独歩の独り世界・旅世界

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フィリピン語学留学、その5 ; Korean & room mate , lounge mate , senior mate , class mate

  たぶん、この学校の受容限度は120~130人くらいではなかったかと思われたが、日韓の学生が休みになる時期がその頂点のようだったから、ちょうどわたしが在籍したときは、その6~7割くらいの生徒数ではなかったか?、で、前にも記したかもしれないが、そのうち日本人の割合は4割くらいだったと思うから、その数は30人くらいだったと記憶している、、で、人見知り&人付き合いを苦手とするわたしでも最終的には、ほとんどの日本人と面識をもったし、話をする機会があった、、それはloungeであったり、食事のときのdiningであったり、グループクラスで一緒だったり、飲み会で一緒になったりで、特にここは日本語を禁じていたわけでないので、やはり同じ日本人ということで容易に年の差は越えられた、、日本語の通じない韓国人とも(たまに日本語のできるKoreanもいたし、完璧な日本語を話したのでてっきり日本人だと思っていたお嬢さんは、長年日本で仕事をしていたことのあるKoreanだったりしたが)そこは英語学校だったので、お互い完璧でない英語によるコミュニケーションは、まったく自然にしょっちゅう交わされていて、日本人、韓国人がそれぞれ固まってしまってグループ化するというようなことがまったくなかったのは、こういう学校(あるいはこの学校)のいいところのひとつだったと思う、、だから、相当数の韓国人とも知り合えたのであった、、

 そこで感心したのが、日本では時々ネット上を賑わす、いわゆる反日問題・嫌韓問題が、ここに集う若者の間ではまったく意識されることがなかった、ということである、、同じような光景は、グアテマラにいたときにも両国人が同じ場に居合わせることが多かったが、やはりそんな疎遠な雰囲気を感じたことはなかった、、それは例えば反米感情を持つ多くの人も、個人としてのアメリカ人を決して嫌っているわけではないのと同じように、誰もひとりでその国体を背負えるわけではないのだから、むしろ個人個人のつながりを大切にすることがより重要であることを知っている大人たちだったからだと思う、、少なくともそういった基本ラインは共有している人たちの場であったこと、そしてこのような場におけるコミュニケーションがいかに重要であるかを、ひいてはそんな関係性・相互理解から両国関係は改善されていくのではないか、といった期待まで抱かせるような雰囲気が自然に醸しだされていたのは、逆にわたしのほうが意識(心配?)しすぎていたのかもしれなかった、、ま、わたしは彼らをみているとそんな問題は存在しないと楽観できたほど(無意識的にだが)日韓親善の役割を双方の若者たちが十分に果たしていた、ということを言いたかったのだが‥??、、そして、さらに彼らKoreanたちの、先にも述べた英語によるコミュニケーション能力の高さ - それは英語教育の差なのか? - 我々のレベルより平均して優れた英語力を持っていたことに感心したのであった、、

 それが、わが友Frankの自信喪失につながったかもしれなかった、、二人部屋、三人部屋の部屋割りはどのようになされるのかまでは知らないが、Frankにとって同じbatch mateのNaldとJuneは彼のroom mateでもあった、、彼はそこでNaldがいかに優秀な人間でJuneも愛すべき人間だということを共同生活を通して知っていく、、その部屋割りは彼にとっては韓国のこと、そして彼らのことを学べるチャンスでもあったから、とてもよかったと喜んでいた、、そしてその友情は最後まで綻びることはなかったけれど、しかし時々Frankは彼らほど英語での会話が流暢にできないことを訴えるようになってくる、、いいたいことが彼らのように表現できない自分がもどかしいようなことを聞くようになった、、わたしだって彼らほど話せない、だから我々は学びに来ているのではないかと元気付けたが、少し自信を失いかけているのを感じていた、、それでも若さがあったからroom mateとも、ほかの韓国の若者とも、いつも一緒に行動していたし、表向きは何ら支障なくコミュニケーションはできているようにみえたから、何とか乗り切れるだろうと思っていた‥、、(つづきはいずれ‥)

