独歩の独り世界・旅世界

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コバンCoban・サンファンチャメルコSan Juan Chamerco / Guatemala

  ポルトガルをあとにしてからも旅中旅はまだ続きました、、その旅の起点・終点はグアテマラ/アンティグアだったからです、、リスボン~マイアミは10時間近くかかってマイアミ着は21:00でマイアミ時間1月21日の16時だった、、アメリカはトランジットでも入国審査とセキュリティチェックがあってその煩わしさはこれまで何度も経験していたけれど、このときも1時間半くらいかかったか?ま、それでもそれは乗り継ぎ待ちの時間内でのこと、そのあとのカンクンまでのフライトにさらに2時間も待つことになった、、カンクン着は21:00で時差が1時間あってメキシコ時間の20:00、だから同日中にカンクンへ戻れたのだった、、荷物をすこし預けておいたカサ 吉田もベッドの空きがあって、当初2泊の予定だったが結局3泊してしまった、、

 さて、カンクンからはだいたい以下のルートを辿った、、1/24カンクンCancun→ チェトマルChetumal乗り換え→シュプヒルXpujil 泊、1/25カラクルム遺跡 Calakmul → エスカルセガEscarcega泊、1/26→テノシケTenosique→グアテマラ入国→ フローレスFloresには夜8時ころサンタエレナのバスターミナルに着いた、、ずっとバスを乗り継いでの旅だったが、ここはもうホームグラウンドの感じだったから、なんら問題なし、、その間わたしは一ヶ所寄り道したが直行でもカンクンフローレスは途中どこかで一泊したほうが楽かもしれない、、そのカンクン~テノシケ~フローレス~アンティグアルートについてはすでに書いているし、その間寄り道したカラクルム遺跡、またそのあとフローレスから出かけたミラドール遺跡についてもすでにレポートしているのでここでは省略させていただくとして、そのあとこと、つまりミラドールから戻ってからの足跡を若干記しておきます、、

 ミラドールから戻ったのが2月の1日で、そうとう疲れたので2日は一日休養して、次の日のコバンまでのシャトルのticketをミラドールの手配をしてくれたところに頼んでみた、、フローレスグアテマラシティは通常はバスか飛行機しか選択肢がないのだけれど、ルートとしてはこのコバン経由という手もあって、それだと逆にコバンまではシャトルバスしかなかった、、そのシャトルバスも定義を乗り合いワゴン車とするならば二つのタイプがあった、、ひとつは地元民の利用する乗り合いのワゴン車、もうひとつは主に旅行者が利用するワゴン車だ、、その違いは前者が朝の6時サンタエレナのターミナル発で100Q、コレクティボを呼ばれるこのワゴン車を前に逆ルートでコバン~サヤスチェ~フローレスと利用したことがあったが、こちらの場合はスペース的には12~3人の座席だが最大20人くらいは乗せてしまう、、一方旅行者が利用するシャトルは各エージェントで手配ができ、もちろん定員以上は乗せないしホテルまで迎えに来てくれる、、その分料金は倍の200Qとなる、、そのときはもう顔なじみになっていたその旅行社のお兄ちゃんに、、わかってる、わかってる、オレはサンタエレナからコレクティポで行くから気にしないでくれ、と断ったのだけれど、彼は200Qを150Qでいいといってくれた、、それでもOKせずにいたら最後は125Qまで下げたので(たぶん200QというのはセムクチャンペイSemuc Champeyまでで、コバンはその手前だったのでそこまでまけてくれたのかもしれなかった)もう断れなくなった、、そのシャトルは朝9時発で朝がゆっくりだったのと宿まで迎えに来てくれるのだから150Qでもどうしようかと迷ったくらいだったのだ、、で、コバンはすでに3度目だった、、Alta Velapaz県の県都コバンはその街自体なかなか趣のある田舎の一地方都市で住みやすそうないい街だと思っていた、、しかし少なくともこの旅に出た当初はコバンに寄ることは予定していなかった、、しかし人の出会いとは不思議なもので予期せぬことが起こる、、最初に彼からmailをもらったのはいつのことだったろうか‥??、ま、こういった邂逅をもたらしてくれるのがネット世界の思いがけない贈り物かもしれない、、それはこんなことだった、、どうやらわたしのブログを読んでくれたらしい彼から一通のmailを頂戴し、それ以来われわれはいわゆるメルトモ?になったのであった、、そしてわたしのこの旅の間に何回かのmailが往復された、、特に2回目のmailで彼がグアテマラ/コバン近くのサンファンチャメルコSan Juan Chamercoに住んでいることを知らされたときの驚きはちょっと言葉にできないくらいだった、、もちろん彼は日本人で最初は同じ世代のリタイア組かと勘違いしたのだが、まだ30代、奥様と二人でこの地でボランティアをされているとのことだったから、是非話を聞いてみたくなってわたしのほうから一度お会いできないかとお伺いをたてたのであった、、何回かのやり取りの中で日程を調整してくれてフローレスからの帰り道に寄れることになったのはわたしにとってほんとうにありがたいことだった、、それで彼らに会う前日にわたしはコバン入りしたのだった、、

