独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 14,タクティク~ポロチックRio Polochic~リオ・ドゥルセRio Dulce

 タクティクTacticの街に泊まることは決めていたが、そこが目的だったわけでなく、またその街についての情報もなんらもっておらず、また誰かに薦められたということでもなかった。わたしにとってその街はただの乗り継ぎの場所に過ぎなかった。どういうことかというとわたしは、そのTacticが基点となっている間道を通ってイサバル湖Lago de Izabalに抜けリオドゥルセRio Dulceに行こうとしていた。そういう道があるのは知っていたし、タクティクからリオドゥルセまで行くバスなんかあるわけない、ということももちろん知っていた。それでも途中1~2回乗り換えれば、そのルートは抜けられること、そしてバスはないがコレクティポがその間を繋いでいることは調べてあった。その間に特に観光スポットがあるわけではないので、このルートは観光客はおろか、地元民でさえ通り抜ける人はいないという道だった。だが、そんな道を単なる物好きの好奇心から通ってみたいと思った、というわけでもなかった。そこを行こうとしたわたしなりの理由が二つあった。ひとつはそのルート上にポロチック川Rio Poloticというのがあった。この河はグアテマラ電源開発上重要な地位を占めていることを教えてくれた人がいた。その方はグアテマラ在住の日本人で、数年前わたしのブログにコメントをくれた人だった。その人のブログにこの河のことが紹介されていて、是非一度みてみたいとずっと思っていたのだった。二つ目はやはりそのルート上にPanzosという村があった。とりたてて特徴もない地方の農村だが、この村はかつて内戦時代(1978)に、軍の弾圧によって先住民ケクチの農民が大量虐殺されたところとしてわたしの記憶の中にあった。いったいそこはどんな村だったのか、地理的背景はどんなだったかを知りたかった(時代的・政治的背景は酷すぎたのだが)。結果的にそれらの目的は十分に果たせなかったが、動機としては十分だったと思う。今回の旅でこのルートははずせなかったのである。

 タクティクという街には、だからなんの期待もしてはいなかった。いや、だからだと思うが、その分この街はとてもよかった。こじんまりとして素敵な街に思えた。まず、宿がすんなり見つかってしかも安かったのが好印象の発端だったかもしれない。パルケセントラルの近くに立地し、バストイレは別だったが部屋はきれいでオーナーがとても親切、それで一泊37Qはありがたかった。荷物を置いて、身体を拭いてさっぱりしてから街に出る。その日(セマナサンタのViernes de Dolores)のプロセッションの準備で若い学生たちがいきいきとアルフォンブラス(Alfombras;花のじゅうたん)作りに励んでいた。皆快活で活発な動きをみせている。それを見ながらパルケセントラルへ、カテドラルまでは5分もかからなかった。カテドラル周辺は、ほとんどがグアテ人(というか地元民)相手のみやげ物屋や物売りの屋台で賑わっていた。カテドラルを正面に見て左側一帯が市場になっていて、何軒か冷やかしながらうろつく。どうもここはすべてのものが安そうだった。例えばわたしがついつい手をだしてしまうものにフルーツとかピーナッツがあったが、フルーツの盛り合わせワンカップ(ビールのジョッキくらいのビニールカップ)は、他の街ではどこでもたいてい5Q(80円?)くらいだったものが、ま、カップの大きさが多少小さかったが1Q、ピーナッツ一袋5Qくらいだったものがここでは2Qといった感じで悉く安いのだ。また街の通りの古着屋は - グアテマラは知る人ぞ知るで、格安で古着が手に入ることでも有名だった - 更に安く古着一着が5~10Qで売られていた。そんなんで思い出したことだが、このタクティクから2~30分行ったところにAlta Verapaz県の県都コバンCobanがあった。実はそこも、実感としてすべてのものが安く感じられた記憶があった。たぶんグアテ市からはかなり隔たりのあるこの地コバンもタクティクも、首都圏と比べると諸物価にも隔たりがあるように思えたのであった。とりもなおさず、そんなのがわたしにとっての好印象の源になっている。ここはツーリストエリアではなかった。このような街が(恐らくグアテマラ国内にはそんなところが多数あるのだけれど)わたしのお気に入りになるのであった。ぶらついているとカテドラルから規模は小さいがセマナサンタ前のプロセッションが始まった。アンティグアがあまりにも有名になりすぎて、Cuaresma(四旬節)のプロセッションでさえたいへんな賑わいをみせていた。それには比べようもないが、田舎町の純朴なプロセション(procesion;キリスト像をのせた山車を担いで行進する行列)もそれなりに味わいはあった。それを送り届けてから教会脇の屋台で例によって焼肉セット(15Q)の持ち帰り、途中の店でBravha(ビール、どこでも同じ5Q)2本を仕入れて部屋食。21時ころには寝てしまう、、

