せいぜい時速5~10kmくらいでしか進まず、延々2時間もかかって見覚えのあるRapidos del Sur社の倉庫のようなターミナルに7:45に着いた。わたしはグアテ市もそのバスターミナルの場所もよく知っていたから問題なかったが、初めての人には、それがCentral Norteの北バスターミナルだったとしても、市内の各社のターミナルに着いたとしても、そこからアンティグアへ向かうのは至難のワザに思われる。以前書いたこととは異なる発言になるかもしれないが、フローレス~アンティグア間をバス移動する場合は、多少高くともシャトルバス利用が無難に思う。ひとつには、グアテ市の治安の悪さ、もひとつは乗り換えのわかりにくさ、めんどくささ、難しさ(セントラルノルテからだと少なくとも3回の乗換えを要する)にあって、わたしはそこがプラザ・バリオス<Plaza Barrios>に近かかったこと、プラザ・バリオスからはメトロバスでトレポル<Trebol>のひとつ手前サンタセシリア<Santa Cecilia>までいって、アンティグア行きのバスに乗りかえる行き方(その方法はもうひとつあって赤バス32か37で行く手もあり)を知っていたからできるのであって、それだとかなり安くつくのだが(これは逆も同じ)決して勧められる方法ではなかった。わたしはそのときそのRapidos del Surのオフィスがグアテ市のINGUATに近かったのと、ちょうどオープンの時間だったので、いったんINGUATに寄り道した。新しい地図といくつかの情報をもらい、そこのベテラン女性と少し話をして、前日はフローレスのINGUATのおじさんに世話になったことを話すと、彼女は彼を知っているとのことだった。いずれにしろこのINGUATはアンティグアにもあって、あまり利用されていないようだが、利用価値は多いにありとわたしは思っている。そのときもすでに知っていることだったから、こちらから聞いたわけではなかったが、そこからアンティグアへの行き方を丁寧に教えてくれたのだった。そうして市役所前からメトロバスに乗り、Santa Ceciliaで降りて通いなれた道をアンティグア方面行きバス乗り場(他にも多方面に行くバスの乗り換え場になっている)まで5分くらい歩いて、すでに待機していたバスに乗り込み1時間後にはアンティグアに着いていた。一年ぶりのそのバスは1Q値上っていて10Qになっていた。

今回載せられる写真が少ないので、前に載せたのと同じような写真を2枚、一枚目はフローレス/バスターミナル脇の屋台村の焼肉定食15Qと2枚目は以前転載の記事に載せた写真でRapidos del Sur社のターミナルとアメリカ/グレイハウンドのお下がりのバス。Img_0640_640x480Img_0641_640x480

これもどうでもよい写真だが、メトロバス(グリーンの車体)の最新型のバスImg_0643_640x480



  もちろんそこからはP.Tashiroに直行した。ここ何年かはアンティグアの初日~数日の定宿になっていた。P.田代の価値は①田代さんと奥さんの人柄②手ごろな料金③バスターミナルからの近さ④ボデゴナなどのスーパーの近さ⑤キッチンの利用や他の日本人旅行者との情報交換ができる?といったところにあって、いつも満室だったが、そのときは個室がいっぱいでドミしか空きがなかった。で、初めてドミを使わせてもらったが、実はわたしにとっての⑤は、洗濯がしやすいところ(干し場が広く、すぐ乾くことも含めて)にあったのである‥。