独歩の独り世界・旅世界

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カトマンドゥ 2) 9/6~9/9 アティティツアーAtithi Tour,キルティプル Kirtipur,ランタントレック Langtang Trek

  そのホテルには他にもう二人日本人が宿泊していた、、二人とも3~40代の男性でDaya Ram氏に聞いたところによると一人は仕事、もう一人は旅人のようで、二人とも長期滞在しているとのことだった、、会えば挨拶は交わしたが、すぐに話しかけてくる風でもなかったので直接話はしなかったが、それはむしろ好感がもてた、、もっと若い旅行者はすぐにツルみたがるのを各地で見ていて、わたしはそれをよく思っていなかった、、ツルんで歩くのは中国人か韓国人だけにしてくれと、ずっと思っているからだ、、なのでポカラであった世界一周中の女性や、ここの男性たちの旅慣れているというか大人の振る舞いをよしとしていたのだ、、たぶんそのなかでももっともキャリアがあって、もっともツワモノそうだったのがそのオバチャンさんだったと思う、、彼女はエベレストトレッキングにも何年か前にいったことがあるといっていたし、ネパール・インド各地へはずいぶん出かけているようだった、、もしかしたらそれらの手配を通じて知りあつたのかもしれないが、そこが彼女が紹介してくれたAtithi tour(彼女の情報源?、なおAtithi tourの看板が前回のタメルの通りの写真に写っている)のスディールさんMr.Sudhir Panditだった、、このタメルにはごまんと旅行社・エージェンシーはある、、その中には日本語を話すところもある、、でも、アティティのスディールさんほど日本語が上手でネパール/カトマンズに詳しく、何でも知っていて親切に教えてくれる人はいないといって、一枚の手書きの地図(のコピー)をわたしにみせてくれた、、そこには手書きのタメルマップ上に日本語で情報がいっぱい書き込まれていた、、つまりそのmapを作ったのがその人であるらしく、われわれのいたホテルから5分くらいのところで旅行社を経営しているとのことだった、、そのコピーの情報マップを彼女も協力して日本の旅行者を見かけると配るために何枚も持っていて、そのうちの数枚をわたしにくれ、もし何か聞きたいことがあったら、いや何もなくとも一度いって会ってみたら、とその場所を教えてくれたのだった、、もうひとつは、カトマンドゥでどこかお気に入りの場所はあるかと聞いたら、即座にキルティプルKirtipurという答えが返ってきたことだった、、先にも述べたがそのときわたしはガイドブックをもっておらず、記憶の中にはカトマンドゥ郊外の見所として、パタンPatan、バクタプールBhaktapur、ボダナートBodhnathくらいしか残っていなかった、、キルティプルははじめて聞く地名であった、、そこも最初はスディールさんに教わっていったところだったのかもしれないが、ともかくいいところだから是非一度いってみるといいと勧めてくれたのだった、、

手書きのタメルmap、表と裏012_640x427

 早速次の日の朝、Atithi Tourを訪ねてみた、、温厚で物静かな人柄のSudhir氏は穏やかな顔で迎えてくれ、まったく癖のない(外国人とは思えない)日本語を話した、、ネパール/カトマンズについてチョウ詳しいとのことだったので、わたしは予め質問を用意していた、、聞きたいことがたくさんあったのである、、1,銀行・両替について、、2,トレッキング情報、、3,MU<中国東方航空>のオフィスについて、、4,チベットツアーとKirtipurのこと、5,カトマンズからヒマラヤの見える場所、等々、、1,3,は例の日本語タメルマップにその場所をマーカーしてくれ、4,のチベットツアーは自分のところではやっていないこと、Kirtipurの行き方はオールドバスパークから、5,のHimalayan ViewはナガルコットNagarkot、ドゥリケルDulikhel、カカニKakaniといったところを教えてくれた、、最も聞きたい情報は2,だった、、それについても必要なモノ(TIMSの許可証、パーミッション等)コト(例えば航空券等)ヒト(ガイド・ポーター)は全部自分のところで手配・用意できると、その相場等を詳しく教えてくれたのだった、、情報豊かで巧みな日本語で相談にのってくれただけでなく、もうひとつわたしを驚かせたことがあった、、そこのオフィスは日本語の本の倉庫?図書館のようだったことである、、借りることもできるとのことだったが、そこで読む分にはフリーとのことで、わたしはそこにあった何冊かの最新版ネパールのガイドブックが気になって少しの時間みせてもらった、、だからわたしはそれらの情報をタダで仕入れてしまったことになる、、そして、また寄らせてもらいますと礼をいってそこを辞したのだけれど、確かにそこは価値ある場所であった、、後でオバチャンに聞いた話だけど、わたしのように情報だけ聞いて帰る旅行者のほうが多くてビジネスのほうは厳しい状況にあるといっていた、、それでなくとも今やタメルにはホテルの数より多い旅行エージェントがあるのだから、ボランティアをやっていたら経営は成り立たなくなる、、今、岐路にさしかかっているとのことであった、、

