独歩の独り世界・旅世界

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フィリピン語学留学体験、その4 ; batch mate (同期生)

 前回触れたように同期生のことをbatch mateと呼ぶらしいことを最初のころに学んだのだけれど、この存在はわたしの滞在期間を通してかなり重要なものだった、、もちろんそれはわたしに限らずで、いきなり見ず知らずの集団に身を投じた場合、誰にとっても同じ新人としてオリエンテーションを受けた同期生(この学校の場合入学は随時でなく、毎週月曜からとなっていて、土・日にオリエンテーションがあったので、各週ごとに同期生が生まれることになる)は、年の差を越え、国境を越えて、特別の存在になったのである、、ただ前述のように毎週月曜から新入生の登場となるのだけれど、週によってその数が多かったり少なかったり、時には一人もいないこともあったりするので、そのbatch mateの数は人によって異なり、また最初大人数だったとしても、卒業時(その人の学習希望日数)はまちまちなので、日を追うごとに少なくなっていきに、すでに滞在3ヶ月目に入っていたlounge mate(これについても後述)のMieさんは、最初数が多かったけどもう残っている人はほとんどいないといっていた、、11月の最初の週にその学校の新入生となったのは日本人三人、Korean三人、Mongolian二人で、同期生は全部で8人だった、、

 わたしの、この歳になっては得がたい友人となったbatch mateを、知りえた範囲で紹介していくと、まず日本人ではAlisa(たぶん本名?)、彼女は20代後半の才色兼備の魅力溢れる独身女性だったから、すでに日本人・韓国人の若者がひしめいていたその学校で、すぐに特に若い男性から注目を集める存在になった、、オリエンテーションの後に行われたレベルチェックのテストでは、われわれ8人の中で最高点を取って、唯一intermediate(中間クラス)レベルに認定された実力の持ち主だった、、だから、ほとんどbiginner(初級)からスタートとなったわれわれからみたら、何でここで学ぶ必要があるの?と思われるくらい、すでに英語での受け答えは完璧にみえたが、日本語教師をしていた彼女は更なる上(その仕事に関しては無知ながら、外地で日本語教師をしている分には困らないであろう十分な英語力を持っていたから、たぶん、もっと広く国際的に活躍する場を求めて?)を目指しているのだろうと推測した、、実力・向上心・前向き&明るさを備えていたから、われわれbatch mateのなかで頼りになるお姉さんとなった、、もうひとりの日本人は大学4年生のFrank君、彼は就職先を決めた上で、将来その会社の海外進出を見越して自発的に英語力アップを目指してきていた、、会社勤めが始まれば英語をゆっくり学ぶ機会はなかなかないだろう、まだ大学に籍のある間にやれることはやっておこうという、これまた殊勝な心がけの持ち主だったが、しかし途中でその志が何度か挫けそうになり、その都度わたしを慕ってくれて、何度も一緒に酒を飲む機会をもつ仲となった、、彼とはずいぶん行動をともにしたから、45歳のages gapはbatch mateという関係が容易に乗り越えさせるということを証明してくれた、、このあと何回も彼は登場することになろう、、

 国境を越えたbatch mateのKoreanたちも、彼らの儒教的伝統としての年寄りを敬う教えもあってか、日本では受けたことのないような厚遇をいつも彼らから与えられた、、彼ら3人はもちろんバラバラにきていたようだが、3人とも20代で、そのうちのリーダー格となったNald君だけでなく、彼らの英語力は3人ともわたし&Frankよりすぐれていた、、なので、どうしてここに来ているのか?という話題は常に交わされていたが、それは彼ら以外のほとんどの韓国の若者に共通していたことだったが、やはりそのレベルでは就職にはまだ不十分とのこと、特に彼らの韓国内での就職口は飽和状態で、多くはそれを国外に求めていたから、もっともっとスキルアップが必要だ、ということのようだった、、それはグアテマラであった多くの韓国人の若者も同じようなことを言っていたから、あらためて韓国の若者たちの就職戦線の厳しさを思わずにいられなかった、、しかし、いまやどうみてもKoreanの若者のほうが、(わたしも含めた)日本人よりrich(豊か、金持ち)そうにみえたのはわたしの僻みというものなのだろうか‥??、、

 彼らは、英語のレベルだけでなく、そのマナーの良さにも感心させられた、、もしかしたらそれはリーダー格Naldの影響かもしれないが(Nald君はあの歳にしては落ち着いていたし、なかなかの人格者だった、相当頭もよさそうだった)、悉く礼を重んじる儒教的精神がいまだ風化してないかのごとく、長幼の序をもってわたしに接してくれたのであった、、最年少と思われたDave君は毎朝、わたしと会うと日本語で‘おはようございます’と丁寧に挨拶してくれたし、もう一人、いつも気さくなJuneも、そのさりげない気遣いに、わたしは彼らのレベル(質)の高さを感じていた、、Juneはレベルチェックのテストでは3人の中で一番点は悪かったようだが、それでも彼の英語はわたしやFrankよりも上だった、、平均してKoreanの若者たちは、少なくともListenig,Speakingにおいて日本人より優っていたのには、驚きとともに強く印象付けられたことだった、、

 聞くところによるとこの学校は、韓国人と日本人の手によって運営されていて(共同経営?資本の比率は知らない)、よって学生は100%近く両国人で占められていたが、時々台湾や中国の学生がいることもあるとのことだった、、なので、われわれのbatch mateの中にモンゴル人が二人いたことは、別に珍しいことではなかったかもしれないが、少なくともそのとき日韓以外の学生は彼らだけだったので、とても不思議なめぐりあわせに思われた、、しかも、なんと彼らは子供を両親に預けて夫婦で英語を学びに来ていたのだった、、AkiとEgiの夫婦は30代前半か?、二人ともふっくらした感じの心優しいカップルだったので、見かければ一緒に食事をし、二人が飲み会を企画することはなかったので、我々の誰かが言いだしっぺになったときは必ず声をかけ、いつも参加してくれたのだった、、そう、我々のときのbatch mateは、他は同じ世代の日韓連合といったところだったが、ある意味国際的かつ、わたし一人年寄りがいたので、より幅の広い、ちょっと異色の同期生グループになっていた、、で、誰からとなくわれわれのグループは仲がよいと羨ましがられたこともあった、、ともあれ一週間もすると、全体の様子がわかってきて、古い人たちとも馴染んでいき、交友関係は広がっていったが、それでも当初右も左もわからなかったときに同期生として芽生えた友情は、一ヵ月後にわたしが帰るときに開いてくれたfarewell party(フェアウェルパーティ;お別れ会?)まで、ずっと崩れることなく固い絆を保ちえて、それがbatch mateというものの性質をよく現していた、、それは、その場(学校)が単に英語のスキルアップのためだけの場ではなかったことを象徴しているようにも思えたのである‥、、