タクティクのカテドラルImg_0830_640x480

プロセションのアルフォンブラス作りに忙しい街の人達(学生総出?)Img_0827_640x480

カテドラル前から、山の中腹にもう一つの教会が見えた、、Img_0832_640x480

カテドラル前のみやげ物屋(外国人観光客をまったく想定していない)Img_0833_640x480

その夜小規模ながらプロセッションが行われた、、Img_0841_640x480


 次の朝、いつものように夜半トイレに一回起きただけで、よく眠れて7時起床。湯をもらってコーヒー(残ってたインスタントを持参していた)を一杯飲んで出かける。一時間くらいで戻るといって出かけた先は、昨日パルケセントラルから見えた山の上にある教会だった。ま、だいたいオノボリサンだから、すぐ高いところに登りたがるのだが、ちょうどお誂え向きのところに教会があったのだ。しかし意外と高いところにあって時間がかかりそうだった。かなり急勾配を登ること30分、タクティク<Tactic>の街を一望に見渡せる山の上の教会に着いた。そこはもちろんキリスト教系の教会であったが、マヤ系の宗派も受け入れる寛容さのある教会であった。というのは、教会手前の十字架脇にはマヤの儀式に使う火を焚く場があり、本堂の裏手にある一室では、まさにサンタクルスデルキチェで見たような祈りが奉げられていたのである。わたしがそこに辿り着いたときに集まっていた信者も明らかにインディヘナたちであった。コバンの教会もそうだったが、ここでもマヤ系の信仰とキリスト教は共存しているようだった。ますますこの街が興味深く思えたが、その日のうちにどこまでいけるか?未知の道程が待っていた。宿に戻ってオーナーに挨拶して、荷物を担いでチェックアウト、といってもグァテ行きをはじめ全てのバスはそのホテルの裏通りを通るので、その裏道に出て腰を下ろす。そこで来るバス、来るコレクティポをすべてチェックすることになった。何台か関係のないバスやコレクティボが通り過ぎ、ほんとにこの道を通るのかと訝しげに思っているところに一台のコレクティボがやってきた。わたしが調べた範囲ではコバン発エストールEl Estor行きのバスかコレクティボがあると聞いていたが、それが1時間に何本、つまり何分おきくらいにあるのかまでは知らなかった。その車の助手はわたしが聞いたことのない行き先をいった。しかし、彼はわたしがエストールといったのに反応して車を止め、早く乗れといってきた。ほんとにこれでいいのか躊躇いはあったが、もう賭けるよりなかった。コバン発だったからすでに満席状態で補助椅子の上になんとか座り、その助手を信ずることにした。10分ほどで国道の大通りから左の細い道に入った。そこでまず一安心、その道は地図で確認していたからであった。まもなく舗装道は終わり、まったくの田舎道になり人家もなくなった。そんな道を行くこと30分、最初の部落Tamahu、さらに30分でTucuru、そこから1時間で多分このルート上もっとも大きな街サンタカタリーナティンタ Santa Catalina la Tintaに着いた。そこまで2時間、ほとんどの乗客はその途上で降りていた。しばらくその街で停車、その時点でもこの車がどこまで行くのかわかってなかったが、そこから20分ほどいったところで、そこが終点と告げられた。その地をタレマンTalemanといった。わたしの持っていた昔INGUATでもらったグアテマラ全土の地図にその地名は載っていなかった。そしてそこには、そこからEl Estorまで行くコレクティボが待っていたのだった。