 その日の午後早速Kirtipurへでかけた、、オールドバスパーク(Ratna Bus Park)へはすでに一度いっていたから場所はわかっていたが、いざそこでキルティプルへいくバスを探すとなると大変なことだった、、それはスノウリでもポカラでも経験済みだったが、ここのバスパーク、バススタンドとはただ広場があるということしか意味しておらず、ticket ofiice、インフォメーションひとつないのだから、行き先表示のネパール(ヒンドゥ?)文字が読めなければお手上げとなる、、例によって何回Kirtipur?,Kiltipur?と聞いたことか、、そしてやっとそのバスに乗れたはいいが今度はどこで降りていいのかがわからない、、しかもそのバスはキルティプール行きなのか、その先にいくバスなのかもわからなかった、、ホテルでもらった地図は大雑把過ぎてバスの通っていく道も追えない、、キルティプールの地図もどんなところかの情報も持っていなかったのだった(それこそ調べようと思えばAtithiでできたことだった、、そこでガイドブックを借りてしまえばよかったのだが、そのときはその必要性を感じてなかった)、、それほど遠くはないと思っていたので30分くらい走ったところで、多くの客が降りるのをみて隣の女子高生にここがKirtipur?と聞いてみたら、そうだという、、慌ててそこで降りたが実際はもっと先で降りたほうが近かったようだった(そんな微妙な会話はできなかったので仕方ない)、、行く手に丘があってその下が商店街になっていた、、そつちへ向かって歩いていく人の後をついていく、、しかしどこに何があるかわからない、、なんでも丘の上からの眺めが素晴らしいと聞いていたので、上へ登る道を探し、上へ上へと向かった、、まずあったのはパゴダ?そこはチランチュビハラChilanchu Viharaというストゥパstupaだった、、そこはもう丘の頂上だったが、まだ何かありそうなのでうろついていると、大きな溜め池?Dev Pokariがあって旧王宮(かつてのKirtipur統治者の家)とナラヤンマンディールNarayan Mandir temple、その後ろに最も大きな寺バグバイラブ Bagh Bairab Temple、ここはこの辺いったいの中心となっているところのようで、カトマンズ盆地の眺めが素晴らしかった、、まだ石ダタミの道は続いていてさらに民家の間をいくとウママヘシュワールUma Maheshwar Templeがあり、ここが最も高い位置にありそうだった、、地元の老人たちがひがな日向ぼっこなのか数人そこに座して暇をつぶしていた、、ここからの眺めも素晴らしかった、、もちろん雲がなければヒマラヤの峰々も一望できるところだったが、それは目を凝らしてみたが残念ながら雲しか見えなかった、、何よりよかったのはそこの住民がのんびりゆったり暮らしている風で(機織ものや染織で有名なところのようだった)その素朴さ、そして観光客が皆無で、まったく静かでのどかな感じがとてもよかった、、こんなよいところがあったんだと、オバチャンのお勧めに納得していたのであった、、あとでわかったことだがカトマンズ/ネパールで入場料・拝観料をとられなかったのは実はここだけかもしれないということだった、、片道20Rsのバス代(帰りはミニバス;同額)往復40Rsで観光できたところは他にはなかったのではないか‥?、、というのも実はその後わたしはAtithiでガイドブックを借りたのだ(借りる場合は50Rs+デポジット1000Rs)、それでわかったことなのだが最も有名で昔何回か訪れたおぼえのあった古都Patan、Bhaktapurの外国人料金の高かかったこと、、それで、そんなところへいくのはよそうと思って他へはほとんどいかなかった、、だから実際の他のところの情報は知らなかったのだけれど ‥??、、

Chilanchu Vihara Stupa001_640x480

もっとも傑作だったのが下の仏像で、この場に寺があったのか、なにやら工事中で仮安置されているようだった、、右はそれがあった一画(上のストゥーパから少し西にいったあたり)

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溜め池と左が18世紀の統治者の家?正面の白い建造物がNarayan Mandir004_640x480