 さて、先人たちと知り合いになるきっかけは他にもあった、、二ヶ月先輩のMieさんと知り合えたのは、わたしに与えられたlounge席がMieさんの前だったからだった、、この席の配置もどのように決められるのか知らなかったが、lounge席というのは学校施設内に設けられた自分の居場所とでもいったらよいのか?、これは初日にそういう場所が与えられることを知ってありがたく思ったのだが、要するに授業のないときに自由に使える場で、机と椅子を専用に使えて教科書・ノート・パソコン・ポット・カップ等を置いておけて、空き時間に自習していても寝ていてもかまわないといった場所だった、、それこそ100人以上収容できるその場をloungeと呼んでいたから、言ってみれば同じテーブルを利用するlounge mateとでも呼べそうな間柄であった、、その同じlounge mateとしては日本人のHideさん、KoreanのGosh君がいた、、なかでも歳が近かった中年女性Mieさんの前の席だったことは、たぶんそうした配慮をしてくれたのかもしれなかったが、わたしにとってはたいへんありがたかったことで、わたしの在籍中いつもMieさんには世話になり助けられることになったのだった、、なので彼女のこともこのあと何かの話で登場することになると思う、、

 ついでにsenior mateについても話しておこうと思う、、この学校では英語のニックネームEnglish nameで呼び習わす決まりがあって、わたしはスペイン語のSeñorをそれに当てていたと前に書いたが、セニョールを英語で表記するとñに当たる文字がないのでSeniorとなってしまう、、で、Seniorはその意味合いが年長者、年寄りだったので、まさにわたしにぴったりだった、、だからMieさんや何人かの先生はわたしのことをセニョールでなくシニアと呼んでくれていた、、呼び方はどちらでもよかったのだけれど、確かにわたしが入った時点では、どうやらわたしが最年長だったことがわかり、それもアリだと思っていた、、いずれにしろ見回したところ年配者はわたしとMieさんと前に紹介したKoreanのJcobしかいなかったのだ、、ところが、それから2週間して二人の日本人年配者が現われた、、しかも男性(Sumiさん)はわたしより年長で、その時点で長老は彼に変り、もう一人の女性(Merryさん)もほぼわたしと同年だったから、少ないながらも年配組みは5人になった、、その後Jcobが抜けて、わたしが抜けたから今また3人になってしまったと思われるが、ま、少数ながらやはりsenior mateとしての連帯感も生まれて、よく食事を共にさせてもらった、、

 最後にclass mateのことも語っておきたい、、この学校のカリキュラムは基本的にマンツーマンシステムだったが、日に2時間(2コマ)グループクラスがあった、、数人の(日韓の)学生と一緒に学ぶクラスだった、、最初グループクラスはちょっと苦手だなぁと思っていたが、何回か受けているうちに、むしろグループ授業のほうがプレッシャーがある分、緊張感があって身になるかもしれないと思うようになった、、それはたまたまそういうクラスにめぐり合ったのかもしれなかったが(そのときの先生もよかった)、そのクラスで一緒になった日本人・韓国人の若者とは、また別の親近感を覚えるようになった、、クラスが一緒だったことで彼らとも親しく接することができるようになったからだが、そうでなければ歳の差や人見知りの性格があったりするから知り合うチャンスを逃していたと思う、、そこでわたしは素晴らしい人に出会えたのだった(その話もいずれ)、、

 そうやって知り合った人たちから、さらにその仲間(batch mate,room mate,lounge mate)と知り合うようになり、最終的にはほとんどの日本人、韓国人の半分くらいと顔見知りになった、、そのほとんどが若者だったことを思えば、たぶんその時空はわたしにとって竜宮城だったのかもしれない‥??(といっても今の若いひとには通じない‥?今ウラシマ‥?ガラパゴス‥?)、、