この看板に教会の名前があった(Igsesia Chi・Ixim?)、この前の道を30分くらい登る、、Img_0845_640x480

Iglasia Chi ・Ixim<意味はわからないがChi・Iximはマヤ語表記と思われる>Img_0846_640x480

上の写真を撮ったところから振り返ると街が一望、儀式用祭壇がふたつ、、Img_0849_640x480

礼拝に来ている信者は全てインディヘナだった、、Img_0848_640x480

タクティクから2時間、Santa Catalina la TintaのパルケセントラルImg_0871_640x480

Santa Catalina la Tintaから20分、Talemanに着く、右側に停まっているのがTactic,Coban方面に行くコレクティボ、左側奥に停まっているのがEl Esdtor行きコレクティボImg_0874_640x480


 この間の情報については、いずれにしろ定かではない。わたしはエストールまで行くバスまたはコレクティボがあると聞いていたが、実際それがあるのかどうか、あるとして何時間に一本あるのか、あるいは今はそんなバスもコレクティボもなく全てこのタレマンで乗り継ぐことになっているのか、すべては不明のまま。というのも、そこまでコレクティボで2.5h30Qだったが、そしてその先タレマン~エストールが2h20Qだったから、もしエストールまでの直通があれば、もっと安かったのではないかと思ったのだが確かめようがなかったのである。しかしサンタカタリーナティンタまではそこそこ客がいたが、その先まで用事のある人は激減した。となるとそんな幻のダイレクト(直行)バスを待たずに、そこまで来てしまったのが正解だったように思えた。実際そんなバスはなかった可能性が高い。だからタレマンというところで、その先に行くコレクティボが待っていたのではなかったか?ま、そんなことを乗り継いだコレクティボが出るまでの間、思い巡らしていた。実際そこからエストールまでの乗客はほとんどなかった。エストールまでの間にある村もパンソスPanzosしかなかった。まさにパンソスは辺境の地だったのだ。乗り継いだコレクティボはわたしを含めて3人の乗客を乗せ11時半にタレマンを出た。パンソスは12時、せめてパルケセントラル近くに停まってくれれば写真一枚撮れたと思うが、残念ながらバス停は少しはなれたところで、そこまで写真を撮りにいく余裕はなかった。パンソスを出るとますます人家は失せ、その代わり右手に川が見え出した。それがポロチック川Rio Polochicだった。しばらくするとグアテマラには珍しい鉄橋を渡る、そして道は登りになって川から離れた。Alta VerapazとIzabalの県境を越えると道は下りになる。しばらく行くと右手に、グアテマラにこんな大きな企業があったのかとびっくりするような工場群が現われた。たぶん鉱山関係の会社のようであった。その辺りからはずっと快適な舗装道路になって30分くらい走って13:30、エストールに着いた。

Talemanの街(村?);2枚Img_0876_640x480Img_0880_640x480

Panzos;2枚Img_0881_640x480Img_0882_640x480

Rio Polochicポロチック川と鉄橋Img_0888_640x480
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 エストールEl Estorはイサバル湖畔の大きな街、というかここは、リオドゥルセから1時間のイサバル湖畔にあったから、もしかしたら我々ツーリストには知られてなかったが地元民にとってはちょっとした観光地であったのかもしれない。湖畔にボートが浮かび、その近くにはホテルやレストランもあった。そこはタレマンからのコレクティボが着いたパルケセントラルからほんの5分。公園化した湖畔にその雰囲気は漂っていた。すでにIzabal県にあったから、アクセスは圧倒的にリオドゥルセからで、因ってわたしもここまでくれば、あとリオドゥルセまでは1時間、コレクティポも何本も行き来していたので、一安心というところであった。 で、ちょこっと街ブラのために、また例の手を使う。公園の靴磨きの少年にtipを渡して30分で戻るといって大荷物をそこに置いて出かける。まず湖畔にいって、それから飯屋を探す。ところが、適当な飯屋-わたしの意味するところは廉価な食堂、かつビールが飲めるところ-は、やはりなかなか見つけられなかった。そう、それとそのころはケツァルが逼迫していた。残り500ケツァルをきっていて(ベリーズへ渡る船代を残さなければならなかったので実質300Q)、それであと二日ほど過ごさねばならなかった。無駄金はほとんど使えない状態になっていたのだ。なので最終的なその日の昼飯は5Qのフライドポテトと5Qのブラバ(どこにでもあるフライドチキンの屋台でonlyポテトと前にも紹介したビールBravha;350mlで計10Q;160円)となった。もうひとつ、節約のため実現できなかったことがあった。フィンカ・パライソFinca Paraisoを諦めたことだった。