上の写真の向こうにKirtipurの中心的場所?Bagh Bairab Templeとその境内006_640x480

上の寺の境内からの眺めは素晴らしく、遠くにSyawambhunath(下)が見えた008_640x480_2

更に少しいくとUma Maheshwar Templeがあってここからの眺めも素晴らしい009_640x480

逆光になってしまったが、Kirtipurの入り口のゲートとカトマンズに行くミニバス011_640x480

 帰りの渋滞はすさまじく、行きは30分くらいだったが帰りは1時間もかかった、、それでも行って帰って4時間40RsのKirtipur観光は、わたしのお気に入りにも加わることとなった、、そのころどうしようかと迷っていたのはトレッキングであった、、チベットツアーは諦めたがヒマラヤを見る、そして写真に撮りたいという気持ちは少しも変わっていなかった、、それでHimalayan View siteの情報をAtithiでもらっていたが、それらはカトマンズ近郊にあって誰でもいつでも行けるところだった、、しかしそれらは場所的にはカトマンズ盆地にあったから天気はカトマンズと変わらないことになる、、Kirtipurの丘からも晴れていれば見えるのに、結局雲が見えただけ、そりならいっても同じことになるのではないか?、やはりトレッキングに行くしかないか?、いくとしたら今更ポカラに戻る気はなかったから、そうするとエベレストエリア?、それは日本にいるときからまったく考えていないわけではなかった、、むしろ体力的に可能なら最もいきたいところであったのだ、、少なくともそのための日程的な余裕は十分にあった、、問題は三つ、1,は体力、2,は天気、3,が費用、、3,についてはエベレストトレッキングの場合ルクラまでは往復飛行機となる(一週間かけて歩いていくことも可)、そして往復で10日~2週間くらい?、、やはり費用はかさむ、、それで天気が悪かったら何しにいったかわからなくなる、そう思うといまいち決断できないでいた、、その日kirtipurの帰り、オールドバスパークから歩いてホテルに戻ったわたしは、毎日何気なく通り過ぎていたKings Land ホテルの右隣もトラベルエージェンシーだったことに気がついた(つまり両隣が旅行代理店だったのだ)、、というかそこのウィンドウには日本語で’日本語話します、お気軽にどうぞ‥’(?)とはっきり覚えてないがそのなような呼びかけ文がショーウィンドーに書かれていたのに気づいて入ってみたのだった、、もう一度そこでトレッキングについて聞いてみようと思ったのだ、、一人の若者がオフィスにいた、、そういう日本語が書かれたトレッキング会社・旅行会社はずいぶんとあったが必ずしも日本語が話せる人が常駐しているとは限らなかった、、が、そこにいた彼はスディールさんに負けないほど日本語が達者だった、、そして彼はトレッキングについて詳しかった、、自分はガイドでネパール中のどこへでも案内できるといった、、まだ若かったが経験は豊富そうであった、、また、名前はChhapte Sherpaと名乗のり、その名のとおりシェルパ族の出身だといって彼の名刺をくれた、、わたしは写真をとりにトレッキングにいきたいが体力的にもう歩けそうもないというと、心配要らない、自分がどこへでも連れて行ってあげる、、歩けなくなったら負ぶってでも下ってくる、といって実際そういう経験もあったと話してくれた、、たいへんまじめそうな好青年でそれが誇張した表現には聞こえなかった、、本当?ガイド料はいくらなの?と聞くと旅行会社やこのエージェンシーとの契約だと普通お客様(彼はいつも丁寧にOkyaku samaといった)は一日20ドル払わなければならない、、しかし自分と個人の契約なら18ドルでいいといった、、そしてもちろん自分たちの宿泊代・食事代はOkyaku samaは払わなくていい、、自分はガイド料だけで多少の荷物も持ってあげるからポーターも雇う必要はない、というのだった、、わたしは彼はそこの社員だと思っていたのだが、あとから聞くところによるとそのときはただ留守番としてそこにいただけだったそうだ(そこの仕事はしている)、、しかしエベレストは日数がかかるし飛行機代もかかる、ナムチェの手前の坂は登れそうにないというと、ランタンバレーLangtang Valleyならカトマンズからバスで行けて往復で7~8日、、道程もそれほどきつくないし、いくらでもわたしのペースに合わせられる、それが9日になってもいいし、わたしが3日で歩けなくなったらそこから引き返してもかまわないとまでいってくれたのだった、、‥ちょっとあまりにもできすぎた話に思えたので即断は避けた、、その気になったら連絡するというと、この店でなく名刺にあるアドレスにmailをくれれば1時間以内くらいでホテルに行けるというのであった、、それでもどうしようか一晩迷っていた、、

