独歩の独り世界・旅世界

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フィリピン語学留学、その7 ; level test,class,teachers (授業体験)

 オリエンテーションの2日目に行われたレベルテストは散々だった、、その人のレベルに合わせた授業内容を決めるために、入学時にレベルテストがあることは事前に知らされていたが、どのような形で行われ、その結果がどう反映するのかまでは知らないでいた、、が、やはりテストはテスト、何十年振りかの英語のテストは、それまで会話にしても英作文にしても実践で多少は使っていたから、少しは何とかなるのではといった想いは、はっきりいって甘すぎた、、もっとも前にも述べたことだが、だからこそわざわざ日本からやってきたのではないかと自らを慰めたが、ま、中級レベルくらいはあるのではといった期待(驕り?)は、そのテストが終わった時点ではすっかり消えていたのだった、、level testの科目はreading,writing,listening,speakingの4科目であったが、半分以上できたものはひとつもなかった、、次の日にその結果の説明があったとき、もうその説明自体を正確に聞き取れてなかったのだから、そのとき一緒に受けたbatch mateの中でも下のほうの、いわゆるbiginner levelの判定は悔しいけど正しいものだったと思う、、そしてその結果にもとずいて、わたしの受けるべき授業と先生と教科書が定められたのであった、、

 といっても個々のクラスでは、少なくともマンツーマンの授業の場合、一応そのレベルに合わせた教科書があてがわれたけれど、その授業内容はあくまで個々の先生が最初の時間に、いわゆる自己紹介の形で自分のこと、どうしてここに来たのか(動機)、何を希望しているか(目的)といったことを話させ、そのレベルを判断した上で指導に当たってくれたといったほうが実際に近かったと思う、、だから最初の日のマンツーマンの授業4時間は(グループクラスでも自己紹介はさせられたが)毎回毎回同じ話を繰り返すことになったのであった、、それ以降はそれぞれの先生の器量でレベルテストの採点者が判断した教科書にもとずいて授業は進められていったが、我々生徒のほうでそれに異議を申し立てることもできなくはなかった、、わたしの例でいうと、マンツーマンの一人の先生の授業で使用することになった教科書が、あまりにも初心者むけのもので馬鹿馬鹿しく感じたので代えてもらったし、また他の例でいうと、明らかに未熟な先生だったので先生を替えてもらった人もいた、、またグループクラスの場合も授業内容とその人のレベル・履修目標とが違っていた場合、変更が可能だった、、そういう意味でマンツーマンの授業は先生と生徒の息があい、気心と目標が理解されるかが重要で、そのためにはこちら側のしっかりした自己認識と目標設定を持っていれば、いかようにもその展開は可能だったと思う、、少なくとも先生のレベルは一応に高かったし、我々のどんなレベルでも対応可能な先生がほとんどだったからだ、、ま、それでも中にはまだ歳の若い、経験の浅い先生がいたのも事実で、また、月に一度生徒による先生を裁定するアンケート調査があって、そこまでしなくてもと思わなくもなかったが、学校側はやはり先生の質・評価を相当気にしていたようであった、、わたしが指導を受けた先生は、グループクラスも含めると全部で8人にのぼったが、いずれも質は高く(人間的にも先生としての資質も)、かつわたしのレベル・性格といったものを理解してくれていたので、どの授業も楽しみながら受けることができたし、どの授業も50分という一コマが短く感じられたほど(いつもそんなことが話題になった)瞬く間に過ぎ去っていった授業ばかりであった、、それにしてはあまり進歩が見られなかったのは、やはり脳の老化と関係があるのではないかと、それは諦めていたのだけれど‥、、

 中でも最も印象に残った先生は、マンツーマンの先生ではなくグループクラスの、しかもまだ若い女の先生だった、、いや、やはり美人は得に近いものがあって、美人というよりかわいさ(cute?とってもチャーミングな女性で、ひそかに彼女のファンになった)があったのだけれど性格はきつく、けっこう厳しい先生だった、、が、その歯切れ、テンポ、知識ともに優れていて授業はまったくその先生のペースで進められ、かつ楽しいものであった、、前にもいったかもしれないが、そういう意味ではマンツーマンの場合は、ある程度わがままがきいたり、こちらのペース・事情・excuseが可能だったりした分、悪くいえば緊張感が足りなくなるが、そのグループクラスはグループクラス故の、つまり一緒に受けている若い仲間に負けてはいられないといった、いい意味での緊張の連続だった、、おまけにわたしの苦手なlisteningのクラスだったから、学習結果は散々だったが、しかし最も印象に残る先生、最も印象に残るクラス(授業)はそれおいて他にない、、そのクラス全員のメンバー(Lucy,Mako,Mondo & Robin)とともにその先生は忘れがたい存在となっている、、その先生の名をJudyといった、、

 そういう意味ではフィリピンは美系の先生が多かったようにも思う、、先生の数も若い人からベテランまで100名近くいたのではないか?、何しろマンツーマンの授業は、それぞれ先生の部屋が決まっていて一坪くらいの個室に机一つ椅子二つ、そんな個室が7~80も設えてあったから、先生の数も変動はあるにしても常時、生徒数に見合うくらいの先生を擁していたはずである、、その先生方が毎朝loungeで8時5分前から行う朝礼は壮観であった、、その95%が女性だったことを思えば、その華やかさがわかろうというものだ‥、、

 さて、わたしのスキルアップに目立ったものがなかった理由のひとつは、期間が4週だったこともあるかもしれない、、最も多い受講期間は2~3ヶ月と聞いていたが、確かに4週では短すぎたかもしれなかった、、少なくとも月に一回行われるレベルテストを受けて、その進捗を計れるくらいの期間の滞在が望ましく、また、その成果が現われるのも2~3ヶ月といったところかもしれなかった、、が、例のbatch mateのFrankが当初7週間の予定を3週間も早めて帰国した理由は(詳しくは後に述べるが)今の自分の力ではあと3週間いても進捗は覚束ないと自己判断したからだったが、わたしも自分の伸び悩みを感じていたから、それもわからないでもなかった、、しかし、その結論付けは早すぎるという意見も、例えば英語をまったく話せなかった(という)Mieさんが、やはり最初はまったく聞き取りも話すこともできない状態で、一ヶ月目ころ心細くなり、この先続けるかどうか悩んだことがあったらしいのだが、それでも踏ん張って3ヶ月、今やはたからみると十分に聞けるようになって、話せるようになっている(本人は否定していたけれど)今の姿をみると、やはり辛抱はそれなりの結果を生むということの説得力を感じる、、それはやはり動機・意志の問題か?それともこと英語に限らずその人のもっている耐性、あるいはセンスの問題か?、いずれにしろ、それぞれに与えられた許容時間と経済的な問題もあるのだから、その相関関係は一概にはいえないにしても、ま、時間と資金に余裕のある人は、少なくとも2~3ヶ月くらい頑張ってみると、それなりの成果は必ずや現われるだろう、あるいは英語の成果はさておいても決して無駄に時間と金の浪費になってしまうということはないだろう(これは高齢者を意識しての発言だが)というのが - わたしの場合は一ヶ月をお試し期間とみての挑戦だったが - 年寄りのフィリピン語学留学体験で得られた結論であった‥、、

ベランダでマンツーマンの授業を受けているMieさんImg_0326_640x480

わたしのマンツーマンの先生3人、左の写真;speskingの先生Rafi(若い方)とIrene、右の写真はwritingの先生Iris、いずれもわたしが撮ったものだが、掲載の許可はとっていない、、Img_0327_640x480Img_0322_480x640