Lago de Izabalイサバル湖畔;2枚Img_0897_640x480Img_0896_640x480

このボート乗り場からまッすぐ5分くらいいったところにエストールのパルケセントラル
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 エストールEl Estorもそうだったが、このフィンカパライソFinca Paraisoも外国人旅行者にはほとんど知られていない観光スポットといってよかったかもしれない。当然わたしも10日ほど前はその地のことは知らないでいた。フインカバライソのことを教えてくれたのは、サンペドロで会った日本人のTomoさんだった。彼はサンペドロに来る数週間前からグアテマラ国内を廻っていて、リオドゥルセにいたときにそこを訪れたといっていた。わたしは彼と出会ったとき、すでに帰りのコースは決めてあって(今までに書いてきたルート)、リオドゥルセも寄るつもりだったのだけれど、そのフインカバライソのことはまったく聞いたことがなかった。彼はその地が極めて素晴らしかったといっていたので、詳しく聞くとどうやらそこはエストールとリオドゥルセの中間あたりにあることがわかり、わたしの予定ルート上だったので是非寄ってみようと思ったのだ。彼はテント持参だったからその地でテント泊をしたそうだが、まず他に観光客は誰もおらず、渓流沿いにあってほんとに風光明媚で美しく、かつのんびりしたところだったそうだ。で、何よりの目玉が温泉が滝となって流れているところだったそうな!?、滝の温泉はわたしも今まで聞いたことがなく、世界でも珍しいのではないかと思ったが、それでいて人知れずの地と聞けば、行かないわけにいかなくなった、というわけだった。で、エストールのパルケ・セントラルでポテトフライ&ビールの昼食をとりながら、次のコレクティボを待っていると(たぶん30分に一本くらい?)リオドゥルセからの一台が着いた。早速その助手にリオドゥルセまでいくら?と聞いてみると20Qとのことだった。ではアグアカリエンテ(Agua Caliente;温泉、つまりフインカパライソのこと)は?と更に聞くと15Qとのこと。わたしはアグアカリエンテはリオドゥルセとの中間よりもむしろエストールに近いところにあると聞いていたので、それは高くない?10Qにならない?と交渉してみたが、もちろん下げてくれなかった。そのとき迷う、1,15Q払ってアグアカリエンテで降りてフインカパライサに寄り道するか、2,大荷物があったから、とりあえずリオドゥルセまでいって宿を探す。距離的にはリオドゥルセからフインカバライソは3~40分と思われたから、次の日に宿に荷物を置いて行くことも可能。迷った末にこのとき2,を選択していた。ひとつには重い荷を担いでその温泉に行きたくなかったこと。それとエストールから15Qは高いと思ったので、実際それがどの辺にあるのか確かめてからにしようと思ったからであった(5Qか10Qだったらいっていたかもしれなかったが?)。2時ころ発車したそのコレクティボは、他のどの街のバスもコレクティボもそうしているように、15分くらい集客のために市内を歩くほどのスピードで流して、定員が埋まったところで一転してスピードを上げ、舗装されたいい道をリオドゥルセまで1時間で走りきった。アグアカリエンテはエストールからやはり20分くらいのところだった。そこを過ぎてしばらくは湖畔(といっても湖は見えなかったが)の起伏のそれほどない原野?をいく。そのうち雨が振り出してきて、リオドゥルセに着いたときは小雨がばらついていた。