 そのシャトルは欧米の若者で満席、、特に女性が多かった、、が、いずれにしろわたし以外の全員がセムクチャンペイへいく人たちでコバンで降りたのはわたし一人、フローレス発9:00の予定が実際迎えに来たのが9:30で、懐かしき渡しの街サヤスチェ(Rio de la Pasion パシオン河にはまだ橋がかかっていない、この街に関する記事は前に書いている)が11:00ころ、コバン着は14:40だった、、今まで二度訪れていたので方向はわかっていたが、それほどこの街に詳しいわけではなかった、、で、以前二度泊まったことのある安宿にいってみるとどういうわけか閉まっていたので隣の安宿をとりあえず仮宿にして、そのあと知らないコバンを少し歩き回ってみた、、そしてよさそうな宿や飯屋を新たに見つけることができた、、次の朝早速セントロの公園近くのその宿に移った、、そして午後一くらいの待ち合わせでカテドラル前のその公園でY氏を待った、、彼は車できてくれて彼の自宅のあるサンファンチャメルコまで連れていってくれた(サンファンチャメルコはコバンの隣町、車で15~20くらい、隣町だけれど小さな村といった規模)、、そして奥様に会い、そのあとサンファンチャメルコの街を案内くれ、戻って日本食の夕食までいただくという歓待に、もうたいへん感激&恐縮してしまったのであった、、いや、すばらしいご夫婦であった、、まず、地に足のついたボランティア活動には敬服させられた、、彼が街を案内してくれたとき、それほど大きな街ではないと聞いていたが、そこの住人すべてと知り合いのよう、会う人会う人、すれ違う人すべてと必ず挨拶を交わしていて、わずか数年の間に彼らの人柄がこの街に浸透し受け入れられていることがじかに伝わってきた、、彼らはスペイン語に堪能でここのインディヘナたちの言語ケクチ語もものにしていた、、そのひたむきな熱意と不屈な、しかし静かな意志が感じられ、こんな国際貢献もあるのかと感心させられた、、グアテマラの片田舎で志を持って日々精励されてる若い日本人がいることが、まことに頼もしく誇りに思えた、、そしてまたここの人々が飾らない素朴さを持ち合わせていたので、ま、かなり偶然だったかもしれないが、彼らがこの街と出会えたのもなかなかいい巡りあわせだったようにも思えたのであった、、

サンファンチャメルコのカテドラル018_640x480

街を案内してくれ、最高のもてなしをしてくれたY氏(勝手に載せてしまいました、ゴメンナサイ)、街外れから中心のほうを写す、のどかでいいところだった、、 019_640x480


 何よりわたしを喜ばせてくれたことがあった、、彼はわたしのブログを読んでくれていてコバンでモンハブランカが咲いているところに連れて行ってくれたのであった、、いや、なにやらコバンでも見られるところはわずかで、その個人でやっている植物園の、そこの管理をされている従業員のご夫妻が個人で所有しているという、まことに貴重な国花をみせてもらい写真に収められたことは望外の喜び・収穫だった、、こうして尽きない謝意を表すすべもなく一方的に世話になってしまった挙句に彼にまたコバンまで送ってもらうことになった、、こういうのを僥倖というのであろうか?、ま、わたしもかなり図々しいほうだから、こういう場合いつも世話になりっぱなしで十分に礼を尽くせず、あとで心苦しく思うのが常なのであった、、

コバン郊外の個人の家、そこに個人の植物園があった、、002_640x480

幻の花モンハブランカ<Monja Blancaグアテマラの国花>;2枚 012_640x480
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 次の日はモンハブランカのバスでグアテ市まで戻ることになったが、グアテ市手前のCentro Norteのハプニングについては、もしかしたらグアテマラフローレスカンクンに書いたかもしれないが予期せぬ出来事だった、、そんな大きなターミナルができていることを知らず、そこで降ろされたはいいが、そのあとグアテ市セントロそしてアンティグアにどうやって行けばよいのか途方に暮れることになったのだ、、たぶんわたしだけでなく多くの旅人が今でも戸惑っているのではないだろうか‥??、、ま、ターミナルそれ自体はグアテマラの発展振りを示す象徴のようにも思う、、しかし旅行者にとってはなんとも面倒なことになってしまった、、その後みんなどうしているのだろう‥??、ま、それはともかく、いろいろなことがあったが、老体に鞭打ちつつ何とか2月の5日にアンティグア・P田代に戻った、、それは去年の12月にそこを発ってから2ヶ月と5日目のことだった、、

グアテ市~コバン間を独占しているモンハブランカのバス(途中の休憩所で)031_640x480_2
<山国グアテマラ>途中の車窓から;2枚027_640x480030_640x480