 ネパールで実に驚くことは、他の国に比べて格段に日本語を話す人、日本語で声をかけてくる人が多いということだった、、最初それは日本人の旅行者が多いから必然的に彼らは日本語を学び、また仕事を通じて覚えたのかと思っていたら、実際は少し違っていた、、わたしがそうやって日本語で話すことができたネパール人のほとんどはスディールさんもそうだったが、みんな日本で働いていたことのある人たちだったのだ、、その年数によって熟達度も違ってくるが3~8年くらい日本に出稼ぎにいってたと聞けば納得できたのだった、、それほどの数のネパール人が日本に来ていたということを知らなかっただけでなく、これから行きたいという人の数も実際多かったのでる、、そしていったことのある人たちはみんな一様に日本はよかったといってくれたのが、なんか救いだった、、しかし来年はたぶんいけるだろうといっていたガイドChhapteクンはここで日本語を学んだだけ、日本にはいったことがないといっていた、、それであれだけ話せる、ひらがななら読み書きもできる、日本人の顧客が何人もいる(毎年来る人がいるらしい)、これは普通の才能ではない、あるいはよほどの努力の賜物か?この男は信用できる、頼りになるだろう、彼に任せてみようと決断し次の朝mailを入れたのだった、、ところが理由がわからなかったがそのmailは送れなかった、、アドレス間違いではなく、そのとき初めて経験したことだったが送信完了にならなかったのだ、、だから連絡が取れなくなってしまったのだった、、しかしひとつだけ手は残されていた、、10時過ぎに隣のオフィスに行って連絡をとってもらったのだ、、偶々そのときも社員だかアルバイトかの若い男性が一人いただけ、すぐに電話で連絡をとってくれた、、そして1時間後にはわたしのホテルの1Fでわたしは彼とあっていた、、そこであらためて話しあって、まず日程は9月10日から8日間と予定し、それまでの間にTIMSカード<Trekking Information Management Systemトレッキング許可証?>の取得や資金調達(つまり両替)等の準備を手伝ってくれるということになった、、ランタンバレートレックの基地となるシャブルベシSyabrubesiまでのバスのticketも前日に買ってきてくれることになった、、そこではじめて交通費の問題がでてきたので聞いたみた、、もちろんそれはこちらが出すんでしょ?それはどのくらいかかるの?

 ランタンの場合はそれほど遠くなかったのだけれど、一般的にどうなのかと聞いてみたかったのだ、、例えばポカラからのアンナプルナトレックに出かけるとして、カトマンズからガイドと一緒に行く場合もこちらの負担だとしたらポカラでガイドを雇ったほうが安上がりになるということだからである、、で、もちろん答えは交通費はすべてわれわれが負担らしいことがわかる、、ホテルと食事代だけは自分たちが払うということだった、、それでも一日18ドルでガイド兼ポーターが雇えるのだから安いものだったかもしれないが、さらにわたしは聞いてみた、、われわれの食事・ホテル代は、だいたい山の中ではいくらくらいかかるのだろうか?それは果たしてこのトレッキングにわたしはどのくらいの費用を用意すればよいかを聞きたかったからでもあった、、それは場所によったりOkyaku samaが食べたり飲んだりするものにもよるが、高度が上るほど高くなっていく、でも一日20ドルを越えることはないであろう、とのことだった、、ということは自分の食と住とガイド料と飲み物代、そして交通費を入れても一日40ドルくらいみておけば十分ということか?すると彼はこんなことを言いだした、、たいていのトレッキング斡旋業者あるいは旅行会社は普通トレッキングを請け負うと一日すべて込み(上記、食住足代+ガイド)で安いところは50ドルでやってくれるだろう、、もしそのやり方のほうがいいのなら自分はすべて込みで40ドルでやってあげられる、というのだった、、それは悪くない話に思えた、、確かにわたしが聞いていたのもそのくらいの額で、もしトレッキングに行くなら最低一日50ドルは見積もっておかないと思っていたから、それでやってくれるのなら、そのほうが安くて楽かもしれないと考え直す、、で、すべて任せてしまったほうが、わりと勘定に細かくていちいちホテル代や食事代を気にしかねないわたしには、よほどあってるように思えたので、一括でお任せする、もしそれで儲けられるのならいくらでも儲けてかまわない、一日40ドル払うからうまくやってくれ、と頼んだのであった、、

 次の日から一日一度くらいあって、両替(これも少し率のいいところに連れてってもらった)やらTIMSの取得(20ドル;自分取りに行くといったら同額で彼の知り合いのところで取れるとのことだった)、そして前金を渡してバスのticketの購入を頼む、、ポカラにいたころはガイドなしでもトレッキングはいけると思っていたが、いやもちろんいけないこともないと思うが、その後の彼の働きをみると、それが如何につまらない考えだったかを知ることになる、、つまりそれほど彼は価値のある男だったということを次回以降お伝えできるかと思う、、わたしが4300mまで登った物語と‥、、