 珍しくザックカバーをつけ傘を出して宿探しが始まった。しかしリオドゥルセの宿探しは思いのほか難儀することになった。今まで通過したことは何度かあったが、この街に滞在したことはなかった。それでもここは観光地っぽいこと、なんかごちゃごちゃした街であることは知っていた。しかし、ま、悪くいえばこれほど俗悪化しているとは思っていなかったことだった。外国人ツーリストもけっこう見かけはしたが、どうやらここはグアテマラ人ツーリストに人気のあるところのようだった。グアテマラ人で国内旅行ができる層は今もって限られているが、ほんの数パーセントの富裕層は自家用車を持ってグアテ国内を観光できるまでになっていた。その人たちにとって、ここリオドゥルセはティカルへの道の途上にあり、イサバル湖やサンフェリペ要塞、他にもカリブ海沿岸のリビングストンへドゥルセ川を野鳥観察や自然保護区の遊覧を楽しみながらポートで下る、といったさまざまなレジャーを楽しめる観光スポットの宝庫であったのだ。つまりわたしに言わせると、それが俗悪化の元凶となっているのではないか、ということだった。即ちわたしが泊まれそうな安宿はそう簡単に見つからなかったのである。雨の中探し回って見つけた一軒は(たぶんそこがもっとも安かったところ)バス・トイレなしでシングル40Qだったので、それならOKというと、あいにく1ベッド<シングル.>の部屋の空きがなく2ベッド分80Q払ってくれといわれ、即、他を探しに行く、が、そのあとが厳しかった。もちろんそれなりに見栄えも良く、部屋も良くてバストイレ付は結構あったが、ま、それくらいなら当然なのだけれど、だいたい150~200Qといった中級のホテルがほとんどであった。中にはもっと安いところもあったが満室だったりシングルの空きがなかったりで、1時間くらい、何軒くらい当たったであろうか?、これというところを見つけられずにいた。で、そこは何軒目だったろうか、そのホテルも高かった。見栄えも良く、それより応対してくれた女性が若くて美人で感じが良かった。恐らく中級といってよいホテルだったので期待はしなかったが、安い部屋はないかと聞くと、バストイレなしでも良いか聞き返され、もちろんと答える。一室だけ空いていたその部屋はトイレつきではなかったが中庭に面したこぎれいな部屋だった。ツインの部屋で150Qだけれど一人だから100Qでいいといってくれた。星二つほどの違い(ホテルランク)以上に150Q→100Qといわれるのと40Q→80Qといわれたのでは、その受け取り方は雲泥の差になることを最初の安宿のオーナーは知らなかったということだ。プラス、美人女性が組み合わされば迷いはなくなる。それ以上のところは望めそうになかった。ようやく落ち着いてシャワーを浴び、片づけしてるともうあたりは暗くなり始めていて、雨は上がろうとしていた。

やっと見つけた中級ホテルImg_0902_640x480

 夕食を漁りに街ブラするが、すでにホテル探しのときにこの街の主要部分はほとんど歩き回っていた。といってもここはドゥルセ川をまたぐ、たぶんグアテマラ最大の橋がかかっている国道CA-13がそのままメインストリートになっていて、それに直角にぶつかるエストールからの道数百メートルが、いわゆる繁華街でそこをはずすと何もなくなる、といった程度の街で、その国道は大型のトラック・バス・コレクティボ・乗用車で常に渋滞していたし、おまけに道幅が狭いため、ほとんど一車線を交互通行しているといった按配であった。そんな大通りを車をよけ、人をよけながら食べ物屋を探し、横丁の路地をさまよってみたが、やはり適当なところをみいだせない。それでもわたしにぴったりの屋台がその狭い大通りの道脇にでていて、それには食指を動かされた。特に探していたのはペスカド(魚)、この地に来て、ま、フライしかないのはわかっていたが、魚が食べられないはずはない、との思いからだった。が、実際は屋台でペスカドフリト(魚のフライ;20Q)があったのは一軒だけだった。ただ、このときの付けあわせがあまりよくなかった。他の屋台のよくあるポヨ(鶏)やカルネ(牛)はアロツ(米の飯)との組み合わせがあったのに、魚フライがあった屋台にご飯がなかった。それでやめにしてしまった。ま、それだけでなくこの日あたりから倹約思考が強く働いていて、結局一番安いホットドック(10Q)と八百屋でトマト・りんご・バナナのフルーツ(5Q)、前のティエンダ(お店)でビールを仕入れて都合20Qの部屋食にしてしまった。特にこのときは残金調整が非常に難しい状況になっていた。そんなことはやりようがいくらでもあって、何とでもなるのだけれどつまらないこだわりがあって(残り二日を今もっている残金で凌ごうという意図)自らを苦しめていた。ところが想ってもみなかったどんでん返しが待ち受けていたのだった‥。

リオドゥルセRio Dulceの街;3枚(次の日写したもの)Img_0910_640x480Img_0913_640x480Img_0911_640x480